二度目の恋
――下南沢。
僕達の学校がある桜平からは二駅離れた、ちょっとした都会である。
桜平はのどかで平和な雰囲気に対し、下南沢は都会特有の少し怖い空気を放っているのが特徴だ。
同じ地区内でありながら、こうも差があるのは一体何故なのか……
まあ、駅の出口によってはガラリと雰囲気が変わる場所もあるようなので、別段この地区が特別というワケでもないのかもしれない。
「ここよ」
半ば強引の神宮司さんに連れてこられたのは、怪しい雰囲気を放つ地下への階段であった。
これは、地獄への入口か何かだろうか……
「こ、ここって、なんなの?」
「フフ♪ 入ればわかるわ」
そう言って神宮司さんはスタスタと階段を下りて行ってしまう。
付いてこいということなんだろうけど、正直怖すぎる。
しかし、かと言ってこのまま待っているのそれはそれで怖い。
この下南沢は、それなりに治安が悪いことで有名だ。
学校でも、あまり近づかないよう注意喚起がされていたりする。
だから正直、神宮司さんがここに向かっていると知ったときは、流石に少し拒否感を覚えた。
しかし、神宮司さんには意外にも結構強引なところがあり、「平気平気♪」と引っ張って連れてこられてしまったのである。
つまり、僕は今でもビビっているワケで、こんなところに一人取り残されては堪らないのだ。
この階段を下りるのは怖いが、一人でいる方がもっと心細いため、覚悟を決めて階段を下りることにする。
階段を下りると、受付らしき場所の前で神宮司さんが待っていた。
「鳴神君、何かあった? 下りてくるのが遅かったけど……」
「いや、その、ちょっとね……。それより、ここは一体……?」
「まだ気づかない? ここはライブハウスよ」
「ライブハウス!?」
そう言われれば、どことなくそんな雰囲気があるような気がする。
一体どこに連れてこられたのかと思ったけど、先程の話の流れから考えれば可能性としては十分あり得る話であった。
「こ、こんなところ来て大丈夫なの……? 僕、制服のままだけど……」
「安心して。他にも制服のままの人は結構いるから。まあ、22時までには出なきゃダメだけどね」
ちなみに制服なのは僕だけである。
神宮司さんは駅で着替えて、今はとてもラフな格好をしていた。
「さ、受付して入りましょう!」
「え、でも僕、あんまりお金持ってなくて――」
「大丈夫、今日は無料の日だから」
無料!?
ライブハウスに無料の日なんてあるんだ……
維持とか大変そうなのに、経営は大丈夫なのか少し心配になる。
受付を済ませ、重厚そうな扉を開くと、ビリビリとした空気の振動を感じる。
同時に、けたたましいと感じるほどのギターと歌が響いてくる。
「っ!?」
凄い迫力だった。
僕は普段から音楽を聴いているけど、ライブの類には一度も行ったことがない。
だから、生の演奏を見るのも聴くのも、これが初めてだった。
「鳴神君、ライブは初めてでしょ?」
神宮司さんが、僕に聞こえるように耳元に口を寄せて尋ねてくる。
僕には恥ずかしいというか、恐れ多くてそんな真似はできないため、首を縦にブンブン振って肯定する。
「フフ♪ 凄いでしょ、生って」
「~~~~っ!」
決して変な意味は無いハズなのに、耳元で言われると妙な興奮を覚えてしまう。
……いや、恐らくこの昂りはそのせいだけじゃない。
僕はこの空気自体に、自分の中の何かを揺さぶられていた。
「…………っ!」
曲自体は全く聴いたことのない曲なのに、体が自然とそのリズムとビートに合わせて勝手に動き始める。
まるで血液に熱が入ったような、今まで味わったことのない高揚感が全身を支配していた。
……僕は、隣に神宮司さんがいるにも関わらず、完全に意識を音楽に持ってかれてしまったのだ。
◇
二曲ほど歌い終え、ステージにいた4人バンドが退場していく。
彼らはリバーボアというバンド名らしいが、ボーカルも演奏も熱い素晴らしいバンドだったと思う。
それを伝えようと隣を見ると、いつの間にか神宮司さんが姿を消していた。
