卒業パーティーで婚約者が美少女を腕にぶら下げてきた
辺境伯家の一人娘であるわたしが、婚約者に初めて会ったのは、王都の学園だった。
なかなかに見目も良く、爽やかな微笑み。
じっと見つめても目を逸らさないということは、疚しさを抱えた人物ではないのだろう。
悪くないじゃん、と安心したわたしは、差し出された手を握り返した。
わたしの名はハイデマリー。
バルシュミーデ辺境伯家の一人娘として生を受けた。
辺境伯領と言えば、田舎中の田舎。
わたしは幼いころから、そこらじゅうを駆け回って育った。
木登りをし、辺境軍の訓練風景を真似て棒切れを振り回し、擦り傷切り傷は常に絶えず。
女性兵士の宿舎に潜り込み、泊めてもらうことはしょっちゅうだった。
そんなわたしでも貴族家の令嬢。
六歳になった時、侯爵家の次男である令息と婚約した。
彼は生まれてからほぼ、王都で暮らしているそうだ。
わたしは十四歳になったら二年間、王都の学園に行くことが決まっていたので、それまで婚約者に会わずに過ごした。
初めて王都を訪ねることに少しも不安はない。
王都には美味しいものがいっぱいある、と女性兵士たちから聞いていたので、そればかりを楽しみにしていた。
しかし現実は、そう甘くない。
「ハイデマリーが王都へ行くまで、あと一年。
それまでに、この野猿を令嬢に仕立てねばなりません。
詐欺だろうが何だろうが構いません。
初見で断られなければ上々。
皆さんのご協力をお願いします」
王都行きを翌年に控えたある日のこと。
月一度の辺境伯軍全体朝礼の壇上から、母は堂々と演説し、深々と頭を下げた。
辺境軍一同は長たる父を筆頭に、皆で頷き賛同の拍手をしている。
自分のことを言われていたにもかかわらず、ぼへっと聞いていたわたしだが、すぐに地獄の日々が始まった。
女性兵士の半分は伯爵家以下の貴族令嬢だ。一通りの作法は身に付けている。
昨日まで「姉貴!」と呼んで慕っていた皆は、その日を境にわたしの敵になった。
「ハイデマリー様、裾さばきがなっておりません!」
「ハイデマリー様、走ってはなりません!」
「ハイデマリー様、睨まない! 上目遣いの練習を!」
事あるごとに女性兵士に囲まれて、ビシバシ扱かれた。
これまでの親しい付き合いのせいで、皆遠慮がない。
お陰で一年後には、母譲りの美貌が活きる可憐で儚げなご令嬢が爆誕した。
「まあ、見た目だけは誤魔化せそうね」
涙と汗の努力にもかかわらず、母の評価は身も蓋も無い。
辺境伯である父の方は、軍務も事務も忙しく、一人娘の教育は妻に丸投げだ。
淑女教育には、そもそも全く役に立たないので仕方がない。
たまに、ゆっくり顔を合わせることがあれば、わたしを極力甘やかそうとするので、母から怒られてしまう。
堂々たる体躯の父が身を縮め、シュンとするのだ。
仕方なく「お父様、ドンマイ」と肩を叩いて励ますこと数知れず。
すると、そんな時、必ず父は言うのだ。
「ハイデマリー、お父様は鍛え上げているからいいが、他の人の肩をそんなふうに叩いては駄目だぞ。
その力強さでは、肩が外れてしまうからな」
「はーい、気を付けまーす」
とはいえ、辺境伯家周辺にやわな人間はいないので実感はなく、いつも聞き流していた。
そして、やって来た王都。
わたしは間抜けなことに、初めて会った婚約者と握手をした時、彼の顔が引きつったのを見逃した。
だって、彼の方から「これからよろしく」と手を差し出してきたので、フレンドリーでなかなかいいじゃない、とちょっとご機嫌になってしまったから。
学園に通い始めたわたしは、田舎者と仲間外れにされることもなかった。
皆、自分の家の名前を背負っているので、行動は慎重にせざるを得ない。
まだ婚約者の決まっていない生徒は、更に慎重だ。
無責任な噂や醜聞などとは無縁の世界だった。
ところが、ある日、学園に行くと、空気が妙な感じだった。
「おはようございます!」
「……あ、おはよう、ございます」
そんな調子で、誰に声をかけても何となく歯切れが悪い。
それからしばらく後の休日。
特に親しくさせていただいている公爵家令嬢オリーヴィア様に、カフェに誘われた。
「本日はお誘いいただき、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそ、来ていただけて嬉しいわ。
……今日は少しお話したいことがあって、お呼びしましたの」
「お話とは?」
「実は……」
その時、カフェに新たな客が来た。
ドアの方を向いていたオリーヴィア様が目を瞠る。
「どうかなさいました?」
「あの、何をご覧になっても驚かないでくださいね」
わたしたちの席は、観葉植物に囲まれて、周りから見えづらくなっている。
対して光の加減で、こちらは葉の隙間から外が見やすいのだ。
振り向いてみると、ドアの近くにいたのはわたしの婚約者フォルカー様だった。
「まあ」
「あまり驚かれていないのね。もしかして、ご存じでしたか?」
「いいえ。休日にカフェに入るほど、フォルカー様が甘味好きだったとは知りませんでした」
「そこじゃない!
