第八話 好きだ
あの時の円城寺ちゃんは、様子がおかしかった。元クラスメイトだか、誰だかは知らないが、その人に会ってから様子がおかしかった。いや、今もおかしい。クラスで休み時間に話しながらも、どこか上の空だ。
「ねぇ、円城寺ちゃん」
「・・・」
今もそうだ。ポケーッとして僕の話を聞いていない。
「円城寺ちゃん?円城寺ちゃん!」
「あ、涼さん。すみません。・・・えっと、どうしたの?」
「調子悪い?保健室行く?」
「あ〜いや、大丈夫」
目を泳がせながら、円城寺ちゃんは言った。これは絶対大丈夫じゃないだろうなぁと思いつつも、僕は円城寺ちゃんのことを深く、聞けないでいた。聞いて、嫌われたらどうしよう。もう、別れようと言われたらどうしよう。そんな考えが、否応なしに頭に浮かぶ。自分の感情を差し置いて、円城寺ちゃんを心配すればいいのに。心配しているけれど、自分第一になってしまっている。そんな自分が、ひどく嫌になる。
「みーさん!!」
「わ、瑠璃・・・」
円城寺ちゃんが後ろからバックハグされていた。
「なんか元気ない?大丈夫か??」
「大丈夫。瑠璃は・・・うるさい」
「え?そう?私は、みーさんのことを心配しているだけだよ。さては・・・昨日何かあった!?」
「何もないわよ」
すっと視線を逸らして円城寺ちゃんは言った。
「ふぅん。これは、大丈夫じゃないやつだな〜」
ニヤニヤしながら、竹宮さんは円城寺ちゃんを見ている。と思ったら、いきなり僕の方へ視線を向けてきて耳元でこう言った。
「ちゃんと話を聞いてあげてね、彼氏さん」
「あ、あぁ・・・うん」
「なんか歯切れ悪いなぁ。・・・あ、もうチャイム鳴っちゃう。じゃあ、また後で」
ひらひら〜と手を振って竹宮さんは帰って行った。
放課後、帰ろうとしていたら円城寺ちゃんに話しかけられた。
「・・・涼さんに、話したいことがあるんだけど・・・私の、家に来てくれない?」
下を向きながら円城寺ちゃんは僕を誘った。ていうか、円城寺ちゃんの家?
「行って、いいの?」
「うん。今日、おばあちゃん帰ってくるの遅いし・・・外じゃ、話しにくいから」
外じゃ話しにくい。それってつまり、別れ話だろうか・・・。
「じゃあ・・・行こうか」
遠慮がちに円城寺ちゃんは言った。そういえば、今日は一回も目が合ってない気がする。
円城寺ちゃんの家に行く途中では、一回も話せていなかった。話しかけられなかったし、話しかけにくかった。
学校の最寄り駅から電車に乗り、三駅ぐらい進んだところで円城寺ちゃんは電車を降りた。改札を通り、5分ほど歩いた後、すごい大きなお屋敷が出てきた。大きな門の前で円城寺ちゃんは止まり、中へ入って行った。
え、ここが円城寺ちゃんの家?
円城寺ちゃんは玄関の鍵を開け、家に入り靴を脱いだ。縁側の方まで行き(縁側って実在するんだ)近くの襖を開けた。すると、リビングのような場所が出てきた。大きな広い部屋には、大きなちゃぶ台と、奥には生けた花があった。
「すごい、花だね。これって、華道?」
思わずそう聞くと、円城寺ちゃんは小さくこくりと頷いた。
「うち、華道の家だから・・・」
「そうなんだ」
「じゃあ、お茶入れてくる」
そう言って、円城寺ちゃんは入ってきた襖とは違う襖を開き、その奥へ消えていった。
きっと、別れようと言われるんだろうなぁ。別れたくない。まだ、好きとか恋とか、そういう感情は分からないけれど、まだ、円城寺ちゃんと離れたくないという気持ちが強い。多分、今別れてしまえば、前みたいな関係性に戻るのだろう。クラスで話すことは一切なく、お互いの存在を認識しているだけ。きっと、その関係に戻ってしまう。それは嫌だ。
でも、今の僕に別れたくないと言える資格はあるのだろうか。
そう悶々と考えていると、円城寺ちゃんが帰ってきた。
円城寺ちゃんはちゃぶ台の上に湯呑みと美味しそうな羊羹を置いた。
「今日はいきなり来てもらって、ごめん。えっと・・・話したい内容っていうのは・・・」
あぁ、きっと別れようと言われるのだろう。でも、別れたくない。
「その、昨日の、ことで・・・」
嫌だ、別れたくない。まだ、まだ、一緒にいたい。
「円城寺ちゃん、僕・・・僕・・・別れたくない」
円城寺ちゃんの目を見れば、困惑の色が強かった。
昨日の円城寺ちゃんを思い出す。夕日の輝きに目を細め、少しだけ口角が上がっている姿。どこか、ドキッとしたのを覚えている。今までの彼女たちと違って遠慮がちな態度で、ぎこちない距離感で、でも、ちょっとずつ詰めてくる距離。・・・思い出せば、愛しいと感情が出てくる。なるほど、昨日のドキッとした感情の正体は・・・好き、なんだ。あぁ、僕はようやく恋という感情を理解したのか。それが、別れ話の時だなんて残念だな。どこか他人行儀な自分と、別れたくないという感情に支配された自分が、体の中に巣食っている。
「あ、あの・・・涼さん。別れたくないって、どういう・・・?」
困惑している円城寺ちゃんを差し置いて、僕は、身勝手にも自分の感情を告げた。
「好きだ」