万年少尉の昇進
ノルト侯国の中心都市、ガラ・ルーファ。
四百年の歴史を誇るこの古都を、真新しい白亜の王宮が見下ろしている。
二年の歳月と巨額の国費を投じてようやく完成した城ではあるが、評判はあまりよろしくない。実用性よりも芸術性を、居住性よりも独創性を優先させたため、使用人が道に迷ったり衣服の裾を引っ掛けたりは茶飯事だ。さらに市民から見れば、水路の補修や街道の整備などの方がよほど優先させるべき事業ではないかと言いたくもなる。「侯爵閣下による侯爵閣下のための城」という異名は酷評に過ぎるだろうか。
そのノルト侯爵ワラゴ・フォン・アエネウスは御年七十五歳、白髪も残り少なくなった枯木のような老人が装飾過剰の絹服に包まれている。「灰色侯爵」と渾名されているのはその外見からではなく、特に功績も失敗もない存在感の薄さゆえだった。
「アルト・マイヤー少尉、貴官を中尉に任ずる」
「有難き幸せに存じます」
新しい謁見の間を訪れるのは初めてだが、アルトが侯爵閣下からこの言葉を受けたのは実に四回目だ。ただしその後、一度目は民間人に暴行をはたらいた同僚を負傷させ、二度目は部下を虐待する上官を殴り飛ばし、三度目は深酒で遅刻と欠勤を繰り返し、いずれも少尉に降格している。
「併せてカリスト四将フォルベックを破った功を讃え、星型勲章を授ける。一層励めよ」
「はあ。有難き幸せに存じます」
二度も同じ台詞を言わされたアルトは、もはや面倒臭そうな表情と口調を隠しきれていなかった。給料が上がる昇進は悪くないが、勲章など売って酒代にすることもできない。侯爵に対する無礼を咎める視線、あるいは心配する視線を感じたが、そんなものがいくら刺さったところで痛くも痒くもなかった。
夕刻に始まった酒宴は贅を尽くしたもので、色とりどりの果実酒に様々な素材から造られた蒸留酒、麦酒でさえ三種類の産地から好みのものを選べるほどだった。大皿に積まれた食べきれないほどの肉料理など、これだけで質素な四人家族が半年は暮らせる金額になるだろう。
帝国の大軍を壊滅せしめた功をもって、プラティ駐留軍のアイリーチェ少佐は中佐に、ネブラ大尉は少佐に、ベルテール准尉は少尉に、それぞれ昇進した。
ただこの日の主役は、四将フォルベックを敗死させたアルト中尉に違いない。珍しく無精髭を剃り頭髪を整えたアルトは精悍と言って良い顔つき体つきで、黙っていればその実力にふさわしい評価と名声が得られたことだろう。しかし。
「勇名高い万年少尉がいれば、プラティの町は安泰ですな」
「いやいや、彼は中尉になりましたからな。もはやその呼称は使えませんぞ」
「ふむ、新たな呼称を考えねばなりませんな」
なんとか大臣、なんとか卿、なんとか名誉将軍。ろくに名前も覚えていない老人どもに呼び止められ、戯言を適当に聞き流していたまでは良かった。
「聞けば人間の兵士に一人の犠牲も出さなかったとか。損害が人形兵だけとは重畳」
「しかし精鋭を多く失ったのは惜しいことをしましたな」
「まあ、人形兵ならばいくらでも補充できますからな。また精鋭を育てて頂きましょう」
ちっ、と舌打ちの音を隠そうともせず、アルトは高そうな酒を呷って広間を出た。薄暗い廊下に月明りが射し込み、良く言えば前衛的な、悪く言えば訳のわからない絵画をさらに怪しく照らし出す。
「糞野郎が!爺どもが!人形兵を、アステルを、何だと思ってやがる!」
軍服の胸を飾る星形の勲章を引きちぎり、磨かれた花崗岩の床に思い切り叩きつけた。それは二度、三度と跳ね返り、足元に戻ってきてようやく止まった。それでも彼の怒りは収まらず、軍靴で踏みにじり蹴飛ばして荒い息をつく。
「そんな事だから『万年少尉』などと渾名されるのだ」
影だけでも肉感的とわかる姿、若い女性の声。罪のない星形の金属片を拾い上げたのは、アルトを追ってきたアイリーチェだった。軍服の裾で簡単に汚れを落として差し出す。手荒な扱いで少し欠けてしまっただろうか。
「いつまでも老人どもの好きにはさせない、必ず私達の時代が来る。いや、来させてみせる。だから今は耐えてほしい」
「・・・・・・悪いな。格好悪いところ見せちまった」
これが何者かの目と耳に入っていたのだろうか。この翌日、アルト中尉は「主君より賜った勲章をみだりに破損させた」として四度目の降格処分を受けることになる。
彼にはまだしばらく『万年少尉』という呼称が付いて回りそうだ。