2-24、月夜の浜辺、再び
前原は食事後、すぐに男子全員からお風呂場で尋問を受けた。
小笹と前原がどういう経緯で砂浜で会い、どういう組手をして、何を学べたかまで話したところで、田村がみんなに一言。
「・・・・・・闇夜の砂浜で実戦のような組手、いいんじゃないかねぇ。集中力も高まって、身体操作の発見もあるんじゃ、これはみんなでやってみたいねぇ。ま、この話は終わりにするかぁ」
と、いうことで、満場一致で前原の変な疑惑は晴れ、何事もなかったかのように普通のお風呂タイムとなった。
田村はなぜか他の男子と違って、あまりこれには興味なさそうにしていた。
結局みんなは、風呂からあがって三十分ほどカードゲームをしたり稽古の振り返りをしたり、普通の自由時間を過ごしたのちに、部屋に戻って寝てしまった。
・・・・・・ざざぁぁぁ・・・・・・ん
・・・・・・さささささぁぁ・・・・・・
浜辺の方から、白波の音が宿まで聞こえてくる。
「(・・・・・・なかなか、眠れないや)」
前原は、昨日の刺激的な組手が忘れられなかったのだろうか。
みんなが寝静まったころ、まだ眠れなくて仕方ないので、再びサンダルを履いて砂浜へ向かった。
さしゅ さしゅ さしゅ さしゅ
ざざざぁ・・・・・・んっ ざざざぁ・・・・・・
ざざざぁ・・・・・・ ざざざぁ・・・・・・んっ
海は、月明かりで染められた幻想的な濃紺の面を広げ、前原の眼前を覆い尽くしている。
砂を踏む音も、耳元を抜ける風も、波が浜辺へ押し寄せる音も、ものすごく心地よい。
「あれ?」
深夜の海を見ながら前原は砂浜を歩いてゆくと、前方に、白砂の上に浮かぶシルエットが。
・・・・・・すっ
そのシルエットはゆっくり立ち上り、碧白い月光に照らされた。
「・・・・・・なんだ、前原か。散歩? それとも、あんたもなにか思ってここに?」
「も、森畑さん! ・・・・・・森畑さんこそ、ここで何を? びっくりしたよー」
「ちょっと、ね。しばらく前から、ここにいたんだ」
なんと、今夜そこにいたのは小笹ではなく、森畑だった。
前原が来るよりも先に、ここで瞑想するかのように座っていたらしい。
「・・・・・・自分の空手や、形について見つめ直してた。私、沖縄に来てホント良かった。いろいろと完成したと思い込んでいたけど、練り直しができた。いい人たちから刺激も受けたし!」
「あぁ、嘉手本先生に受けたアドバイスね。形で、戦っているかのように表現するまでは、ホント、難しいんだろうなぁって思うよ」
「まぁ、形についてはそれもあるんだけど・・・・・・。私が見つめ直してたのは、自分の空手の怖い部分かな。空手の怖さというかさ、味というか、深さや重みというか・・・・・・うーん」
森畑は、波先へ近寄りながら、碧白い月明かりが揺らめく海面を見つめている。その後ろ姿は、前原には森畑が何かを思い返しているようにも見えた。
「形と組手って、車の両輪みたいな関係なんだよなー。私の形は、組手の力が足りないんかな?」
「そういえば森畑さんて、以前は組手嫌いだったけど、最近組手に目覚めたよね。だから、これからは形にもそれがきっと活かせるんじゃないかな?」
「そうだね・・・・・・。そうかもね」
髪を靡かせながら振り向き、森畑は夜空に瞬く数多の星をじっくり見回した。
「前原さぁ、私ね・・・・・・組手を一時期やらなくなったのは、自分の拳が怖くなったからだったんだ・・・・・・」
「え?」
「中三の時は真波に勝って、形で出た全中大会だったけどさ。中二では組手で出たんだよ」
「そうだったんだ。森畑さんが組手で全国になんて、知らなかった」
「誰にもまだ言ってなかったんだけどね。・・・・・・それでその時は、真波は形で全中出たんだけどさ。私は、その全国大会で相手をケガさせちゃってさ。たった一発の突きで」
「ええっ!?」
唐突に、森畑は中学時代のことを真顔で前原に次々と話し始めた。
* * * * *
――――。
(ワアアアア ワアアアアア)
(ここで、何とか中段さえ返せれば、私が三回戦へいける! 私が何をしても勝つーっ)
(とあああああーーーっ!)
