26.妄執
「エリザベス様」
窓枠にはめられた頑丈そうな鉄格子越しに庭の花を見ていたエリザベスは、名前を呼ばれて振り返る。
「エドワード様からです」
そう言った侍女のあとから数人の使用人が大きな箱をもって部屋の中に入ってくるのを、エリザベスはぼんやりと見ていた。
この光景をずっと夢にみていた。
『エリザベス』と自分の名前で呼ばれ、エドワードからと言って沢山の贈り物が届くことを。
三年間夢見たことが現実になったのに、エリザベスは嬉しくなかった。
そんなエリザベスに使用人を代表者のような女性が頭を下げる。
「ご出発までエリザベス様のお世話をさせていただくラーラと申します」
「……あなた、さっきあの場にいたわね」
エリザベスは質問をしたが、ラーラはただニコリと笑って何も言わない。
その”答えるつもりはない”という態度は、いけ好かない侍女のノラやミリアムと変わらなかった。
「これは?」
「エドワード様より、妻の従姉が異国に嫁ぐのに手ぶらでは格好が悪いといってご用意されたものです」
「……エドワード様が選んでくださったの?」
偽物と言われたが、それはアリエッタがいたからでは?
関係はなくても一時的に妻としてあった自分に多少の情はあるのかもしれない。
エリザベスの心に希望が湧いたが、
「いいえ、エドワード様の指示を受けたノラ様が「エリザベス様に相応しいものを」と言って先ぱ……ミリアムが準備しました。エリザベス様はミリアムと長い付き合いなのですよね」
ラーラの言葉で希望は消える。
聞く者によっては付き合いが長いから趣味に合うものを準備できる気遣いにも聞こえただろう。
しかしエリザベスには自分ごときにはエドワードはもちろん侍女長ですら時間を惜しいと感じているのだと聞こえた。
「三十分ほどでお客様がいらっしゃいますが、どうなさいますか?」
「着替えるわ、手伝いなさい」
誰が来るか分からないが、泥のついたドレスで客を出迎えるなどエリザベスの矜持が許さなかった。
箱を開けるとエリザベスが好むデザインのドレスが二着入っていた。
男爵家にいたときに憧れていたミセス・ソーントンのドレスだったが、この三年間は公爵夫人御用達のマダム・ゾーイで仕立てられたドレスを着ていたため、素材の悪さや縫製技術の低さが妙に目立った。
「いままでのドレスでいいから、そっちを準備して」
「ご期待に応えられません。あのドレスは公爵家の嫁に相応しいものをといってエドワード様たちがご用意されたものですし、あれらはすでに奥様が焼却処分を命じてノラ様が実行済みです」
マダム・ゾーイのドレスといえば普段使いのものでも官吏の三カ月分の給与に相当するもの。
王城の夜会にも着ていったドレスがすでに焼き捨てられたと聞いてエリザベスは青くなる。
「お分かりですか、エドワード様はもちろん旦那様たちも相当お怒りです。本当ならばお客様たちは私と一緒に来て待っていただく予定でしたが、エドワード様がいびり足りないのか延長タイムに突入しております」
そう言われて『客たち』が分かった。
それと同時にその客の一人が自分を殺そうとしていたと聞いたことを思い出す。
「ご、護衛はいてくれるのよね」
「ご安心ください。ユリアナ皇女専任の護衛の方がいらっしゃいます」
「その護衛が私を殺すかもしれないじゃない」
「そうかもしれませんが……エリザベス様がアルバート様の姉君であることはお伝えしてあるので大丈夫だと思いますよ」
***
「貴女がアルバートのお姉様?あまり似ていないのね。もっと物語のお姫様っぽい女性を想像していたのに」
つまらないと不貞腐れるユリアナにエリザベスは唖然とした。
恋敵と誤解したとはいえ刺客を送りつけようとしたのだから、形だけでも謝罪くらいしたらどうだという気持ちがエリザベスの中に湧き上がる。
そんなエリザベスを見たユリアナは片眉をあげ、楽しそうに笑う。
「自国の公爵家、それも天下のヴァルソーに喧嘩を売っただけはありますわね。無知で無謀な愚か者ですわ」
あまりの物言いにエリザベスが抗議しようと口を開きかけると、ユリアナの斜め後ろに控えていた護衛騎士がドンと鞘に入ったままの剣で床を叩く。
