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4.レオン兄弟と公園

聖教会は悪魔と魔法と呪術を封印した。

しかし人の心が生む怪異は封印し切れなかった。


―――残念なことに。






「今でこそ総合格闘技の試合になっているが、本来の闘戯とうぎは殺し合いだ」


 ダニエルは説明を始めた。


「おそらくは露天闘戯会ろてんとうぎかいの会場だったんだろう。そんで、この公園がそのまま闘戯場な訳だ」


「う……そんな話を聞くと怖くなってくる……」


 イザベルがやや青くなる。


「今も昔も、闘戯フィールドはこのサイズ感で良いはずだ。だろ?」


 ダニエルがフィリップに目を向ける。

 フィリップはああ、と答える。


「セーフティーゾーン込みの面積と同じくらいだと思うが……」


 フィリップは小さく溜息を吐いた。


 公園のベンチは、二人掛けである。

 子供であれば三人座れるだろう。

 しかしこの三人は子供とは言い難い。


 ベンチにはダニエルとイザベルが座り、フィリップはベンチの横手に立っていた。

 多少不自然な光景とは思うが、ダニエルはフィリップにベンチを譲る気もない上、イザベルを立たせて自分が座るということも心苦しい―――ゆえにフィリップは自ら立っていることを申し出たのだ。


