2-68、朝香朋子の本音
ガココッ ガコンッ・・・・・・
ぷしゅ ごくごくごくごく・・・・・・
「あれっ? いつの間に?」
「・・・・・・お疲れ。二斗と一緒になんて珍しいね。・・・・・・休憩しに来たの?」
自販機コーナーには、朝香がいつの間にか先に来ており、みかん味のジュースを一気飲みしていた。
前原たちよりも早く、いつの間にか来ていたらしい。
「いーぃ飲みっぷりだねっ、朝香! アタシもちょっと休憩。二斗や前原もね。しかし珍しいね、あんたがそんな豪快な飲み方するなんて!」
「・・・・・・私も、ちょっとね。・・・・・・気持ちを晴らしたくて。どうも、心が落ち着かなくて」
「あ、そうか。ラベンダー園との試合、残念だったよね。新鋭の学校がまさか等星を下すなんて、僕も思ってなかった。朝香さんは磐石の強さなんだから、気にしないでもだいじだよ?」
「・・・・・・そういうことか、朝香。・・・・・・惜しかったよな。・・・・・・おい、前原、川田、早く買って戻ろう。・・・・・・・・・・・・試合が進んでしまうぞ? ・・・・・・早く、戻ろう・・・・・・」
「あ、そうだね。川田さん、どうしたの? 僕と二斗君、先に買うよ?」
川田は朝香と目を合わせたまま、何か複雑そうな表情でいた。
前原と二斗は不思議に思っていたが、先に飲み物を買って戻ることにした。
二斗は、なぜか早く戻りたそうだったのだ。
「で、二斗君は、何買ったの? 僕はこの、『紅こうじ甘酒風カフェオレ』にしてみたよ」
「・・・・・・イチゴみるくオーレだ。・・・・・・前原。それは、まずいぞ・・・・・・。おいしくない」
二斗にそう言われた前原が振り返ると、川田も何か買い朝香と話しているようだ。女子同士の内緒話だろうか。
「朝香・・・・・・。試合のことじゃないよね? あんたがそんな迷った表情なんて・・・・・・」
「・・・・・・川田さんは、ごまかせないか。・・・・・・私たち朝香姉弟の話、ちょっと聞いてたよね?」
「うん。まぁ。聞くつもりはなかったんだけどさ。・・・・・・実家と、何かあったの?」
すたり すたり とすっ
朝香は、ロビーのソファシートに座り、川田を上目遣いで見た。
「あなたなら・・・・・・。・・・・・・ちょっと一緒に、休まない?」
「え? まぁ、アタシはだいじだけど。・・・・・・何かあるなら、聞くけど」
とて とて とて とすっ
「川田さんはさ・・・・・・どうして空手を始めたの?」
「アタシ? うーんと、アタシはねぇー・・・・・・ほんとは習い事なら何でもよかったんだよ。家の近所にスイミングやお習字、お琴に空手、いっぱいあってさ。それで、小さい頃にテレビで女の人が形やってるの見てさ。格好良かったんだ。五歳くらいだったから、何て言う選手かは覚えてないけど。いろいろあった中で、空手を選んだんだー・・・・・・」
「・・・・・・そうだったの。・・・・・・いいなぁ、いろいろ選べるって・・・・・・。羨ましい」
朝香は、うっすらと頬笑みながら、やや曇った目で俯いて話し始めた。
「私は・・・・・・実家は京都のはずれにある町道場。朝香道場っていう、空手教室を主宰する父と母がいて、そこの出身。・・・・・・川田さんのことが羨ましいって言ったのは・・・・・・」
―――。
(朋子、その帯の締め方は何や! お前は、朝香家の長女なんや。ちゃんとしぃ!)
(・・・・・・うまく、むすべへん。わたし、なんどやっても、できへん・・・・・・)
(空手家が帯を結べんでどないするんや。しっかり覚えや!)
(わたし、がんばる。なんどでも、やる! ・・・・・・あさがのちょうじょや! ――――)
――――。
(天才少女や! 朝香夫妻の長女が、優勝やて! まだ小三やろ? すごいわぁ)
(よくやった朋子。お前は朝香家の誇りや。もっと強くなれ!)
(うん!)
(朝香家は安泰やな。ええか、舞子! お姉ちゃんを見習いや。朝香家は、負けたらあかん!)
