22.奸計
エリザベスはエドワードを落とすチャンスは一度きりと理解していた。
この判断は正しかった。
小麦畑が広がるウィンソー領で育ったエドワードは冷ややかな印象を受ける外観や華やかな肩書きの割に朴訥な男だった。
妹シャルロットによれば「兄さんが社交界でブイブイいわせる貴公子だったら“ヒグマ”なんて可愛い愛称はつかないわよ」とのこと。
そんなエドワードにとって貴族の夜会への参加は責務と分かっていても苦痛で、噂八割の会話は無意味に思っていたし、自分の肩書きに惹かれて近づく女性たちは不快だった。
下位貴族のエリザベスと王家に連なる公爵家のエドワードが同じ夜会に出席することは少なかったが、その数少ない機会で観察した印象と従妹アリエッタの話から、エドワードに対して積極的なアプローチは愚策だと理解していた。
エリザベスはその日まで『アリエッタの従姉』を完璧に演じた。
アリエッタに寄り添う姿勢を崩さず、エドワードに対しても『従妹の婚約者』としての立ち位置を決して崩さず一定の距離を保って接した。
そんなエリザベスをエドワードは評価し、エドワードはウィンソー公爵家の夜会にエリザベスを招いた。
まだ社交界に不慣れなアリエッタが少しでも楽しめればいいというエドワードの配慮だと理解していたが、これはエリザベスの自尊心を満たした。
本来ならばウィンソー公爵家の夜会に傘下でもない男爵家の娘が招かれることはなく、下位貴族の令嬢たちにとってウィンソー公爵家の夜会の招待状はプレミア級の価値があるものだった。
その招待状がエリザベス宛てに届いたという話はエリザベスの友人知人のすぐに広がり、彼らの羨望の眼差しや公爵家との橋渡しを願う者たちの媚びる態度はエリザベスを至極満足させてくれた。
そして、その日がやってきた。
アリエッタが十九歳になった最初の夜会で、ウィンソー公爵はエドワードとアリエッタが来年の春に結婚することを発表した。
アリエッタの目の琥珀色を思わせる色を入れた正装姿のエドワード。
エドワードの瞳である翠色のドレスを身にまとったアリエッタ。
二人はとてもお似合いで、そんな二人の結婚を周囲は言祝いだ。
その最中、誰かが「婚約期間が長いのだから直ぐに結婚すればいい」と言った。
それに対して公爵は、将来的にアリエッタを支える人材を探すのには成人してからの一年では足りず、もう一年ゆっくりと時間をかけたいのだと言った。
その言葉に会場はざわついた。
公爵の発言はこれから一年かけてアリエッタの『友人』という名の補佐官を探すと明言したのだ。
そしてアリエッタの補佐ということは将来的にウィンソー公爵家の采配に関われるだけでなく、大陸一の大商会であるヴァルソー商会の運営にも関われるということ。
貴族令嬢は我先にと自分をアピールするためにアリエッタを囲み、アリエッタはぎこちなくもエドワードに支えてもらいながら一年間で培った社交術を駆使して周囲との交流に励んでいたが、不意に目に入ったエリザベスに気づいて安心したような笑みを浮かべた。
その様子にエリザベスは満足した。
十歳の頃から自分に依存するように躾けてきたアリエッタはいまだに自分を頼るのだから、今後もそれは変わらない。
自分もアリエッタの『友人』の一人なのだ、と。
エリザベスは満足し、アリエッタの『友人』としてアリエッタの傍に行こうとしたとき、周囲の人垣が「あの娘は誰?」と呟いた。
その瞬間、周囲の目が一斉にエリザベスに向けられた。
最初は観察。
しかし誰かが「アリエッタ嬢の従姉の男爵令嬢」といった瞬間に、その観察の視線が侮蔑や嘲笑に変わる。
まさか男爵令嬢ごときがアリエッタの『友人』のつもりか、と。
上位貴族。
エリザベスは初めてこの言葉を理解し、怒りが沸いた。
アリエッタの母親は男爵令嬢。
つまり男爵家と伯爵家の血をもつ自分とアリエッタの何が違うのかと。
引きずり降ろしてやる。
エリザベスは「飲み物をとってきてあげるわ」とアリエッタに言うと、いつでも使えるようにと持ち歩いている小瓶をバッグから取り出す。
遊び慣れている弟アルバートが手に入れてきたサハラリア帝国産の媚薬。
妃たちが皇帝をもてなすために飲まれるこの薬は効くまでに一時間ほど時間がかかり、効きはじめれば瞬く間に理性も体も蕩かすものらしい。
