2-9、フクギ並木と巻藁、そしてハイビスカス
ぶろろろろぉぉ・・・・・・ きいっ
「はぁーい、着いたぁよぉ。荷物忘れたりしなぃでなぁー?」
「「「「「 ありがとうございましたぁっ! 」」」」」
ちょうど正午頃、これからのインターハイ期間中に拠点となる民宿へバスは到着。
全員で島袋にお礼を言って降車すると、そこには、沖縄独特の瓦屋根を備えた伝統的な家屋が見え、樹木の並木に囲まれた白砂の道がすらりと伸びていた。
阿部と川田が真っ先に声を揃えて、目をキラキラ輝かせた。
小笹は、数年ぶりの故郷と実家を前に、満面の笑みで涙をとめどなく流している。
「「 すっごぉぉーいっ! オシャレぇーっ! 」」
「(ワタシの・・・・・・故郷だ! ただいまっ。・・・・・・ただいまっ!!)」
「すげぇなぁ、この並木。変わった樹で囲まれてるなぁー。何ていう木なんだかねぇー?」
「木の名前はわからんが、こりゃ風情あるな! 尚ちゃん。なんか、南国って感じだぁ。かっけぇなぁ!」
「いかにもだよな。こりゃすげー! 尚久! 道太郎! これ、俺らはすごく運がいいのかもしんねーよな!」
「末永さぁ、この並木って独特だけど、いったい何ていう種類なんかねぇー?」
田村は、アーチのような並木を見回しながら神長や井上とこの雰囲気に感動している。
「ふふっ。これは、フクギ並木っていうのぉ。きれいでしょッ?」
「フクギ並木・・・・・・。栃木じゃまず見たことない木だねぇー」
「そうだよねー。・・・・・・あ! ここの真っ正面が、ワタシの生まれ育ったおうちと道場だよっ! 並木の途中にある路地はね、海辺や裏山へすぐ行けるのぉ!」
小笹はそう言って、真っ先に白砂の道を一気に駆けていった。背負った大荷物の重さも感じさせないくらいのスピードで、一気に走ってゆく。その後ろ姿からは、言うまでもないほどの喜びに満ちあふれた想いがみんなに伝わってきた。
「おばーちゃぁん! おばぁちゃぁぁーーーんっ? ワタシだよ。小笹、帰ってきたよぉ!」
「そういえば、井上君。末永さんのお婆ちゃんて、沖縄剛道流の古老とか言ってたよね。こ、怖いのかな?」
「さ、さぁ。なにびびってんだよ悠樹! 副将の前原悠樹ともあろうお前が、お年寄りにびびってちゃだめだべー」
「で、でもさぁ井上君。僕たちの師範だって、恐かったじゃない。だからそのイメージがさ・・・・・・」
「ま、まぁ、そうか。あの島袋さんもさっきバスの中で話したら、省林流の七段とかさらっと言ってたしな。・・・・・・すげぇな沖縄。どーなってんだよまったく。達人ばっかなのか!?」
前原と井上は、顔を見合わせてこめかみから一滴の汗を滴らせた。
「良かったです。小笹が本当に元気になってくれて。あの大会の日から比べ、こんなに澄んだ目に戻ってくれて」
末永は、走ってゆく小笹の顔を見て、ほっとした様子。
早川先生と新井も、娘の姿を見て安堵する末永のその顔を見て、どこか安心した感じだ。
「ここは、あの子の故郷。あの小笹の目は、空手を楽しんで毎日稽古していたあの頃の目です。これも全て、栃木で心を閉ざしかけていたあの子を受け入れてくれた、みなさんのおかげです。本当にありがとうございます」
末永は、深々とみんなに頭を下げた。早川先生や新井は「そんなことはないですよ」と言い、にこやかに応えた。
「おかーーーーさぁーーんっ! ねぇ、おばーちゃんがいないよぉぉ・・・・・・」
「あら? 変ね? 出かけてるのかしら。いまお昼だから、いると思ったんだけど」
「ねぇ、しまぶくろぬたんめー。おばーちゃん、今日いないのぉ!?」
「えぇ? キヨさんなぁ、いるはずだけどぉなぁ? 裏山ぁ行ってるかもしれないさぁー」
「あ、そっか! 裏山ねッ! あははっ! ワタシ、探してくるーっ!!」
とにかく小笹が別人のように活き活きとしている。
沖縄を「訪れた」柏沼メンバーとは違って、彼女は沖縄に「帰ってきた」のだから、当然と言えば当然かもしれない。
さく さく さく さく・・・・・・
その時、フクギ並木脇の路地から、小柄で白髪のお婆さんが後ろ腰に手を組み、ゆっくりと歩いて出てきた。白砂と玉砂利を踏む音が、妙に軽快だ。
「めんそぉれー。ちゅぅーがなぁびら(初めまして)。東恩納キヨでございますぅ。遠いところから、よぉ来てくれたぁさぁ。・・・・・・ん? なんかぁ、家のところちょこまかしよるのは、小笹かぁ?」
「おばーちゃん! おばーちゃんだぁぁ! 小笹だよ! わーい! おばーちゃんだぁ!」
目の前に現れたのは小笹よりもさらに小柄な、かわいらしい感じの穏やかなお婆さんだった。
この人が小笹の祖母であり最初の師匠、そして民宿の主である東恩納キヨらしい。
見た目はどこにでもいそうな普通のお婆さんなのだが、本当に空手の古老と言われるほどの達人なのだろうか。
メンバーはみな、各々が想像していた感じとあまりにも違うその様子に、拍子抜けしていた。
「お、おい、陽二。・・・・・・小笹ちゃんのばーちゃんて、あの人なんだよな? 沖縄空手の古老にはとても見えないぞ? マジか!?」
