帰りたい
冬童話のテーマをもてあそんでいるうちに浮かんだ、とりとめのない話です。
何故か同じストーリーラインの夢を見る。
場所や状況、登場人物などはまちまちなのに、ラストまでの流れが、笑ってしまうほど同じ夢だ。
他の人はどうだか知らないが、少なくとも私はちょいちょい、そんな夢を見る。
少し話がずれるが、夢の中にだけ出てくる町というのもある。
おそらくは記憶の断片が好き勝手に切り貼りされ、起きている時に冷静に見返すと無茶苦茶でしかないが、夢の中ではちゃんと整合が取れていて、むしろ懐かしさや親しみを感じる町として存在している。
例えば、こんな感じだ。
一見すると緑深い森でありながら、ちょっと中へ入ってみるときちんと整備された公園になっている、立派な森林公園のある町。
しかしその公園は不思議なことに、いつも誰もいないのだ。
全体としてはのどかで田舎っぽい町並みなのに、角をひとつ曲がると突如として、天を衝く高層ビル街が現れる町、もある。
呆気にとられるように私は、ふらふらと高層ビル街の方へ行く。
華やいだ喧噪、眩しいばかりのイルミネーションに彩られた、多くの人が行き交う街だが……、私にとってそれは、映像のようにしか感じられない。
話しかけることも触れることも出来ない人々の群れ。それを私は、夢が終わるまでぼんやり見ていることが多い。
無意味に(と、起きている時にはそうとしか思えない)山を上り下りしなくては決して目的地へ着けない、山間の町。
風に乗ってただよう強い潮の香り。だけど海はどこにもないという、不思議な、概念だけの『海辺の町』。
そういうのもある。
町自体には親しみを感じているのに、自分と町の間に、薄い膜というか見えない壁というか、そういうもので隔てられている感覚。
町単体で出てくるときもあれば、それらの町が複雑に入り組んで存在することもある。
そういう町は大抵、東の空にも西の空にも、もちろん天中にも太陽はない。
なのに不可思議な光に満たされていて、必要なだけ明るい。
そんな、現実ではありえない町。
夢特有のご都合主義で組み立てられた、だけど風景としては懐かしく感じる場所。
そういう町から始まる、以下のような流れの夢を私は見る。
ある時の夢。
私は小学生くらいの子供だった。
学校でいつも一緒に遊んでいるのは、サルくんとリスくんとネズミくん。
三人ともご当地ゆるキャラのようなかぶり物をしているけれど、身体つきは完全に私と同じくらいの子供だ。
かぶり物をしていることに、私もそうだが誰も違和感を感じず暮らしている……という設定?らしい。
私は子供だけど、車を持っていて運転ができる(そういう、これも設定)。
最近できた高速道路を、仲良しの四人でドライブがてら、試しに走ろうということになった。
高速道路は複雑に、立体的に入り組んでいた。
最初は楽しくドライブしていたけれど、だんだんみんな、口数が少なくなってゆく。
この高速道路はどこへ続いているのか?
改めて考えてみると、知っている者は誰もいなかった。
そう、運転している私ですら知らない。
無言の車内に低くうなるエンジンの音と、少し開けた窓から吹き込む風の音だけが響く。
どのくらい走っただろうか?