幸いにも周囲の人の目は全員アリエッタたちに向いているし、人垣のおかげで周囲に使用人もいない。
エリザベスは小瓶を傾けて中身を一滴、そしてしばし考えると、もう数滴追加する。
アルバートは一滴で十分と言っていたが媚薬なのだ、アリエッタには弟の下で存分に乱れてもらおうとエリザベスはほくそ笑んだ。
媚薬入りワインを両手に持ち、アリエッタをジッと見る。
自分もアリエッタを言祝ぎたいとソワソワして見えるように。
そしてチャンスはやってくる。
エリザベスの遜った態度に満足したのか、エリザベスを通すことで自分たちの寛容さを見せつけたいのかは分からないが、どちらにせよアリエッタへの道が拓けたのだからエリザベスは満足だった。
「アリエッタ、おめでとう。お幸せにね」
礼を言ってグラスを受けとるアリエッタ。
横目で見ればエドワードは仕事関係者と思わしき男性の団体と話をしている。
本当はアリエッタがひと口でも飲むのを確認したかったが、周囲が焦れる前にエリザベスはその場を離れたため、アリエッタが飲んだかどうかの確認はできなかった。
しかし、一時間を少し過ぎたところでアリエッタが会場を出た姿がエリザベスの目に入った。
すかさずアルバートに目で合図を送り、アリエッタが出たのと同じ扉から弟が出ていく姿に満足する。
(今日はいくつも休憩室が用意されているというから、転がり込む場所には困らないでしょう)
エリザベスはアリエッタのことをよく理解していた。
アリエッタなら、例え自分に薬が盛られたのだと気づいても、他の男に体を許した以上はエドワードと結婚することはない。
エドワードが自分は気にしないと慰めても、いや慰めれば慰めるほどアリエッタは罪悪感を募らせてエドワードから離れていく。
(あとはタイミングを見計らってエドワード様を……)
「姉さんっ!!」
突然肩を掴まれて勢いよく振り向かされたエリザベスは驚き、その犯人がアルバートであることにさらに驚く。
「あなた、なんでここに?アリエッタは……」
「姉さん、どれだけいれたんだ?言ったよな、一滴でも多いくらいだって」
「別に効けばいいじゃない。そんなことよりもアリエッタは?」
「……エドワード公子といる」
「……は?」
唖然としているエリザベスに対し、アルバートは焦りを隠さない様子でその時の様子を説明する。
「自分の部屋に行かずに休憩室に行くからラッキーと思って後を追ったら、そこにエドワード公子がいたんだ。二人とも理性ふっ飛ばして、俺が扉を締める前にベッドになだれ込んでいたぜ」
あとから分かったことだが、先に気分が悪くなったのはエドワードで、エリザベスが見たのはそれを心配して後を追うアリエッタだったのだ。
「そんな……それじゃあ私の計画が……」
「そんな計画より、あの様子じゃあ二人とも記憶が吹っ飛ぶぞ……公子は酒に強いと聞くから酒のせいにはできないだろう。公子が一服盛られたと知ったら公爵家が黙ってない。どうするんだよ!」
弟の言葉にエリザベスは焦りながらも、「記憶が吹っ飛ぶ」という弟の言葉に賭けてみることにした。
「明け方、使用人たちが減ったら私がエドワード様を部屋から誘い出すから、あんたはその隙にアリエッタを違う部屋に連れていきなさい」
「そんなことをして……」
「黙って、分からないの?要はあんたと寝たと思わせればいいんじゃない、当初の計画と変わらないわ」
「エドワード公子はどうするんだよ。最中のことは覚えていなくても、隣にアリエッタがいるのを見れば自分が抱いたことくらい分かるだろう」
「だから、エドワード様とだけじゃなくてあんたとも寝た、そう思わせればいいのよ。アリエッタのことだもの、二人の男と寝たなんて知ったら自己嫌悪に陥って冷静な判断ができないに決まっているわ」
明け方、エリザベスは問題の部屋から少し離れたところで「アリエッタ様、どちらにいらっしゃいますか?」と大きな声を出した。
そして焦れる思いで問題の扉を部屋を見ていると、扉が開いてエドワードが顔を出し、アリエッタを探している侍女を探すかのようにキョロキョロしながら部屋を出ていった。
「いまよ」
エリザベスの合図でアルバートが部屋に入り、二分も経たずに意識のないアリエッタを担ぎ出す姿に満足した。