エリザベスがヒッと悲鳴を上げて震えあがると、ユリアナは「あらあら」と笑って護衛のほうを向く。
「多少の無礼は目をつむりなさい。私の用事はすんだわ、これからは姉弟で大事な話し合いをするのよ。ああ、忘れないうちにそこの侍女の貴女」
ユリアナに呼ばれたラーラが「はい」と前に出る。
「公爵様に”要らない”と伝えて頂戴」
「畏まりました」
「それでは、アル。私はゆっくりとお茶を楽しむから、お姉様に別れのご挨拶をなさってね」
「分かっていますよ、ユリアナ」
そう言ってアルバートがユリアナの額に口づけると、ユリアナは少女のように喜んだ。
「姉さん。新聞で読んだと思うけれど、俺はユリアナ皇女と一緒にサハラリア帝国に行くんだ」
「は?あんた王様になるの?ユリアナ皇女……様といえば帝位継承権第一位の後継者じゃない」
さっきまでエリザベスの胸を満たしていた不快な気持ちが一瞬で霧散する。
父親に似て好意をもたれやすい容姿をした弟は社交界でも年輩の女性たちに可愛がられ、弟のおかげでエリザベスがいい思いをしたことは少なくない。
皇女の夫となれば、侯爵家の未亡人の若いツバメになったときよりもメリットが大きそうだと内心でほくそ笑む。
社交界もピンからキリで、下位貴族の社交しか知らないエリザベスは表情を隠すことができない。
『アリエッタ』のときは優秀な侍女が傍についてフォローしたが今回は一人、国は違えど皇女として社交界の上位に君臨するユリアナには手に取るようにエリザベスの感情が分かってしまった。
「あらあら」
聞いただけでは子どもを嗜めるような口調だが、この言葉の意味を察したアルバートや護衛はわずかに顔を青くする。
アルバートは姉の命の心配をした。
護衛は他国の公爵家、それもヴァルソーをもつ天下の公爵家でこれ以上は面倒を起こさないようにと願った。
「姉さん、俺は彼女の夫であるが三番目だ。第一や第二のように何かを任されることもないから何もできない」
「……なにそれ」
「責任がないのだもの、権利がないのは当然でしょう?」
エリザベスの呆れを隠さない反応に不快そうにユリアナは膨れた。
「アル、お姉様は役に立たない貴方は要らないみたいね」
「……そのようだね」
「それじゃあ、貴方ももう二度とお姉様を気にかけてはだめよ。サハラリアに行ったらユリアナただ一人だけを愛して。アレクサンダーは内務で忙しいし、ヴィクトールは軍部の仕事で忙しくて私だけを愛しているヒマはないのだもの」
ただ傍にいて愛するだけでいいと言われるなんて、
「そんなの、まるで男しょ……「姉さん、それ以上は言わないほうがいい」……アルバート?」
姉を制したアルバートは一度目を閉じると、姉の疑問に対して冷めた目を向けた。
「三番目とはいえ皇族となる俺は実家の姓を捨てなければいけない、つまりモードレー男爵位を退くことになる」
「そういうことね。私が爵位の継承権を持ってもいいけれど……男爵なのよね」
気が乗らない様子の姉に、予想通りだとアルバートは苦笑する。
モードレー男爵家に価値はない。
百五十年ほど前に文官だった当主の功績を王が認めて爵位を贈っただけの、代々継ぐ領地も地位もない名前だけの貴族。
それがアルバートの姉と母の認識だった。
「姉さんも母さんと同じことを言うんだね。所詮男爵、男爵なんてって」
「だって、本当のことじゃない?私はもしかしたら伯爵令嬢だったのよ?あんただって伯爵になれたかもしれないのに」
何がおかしいの?
エリザベスの質問に答えたのはユリアナだった。
愉快そうにコロコロと笑う。
「アル、面白いお姉様ね。親は選べないのよ?“もしかしたら”を叶えるために努力して、それが叶わないなら諦めればいいのに。そういう人っていつも何かを不満に思っていて、誰にも好かれなくなってしまうのよ」
― 誰にも好かれない人 ―
エリザベスにとってそれは自分の母親だった。
いつも「なんで」「どうして」と全てに文句をいって、愛人をもった夫を軽蔑する振りをして未練がましい惨めな女。
あんな女には絶対にならない。
私は幸せになってやる。
そう思って、幸せそうな従妹のアリエッタが持つもの全てを奪おうとしたのに。