延々と続いている、灰色の道と壁ばかりの景色。
私もみんなも、終わりの見えない不安以上に、この状況に怒りに似た気分がふくれ上がってくる。
車内が、あふれる怒りでパンパンになった頃……唐突に、出口が見えてきた。
「おめでとう!」
「おめでとう!」
「おめでとう!」
ETCの出口をゆっくりくぐった途端、高速道路を管理しているらしいスタッフの人たちが駆け寄ってきて、口々にそう言う。
私は慌ててブレーキを踏む。少し斜めになりながら、車は出口付近で止まった。
彼らは強引に、私たちを車から降ろす。
行動がゾンビ映画のゾンビみたいで、ちょっと怖い。
てんでに話す、彼らの言葉をまとめると。
この高速道路を最初から最後まで通り切ったのは、私たちが最初なのだと。
完走記念のお客様をお祝いをする為、スタッフ一同で待っていたのだと。
「お祝いの品です、どうぞ!」
サルくんには果物をかごに山盛り、リスくんにはどんぐりをかごに山盛り、ネズミくんにはチーズをかごに山盛り。
あやふやな表情というか、どちらかといえば恐怖に引きつった顔だった三人はたちまち機嫌を直し、かごの中のものをむしゃむしゃ食べ始めた。
「あの、私の分は……」
声をかけると何故か私は、スタッフの人たちから冷たい目でじろっと睨まれる。
お前は何故ここにいるのだと、彼らの顔にあからさまに書いてあった。
怒りや悲しみや、その他様々な感情が胸に浮かぶ。だが、何を言っても無駄だと私はわかっている。
すごすごと車へ戻り、セルを回す。
サルくんもリスくんもネズミくんも、私のことなど忘れたのか、こっちを見ようともしない。
スタッフの人たちに連れられ、どこかへ行く三人の後姿が小さくなってゆく。
私はしくしく泣きながら車をUターンさせ、高速道路へ戻った。
(帰りたい、帰りたい、帰りたい……)
心の中でそうくり返しながら、私は来た道を戻ってゆく。
入り組んだ灰色の道を、ただひとりで。
この手の夢は大体、こんな雰囲気だ。
夢の中に出てくる町や場所は、最初はなじみがあってとてもよく見知っているのに、何かをきっかけに突然、とてつもなくよそよそしくて冷たい場所になる。
さっきまで仲の良かった人たちも、不意に他人のような顔になって私から離れてゆくことも多い。
最後に私は、『帰りたい』とつぶやきながら冷たくてよそよそしいその場所を、あてもなくさまようことになる。
だが、夢の中で帰れたためしはない。
そもそもどこへ『帰る』のか、わからない。
わからないまま、心細く悲しい気持ちで私は、だれにも頼れず夢の中をさまよい続けるのだ、目が覚めるまで。
帰りたい、帰りたいとつぶやきながら。
帰る場所なんて本当はないのに。
そんな夢を年に幾つか見ているが、大部分の時間は日常に紛れて日々は過ぎ……、私も歳を取った。
何度同じような夢を見ても、ひとりでさまようのは心細く、悲しいもの。
夢の中で、これはいつもの嫌な夢なのだと自覚し、あきらめるようになったのが唯一の成長で、悲しさや虚しさに慣れることはなかった。
ある時。
いつもの夢の、ラストの状況の中で私はふと立ち止まり、ぼんやり明るい、太陽のない空を見上げた。
「……帰りたい」
半分口癖になっている言葉が唇からこぼれ落ちる。
その瞬間、鈍い音を立てて空が割れた。
割れた空は粉々に砕けた車のフロントガラスのように粒状になり、私の上へ一斉に降り注いだ。
不思議と重さは感じなかった。
ただ、粒状の空の欠片は私の身長ほどの高さに積み重なったので、まったく身動きが取れなくなった。
「そうだ帰ろう!」
「帰りましょう!」
「帰ろ帰ろ、一緒に帰ろうよ!」
老若男女の数多の声が、白っぽい空の欠片越しに楽し気に聞こえてくる。
ああそうか。ようやく私は帰れるのだ。
何故かストンと納得し、まぶたを閉じて身体中の力を抜こうとした。
刹那。
「駄目だ!」
すさまじい声で誰かが、私の耳元で叫んだ。
「駄目だ! まだ行くな! 駄目だ!!」
私は目を覚ました。
びっしょり寝汗をかいている。
のろのろと起き上がり、窓辺に寄る。
開け放った窓から流れてくる冴えた朝の空気が、夢に疲れて澱んだ肺を洗う。
深い息を幾つか。汗はいつしか乾いていた。
東の空が明るい。今日はよく晴れそうだ。
私を引き止めた、強い、強い声。
あれは、去年亡くなった父の声だった。