(・・・・・・ボキィッ・・・・・・)
(・・・・・・えっ?)
(止め! 赤、中段突き・・・・・・ん! 君、どうした! おい! ドクターっ!)
――――。
(森畑、相手の選手は、お前の中段突きで、どうやら右アバラをやっちまったようだ)
(・・・・・・え? せ、先生! 私、わざとじゃ・・・・・・)
(わかってる。良いタイミングだったし、カウンターは相手の勢いも利用して打つ技だから)
(で、でも!)
(カウンターは、自分が思った以上の衝撃力となる。事故だこれは。森畑のせいじゃない)
(じ、事故って言っても私、軽く中段を突いたはずだったのに・・・・・・)
(そういうもんだ。そういう突きこそが、実は無駄のない理想の突きだったりする)
(力込めたつもりは、なかったのに・・・・・・)
(試合中、その瞬間はどんな感じだった?)
(必死で、試合中のこと、あまりよく覚えてないんです。あの、相手の人の様子は?)
(すぐ救急車で病院へ行った。お前はこのあとの試合、気にせずに集中して臨むんだ)
(・・・・・・怖いです先生。私、軽く打ったのに相手の骨を折るほどのことに・・・・・・)
(空手は、そういうもんだ。そういう覚悟のもとに、やるしかないんだよ)
(怖い! いや! 相手の子にも、申し訳ない・・・・・・。私、怖い。自分の拳が!)
(わざとじゃないんだ。心配だろうが、この後も、集中だ)
(私の拳は、危険なもの。組手は、危険なんだ。だから心でコントロールしなきゃダメなんだ)
――――。
(怖い。組手は怖い。・・・・・・そうだ、形なら、相手は直接は傷つかない!)
(先生、私、中三の大会は形だけに絞ります。組手はもう、いいです・・・・・・)
(なに。・・・・・・もったいないが、お前がそう言うなら。じゃあ、形だけでな)
(あの相手の子、名前とか顔とかよく覚えてませんけど、どこの子でしたっけ?)
(え? あんなに対戦者をリサーチする森畑が、覚えてないなんて・・・・・・)
(すごく申し訳ないことしちゃって気が動転してたのか、よく思い出せないんです)
(あの選手な。たしか・・・・・・静岡の子だった。お前と同級生だったと思うぞ)
(静岡の子。なんかよく、メンホー越しの顔も思い出せなくて・・・・・・)
(大丈夫。アバラの骨折は確かに癖になりやすい古傷になるが、心配ないから)
(パンフレット、捨てなきゃよかった。ごめんね、あの時の選手さん。私のせいで)
――――。
・・・・・・ざざざぁぁぁん・・・・・・
「そ、そんなことが中学の時にあったの!? でも、確かにそれは森畑さんのせいじゃないよ」
「今は自分でも、あれは試合中の事故って割り切れてるけどね。だから私も、組手に戻ってこられたんだよ。過去をあまり引きずらないことにしたんだ」
「でも、確かにカウンターは威力あるからね。その当時の静岡の子も、アバラが癖になってないといいね。きっと今も、どこかでまだ空手続けてるよ」
「そうだといいな。なんて名前の子だったっけなぁ。本当に、そこだけの記憶が霞んでてさ。忘れちゃった。私、自分が怖いのとその子に申し訳ないのがごっちゃごちゃでさ、当時の大会を思い出したくなくて、すぐパンフレット捨てちゃったんだ」
「だから森畑さんは、組手より形の方に力を入れてたのか。でも、今じゃ柏沼の柱だもんね!」
「小笹が等星の崎岡のアバラへヒビ入れたとき、見ていてちょっと、トラウマが甦ったけどね・・・・・・」
そう言って、森畑は両手を柄杓のようにして海面から水を掬い、ぱあっと空へ輪を描くように撒いた。海水の飛沫は、白い月明かりを透き通し、輝きながら空一面へ拡がる。煌びやかに光る真珠のような雫となり、それは二人へと降り注いだ。
