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 昭和六十年代、繁華街は流行歌と酒の匂いに包まれていた。

 いきがった若者、酔っ払った中年……どこにでもある酒場の通りを木瀬裕司は仲間と共に歩いていた。

「おい木瀬、お前なあ最近付き合い悪いぞ」

「そんなことないぞ」

「ははあ、さては女が出来たな」

 仲間の三ツ谷健二に絡まれて裕司は愛想笑いで話していた。

「いや、女が大事なのはわかる。そうだ。男と女が抱き合って愛が生まれるんだ!」

「こいつ随分酔っ払っているな。何かあったのか」

 裕司は江夏慶介に訊いた。

「ああ、田舎のお袋さんと見合いするとかしないで揉めているそうだ」

「それでか」

 裕司は呆れながら愛の持論を語る三ツ谷の肩を抱きかかえた。

「木瀬、お前に俺の気持ちがわかるか!」

「ハイハイ、今日は家に帰れ。タクシー呼ぶから」

 裕司は三ツ谷を連れて県道沿いでタクシーが通るのを待った。

「明日、朝から会議があるからもう帰るわ。悪いな」

「そうか。じゃあな」

 江夏と別れた裕司は三ツ谷を道に座らせて辺りを見渡した。

「これはなかなか来ないな。電話して呼ぶか」

 裕司は電話ボックスに駆け寄った。中で赤い花柄のワンピース姿の女が電話していた。

 裕司が車の列を眺めていた時、電話ボックスでゴトンと物音がした。

 振り向くと中で女がうずくまっていた。

 裕司は「おい!」と驚き、電話ボックスを開けて女の腕を掴み、

「大丈夫か!」

 大声で話しかけたが、女は黙ってうなずくだけだった。

 祐司は自分の手がべっとりと何かがまとわりついた感覚に気づき、手のひらを見ると血まみれになっていた。

「おい、しっかりしろ! そうだ、救急車。あと警察」

 裕司は冷静さを取り戻そうと声を出しながら電話をかけた。

 五分ほどで救急車とパトカーが来た。

 女は救急車に搬送された。人々が覗き込むように様子を見ていた。

 裕司は泥酔した三ツ谷をタクシーに乗せた後、パトカーで警察署に向かった。

 裕司の脳裏にウェーブのかかった髪の合間から見えた女の顔がよぎった。

 艶のある肌と唇の水商売風の顔立ちの女だった。

 事情聴取は三十分程で終わって裕司は車で駅まで送ってもらった。

「全く散々な一日だったな」

 電車に乗った裕司は思わず呟いた。自宅のアパートに着いた時には日付が変わっていた。

 翌日の昼休み。トイレで裕司が手を洗っていると三ツ谷が入って来た。

「よお、お疲れ」

 三ツ谷はいつもの陽気な口調で話しかけた。

「全く……昨日は大変だったんだぞ」

「ああ悪い悪い。少し飲みすぎたな」

 三ツ谷は用を足しながら言った。

「別にいいが、もういい歳なんだから程ほどにな」

 気だるく言いながら裕司は手元を見た。昨夜の血まみれになった手のひらが重なって見えて裕司は息を呑んで驚いた。

「うん? どうしたんだ」

 いつの間にか隣で手を洗っていた三ツ谷が話しかけた。

「あっ……いや何でもない。しかしお前は元気だな」

「こう見えても二日酔いで頭がガンガンだけどな。それじゃ」

 三ツ谷は明るく言いながらトイレを出た。裕司もため息をついて外に出た。

 会社帰りに裕司は駅の売店で夕刊を買った。

 昨夜の出来事は載っていなかった。

 裕司が帰宅すると部屋の前で中年の男が待っていた。昨夜、警察署で祐司が事情聴取を受けた刑事だった。

「どうしたんですか?」

 裕司が訊くと刑事は昨日助けた女が病院からいなくなったので、もし見かけたら警察に連絡して欲しいと言って帰った。

「何か気味悪いな」

 裕司はドアの鍵を開けて部屋に入った。

 数日後の晩、裕司は一人で繁華街の行きつけの居酒屋で食事をして県道沿いを歩いた。

 女を助けた電話ボックスを見ると背広姿の痩せた男が入っていた。

 再び繁華街の通りに入った時、男の怒鳴り声が辺りに響いた。