(やったよ、舞子! おねえちゃん、ゆうしょうや! どんなもんやーっ)
(すごいよ、おねぇ! うちも、おねぇみたいに、つよくならなきゃ!)
(ほほほ。いいわねぇ。京都府連にも全空連にも、朝香家の名が通るわねぇ。 ――――)
――――。
(ともちゃんー、遊び行こーっ! 新しいゲーム買ったんや! いつ遊べるん?)
(えーとね、土曜日なら、空いてるかな? ゲーム、楽しみやな! じゃ、土曜日に)
(お前は何を言うてはるんや! 土曜は高体連の強化練習に混ぜてもらうんやで!)
(・・・・・・でも、おともだちがぁ)
(ダメや。断れ。お前は朝香家で初の、世界を獲れる宝なんやで!)
(・・・・・・うん)
(世間の子とは住んどる世界が違う! 遊びにうつつを抜かす暇があったら稽古するんや!)
(ごめんね・・・・・・。土曜日、ダメだって。お父さんが。また、今度な!)
(ともちゃんち、有名やもん。あたしとは、合わないわな。・・・・・・またね)
(本当に、ごめんなぁ。・・・・・・私は、空手やらないとあかんから・・・・・・ ―――)
――――。
(朋子! この全国中学大会、朝香の名に恥じん試合するんやで。さぁ、行くんや!)
(すごいわぁ! まだ二年やろ? 二年で全中を優勝かいな! さすが朝香家や)
(あれが朝香道場のスター、朝香朋子なん? どえらい強さやわぁ!)
(お姉、やったなぁ! すごぉいわぁ! うちもお姉みたいになりたぁい!)
(舞子もなれるよ! もっと稽古積んで、朝香道場のために頑張らんとなぁ―――)
――――。
(はい、こっち向いて。あ、もうちょっと右! いーですねぇ。もっとキリッと)
(朋子、舞子! 明日は京都日報社の取材と、月刊空手マガジンの取材や!)
(・・・・・・わかりました!)
(しっかり朝香家をアピールするんやで。 朝香道場は、次世代のお前たちが要なんやで!)
(とも姉も、まい姉もすごいわ。スターや。ほんまに、朝香道場のスターやな!)
(・・・・・・光太郎・・・・・・)
(おれも朝香家を継いで、盛り上げていく! 自慢の姉ちゃんたちや。嬉しいわぁ ―――)
――――。
(止め! 赤、上段突き、有効! 赤の、勝ち!)
(近畿大会、また朝香姉妹の独壇場やったなぁ。朝香朋子の強さは半端ないわ!)
(でも、朝香家と言ったら朝香朋子やな。妹もおるけど、なんかぱっとせぇへん)
(な、なんやねん・・・・・・。それ・・・・・・)
(朝香舞子は、朝香朋子の二番煎じやんか。姉の強さに隠れて、妹、かわいそうになぁ)
(・・・・・・どうせ、うちはいくらやっても、お姉にはなれん。朝香朋子の、二番煎じや)
(そんなことないわ、舞子! 光太郎も含めての朝香姉弟やろ? なぁ!?)
(・・・・・・うちは、お姉がいるせいで、朝香舞子として認めてもらえん!)
(私は、舞子がいるから、頑張って来れてるんよ? な? そないなこと言わんといて!)
(舞子! いじける暇があるなら、朋子を抜いて強さで証明せぇなあかんのやぁ!!)
(・・・・・・っ!)
(空手の世界は、情け無用の世界なんや。朋子も、妹だからって、情けをかけるな!)
(お、お父さん!)
(勝負の世界では、感情が負けを生むこともあるんや! わかっとるやろ、そんなことは!)
(で、でもお父さん。舞子は・・・・・・)
(朝香家の強さを守りたいなら、甘さもあかん! 朋子! わかっとるやろ!?)
(朝香家のため・・・・・・って。・・・・・・私は、少し、疲れてきたよお父さん―――)
――――。
(もしもし・・・・・・。え! はい。そうですが。・・・・・・ほんまですか? ええっ!)
(何やと? 朋子、今、何て言うたんや? もう一度言うてみぃっ!)
(高体連の名門、等星女子高の監督から直々に電話があったんや。そういうことや!)
(と、等星女子高やとぉ! あの監督のとこに行くというんかいな!!)
(私、もうここを離れる! もう嫌! 何でもかんでも朝香家のため、朝香道場のためって!)
(と、朋子ぉっ!)