一瞬動揺したが、もしかしたらトイレかもしれないと思い、すぐに冷静になる。
少し心細く感じたが、他のお客さんは皆ステージの方を向いているので、意外と怖くは感じない。
そうこうしているうちに次のバンドが登場し、挨拶も早々に演奏が開始された。
そのバンドはリバーボアよりも演奏は拙かったが、その熱量は変わらなかったため、僕は同じくらいのテンションで曲を聴いていたと思う。
しかし、再びバンドが退場したタイミングで隣を確認すると、神宮司さんはまだ戻ってきていなかった。
これには流石に焦りを覚えたものの、いつの間にか観客が増えており身動きが取れなくなってしまう。
結局僕はその場にとどまり、曲を聴く以外の選択を取ることができなかった。
次のバンドも、その次のバンドも、曲自体はとても熱かったのだけど、不安の方が勝り全然集中できない。
そして、僕のテンションが下がるのと反比例するように、観客のテンションはどんどんと上がっていく。
さっきまでは同じ空気を楽しんでいたハズなのに、疎外感のようなものを感じざるを得なかった。
もう帰りたい――、そう思った瞬間、全ての照明が落ちる。
一瞬何かのトラブルかと思ったが、同時に他の観客が本日最高レベルに盛り上がり始める。
そして次の瞬間、ステージの中央がライトに照らされた。
『さあ! 今夜も楽しもうぜ! 『NightmareCircular』のお出ましだーーーーーーっ!!!!!』
「「「「「うおおおおぉぉぉぉぉぉっっっっ!!!!!」」」」」
観客が吠えるのと同時に、ステージのライトが一気に点き、演奏が開始される。
5秒にも満たない演奏だけで、これまで登場したどのバンドよりも明らかに演奏技術が高いことが理解できる。
誰が聞いてもわかるレベルの実力派バンド。観客が盛り上がるも無理はない。
……しかし、観客のボルテージを一気に跳ね上げたのは、間違いなくステージ中央に立つ女性ボーカルのシャウトだった。
彼女は黒いドレスに身を包み、美しい銀髪を振り乱し、紅い瞳を輝かせ、高らかに声を上げている。
その姿は、まるで美しい吸血鬼の美女のようであり、ファンタジーの世界から飛び出してきた言われても信じてしまいそうだ。
心臓と頭に強いショックを受け、軽い眩暈を覚える。
そう、これは間違いなく、あの日受けた衝撃と同じものだ。
激しい曲をハイトーンボイスで高らかに歌い上げる、吸血鬼の少女。
恐らく、クラスメートの誰が見ても、誰も彼女だと気づくことはないだろう。
でも、僕にはわかった。確信がある。
――あれは間違いなく、神宮司桜さんだ。
僕はこの瞬間……、彼女に二度目の恋をしたのであった。
◇
『NightmareCircular』のライブが終わり、観客の半分近くが出ていく。
僕はしばらくのあいだ茫然とステージを見ていたが、背中をツンツンとつつかれて現実に引き戻される。
そこには、サングラスをかけた黒髪の少女――神宮司さんが立っていた。
「学生の時間はここまでですよ~?」
「え? あ、そう、なんだ……」
「フフッ、心ここにあらずって感じだね♪ ……そんなにワタシ、良かった?」
「うん」
神宮司さんは少し悪戯っぽく笑っていたので、僕をからかおうとしたのかもしれない。
しかし、既に心臓が高鳴っている状態の僕では、残念ながらドキドキする余地はなかった。
「っ! へ、へぇ、素直なのね! ……えーっと、このあと打ち上げするんだけど、鳴神君も来てくれない?」
「うん」
「じゃあ、少しだけ外で待っててね!」
「うん」
上手く頭が回らない僕は、目の前の少女に言葉に対し、ただ生返事を繰り返すことしかできなかった。
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……………………
言われるまま外で待っていた僕は、段々と冷静さを取り戻し始める。
ここに連れてこられた直後のような恐怖感はないが、神宮司さんから言われた内容を理解した途端戦慄が走った。
(打ち上げに来てって……、なんで僕が!?)