「あ、ああ。おれもそう思う。闘気というか、鋭い気迫というか、そういう感じのものをまったく感じないんだ。ただの、民宿のばーちゃんにしか見えないよ」
「泰ちゃんも陽ちゃんも、同じこと思ってるよなやっぱ。俺も、まさか沖縄剛道流の古老がこんな穏やか過ぎるお婆さんだとは・・・・・・」
井上、中村、神長の三人は、前原の後ろでキヨについて囁き合っている。その斜め後ろでも、川田と森畑が同じような囁きをしている。前原と田村も、似たようなことをいま思っている。
どう見てもキヨの姿は、よく田舎にいる小柄なお婆さんそのものなのだ。
「じゃ、キヨさん。また夜に来るよぉ。今宵はお客さんいっぱいだから、みんなで飲もうかぁ」
「だぁからよぉー、待っとるよぉ。じゃあ、みなさん、疲れてるだろぅし、荷物置いて、休んでくださいー。いま、案内しますよぉ。疲れたでしょぅなぁ」
「いやいや、だいじょぶですよ。いいとこですね沖縄。いいよいいよー。素晴らしいです」
「なんか、色々とお世話になっちゃって申し訳ないです。大会期間中、お世話になります」
新井や早川先生は、キヨにニコニコと笑顔で手土産を渡し、お礼を言った。
「お義母さん。その節は・・・・・・いろいろ申し訳ありませんでした。今回も、こんな・・・・・・」
「博子さん、良かったさぁー。こうして、また、元気になってここへ戻ってきてなぁ。辛かったろぉ? こんなに小笹も大きくなって、こうして戻ってきてくれたぁのがなぁ、わしぁ嬉しいさぁー・・・・・・」
末永は、キヨからかけられたその言葉で思いっきり涙を流し、ハンカチで顔を覆ってしまった。
ひゅわり・・・・・・ さらさらさらさら・・・・・・
「じゃぁ、みなさん。めんそーれぇ。案内いたしますよぉ。こっちですー」
潮風に揺れるフクギ並木。白砂は南の陽射しを照り返し、後ろに続くみんなの足跡を明るく照らしている。
キヨが案内する並木を抜けると、そこには伝統的な沖縄の家屋を基とした奥行きのある民宿と、二階建てのこぢんまりとした道場が建っていた。
庭には綺麗に刈り込まれた芝と、石垣に植えられた紅に染まるハイビスカス。その横にあるちょっと盛り上がった小高いところには丸太や平板のようなものが埋められ、麻縄のようなものが幾重にも巻かれている。伝統的な空手の鍛錬具「巻藁」だ。
民宿からは、どの部分からも碧く澄み渡る沖縄の海が一面に見える。家屋の壁には、沖縄の伝統衣装と花笠のような物が掛けられている。
「こーざーさぁっ! あんた、本当にずっとこんなとこで育ってたのかぁ! こんのぉーっ、なんて羨ましいんだぁ! アタシもここで育ちたかったぁーっ!」
「リゾートじゃないって言ってたけど、完璧にリゾートだよこれは! 私たち栃木県民に、これが高級リゾートじゃないなんて言ったら、ぶっぱたかれること間違いないわね」
小笹は川田と森畑に捕まり、笑顔で首を押さえられ、もみくちゃにされていた。
「痛い痛い痛いっ! しょーがないでしょぉッ! ワタシはここで育ったんだからぁ。でも、ほんと、変わってなくてよかったぁ。おばーちゃん、白髪増えたけど、ずっと変わんないね!」
「そーいう小笹は大きくなったさぁー。ばーちゃん、もう、背も追い抜かれたなぁー。よかったさぁ、元気にむこうでもやってるんねぇ。お友達も、こぉんなにいて、ばーちゃん嬉しいさぁ」
バシンッ ベシンッ バチンッ バシンッ
「おぉー。かてぇ! でも、なんか、強くなる気がするねぇー! こりゃ、本場だねぇー!」
「尚ちゃん。陽ちゃん。巻藁突きって、けっこう『空手やってるな、今』って気にならないか?」
「うむ・・・・・・。何というか、突くと頭の中が無になるような、座禅に通ずるものがある!」
「そうだねぇー。何か、突いてると無心になってくるねぇー。井上、俺たちの師範に言われたこと、覚えてっけ?」
「空手をやっているといつか必ず巻藁稽古に戻ってくる、ってやつだろぉ? 本場沖縄で、俺らは巻藁に出逢っちまったってわけかー」
田村、井上、神長、中村は、立っている巻藁を突き始めた。学校に巻藁はないので、新鮮な感じで楽しいらしい。ゲームセンターのパンチマシンではないのだが、そんな感覚でみな交互に突いている。
「巻藁、やっぱいいわぁ! 前原もやってみろよぉ! いい感触だよぉ」
「田村君、巻藁にハマったね。じゃ、僕もやってみようかな」
前原は背負ったバッグを芝生へ降ろし、半前屈立ちで構え、全力の右逆突きで巻藁を突いた。
バシンッ
「おぉ、これは! なんか拳がしっかり固まる感じだ! これはいいね田村君!」
「だろー? こりゃ、うちの部活にも取り入れたいねぇー」
打ちこまれた拳から、巻かれた麻縄を通して芯の平板に伝わる衝撃。それが跳ね返り、拳から手首、肘、肩へ威力が戻ってくる。前原はその不思議な感触に、心躍らせた。
男子メンバーが楽しそうに突く巻藁を見て、小笹はうずうずしている。
「あー! ・・・・・・ちーがーうーってばぁ。こーやるのッ! くすっ。見ててネ?」
見かねた小笹は前原とチェンジ。三戦立ちで巻藁の前に構え、呼吸を整えて思い切り右の逆突きで突いた。
ズドオッッ!
