万年少尉と錬金少女
厚手のカーテンの隙間から朝日が差し込む。珈琲の香りが鼻腔をくすぐる。
ノルト侯国プラティ駐留軍所属、アルト・マイヤー少尉は、彼一人には大きすぎる寝台で目を覚ました。
別に飲み過ぎてはいない。麦酒など水のようなものだから、飲んだうちには入らないはずだ。少々頭が痛いのは何か別の原因に違いない。
「おう、アステル。早いな」
朝の挨拶を交わした、と言いたいところだが、少女のような容姿の同居人は頷いたのみで返事はなかった。
やや小柄な身体、整ってはいるが表情に乏しい顔。肩で切り揃えられた明るい緑色の髪に、鼈甲で造られた古い髪留めがよく映えている。このような色の髪はプラティの町で彼女だけ、どころかノルト侯国中を探しても他にはいないだろう。
「パンを焼いてくれたのか。悪いけど食欲がなくてね、後で食べるよ」
「・・・・・・」
「わかったわかった、そんな目で見るなよ。食べるって」
アステルと呼ばれた少女は四つ並んだ食卓椅子の一つに腰を下ろしたが、食事を摂るでもなくただ姿勢正しく座っている。そもそもテーブルに並べられた朝食は一人分しか無かった。
「今日は兵舎に寄って、ニアの店に行かなきゃなあ。墓参りはその後だ」
やはり少女の口から言葉が発せられる事はなく、朝食を終えたアルトが席を立つと同時に立ち上がり、食器を洗いはじめた。洗い終えた食器を丁寧に棚に並べると、身支度をするアルトの横に控えて立つ。
「わかってるって。ちゃんと髭も剃るし、服も合わせるよ。それくらいできるって」
手入れされない髪をごまかすための中折れ帽に地味なジャケット。彼自身は簡単に着替えを済ませると、三倍の時間をかけてアステルの服を選び、やがて二人は余所行きの格好で家を出た。
街ですれ違った幾人かが首を傾げる。空色のワンピースに身を包んだ緑髪の少女は、三十路過ぎのアルトの妻と言うには幼すぎ、妹と言うには歳が離れすぎ、娘と言うには大きすぎた。
古めかしい造りに『ニアの錬金術』という楽しげな字体の看板が不釣り合いな店の扉を開けると、がらんがらんという必要以上に大きな鐘の音、それをかき消すほど元気いっぱいの声に迎えられた。
「やあ、お邪魔するよ」
「いらっしゃいませ!あっ、少尉さん!」
明るい木色の髪、瑞々しい葉の色の瞳。陽射しを浴びてどこまでも伸びていくような印象の娘は、帳簿を放り出してアステルの手を握った。表情を変えない彼女の手を、ぶんぶんと振り回す。
「アステルちゃん、今日も可愛いね!」
「ありがとう。ニア、今日は『昇格』をお願いしたいんだ」
「はい!おまかせください!」
アルトは大袈裟に敬礼する少女に苦笑しつつ、兵舎から連れてきた三体の人形兵を招き入れた。
『昇格』とは、十分に経験を積んだ人形兵を強化する錬金術のことを言う。ここプラティの町には駐屯所に侯国お抱えの錬金術師がおり、簡単な手続きで申請すれば無料で『昇格』できるのだが、安くはない料金を自腹で支払ってでもこの娘に依頼したい理由がアルトにはあった。
決して幸福とは言えない境遇の少女が生きる上で少しでも助けになりたいこと、彼女の明るさに救われていること、それからもう一つ。
「アルゴくん、レットくん、ステラさん、頑張りましたね!」
アルト少尉配下の四十五体の人形兵、その名前を全て覚えていること。のっぺりとした木人形にしか見えない『第零段階』の者まで全てだ。
「三人とも第零段階でしたね。どう昇格させますか?」
「アルゴが『騎兵』、レットが『歩兵』、ステラが『術兵』だ」
「かしこまりしました!」
「かしこまりました、だな」
「や、やだなぁ、わざとですよー」
人形兵は第零段階の『兵卒』に始まり、第一段階への昇格の際に兵種を選ぶことができる。歩兵、騎兵、弓兵、術兵がそれで、以降は騎兵なら第一段階の『騎兵』、第二段階の『騎士』、第三段階の『銀騎士』、第四段階の『聖騎士』と昇格していく。
その際、能力の向上とともに姿形もより人間に近くなっていき、第四段階ともなれば頭髪や瞳の色など明らかな個性まで現れる。第五段階にまで至ればほとんど人間と見分けがつかず、独自の知性を得るのではないかと言われているが、五~六年と言われる人形兵の寿命のうちにそこまで到達した例があまりにも少ないため解明には至っていない。
「ステラちゃんはここですよー。自分で入れるかなー?」
錬金術師の少女は三体の人形兵をそれぞれの錬金釜に入れると、何やら怪しげな緑色の液体を注ぎ、怪しげな白い粉を棚から取り出し・・・・・・アルトの顔の前に人差し指を立てた。
「昇格の術は企業秘密です。決して見てはいけません」
「そうだったな。代金はここに置いておくよ」
「はい!かしこまりしました!」
その日の午後、プラティの町を見下ろす丘。墓石が立ち並ぶ一角に、三十路男と緑色の髪の少女が佇んでいた。
『レナ・マイヤー 二十七歳 大陸歴一二二二年一一六日没』
『エステル・マイヤー 六歳 大陸歴一二二二年一一六日没』
曇り一つなく磨かれた白御影石の墓石には、二つの名前が並んで彫られている。
注意深く見れば、周りの墓石にも同じ日付が多く刻まれていることに気付くかもしれない。三年ほど前、『大崩壊』と呼ばれる未曽有の大地震が起きた日だ。
男が蒸留酒の小瓶を尻ポケットから取り出し、口に運んだ。少女が黙ってそれを見つめる。
「いや、これは違うんだよ。俺が飲みたいんじゃなくて、こういう時には酒が必要っていうかさ。子供にはわかんねえか」
頭を掻いて小瓶をポケットに戻した三十路男に、軍服の若者が遠慮がちに声をかけた。確か伝令を務める新兵だったか。休暇中の行先は特に伝えていなかったはずだが、付き合いの長い司令官はお見通しだったようだ。
「ここでしたか、アルト少尉」
「どうした、ずいぶんと仕事熱心だな」
「カリスト四将、フォルベック将軍の兵が迫っています。急ぎ司令室にお越しください」
「なんだと・・・?」