2-12、沖縄の道場にて
海の碧と空の茜色が溶けあう時刻。遠くでサンゴ礁をかき分ける波の音が心地よい。
宿の隣にある道場に、灯りがともる。
海風が庭の芝生を揺らめかせ、清々しく吹きぬけていった。さぁっと、そよっと、緩やかに。
「ほっほっほ。わしは後から行くからぁ、みなさん、先に行ってていいさぁ。小笹、道場の中の細かいところ、案内しておやりねぇ。稽古は、大会もあるし、好きな装いでいいよぉ?」
「わかった。じゃ、みんな。着替えたら、道場来てねぇーっ。ワタシ、先に待ってるねっ」
「よぉぉし! やっと本場で、道着になれるぜ! 身体動かさないとねぇー」
田村は、目が部活モードに切り替わった。
サササッ キュウッ シュルシュル ギュッ パンパァンッ
みんな純白の道着に袖を通し、帯を固く締めて準備完了。
足早に隣の道場へと移動した。Tシャツなどでもいいと言われたが、沖縄の初日はしっかりと道着でみんな稽古に臨むことにした。
「「「「「 よろしくおねがいしまぁーっす! 」」」」」
道場へ入る際に、みんなで挨拶し、一礼。
中では、胸には「海月」、左上腕部には「栃木」の刺繍が入った道着の小笹が柔軟運動をしている。その横では、胸に「金城」、左上腕部に「沖縄」と刺繍の入った道着の美鈴がスタンバイ。そして近所の子供たちが数名。他には、だいぶご年配の男性や女性が数名。みな、柏沼メンバーを笑顔で迎えてくれた。
「ねーねー。おにーちゃんたち、あたらしいひとー?」
「そうだよぉ。今日からちょこっとの間、よろしくねー。たのしくやろうねぇ」
井上が、白帯のちびっ子としゃがんで笑顔で話している。意外なことに、井上は子供をあやすのが得意らしい。
「柏沼高校って、『柏沼高』と三文字刺繍なのねぇーっ。今日からよろしくねぇっ! インターハイ終わるまでの短期間だけどさッ」
「こちらこそよろしくね。えっと、呼び方は美鈴ちゃんでいいかな? アタシらのことは、なんか呼びやすいように呼んでくれていいよ。沖縄空手の稽古って、いつもの部活とは違うから楽しみだよ!」
「川田先輩。わたしたちは部活以外知らないんで、道場って緊張します。初めてですー」
阿部たちは、前原や川田たちのように小さいころから道場で空手をやってきたわけではないので、今回、部活以外の「道場稽古」というものが初体験とのこと。
三年生七名は慣れたもんだが、後輩たちはとにかく、緊張しているようだ。
めしっ・・・・・・ のしのし のしのし
「・・・・・・おねがいしやっすぅ」
その時、太い声とともに、大柄な男性が道場に来た。胸には「琉海大」の刺繍が。どうやら地元の大学生のようだが。
「あぁ! もしかして、矢木にーちゃん? わぁ、懐かしいーっ! 覚えてる? 小笹だよ!!」
「ん・・・・・・? あぁ・・・・・・。・・・・・・覚えてる。・・・・・・ひさしぶり」
「ねぇ、美鈴ちゃん。あの大学生は? なんか私、見たことあるような気もするけど・・・・・・」
森畑がこそっと美鈴に小声で訊いた。大学生の男性はどことなく仁王像を思わせる、日新学院主将の二斗のような雰囲気。大柄で、よく日に焼けていて、坊主頭で、ものすごく逞しくていかにも強そうだ。
「あぁ。ここの道場で昔からやってる、矢木秀人さんよぉ! あたしらの、兄弟子なのよぉ」
「んん! 矢木秀人って・・・・・・おい、田村。あの人、間違いないだろ? そうだよな?」
「ああ、そうだぁ。なんてこったい、ここの道場、そんな人も門下生だったんだねぇ!」
中村と田村が、矢木を見てちょっと驚いている。なにか、恐れ慄いた感じで。
「た、田村せんぱい、どうしたんですか? あの人、確かに強そうですけど・・・・・・」
内山がその様子を不思議に思ったのか、田村たちの後ろからこそっと囁く。
「内山らじゃわからんだろうけど、あの矢木秀人って人な、去年の大学生の世界大会覇者だ! 言ってみれば、世界中の大学拳士の頂点である世界チャンピオンなんだよねぇー」
「「「「「 ええええぇぇ! せ、世界チャンピオンーっ? 」」」」」
後輩たち、一同驚愕。
小笹と話している人は、昨年度、世界ユニバーシアード選手権で形も組手も優勝した、大学生世界チャンピオン。もちろん全空連ナショナルチームの選手でもある。
「な、尚ちゃん。矢木選手と稽古できるなんて、思ってもいなかったな!」
「まったくだねぇ。でも、こりゃぁいい機会だ! 俺たちの経験値上げには最高だぁね!」
神長も、暑さとは違う汗を垂らして緊張の面持ちだ。田村は逆に、ものすごく目を燃やして、稽古を早く始めたい感じでいっぱいのようだ。
のしのし のしのし・・・・・・
矢木は、小笹となにか話しているうちに、視線を田村に向けてゆっくり歩み寄ってきた。
一歩ずつ近づくごとに、柏沼メンバー全員に緊張が走る。
「・・・・・・どうも。矢木と申します・・・・・・。栃木から来てくれたとのことで。インターハイ前ですから、ケガとかないよう。・・・・・・いい稽古をしましょう」
大柄な体躯とは逆に、すごく小さな声でそう言って、矢木は右手を田村にすっと出した。
がしいっ・・・・・・ ぎゅっ
「・・・・・・っ!」
「(田村君。ど、どうしたの?)」
矢木と握手した田村は、握った手を見たまま、顔にはすごい量の汗が噴き出ていた。
紳士的な対応で迎えてくれた矢木。しかし田村は、握手をして嬉しそうどころか、試合でピンチに陥った時のような表情だ。握手したまま数秒。静かに時が過ぎる。
ぱっ すっ・・・・・・
ふっと握手が解かれ、矢木はにこっと笑って一礼。そして道場の奥へと、また歩いていった。
「や、やべぇ。学生世界王者、これほどとはなぁ・・・・・・」
「そ、そんなにか、田村! 横にいたおれたちにも、すごさはわかったが・・・・・・」
「尚久、汗すげぇぞ! まだ稽古も始まってないのに!」
中村や井上が、田村と同じように汗を垂らしている。矢木の雰囲気やオーラは、どこか余裕がある中にも凄まじい圧力と実力を確実に伝えてくるものであった。
「矢木秀人かぁ・・・・・・。すごい人だ。よし、俺はこの沖縄にいる間、あの人と稽古で様々なものを盗ませてもらうとするかぁねぇー」
田村の目が再び輝いている。
インターハイ直前にして、思いもよらぬ出会い。これがどのような効果をもたらしてくれるのだろうか。
「ほっほほぉー。若いのぉー。元気なのは、いいことさぁー・・・・・・」
道着姿のキヨが道場に姿を現し、その様子を笑顔で見つめていた。