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31.卑怯

(誰か……いる?)


 意識が浮上するのを感じると同時に、アリエッタは傍に誰かがいることに気づく。

 目は閉じたままだったが、鼻をくすぐる男性用のコロンの香りに父セシルを思い出した。


 夢の中でしかもう会うことができないけれど、かつて与えられた愛情はアリエッタの心にきちんと残っていた。


 父からの愛情と母からの愛情。

 二人とも『親』ではあるけれど、違う人間だから二人がアリエッタに与えてくれた愛の形は少しだけ違う。


 アリエッタが心細いときに思い出すのはいつも母。

 そして怖い思いをしたとき、守って欲しいと願いながら思い出すのが父だった。


(私の自己満足よね)


 父親がいない分は母親の自分が愛情を注げばいい。

 なんでそんなことを思えたのかと、アリエッタは情けない気持ちになった。


 自分ができるのは母親としての愛情を与えるだけ。

 父親の愛情を代わりに与えることなんてできないのに。


 自分の意固地が、リチャードに要らぬ苦労をかけてきた。


 エドワードへの恋心を捨てれば、『ヴァルモント』の名のもとにすき間風の吹きこまない温かい家や栄養のある食事を十分に与えられた。


 寒いといってすり寄るリチャードを抱いて眠っても、自分の食事を全てリチャードに与えても、アリエッタの深い罪は決して消えない。


(最低だわ)


 記憶を取り戻してから、アリエッタはリチャードの瞳を真っすぐ見れていない。


 おじいちゃんに肩車をしてもらった。

 おばあちゃんと一緒にお菓子を食べた。


 パパに絵本を読んでもらった。


 嬉しそうなリチャードに「よかったわね」といいつつも、リチャードがこんな利己的な母親を許してくれないことを怖れた。


 父親や祖父母にこうして愛されることはリチャードが受けられる権利だった。

 自分が意気地がないせいでリチャードからこれを奪ってしまった。



「ごめんなさい」


「……アリエッタ?」



 アリエッタの声に、部屋の窓から庭で自分の両親と遊ぶリチャードを見ていたエドワードはアリエッタの眠るベッドの傍に立つ。


 つぶったままの目は苦しそうで、目尻には涙が浮かんでいたから、エドワードは反射的に手を伸ばして指でそっと涙をすくう。


「あ……れ?」


 エドワードの記憶の琴線が震え、脳がぐわんと揺れて一瞬だけ見えた映像の中では、アリエッタが涙をためていても嬉しそうな目で自分を見上げていた。


(……都合がよ過ぎる、ただの想像だ)


 三年間、どんなに頑張っても思い出せなかった記憶がこんな簡単に浮かぶわけがない。

 己の醜い願望が生み出した絵空事だと、エドワードは自分に呆れて再び窓辺に戻ろうとしたとき、


「……エド様?」


 名前を呼ばれて、反射的に枕のほうをみる。

 そこには潤んだ瞳で自分を見上げ、先ほどの映像と同じように嬉しそうなアリエッタと目が合った。


「……夢?」

「そうじゃないと思うが……俺にも少々自信がない」


 それほどまでに現実感がなかった。

 だからだろう、図々しい疑問がエドワードの口から飛び出る。


「夢だとしたら、これはよい夢?それとも……悪い夢?」


 エドワードの言葉にアリエッタは目を瞠り、次の瞬間にくしゃりと顔を歪めた。


「よい夢に決まっております、なぜそのようなことを仰るのですか……」

「すまない」


 エドワードの言葉にアリエッタは首を強く横に振り、苦しそうな顔をしたあとエドワードから顔を隠すように反対側を向いた。


「謝らなければいけないのは私です。何も言わずに姿を消してご迷惑をおかけして……」


 辛そうなアリエッタの声にエドワードは苦し気に顔をゆがめ、アリエッタの名前を呼んで言葉をとめさせた。


「それ以上言わなくていい。全て……モードレー男爵家の姉弟(きょうだい)が話したから」


 エドワードの言葉にアリエッタが顔を青くして、息を飲んだあと急いでエドワードを見ると体を起こして頭を下げた。


「私は、エド様……エドワード様の婚約者だったというのに……あのあと、アル……他の男性に肌を許し……「違う!!」……え?」


 アリエッタの戸惑った顔に自分の迂闊さをエドワードは悔やむ。

 早く勇気を出せばアリエッタの誤解をもっと早く正して、泣いて謝らせることがなかったのにと。


「アリエッタ、触れてもいいか?」


 エドワードが許可を求めると、アリエッタは『信じられない』という目をした。

 そんな驚愕と戸惑いに満ちたアリエッタの目をエドワードがジッと見ていると、アリエッタは視線をそらして小さく頷いた。


「ありがとう」


 エドワードはアリエッタの頬に触れ、そのまま目尻の涙を拭う。

 そしてそのままアリエッタの顔を両手で優しく、それでいて顔を背けられない力で包み込む。


「君とアルバートの間には何もない、全てあの姉弟の嘘だったんだ」

「う……そ?」


 エドワードの言葉を復唱しているがほとんど反射で、アリエッタの瞳はエドワードの言葉を否定していた。


「あの日、君を抱いたのは俺だけだ。アルバートたちは俺が部屋を離れた隙に寝ている君を連れ出し、嘘を吹き込んだに過ぎない」

「でも……」


 信じ切れないと首を横に振ろうとするアリエッタを、名前を何度も呼んで落ち着かせる。


「本当に何もなかったから……大っぴらにはできないが、父がアルバートとエリザベスの二人に自白剤を飲ませて証言させている」


「じ、自白剤!?」


 とんでもない事実にアリエッタは否定する気持ちをすっかり忘れ、さっきとは違う信じられない思いでエドワードを凝視する。


「それでは……本当、なのですか?」


 エドワードの瞳には一切の揺れはなく、エドワードの言っていることが事実だと、自分とアルバートの間には何もなかったことが実感できてくる。


「よ……良かった」


 ポロポロポロとアリエッタの目から涙がこぼれる。


 最初はエドワードは涙を指ですくっていたが、止まらない涙にエドワードはアリエッタの顔を自分の胸にうずめさせてコットンのシャツで涙を吸い取る。


「ハンカチの一枚でももっているべきだった……すまない」


 エドワードの言葉を、アリエッタは首を横に振ることで否定する。

 そして右手でエドワードのシャツを握ると、ぎゅうっと手に力を込めた。


(私はとても……狡いわ)


 エドワードにあの日のことを問われても、「何も覚えていない」と言えばエドワードは優しいから無かったことにしてくれるとアリエッタは心のどこかで思っていた。


 リチャードはエドワードの子どもだった。

 ウィンソーの翠色を持って生まれた自分に似た息子をエドワードが否定するわけがないと思っていた。


(このまま結婚していたほうがいい理由をあれこれ考えたりして)


 リチャードやヴァルソー商会のことを考えたら、このまま婚姻関係を続けていたほうがいい。


 アリエッタの許可をとらず勝手に結婚していたことにエドワードが負い目を感じていることを利用してそう説得しようと思っていた。


 アリエッタの安全のために始められた結婚。

 本物のアリエッタが見つからない限りこの結婚は終わりにできないのだから、エドワードに他に愛する人ができてもたとしてと彼女を愛人にするしかないと。


(ああ……私は浅ましく、利己的な卑怯者だわ)



「エドワード様、離縁してください」

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