……いえ、そこではありませんわ!」
オリーヴィア様は畳んだ扇子でビシッとわたしを制した後、扇子を広げて呆れ顔を隠した。
「何か、おかしなことでも?」
「……わたくしの口からこれ以上申し上げることは止めておきますわ。
貴女が、特に気になさらないのなら問題ないのでしょう」
「ええ。お気遣いありがとうございます」
根が単純なわたしは、オリーヴィア様が何を思っておられたのか、何とか聞き出そうとするほど興味も続かない。
せっかくカフェに来ているのだからと、夢のように美味しい王都のケーキを何個もお替りして、オリーヴィア様に呆れられた。
婚約者はいつの間にか、店からいなくなっていた。
その後も、フォルカー様とは学園で毎日顔を合わせるので、特に休日に会うことは無かった。
ともすれば野猿の地が出てしまうため、休日は王都に借りた屋敷で淑女教育の補習三昧なのだ。
時々、侯爵家でお茶会が催されると招待状が届き、フォルカー様が迎えに来てくださる。
特に問題のないお付き合いを続けていた、と思う。
しかし、あれ以来、学園では周囲がわたしを気遣う様子が続いた。
わたしには、まったく理由がわからなかったけれども。
そうこうするうち二年が過ぎ、わたしたちは無事、卒業した。
夜は王城で、卒業を記念したパーティーが開かれる。
ほとんどの卒業生は、これが夜会デビューとなるのだった。
夜会デビューのエスコートは、身内が行うのが普通だ。
この日のために、わざわざ領地からお父様が来てくださった。
「ハイデマリー、しばらく会わないうちに、こんなに綺麗になって。
こんな愛娘をよその男にやるなんて。お父様は寂しいよ……」
「お父様、わたしは一人娘ですから婿取りですよ。
しっかりなさって」
「それとこれとは別問題だ!」
側に居る母は半目になっている。
メイドたちは笑いをこらえるのに必死だ。
王城に着くと、まずは家族と共に王族にご挨拶。
国王ご夫妻も、王太子ご夫妻も穏やかで明るい方々だ。
「卒業おめでとう。今日からは立派な大人だ。
だが、今夜のところは初めての夜会を楽しみなさい」
国王陛下は緊張する卒業生一人一人に、温かなお言葉をかけてくださった。
挨拶の行列も無くなり、父も社交のためわたしの側を離れる。
さて、次はダンスだったな、と思っていたらフォルカー様が近づいて来た。
ここからはエスコートしてくださるのだろう。
だが、彼は異様に緊張しているように見えた。
「ハイデマリー嬢、正式に婚姻する前にハッキリさせておきたいことがある」
「なんでございましょうか?」
平然と応えるわたしに、周囲が怪訝そうにする。
そして、周囲のフォルカー様を見る目はとげとげしい。
「君に腕相撲勝負を挑みたい!」
「腕相撲勝負ですか?」
「ああ、男として、自分より握力のある女性と婚姻するのは情けない」
そこで初めて気が付いた。彼は、初対面の握手のことを言っているのだろう。
悪いことをした。
お父様に注意されていたのに、力強く手を握ってしまった。
ここで謝ってもいいが、男が正面切って申し出た勝負だ。
受けるのが筋だろう。
近くにあった小さなテーブルを、フォルカー様にくっついていた小綺麗なドレス姿の御側付きがさっと用意してくれる。
「ありがとう」
礼を言うと、御側付きは丁寧に頭を下げた。
騒ぎを耳にし、慌てた母が駆けつける前に勝負はついた。
この二年間で、彼もずいぶんと鍛えたが、まだ、わたしの敵ではない。
負けた彼は、呆然としている。
「どうなさいます?
婚約を見直しますか?」
声をかけたわたしに応えたのは、公爵家令嬢のオリーヴィア様だった。
「腕相撲の件は、わたくしにはよくわかりませんけれど、婚約破棄ならフォルカー様の有責でございましょう?」
「有責? 何かフォルカー様に瑕疵が?」
「あの方の存在は、大問題だと思いますけれど」
オリーヴィア様の扇が差したのは、フォルカー様の御側付きだった。
「この二年の間、彼女がフォルカー様の腕にぶら下がっているのを何度目撃したことか!
学園内では見ませんでしたので、生徒ではなかったのでしょうが、休日の街では何度か見かけましたわ」
確かに二年前、オリーヴィア様に誘っていただいたカフェで、わたしもその光景を見た。
ドレス姿の可愛らしい御側付きが、彼の腕にぶら下がっていた。
「それの何が問題なのでしょうか?」
「何がって、ハイデマリー様、婚約者が自分以外の女性を腕にぶら下げて、外を歩き回っていたのですよ?
