28.勇気
「あなた、まだアリエッタと話をしていないそうね」
母アネットの言葉にエドワードはギクリと体を強張らせた。
そんな『図星』を体現する息子に「情けない」とアネットはため息を吐く。
「早く教えてあげなさいよ、あの子はアルバートとも関係をもったと誤解したままなのよ」
「……分かっています」
「私から言ってもいいけれど、あなたから言われることがあの子には大事だと思うわ」
リチャードの翠色の瞳をみれば誰が父親かは一目瞭然。
それなのに「あなたの息子です」と言いにこないでアリエッタがあんな生活を送っていたのは、隠れていたい理由があったから。
「あの子はあなたに嫌われたくないから、下町で働きながら子どもを育てたんじゃない……いくら彼女の手を借りたからといっても大変だったはずだわ」
母アネットの言葉にエドワードは哀し気に息を吐く。
「俺がアリエッタを嫌うわけがないのに」
「だから、それを言ってやれといっているのよ!」
アネットは声を荒げると、俯いた息子を部屋から押し出す。
対外的には『ゆるふわ天然系公爵夫人』のアネットだが、実際の彼女は姉御肌で気風のいい女性……つまり、力づくも辞さないタイプである。
「リチャードに会いたい」
部屋を追い出されたエドワードは腕を組んで天を仰ぐ。
「あの子の可愛い笑顔が見たい。パパって呼ぶ声を聞きたい。小さなあの手で叩かれたい」
「坊ちゃま、何やら不安になる欲求も混ざっておりますよ。あと、そのような大きな図体で廊下にしゃがみ込んでいたら邪魔でございます」
頭上から振ってきた執事長のヴィクターの声にエドワードは顔を上げる。
外では『無愛想』と言われるエドワードの情けない顔にヴィクターも苦笑する。
「そんな目をしても無駄でございます。アリエッタ様ときちんとお話するまでリチャード様に会わせてはならないと奥様より厳命されております」
「ヴィクター、そんなことをしてリチャードが俺を忘れたらどうする」
「そうなる前にアリエッタ様とお話ください」
「……お前は誰の味方なんだ?」
「私はいつでもレディーファーストでございます。男女差別と言われましてもこれが私の信条、エドワード様よりもアリエッタ様が優先でございます」
それでは怒れないな、と思いながらエドワードは「よいしょ」と立ち上がる。
「大丈夫ですよ」
「……ヴィクター」
なんだかんだと言いながらも幼い頃から傍にいてくれるこの執事は自分の味方なのだと、エドワードの胸がジンッと痺れた。
「万が一のとき、泣くのはエドワード様だけでございます」
「感動を返せ」
「ほっほっほっ」
「で、どうして泣くのは俺だけなんだ?」
「エドワード様が振られた場合、アリエッタ様は旦那様の養子にはいる手筈でございますのでリチャード様は変わらず旦那様と奥様の孫のままでございます」
「なるほど、泣くのは俺だけだ」
「ですから、ご安心ください」
安心要素がどこにあるのかと、やさぐれた気持ちでエドワードは裏庭に向かった。
裏庭といっても広くて日当たりがよく、ここはエドワードの個人的な菜園だ。
三年前、行方不明になったアリエッタを探すためにエドワードは生活の拠点を王都に移した。
しかし探してもアリエッタは見つからず、三ヶ月を過ぎて暖かくなってくるとエドワードは無性に野菜を作りたくなった。
いまから思えば、見つからない焦燥感や虚しさを、野菜が育つ達成感で埋めたかったのだと分かる。
ウィンソー領は農業が盛んで、公爵家でありながら領民と距離が近かったこともあり、エドワードは野菜やハーブを育てることが好きだった。
このエドワードの趣味を知った者の多くは、天下のウィンソー公爵家の跡取りがなぜ好き好んで土と戯れるかと陰で笑う。
笑われることについては気にしない。
他人のことに敏感だった若い時分は気にしたが、齢二十五になれば表面だけ取り繕う虚しさのほうが耐えられない。