普通に考えて、何の関係もない一般人である僕が神宮司さんのバンドの打ち上げに参加するなんてあり得ない。
というか、僕は何故あのときあっさりと頷いたりしたのだろうか……
いくら興奮冷めやらぬ状態だったとはいえ、ちゃんと神宮司さんの声は聞こえていたというのに。
「あ、お待たせ鳴神君!」
「っ!」
いっそ逃げ出してしまおうかという考えが浮かんだ矢先に、神宮司さん達が外に出てきた。
全員、ライブのときのような派手なメイクはしていないため、先ほどまでとはガラリと雰囲気が変わっている。
というか、どう見てもただの一般人にしか見えない。
本当に彼らが、あの『NightmareCircular』のメンバーなのだろうか……
「軽く紹介するね? このスーツで眼鏡の仕事できそうなお兄さんがドラムのRinyaで、同じくスーツだけどヨレヨレで仕事サボってそうな金髪がギターのGinji、それでこの温厚そうなオジサンがベースのOdo。なんと陶芸家」
「おいおい、雑な紹介だなSaclaちゃん! Odoのオッサンはともかく、俺はもっとカッコよく紹介してくれよ!」
「え~、でも自分でよく仕事サボってるって言ってるじゃないですか~」
「いや、そうなんだけどさ」
神宮司さんは楽しそうに金髪のお兄さん(Ginjiさん)とやり取りをし、他のメンバーもそれを和やかに見ている。
とてもではないが、先ほどまで激しい演奏を奏でていたハードロックバンドとは思えない雰囲気を醸し出していた。
しかし、三人はどう見ても全員大人だというのに、神宮司さんはそこにしっかりと溶け込んでいる。
先程までのイメージとは全く一致しないが、この四人がバンドを組んでいると言われて違和感を覚えることはないように思えた。
「君がSaclaの言っていた鳴神君だね。よろしく」
どう反応していいかわからない状態の僕に、眼鏡のお兄さん(Rinyaさん)が手を差し伸べてくる。
一瞬それに応じていいか迷ったものの、流石に無視するのは失礼だと思い握手に応じる。
「よ、よろしく、おねがい、します」
「ハハ、緊張しなくていいよ! ライブが終われば、私は普通のサラリーマンだからね」
「と、とてもじゃないですが、そんな風には思えませんよ……」
「まあ、そのうち慣れるさ」
Rinyaさんはそう言って優し気に笑みを浮かべる。
それだけで、僕の緊張がいくらかほぐれた気がした。
神宮司さんが「仕事のできそうなお兄さん」と紹介した意味が少しわかった気がする。
結局、僕はRinyaさんの優し気な雰囲気に流されて、打ち上げ会場であるお店まで来てしまっていた。
Rinyaさん達は、ライブが終わるといつもこの店で打ち上げを行うらしい。
未成年もいるので、お酒も無しの健全な食事会なのだそうだ。
「22時を過ぎるとマズイので、挨拶は抜きにして乾杯としましょう」
「「「「かんぱ~い!」」」」
僕は恐る恐る、コップだけを軽く当てる感じで乾杯に参加する。
コップの中身は、全員お茶かソフトドリンクだ。
「それにしても、まさかSaclaが同級生の男子を連れてくるとはなぁ~」
「私も意外だったよ。Saclaは学校では猫を被っていると聞いていたからね」
「べ、別に変な意味はないんだからね? ただ、鳴神君は絶対素質あるから引き込もうと思って!」
最初の五分ほどは、ポツポツと反省会のようなことしていた『NightmareCircular』のメンバーだが、早々に話を切り上げ僕の話にシフトし始める。
「素質?」
「ええ! 実は鳴神君ってBanGalプレイヤーで、しかも推しが『Rosário』と『Raise My Sword』なんだって! だからロックに抵抗ないというか、むしろ好きみたいなの!」
「ほぅ、それは聞き捨てならねぇなぁ? 鳴神少年、試しに好きな曲を言ってみ?」
「えぇ!?」
Ginjiさんが、急に話を振ってくる。
どうしよう、と神宮司さんを見ると、彼女もまた期待した目で僕のことを見ていた。
他の二人も、興味深そうに僕を見ている。
いくら空気を読むのが苦手な僕でも、ここで答えないという選択をするのが良くないことはわかる。
しかし、もし僕が好きな曲が皆さんの期待に沿うものじゃなかったらと思うと、少し怖い。
いや、むしろ失望してもらった方が、ここから解放されて楽になれるかも……?
「え、えっと、僕は……「Grimtooth」とかが、好き、だと思います」
「「「「………」」」」
僕の答えに、四人は真顔で黙り込む。
完全にやらかしたと思ったが、次の瞬間Odoさんが握手を求めてきた。
「どうやら、君は同士のようだ。改めて宜しく、鳴神君」
「え、ええぇ!?」
それまで一番大人しかったOdoさんが、急に親し気にしてくるので反応に困ってしまう。
思わず助けを求めて神宮司さんを見ると、「ほらね!」と言ってドヤ顔をし始めた。
他の二人も、何故か感心した様子で首を縦に振っている。
まさかの反応に、困惑しかない。
というか、よく考えればこの質問って、BanGalを知らなきゃ絶対にされないような内容じゃ……
「ちょ、すいません、もしかして皆さんも、BanGalプレイヤーなんですか?」
「なんだ、Saclaから聞いていないのかい? 私達はね、BanGalのオフ会で知り合って結成されたバンドなんだよ」
な、なんだってーっ!?