 道の真ん中で四人の男達が殴り合いをしていた。

 よくある酔っ払いの喧嘩だと遠目に見ながら裕司は歩いていたが、人だかりの外側に助けた女に似た後ろ姿が目に入って立ち止まった。

 ちらつくネオンが女を照らした時、包帯を巻いた左腕が見えた。

 女は後ろから男に腕を掴まれて驚いた。

 裕司はハッとして人だかりに駆け寄った。

「おい!」

 裕司は中腰で男に体当たりした。男は押されるように人だかりの中に転んだ。

「こっちだ!」

 裕司は女の手を引いて走り出した。

 背後から男達が追って来た。

「仲間がいたのか」

 裕司は戸惑ったが、

「あの角を右に曲がって」

 女の張り詰めた声が耳に入った。

 裕司は言われるまま目の前の角を右に曲がった。

「そのまま抜けたら大きな道に出るわ」

 裕司は路地を走り続けた。

「右に曲がって。タクシーが止まっているわ」

 路地を抜けて右に曲がるとタクシーが数台止まっていた。

「これに乗るんだな」

「ええ」

 裕司は女を連れてタクシーに乗り込んで二つ先の駅を告げた。

 タクシーはゆっくり走りだした。

 座席に中かがみになってリアウィンドウを覗くと男達が辺りを見渡しているのが見えた。

「ふう、何とか逃げられたな」

「ありがとう」

「えっ?」

 荒れた息と姿勢を整えた裕司は女の礼の言葉で我に返った。何度かまばたきをしてこの状況を整理した。

「あっいや。いきなり襲われそうになったからつい……」

「私の事、見ていたの?」

「……それ……」

 女の問いに裕司は左腕の包帯を指差した。

「前に公衆電話で倒れて病院に運ばれなかったか?」

 裕司が訊くと女は少し黙って「ええ」と呟きうなずいた。

 裕司は女に助けた時の事を話した。

「そうだったの。ごめんなさい。覚えていないの」

 女が申し訳なさそうに呟いた。

「いや、別にいいんだ」

「でも私に関わらない方がいいわ。さっきの男達は危ないから」

「そうなのか」

「助けてくれて嬉しかった。だけど私はね、籠の中の鳥なの」

 女がふっと窓に顔を向けた。ウェーブのかかった髪の合間から細い首筋が見えた。

「これからどうするんだ」

「そうね。見つかったらまた連れ戻されるだけよ。今までもそうだったし」

 窓の外を見ながら女は呟いた。

 裕司は女がどんな表情で言っているのか気になった。

「警察に行こう。そうすれば……」

「それは無理。無理なの」

 女の冷たい返事に裕司は黙った。

「殺されるかも知れないのにか」

 祐司の口調が一言ごとに強くなった。

「それは……どうかしらね。でもそうなったらなったで別に構わないわ」

 女は淡々と答えた。

 駅前の広場に着き二人はタクシーを降りた。

「本当にありがとう」

 女は礼を言うと裕司に背中を向けて歩いた。

「あのさ」

 裕司は女に話しかけた。女は立ち止まった。

「もし会いたくなったら川見駅の伝言板の上に缶コーヒーを二本置いてくれないか」

「何よ、それ」

 女は笑いながら振り向いた。

「何かの小説で読んだんだ。伝言板を通して約束する話を」

「子供っぽくない? でもちょっと面白いわ」

 さっきの車内の陰鬱さが嘘のように女の声は無邪気に澄んでいた。

「じゃあ朝の八時頃に置いて晩の八時にこの広場で待ち合わせしよう」

「わかったわ。馬鹿っぽいけど覚えておく。じゃあね」

 女は明るく手を振って雑踏の中に消えて行った。

 裕司は女の後ろ姿が消えるまで見ていた。

 次の日から裕司は早めに通勤するようになった。

 八時過ぎに駅に着いて伝言板を見て近くの喫茶店でモーニングを食べる生活を送った。

 一週間、二週間……休日もいつもと同じ時間帯に出かけた。

 何も置かれていない伝言板を見て裕司はきっと大丈夫なんだろうと自分に言い聞かせて毎日を過ごしていた。

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