「この浜辺、昼間に来て思ったけど、本当に落ち着く場所だね。私は、真波が同じチームにいたからこそ引っ張られている面もある。そして、前原たち男子にも、いろいろ助けられてる。後輩達も慕ってくれるし、本当に、良いチームだ。ありがとうね」
「いやいや。僕の方こそ、森畑さんがいるからこそのチームだと思うよ」
「これもきっと、私ら三年生にとってはさ、かけがえのない思い出になるよ。いつか、きっとね」
「そうだねー。貴重な思い出に、なるよね」
森畑は紺色の海面を遠くまで見つめたまま、なにか自分自身とも語り合っているような様子。
前原はその姿を後ろから黙って見つめているが、森畑とほぼ同じようなことを考えていた。
「前原! インターハイ、最高の大会にしよう! 勝つよ、私たち!」
「・・・・・・うん! そうだね! 勝とう! 勝って最高の思い出にしよう!」
ざざざぁ・・・・・・ ざざざぁ・・・・・・んっ
どぱぁぁ・・・・・んっ
ざざざぁ・・・・・・ ざざざぁ・・・・・・んっ
どぱぁぁ・・・・・んっ
ざざざぁ・・・・・・ ざざざぁ・・・・・・んっ
ざざざぁ・・・ ざざざぁ・・・
「「 スーー・・・・・・パーー・・・・・・リンペイーーッ! 」」
前原と森畑は、インターハイを勝ち抜く決意を強固にし、そのまま波に足を突っ込んでいった。
二人で思いっきり、波間でスーパーリンペイを何度も演武する。ただひたすらに、無心になるほどに。とにかく、何かを忘れるように、何かを掴むように。
・・・・・・ざっ ざざざっ
「あ、やーっぱりいたぁ! ネ? 言ったでしょお?」
「おーい、菜美! 前原! あんたらズルいよアタシを出し抜くなんてぇ」
「この砂浜か。レベルアップができるという場所は。今夜はおれたちも、とことんまでここでレベルを上げさせてもらうとしようか」
「前ちゃん、眠らずに稽古なんて熱心だな! 小笹ちゃんにここだろうって言われたからよぉ」
「えっ!? み、みんな!!」
「まったく。・・・・・・私は、来るんじゃないかなーって思ったけどさ」
「悠樹! 菜美! せっかくみんなで沖縄に来たんだから、自主練すんなら教えろよなぁー」
「前原ー。今夜は森畑と実戦稽古でもしてるんかねぇー?」
「田村セーンパイっ? くすっ。ワタシは、なにげに知ってるよぉ? 昨日、ワタシと前原センパイの砂浜でのこと、きっと、見てましたよねぇ?」
「ふっ・・・・・・。なんだかよくわかんねーけど、なんだかねぇ。でも末永、ありがとな。俺からすりゃ、みんな強くなって、みんなうまくなって、みんなで楽しめりゃいーんだ!」
「くすっ! あははっ! そっか!」
小笹と三年生メンバーが、深夜の浜辺に大集合。後輩達は爆睡中とのこと。
みんなこの夜は、ここでとにかく笑って暴れて楽しんだ。
砂浜では、小笹に二人がかりで組手を挑んだ中村と田村が、まるで格闘漫画のような戦いを繰り広げている。
丸太の上で月夜に照らされ形を演武しているのは、森畑と井上。
波打ち際では、サンチンを黙々と稽古する神長の姿が。
「川田さん。川田さんはさ、森畑さんと深い絆があるんだね?」
「なによ、いきなり? ・・・・・・まぁ、そうね。菜美とアタシは、ただの友達や同期ではないかなぁ。深い絆ねー。そうねー」
「いいなぁ。きっと、ライバルでもあり心友なんだね。良い関係だな。羨ましいよ」
「そういう前原だって、田村といいセットでしょ。アタシにはわかるよ。あんたらのことがね」
「そうだね。田村君とは、まぁ、いいセットなんだろうね。この仲間達に僕も出会えて良かった。大会、みんなで頑張ろう!」
「うん! そーしよう! アタシは暴れまくっかんねー!!」
そしてまた、時間は流れ陽は昇る。
もう、沖縄の気候や時間にみんなの身体は慣れ親しんできたようだ。