(私は、私の人生や! 朝香家に縛られるために空手やらなあかんのなら、辞めるわ!)
(な、何やとぉっ!)
(勝手に花蝶薫風に話通したやろ? 行かん! 遠く離れて、私は私の人生で空手をやるわ!)
(何を生意気なことを言うとるんや!! もう一度言うてみぃっ!)
(もう、たくさんや! 私は、朝香道場を離れるから!)
(なめた口訊くな! なんちゅうことや、朝香家の長女ともあろうお前が!)
(等星女子やと? 花蝶の監督に話通したのに、親に恥かかせるんかお前は!)
(そんなん、お父さんとお母さんが勝手にやっただけやろ! そういうのが嫌なんや!)
(・・・・・・パアアァァンッ!・・・・・・)
(・・・・・・っ! お、お姉っ!)
(朝香家の長女としての自覚がお前はあらへん! 等星入りは許さへん! ―――)
――――。
朝香は、手に持ったペットボトルを握って、耳元の髪を指で触りながら話を続ける。
「・・・・・・私は、ずっと空手をやるのが当たり前。勝つのが当たり前の朝香道場に生まれたの。中学三年の時に、そんな感じで、爆発してね」
「そうだったんだ・・・・・・」
「・・・・・・どうして他の子が、自分の夢や進路を、悩んだりしながらも決められるのに、私は空手中心に朝香家のためってだけで、人生を決められなきゃならないんだろう、って」
「あー、アタシもそれは、よくわかる・・・・・・」
「だったら自分で決めたところで、自分の意志で空手をやろうって思ったの。・・・・・・だから、川田さんは羨ましい・・・・・・」
「でもさ、どうして等星に? 朝香朋子ほどのビッグネームだったら、他の名門校も声かけてきたでしょ? アタシみたいな片田舎にいるわけじゃないんだしさ」
「そうね・・・・・・。西大阪愛栄、福岡天満学園、長崎光華、首里琉球学院、加賀梅花女子に東北商大、宮崎第二学園・・・・・・もっと多くのオファーがあったわ・・・・・・。どこの高校も、特待生扱いでのオファーだった。でもね、等星に決めたのは、あることがあって・・・・・・」
――――。
(ごめん! ごめんくださいなっ! 朝香道場の責任者、朝香夫妻はおいでか!)
(はい・・・・・・。母は出ておりますが、父がおります。お待ち下さい・・・・・・)
(なんだ舞子? お客さんやと? 誰や?)
(わからへん。でも、いかついおっちゃんやわぁ。怖いから、お父、お願い!)
(はい。どちらさま・・・・・・あ! あなたは・・・・・・っ!)
(突然の訪問、失礼っ! 儂は、栃木県は等星女子高校空手道部監督、瀧本熊夫と申す者!)
(と、等星女子の監督!? この前、うちにわざわざ電話してきた・・・・・・)
(本来なら前もって断りなき無礼を許されい!)
(わざわざ栃木から来はったんですか! これはこれは。・・・・・・で、ご用件は?)
(おたくのご息女、朝香朋子をわが等星女子に是非とも入学して頂きたく、お願いに参った!)
(え? 何やて!)
(聞けば、花蝶薫風とのパイプがあるとか? そこを何とか、我が等星に預けて頂きたい!)
(いや、いきなり来られてもそれは・・・・・・)
(どうか、このとおりだ!)
(いや、瀧本監督。いきなりそう言われても、朝香家には朝香家の決め事がありますから)
(そこを、何とか。不躾なこととは言え、このとおりだ!)
(ですからぁ!? 朋子は花蝶薫風に行くのが最適なんですわ。これでもう・・・・・・)
(・・・・・・っ! せやから、そう勝手に決めないでぇっ! ふざけんなやぁっ!)
(朋子っ! 客人の前やぞ! いきなり大声で乱入して、無礼やろっ!)
(私は、花蝶には行かへん! こうしてうちにまで来てくれた、等星の監督のもとへ行くわ!)
(な、何やて!!!)
(瀧本監督・・・・・・私、等星行きます! ・・・・・・よろしくお願いします!)
(待て! 何を勝手に! お前は朝香道場のために、花蝶に行くんや!)
(朝香さん、この子は世界を獲れる逸材。儂の元でもっと伸ばして差し上げよう!)
(な!)
(私は、等星女子高で磨いてもらうんや! 花蝶へは、行かへん!)
(本人もこう言っておる。どうか、儂の顔に免じて朝香さん、折れていただけぬか?)
