23.誤解
「アリエッタ、気分はどう?」
優しくかけられたアネットの声に、こんなことが最近もあったとアリエッタは思った。
心配かけてばかりだと反省する。
「……申し訳ありませんでした」
優しく微笑んで、気にすることはないというアネットに、アリエッタは首を横に振る。
気づかない振りをしてくれているが、いつまでも記憶が戻ったことを黙っていることはできない。
「アネット小母様」
アリエッタの声に覚悟を感じたアネットは姿勢を正す。
「三年前、すべての責務から逃げてしまって申しわけありませんでした」
「……アリエッタ」
それ相応の理由があったのだから気にする必要はないと思ったが、アリエッタが自ら語る勇気を得たことをアネットは喜ぶことにした。
そして自分も、三年間ずっと願ってきたことをするのだと。
「アリエッタ。本当ならばこれはエドから言うべきなんだろうけれど、あなたもあの子に会うのは怖いと思うし、母親の私から言わせてもらうわね。エドワードが乱暴な真似をしてごめんなさい」
そう言って頭を下げたアネットだったが、「え?」と本気で戸惑っているアリエッタの声に顔をあげた。
そこには、”わからない”という顔をしたアリエッタがいた。
「あの……小母様?”乱暴”って?」
「……え?」
アリエッタの思いがけない反応に、アネットの頭にも『?』が浮かぶ。
そして一つの仮説として、自分たちにとって都合がいいことを理解しつつも、アリエッタはエドワードに襲われたと思っていないのかもしれないとアネットは思った。
「責任逃れをする気はないし、必要ならあなたの目の前で何度だってエドワードを草かきでどつくのだけれど……でも、ちょーっとだけ思ったの。アリエッタ、あの子のことを怖いと思ったり、恨んだりはしていないの?」
「私が?エド様を?」
(あれ、この子本気で戸惑ってる……なんで?)
「だって、ほら、あの子があなたを無理矢理……ほら、リチャードが生まれるようなことを、したでしょう」
「あ……」
子どもの名前を聞いたとたん、アリエッタの顔がくしゃりと歪む。
そして瞳の琥珀色が揺らめき、ぽろりと一粒の涙が辿ったところでアネットは「やっぱり」と立ち上がる。
「そうよね、私にそう言われても困るわよね。ちょっと待っていて、すぐにエドワードを連れてくるから」
「お、小母様」
扉に向かおうとするアネットの手を、アリエッタは慌てて手を伸ばして掴んで止める。
そんなアリエッタにアネットは気づかわし気な瞳を向けて、安心させるようにその手の甲をポンポンと叩いた。
「大丈夫よ。あなたには近づかさせないし、私も同席するから。それでも不安でしょうから、騎士を数名待機させるわ」
「ま、待ってください」
アネットの袖がしわになるくらいの強さでつかむアリエッタに、アネットは労わるような目を向ける。
そしてこんな華奢な妖精みたいな子を、自分の大きなあの息子が無理矢理組み敷いたと思うと、改めて怒りがこみ上げる。
「アリエッタ、私は何があってもあなたの味方よ」
自分の言葉に目を見開いて驚くアリエッタに、アネットは「そうか」と納得した。
どんなに親身になっても自分はエドワードの母親である以上、アリエッタにとっては自分の味方とは思えないのだと。
「エドワードを呼ぶのはあとにするわ」
「小母様……」
アネットの慈愛深い声にアリエットの視界が歪んだが、
「それより先に、神殿に行ってあの子と親子の縁を切ってこないと」
「え?なんでそうなるのですか?」
じわりと滲んでいたアリエッタの涙が、驚きの衝撃でヒュッと引っ込む。
「だって、あの子の親の私がいくら味方だといってもアリエッタは信じられないでしょう?」
「信じます。信じますので、親子の縁を切るのはやめてください」
アリエッタが必死に懇願すると、アネットは「わかったわ」とやや不満気だったが納得した。
再びベッドサイドのイスに腰を下ろしたアネットにアリエッタはホッとして、自分の味方だと言ってくれたアネットを信じて、ずっと言いたかったことを声に出した。
