1話 目覚めと試練
キラ、キラ、と美しく煌いて。
白い光の粒が、暗い空のような天井を目指し、昇って行く。
零れ落ちる砂粒の動きを、逆さにしたように。
ゆっくり、ゆっくりと。
それはまるで――たくさんの小さな星々が、夜空へ戻って行くかのように。
やがてその小さな光も消え、暗闇に包まれた、石造りの部屋の中に、一人。
床に仰向けで横たわり、静かに眠る少年がいた。
色白でほっそりとした、青年になる手前の少年の身体。
その身を包む服は、何枚かの布を重ね着して、服と言う形に仕上げたもの。
まっすぐな長い黒髪は、艶やかに石の床へと散り、その頭部では黒に映えるサークレットが、細い銀環に飾った雫型の白石を揺らしている。
少女と見間違えそうなほど、麗しく整った美貌は、黒色の睫毛までもが美しく、その造形にはもはや、性別を超越した美があった。
その少年へと、ふいに声が届く。
『――起きて。光を』
何重にも重ねて響き、かろうじて若い男性の声だと分かる不明瞭なその声は、一度途切れたのち、再び少年の耳をくすぐった。
『――《光》を灯して』
ハッと、少年が目を開け、息を吸う。
鏡のように澄んだ銀色の瞳が、瞼の先の世界を映した、瞬間だった。
その瞳が最初に見たのは、黒い石を並べて造られている、冷ややかな天井。
(綺麗だった、あの星空は……夢?)
胸の内で、そう疑問を零した少年は、長い睫毛に彩られた瞳を数回またたかせて、夢のなごりを払う。
その時――少年の視界の端でうごめいた何かに、細い身体が反射的に震えた。
何か恐ろしいモノに、周りを囲まれているような感覚が、少年の肌を撫でる。
少年はとっさに身を起こし、さきほど聞こえた言葉を思い出した。
(――光が、欲しい!!)
瞬間、スルリと身体から何かが抜ける感覚と共に、少年の目の前に白く光る不思議な記号が現れ、またたく間に眩しいほどの輝きを放つ。
思わず銀の瞳を閉じる少年の近くへ、ひっそりと忍び寄っていた恐ろしいモノが、ズルリと動いて離れて行った。
それを感じ取った少年が、そっと再び目を開けると、その視線がついと上へ移る。
銀色の視線の先――石の天井付近には、白い光の球体が浮かび、周囲を照らしていた。
ゆっくりと下がる視線が、石の壁と床を見た後、部屋の隅で煙や濃い霧のようにうごめく、闇色の何かを見る。
刹那、すべての疑問を置き去りにして、反射的に立ち上がった少年は、四方の壁と床でうごめく何かを警戒して身構えた。
今まであまり動かなかった表情に、かすかな焦りと危機感が表れる。
(何か、武器になるものは……)
そう考えたとたんに、また身体の中にある何かが外へと動く。
目の前の空中に、白く光る記号が五つ現れ、すぐに光の短剣へと姿を変えた。
(そうか……これが、武器)
戦い方が分かった瞬間、少年の不安は消え、身体の震えもピタリと止まる。
そして、まるでずっとそうしてきたかのように自然と、対処法を考え出した冷静な頭の動きに、少年は従った。
闇がうごめき、拳大の球体を作り出す光景を、銀の瞳が映した――次の瞬間。
ヒュンッと鋭い風切り音を連れて、数個の闇色の塊が飛ぶ。
少年目がけて飛んで来たソレを、瞬時に空中へ展開した白く光る盾が防ぎ、弾き消した。
とっさに少年が使った、不思議な力による守護は成功したものの……しかし、闇色の脅威との攻防は、これだけでは終わらない。
再び、部屋の隅のから飛来してきた塊へ光る短剣を放ち、今度は光る槍を出現させて、振り回し払っていく。
槍の本来の使い方と異なることは、少年も気づいていたのだが、その違いを正す余裕はなかった。
(とにかく、塊に、当たらないように……!)
心の中でそう繰り返し、冷静な表情のまま細い身体を軽やかに動かして攻撃を避け、盾と槍を使うその姿は――まるで、美しくも勇敢な戦女神のよう。
白く光る盾と槍が冷ややかな闇色を退け、光の中でなびく長い黒髪が、夜風のように舞い散る。
飛んで来た一撃を身軽に避け、新たに出現させた光る短剣で、部屋の隅へと放った反撃は、たしかに闇を削った。
それでも、なお。
うごめき続ける脅威に対して、少年の銀の瞳がほんの一瞬、戦意を表すように、星のごとく煌く。
つと息を止め、身体の内側からぐっと引き出した力は、すぐさま小さな記号たちへと変わり、さらには波紋のように広がる白い光の波へと転じる。
暗闇を白に染め上げるほど、眩いその光の洪水は、壁際でうごめいていた闇を呑みこみ……やがて全てを、その輝きと共に消し去った。
天井で部屋を照らしていた、白く光る球体の明かりさえ消え、また暗闇へと戻った部屋の中。
しばし息を整えていた少年は、ふぅと吐息をつき、現状の確認を再開する。
暗闇でもよく見える銀の瞳で、石造りの部屋を眺める間、感情の乗っていない美貌は、麗しくもどこかぼんやりとしていて、無垢な幼さが垣間見えた。
(私は何故、こんな薄暗い部屋の床で眠っていたのだろう?)
疑問と共に首をかしげた拍子に、サラリ……と平らな胸元で揺れた黒髪につられて、次は身体へと視線が落ちる。
しげしげと身体を見つめていた瞳は、やがて不思議そうにまたたいた。
(おかしい。
今、この身体は確かに、私自身の身体なのに。
けれどこれは……見慣れない、身体だ)
再度首をひねる動きで、またサラリと揺れた長い黒髪の美しささえ、少年にとっては真新しい。
(不思議な状況だけど……身体に違和感があるわけではないのは、幸いだな)
そう考え、誰にともなくうなずき、今度は服へと意識が向く。
色白の肌に近い薄い色の布と、藍色の布を重ね、一本の帯状の白布を腰に巻いて、形作られた服。
(まるで、古代ローマの人々の服に、さらに布を重ねて少し豪華にしたもののようだ。
そんな感じの服を着ている人々が描かれた絵を、いつかどこかで見た気がする。
……その古代ローマが何なのか、その絵をいつどこで見たのか、まったく思い出せないけれど)
そこで、少年ははたと気づいた。
(……と言うよりも)
ぱちりと、銀の瞳がまたたく。
「――私は、誰なのでしょう?」
高めの穏やかな声が、あまり感情を乗せずに、それでも疑問の言葉を紡ぎ出す。
少年には――今まで生きてきた軌跡の証である、過去の記憶が無かった。