(しかし朝香家の計画では、朋子を高校三年でナショナル入りもさせたいのでぇ・・・・・・)
(約束だ。高校一年でこの子をナショナル入りさせ、そこから頂点を守り抜かせる!)
(な、何やて! 本気ですか!?)
(儂の言葉に偽りなし!!)
(そ、それほどとは。仕方ない。・・・・・・でも、一度でも負けたら、実家に戻らせます!)
(儂のもとで、負けはありません! 恩に着ますっ、朝香さん!!)
(く! ええか朋子! 卒業までもし高体連で無敗だったなら、あとは自由にせぇ! ―――)
――――。
「え! あの等星の監督がそこまでしたなんて! アタシの時は電話だけだったけど・・・・・・」
「父も、監督の熱意と、私の意志に根負けしたのね。でも、条件付きだから。私は、負けたら実家に戻る。でも、インターハイも国体も、等星女子の選手として頂点を守り抜ければ、自由になれるの。好きな人生を、好きに謳歌して、もっと広い視野を持って生きたいね」
「朝香・・・・・・。空手、高校までで辞めちゃうの?」
ボトルのキャップを開け、再び朝香はジュースを一気飲みした。凜としたオーラでの、絶対女王として君臨していた姿とは別人のようだ。
川田の目の前にいる朝香は、どこにでもいる普通の女子高生そのもの。そういう雰囲気と、顔だった。
「ぷはっ、おいしいっ! ・・・・・・ねぇ、川田さん? あなたは、競技試合にもし飽きたら、空手はどうするの? 普通に、続けていくの?」
「アタシは・・・・・・そうねぇ。今回、沖縄に来てさ、東恩納さんの民宿に泊まって、いろんなことが学べてるの。試合の空手も面白いけど、それに飽きたとしても別な角度からの空手の楽しみ方が見えた気がするんだ! だから、やめないよ! 生涯ずっとやるかな?」
「・・・・・・そうなのね。ふふっ。羨ましいね、やっぱり。・・・・・・そうかぁ、別な角度からって視点は、私にはなかったな。でも、さっき、東恩納先生の話をじっくり聞いて、空手の奥深さがもっとわかったよ、私も。・・・・・・ものすごい歴史ね・・・・・・。深すぎるわ」
「ナショナルチームの選手である朝香も、知らないことが多いんだね?」
「・・・・・・そりゃそうよ。でも、いろいろありがとう・・・・・・。私も、少し気分が楽になったなぁ」
「辛いときは、話せばいーよ! 等星のメンバーには、こういう悩みは打ち明けないの?」
「有華や里央には、しない・・・・・・というか、できる雰囲気じゃないのよ。等星内ではね」
すたり すたり がこっ がらん
ボトルを捨て、振り向いた朝香の目には、今まであまり見ない不思議な輝きがあった。
川田はゆっくり立ち上がり、朝香に向かって、ふっと拳を突き出す。
ひゅっ ぱちぃんっ!
「・・・・・・ふふっ。・・・・・・いい突きね、川田さん・・・・・・」
ヒュルンッ ぱちぃんっ!
川田の突きを受け、笑顔で返す朝香はお返しとばかりに拳を軽く振り出す。
その返しの突きも、川田が笑顔でばしっと受け止めた。
「朝香! ・・・・・・高校卒業しても、空手、別な角度からでも楽しもうよ! 辞めたらやっぱり、もったいない! 競技じゃなくてもいーじゃん! ずっと続けることに意味があるんだよきっと! 昔の人が作ってきたものを、アタシらが受け継いで、またずっと続けよう!」
「ずっと、か・・・・・・。悠久の時で進化する空手を、私たちが受け継ぐ・・・・・・ということか」
「朝香朋子は、朝香朋子らしくあれだよ! もう、迷いは無いでしょ! さ、インターハイを思いっきり楽しもうよ! もし今回、アタシがあんたと当たれば、三度目の対戦だ!」
「そうね。・・・・・・ふふっ。強敵揃いだけど、川田さんなら勝ち上がれるはずよ・・・・・・」
「やってやろうじゃないの! 誰でもアタシは蹴散らして、勝ち上がるからね!」
大嵐の中に揺れる二つの華。
色も形も違うその華は、風を受けても雨を受けても色褪せず、凜と美しく花開く。鮮やかに、艶やかに、見る者全てを、惹きつけて。