「アネット小母様、リチャードはエド様との子どもです」
アリエッタの言葉にアネットは眉間にしわを寄せる。
「アリエッタ、リチャードを見ればあなたとエドワードの子だと一目でわかるわ。あの夜のことは聞いていたし……でも、どうしてそんなことを言うの?」
アネットの質問にアリエッタの口がふるりと震えたが、アリエッタは手の平を重ね合わせてぎゅっと握ると、
「あの日……気づいたら私はアルバートと一緒にベッドにいたのです」
「……なんですって?」
アリエッタの言葉にアネットは唖然とした。
そしてその唖然とした顔を見たアリエッタはポロポロと涙を零す。
「エド様とのことはわずかですが覚えてもいます。でも、言い訳にもなりませんがアルバートとのことは記憶になくて……でも、起きたら一緒にいたのがアルバートで……」
アネットは頭が混乱したが、まずは泣いているアリエッタをなだめ、一番の懸念事項を解決することにした。
「アリエッタ、エドワードに抱かれたことを覚えているのね?」
「はい……ただ、ボンヤリとした記憶だったので、最近まで夢だと思っていたくらいです」
「それについてはどう思っている?」
「え?あ……その……吃驚しましたけれど、お慕いしていたので……嬉しかったで、す」
なんとなく答えが的を外した気がしたので質問を重ねる。
「怖いとか、そういうことは?」
「……初めてだったので多少は……でも、そういうものだと聞きかじっておりましたので」
また答えが確信をつけていない気がしたが、息子の艶話を何度も聞くものではないと思い「アリエッタはイヤではなかった」とまとめた。
(記憶にないのはエドワードのほう……摂取量の違い?)
エドワードは乱暴したと思っているのに、アリエッタはそれを否定している。
母であるアネットに気を使っている可能性はゼロではないが、ひとまずそれは置いておくことにした。
「覚えていたらで構わないのだけれど、あのパーティーの夜に飲んだお酒を覚えている?ピンク色のワインのことだけれど」
「はい、エドワード様がひと口飲まれて甘過ぎるとおっしゃったものですよね」
(お酒が妙に甘かったというエドワードの証言と一致しているわね)
「どのくらい飲んだか覚えている?」
「はい、私はあまりお酒に慣れていなかったですし、緊張していたのでひと口だけ。残りはエド様が飲んで下さいましたが……あの、あらかた挨拶も終わっていたので良いと判断したのですが、何か問題がありましたか?」
「何も問題ないわ」と答えながら、アネットの頭は情報を整理する。
アリエッタの言ったことはエドワードの証言と一致している。
やはり薬が入ったワインを飲んだ量はエドワードのほうが多い。
そして、エドワードは明け方には正気に戻っている。
薬が抜けるまでに時間差はあるものの、摂取量からみてアリエッタもこの頃には正気に戻っていたと考えてもいいだろう。
「言いにくいことを聞くわね。モードレー男爵とのことは全く覚えていないの?」「はい」
(この辺りはモードレー男爵から聞き出すべきね)
明け方までアリエッタといたのはエドワードで間違いない。
そしてエドワードはエリザベスがアリエッタを呼ぶ声で起きて、自分の腕の中で眠るアリエッタに吃驚し、二人とも何も着ていない状態にもっと吃驚したという。
(ちょっと初心過ぎる感じもするけれど……それだけアリエッタを大事にしていたということなのでしょうね)
それはアリエッタも同じこと。
アリエッタが姿をくらましたのは、エドワードに襲われたからではないとすれば、アルバートと関係をもったことをエドワードに知られて嫌われたくなかったからと言える。
「申しわけありません」と言って体を小さくするアリエッタの肩に手をあてて、哀しみや後悔に苛まれるアリエッタに、アネットは優しく微笑みかける。
「アリエッタ、このことは私に任せてもう少し眠りなさい」
「はい……申しわけありません」
俯いていたアリエッタは気づかなかったが、優しく慈愛に満ちた声が詐欺のようにアネットは獰猛に笑っていた。