朝から晩まで社交場に出入りするより、農場に出入りするほうがエドワードの性に合う。
煙草を吸いながら賭け事に興じるより、焚き火の煙に燻されながらこれからの天気に頭を悩ませるほうが好きだ。
貴族として社交の必要性は理解しているし、商会のこともあるからそういう付き合いの経験はそれなりにある。
煙草や酒も付き合うし、場の空気によっては賭け事にも参加する。
アリエッタには言えないが後腐れのない女性と夜を楽しんだことだってある。
土から出てきた雑草を引き抜く。
エリザベスもアルバートも、エドワードにとってはこの雑草とあまり変わらない存在だった。
自分や、自分にとって大切な者のためにジャマならつまんで捨てる。
(幸せで、苦労のない人生を送ってきたツケだな)
幸せな人生を悪いとはいわない。
苦労のない人生なら、それに越したことはないとも思う。
頭脳明晰と持て囃され、武芸の成績は人並みだがケンカの仲裁や盗賊退治をできるくらいの腕前はある。
家は公爵家で、領地は毎年十分な税を納めてくれる上に大商会を営んでいるため資産は潤沢を通り越して有り余るほどだ。
恵まれているがゆえに他人を嫉まず、そのため他人の嫉妬の根深さを知らない。
(カール爺さんの言った通りだな。雑草は抜いただけで安心してはいけない、根を焼き払い、二度と芽を出さないようにしなくてはいけなかったのに)
アリエッタがいなくなったときも、一日か二日で見つかると思っていた。
見つからないことなんて想像もせずに、見つかったらどう謝ろうかだけを考えていた。
一日が一週間になって、やがて一カ月になって。
一年を過ぎた頃に「もしかして」と最悪のケースを想像するようになった。
警ら隊の数人を買収し、何度も秘密裏に身元不明の死者の面通しをした。
アリエッタが見つかったと報告があったのは、黒髪の女性の目撃された場所に人を送り「今回も違いました」という報告に何も感じなくなった頃だった。
王都の下町で、”リッパー”と呼ばれる暴漢に襲われたという。
アリエッタの持ち物からヴァルモント伯爵の名が出て、伯爵家の旧知であるウィンソー公爵家に連絡がきたのだった。
アリエッタは腹部を刺されていたが、アリエッタの悲鳴を聞きつけた者が早くに駆け付けてくれたため、他の被害者のように首を切られることはなかった。
瀕死の重傷だったが、命があるうちに公爵邸に運ばれたのは不幸中の幸いだった。
血まみれのアリエッタを見た瞬間、頭が真っ白になって何もできなかったことを、自分のそんな未熟さをエドワードは未だに悔やんでいる。
そしてあの日両親が不在だったらと思うとぞっとする。
ローランドは被害に遭ったのがアリエッタだと分かった瞬間、ローランドは使用人に怒鳴るように指示を出し、使用人に担がれるようにやってきた医者のハリーに「絶対に助けてくれ」とすがった。
命が助かるかどうか、技術レベルが最高級のハリーを連れてきた時点で金の力でできることは終わった。
あとは医者と神様の出来るレベル、エドワードたちができたのは祈ることだけだった。
神様の慈悲によりアリエッタは一命をとりとめ、ホッとしたときに執事長が「お客様がきています」とエドワードを呼びにきた。
緊急事態なのだから追い返せと、後日時間を作るからとエドワードは言ったが、執事長は「絶対に会うべき」「会わなければ後悔する」といい、エドワードの首根っこを掴む勢いでエドワードを玄関フロアから近い客間に誘った。
そこにいたのは姿勢の良さが目立つ老女とくすんだ茶色の髪の幼子がいた。
こんなときに会えというのが庶民なのかとエドワードが苛立ちを隠さなかったが、老女はそんなエドワードを意に介さずに抱いていた幼子を揺すって起こした。
―おばあちゃん、どうしたの?―
舌ったらずなのは寝起きだからか、それだけ幼いからか。
そんな呑気な考えは、少年がその目をエドワードに向けるまでだった。
翠色の瞳をした子ども、あの夜の子どもだとエドワードは直ぐに気づいた。