問題以外の、何だとおっしゃるの?」
周囲を囲む人々も、その光景を目にしたことがあるようだ。
皆一様に頷いている。
わたしはじっくり考えてみたが、やはり問題は見当たらない。
「御側付きが腕にぶら下がっているのは、問題ですか?」
「御側付きか、ご令嬢か知りませんが、婚約者以外の女性と距離を取らないというのは……」
「あの、そもそも、その方は女性ではないと思いますが」
「は? このドレスの似合う小柄で可愛らしい、美少女と言っても過言ではない方が女性ではない?」
皆キョトンとしている。
わたしは、婚約者の御側付きに向かって訊いた。
「貴方はドレス姿ではありますが、フォルカー様の御側付きで男性ですよね?」
「はい。左様でございます」
にっこりと笑顔で答えが返る。やや高めではあるが、男性の声だ。
「フォルカー様はわたしの握力が強いことにショックを受けて、身体を鍛えるために、貴方をぶら下げて歩き回っていたのではありませんか?」
「はい、その通りでございます」
フォルカー様を見かけた時、文字通り、ドレス姿の男性をぶら下げていたのだ。
ドレス姿の人物は重りとして機能していた。
「フォルカー様が身体を鍛えると仰って、外出時には小柄な私に重りがわりになれと。
しかし、男性同士ですと、少々人目が気になります。
それで、ドレス姿になりました」
「なるほど。賢明なご判断です」
真剣に相槌を打つわたしを、そんなアホなという思いを隠しもしないオリーヴィア様が呆れた視線で見つめる。
「婚約者のハイデマリー様がお気になさるかと心配はしておりました。
しかし、たまたま、休憩のためカフェに寄った時に、貴女様をお見掛けしまして。
こちらにお気づきの様子でしたが、特段、なんとも思われていないようでしたので、それ以後も」
「それは、ご苦労様でした。
貴方の御助力もあって、フォルカー様は初めて握手をした時より格段に力がついたようです。
今後の成長が楽しみです」
「……成長?」
やっと立ち直ったらしいフォルカー様が、口を開く。
「そうですよ。
学園で勉学も忙しい中、頑張って鍛えたのです。
婚姻後は辺境伯領でも日々、鍛えていくのですから」
「そうか。これは到達点ではなく、出発点なのだな」
「そうです。共に鍛えながら、辺境伯領を護りましょう」
「ありがとう。ハイデマリー嬢、よろしく頼む」
「フォルカー様、こちらこそ、よろしくお願いします」
がっちりと握手する二人に、周囲からは拍手が沸き起こる。
「あなた方はお似合いだわ」
オリーヴィア様は拍手に参加せず、扇子の陰で呟いた。
フォルカー様とわたしは無事に婚姻し、辺境伯領へと戻った。
そして十年が過ぎ……
「では、行ってきます!」
「遠征の無事を祈っている」
「ありがとう!」
「お母様、いってらっしゃい!」
「かあたま。ばいばい」
「アロイスもウーヴェも、お父様たちの言うことを聞いて、いい子にしていなさい」
「はあーい!」
「あいあーい!」
辺境伯家に戻り、互いにいろいろ鍛えてみた結果、人には向き不向きがあることがはっきりした。
要するに、元野猿のわたしは戦うことに向いていて、フォルカー様は事務仕事が得意だ。
というわけで、わたしは辺境伯軍の副将軍を担い、フォルカー様は辺境伯の執務全般を手伝っている。
腕相撲勝負が長引くようになり、力が互角になった時、彼が言ったのだ。
「必死に鍛え続けて、やっとここまで来たが、これが私には精一杯だ。
実際の戦いに参加しても、立ち回りなど、貴女の足元にも及ばない」
「どちらが上とかどうでもいいじゃないですか。
それぞれに得意分野があるんですから」
「そうだな」
「貴方が手伝ってくれるようになって、執務がとても楽になったと父が感謝しています。
これからも、よろしくお願いしますね」
「ああ。こちらこそ」
わたしたちは、誓いを新たにするように再び握手を交わした。
その後も、彼は身体を鍛え続けた。
軍を抱える辺境伯家。父にもわたしにも万一がある。
その時には、彼が将として立たねばならない。
あの、ドレス姿をしていた御側付きは、従者でもあるが護衛も兼ねていた。
東洋系の血を引くため、大人になっても小柄なままで、それが相手の油断を誘う。
夫と共に辺境伯領に来てくれた彼は、時には跡形もなく消えてしまう令嬢やら夫人やらになって、スパイ活動までしてくれた。
「私の仕事を、冷静に見極めて評価してくださるハイデマリー様のお役に立ちたいですからね」
夫がぶら下げていた美少女は、辺境伯領に無くてはならない一人として、生涯、忠実に仕えてくれたのだった。