「お、音が違うねぇー。・・・・・・末永の突き、やっぱ、すげぇなぁ! 本場沖縄仕込みなのかねぇー?」
「鎚石やカキエーで鍛えたパワーか!? おれたちの突きより、巻藁へ伝わる衝撃の伝導率が違うということなのか・・・・・・」
明らかに打撃音の違う小笹の突きに、田村と中村は驚愕。
「あははっ! どーぉ? 伝統的な身体の使い方が、コツなのよねぇーッ!」
さく さく さく・・・・・・
「なんかねぇー、小笹ぁ。いつの間にぃ、そぉんな突きするようになったかぁ。甘いんさぁ」
「えぇー? ワタシ、ちゃんと突いたよぉ? 三戦立ちもきちんと締めたもんっ!」
「えーかぁ? 見てなぁ? 餅身が足らん。腰も入っとらん。そんなんじゃぁ、当破がまともにならんさぁね。小笹は、伸屈の使い方も、まだまださぁ。見てみぃよ?」
突然、小笹と交代したキヨ。
先程小笹が放った突きも威力は、田村たちにはものすごく感じた。だが、それでも何か技法が甘いとキヨは言っているのだ。そのやりとりをメンバー全員は目を見開いて見つめる。
「ほれ、ばーちゃんの突き、見てなぁ?」
そう言って、ぽてぽてと巻き藁の前に立ったキヨ。
何の構えもなく、決まった立ち方も何もなく、その場でヒュッと息を一瞬吹いたかと思うと、右の突きを巻藁へと緩やかに捻り込んだ。
ズドグウンッッ! ・・・・・・ビリリッ ・・・・・・ビリリ
「「「「「 なぁっ!!!? 」」」」」
巻藁が大きく揺れ、芯まで重く響き渡る鉛玉のような鈍い衝撃音と振動が地面を通して全員の足元に伝わった。それはものすごく重く、明らかに危険な雰囲気の突きだと一発でわかるほど。
キヨが放ったその一発だけで、全員の背筋にものすごい戦慄が走った。
キヨはニコニコと笑顔のまま、再び小笹と交代。
「おばーちゃん、やっぱりスゴイねぇっ! ね? すごいでしょ、ワタシのおばーちゃん!」
「ね、ねぇ、小笹? ・・・・・・アタシ、今、固まってるんだけど。おばあさん、今、いくつ?」
「え? おばーちゃんの年齢ぇ? 七十五歳だっけ?」
「ちがうさぁ。先月、七十六になったよぉ」
「「「「「 ええええええぇぇっ! 」」」」」
「ほっほっほ。さぁさ、もう、中でみんな休むといいさぁ。小笹、一緒に案内しておくれぇ」
「はぁいッ! じゃ、みんなぁ! こっちこっちー。お部屋案内するから、行こっ!」
みな、キヨの年齢を聞いて呆然。あまりにすごいものを目の前で見たような気がして、誰もがその場で固まっていた。
競技とはまったく違う、一線を画す「武術」としての空手。そのほんの一欠片を、全員は確かに見た。ムチミ、ガマク、チンクチ、アティファー。伝統的な沖縄空手の言葉だが、柏沼高校での普段の部活でやっている空手ではまず耳にしないものだ。
高校生が部活でやっている空手と、沖縄の伝統武術としての空手。
どちらも「空手道」に違いないはずなのだが、田村や前原はその明らかな違いを感じ始めていた。
キヨが何気なく見せた今の突きも、超人的な理屈とかではなく、何かさらに奥深い技術があるのだろう、と。
「(こ、これが、沖縄の空手なんだ!? す、すごいや。僕たち、もしかしてすごい場に来ちゃったんじゃ・・・・・・)」
奥深い沖縄空手との出会いがいま、柏沼高校空手道部員の心に大きな揺らぎを起こし始めたのだった。