「セーフティーゾーンって?」


 イザベルがフィリップに問う。


「闘戯フィールドと客席との間にある空間です。万が一、選手が投げ飛ばされても観客に当たったりしないようにするために設けられています」


「そういえば、闘戯ってボクシングのロープみたいなの張ってないわね」


 イザベルはふむふむ、と頷く。


「草がまばらに生えているあたりがセーフティー、土がむき出しになっている中央部がフィールドだとして、問題はどんな奴が出て来るか、だな」


 ダニエルは口の端を軽く持ち上げる。


ビリー・・・、お前の初仕事に丁度良い」


「どこがだ?」


 フィリップは兄を睨む。


「おそらく、お前好みだ」


「だからどこがだ?」


「思い切りぶん殴って良いヤツがここにいるってことだ」


「っ!」


 フィリップは思わず目をみはった。

 それと同時に呼吸が出来なくなる。


「夜になったら始めよう、ビリー・・・? いいな?」


 ダニエルは目を細め、口角を持ち上げる。

 挑発するような笑みを前に、フィリップはかすれた声で問い掛ける。


「本当に、いいのか……?」


 フィリップは昨日の光景を思い返す。


 兄の呪文によって女が現れた。

 兄は女の首にベルトを掛けた。

 そして、兄は女を絞め殺した。


 それと同じことを、今度はフィリップがするのだろう。

 しかし女の首をベルトで締め上げることと、かつて生きていた“闘戯士グラディエーター”と対峙するのとでは次元が違う。


「何のために高校辞めて〈グラディエーターズ・クラブ〉に入ったんだよ、お前は?」


 ダニエルがニヤつきながら問い掛ける。


「す、」


 フィリップはやっとの思いで答える。


「少なくとも、兄貴のためじゃない」


 かすれた声であるが、フィリップが言葉を紡げば、ダニエルはだろうな、と笑った。






 闘争遊戯とうそうゆうぎ大会―――略して闘戯会。

 それは古くからこの国で愛されている競技で、いわば総合格闘スポーツである。


 しかしその起源は傭兵たちが自らの戦闘能力を誇示するための宣伝活動だった。

 それがやがて勝敗をめぐる賭博が始まり、命の奪い合う見世物にまで発展していった。


 新世界となった現在では、闘戯会は賭けの対象になることはあっても命の奪い合いはしない。

 あくまでも自らの肉体ひとつを武器として戦う“スポーツ”となっている。


「ガタイが良いなぁ、とは思ってたけど、まさか闘戯士とうぎしだったとはね」


 イザベルはフィリップに感心の目を向ける。


「いえ。プロになる前にクラブを辞めたので闘戯士ではないです」


 フィリップは自嘲した。


「どうして辞めちゃったの?」


 イザベルがフィリップの顔を覗き込む。


「……色々とありました」


 フィリップは視線をずらす。


 夜の公園は、ますます人気がない。

 むしろ昼間とは違い、人を寄せ付けないような空気さえ漂わせている。

 それでも防犯のためなのか、煌々と輝く街灯が一本だけ立っていた。


 星も月もない夜空の下、街灯の灯りだけであってもダニエルはよどみなく作業を続けている。

 ダニエルは車に積んでいたらしいライン引きを使い、公園の地面に図形を書いていた。


 正方形を三つ重ね、その中央にバツ印―――闘戯フィールドであった。

 中央の正方形がバトルフィールドとなり、その外側の正方形がセーフティーゾーン、そして最も大きい正方形の外側が観戦ゾーンである。


 選手はバトルフィールド内で戦うが、審判はセーフティーゾーンで試合の判定をする。

 大規模な大会の場合、セーフティーゾーンに自律式カメラが設置されて試合の様子が放送されることもある。


「ビリー、そろそろ準備しとけ」


 ダニエルはライン引きを引きずりながらベンチに向かう。


「分かった」


 フィリップは大きく深呼吸をし、準備運動を始めることにした。


「眼鏡は?」


 ダニエルが問う。


「直前で外す」


 フィリップはゆっくりと体を動かし、自身の状態を確かめる。


 入院中にリハビリをしたと言っても、それは日常生活を送るために必要な最低限の動きを練習したに過ぎない。

 誰かを殴ったり、蹴ったり、関節を外したりという動きはリハビリではしてこなかった。


「デミルコル、お前はベンチだ」


「はぁーい」


 ダニエルが言うと、イザベルはすぐにベンチに座った。


「ビリー、調子は?」


「鎮痛剤のせいで眠い」


「上等」


 フィリップの答えに、ダニエルは声を上げて笑った。


「じゃ、行くか」


 ダニエルはそう言って、セーフティーゾーンに立つ。

 フィリップは眼鏡を外し、ベンチに置く。


「がんばって」


 イザベルが小さな声を掛けてきた。


「はい」


 フィリップは頷き、何度か瞬きをして目のピントを合わせる。

 ベンチの端が滲んでいるように見えるが、“試合”に支障はない。

 むしろ眼鏡を掛けていることで、相手に眼鏡を割られてしまうことの方が問題なのだ。


 フィリップは地面に描かれたバツ印に向かって歩き出す。

 カッターシャツにチノパン、スニーカーという普段着を着ているのだが、気分だけは試合に赴く時と似ていた。


 観客は女が一人だけ。

 審判はアテにならない競技未経験者。

 対戦相手の姿はまだ見えない。

 自分自身はロクな練習もしていない。


 それでも“あの頃”と同じように、正方形のフィールドに入ると頭の深部が冷えていくようだった。


「セレ、セレ、セレ―――」


 兄が呪文を唱え始める。

 普段は見えない兄の真剣な声に合わせ、フィリップは深呼吸をする。


 息を吸う。

 息を吐く。


 そうして高揚した心を少しでも落ち着かせる。


「汝、姿無き亡き者よ―――」


 ダニエルが祝詞のようなモノを唱え始めた。

 フィリップが思わず目を瞬かせるが、眼鏡を外しているために兄の表情が全く見えない。


「今ここに姿を示せ。

 肉体を現せ。

 今ここに存在を示せ。

 肉体を現せ」


 ダニエルが手を一度、打ち合わせる。

 大きな拍手の音が公園内に響く。


「ひっ」


「――――――っ」


「おいでませ、だな」


 イザベルが小さく声を上げ、フィリップは目を細め、ダニエルが満面の笑みを浮かべながら右手を頭上高くに上げる。


 フィリップの前に、人間が立っていた。

 大柄な人間だ。

 詳細はぼやけて良く見えないが、ゆったりとしたズボンだけを身に着けた男のようだった。


「双方用意!!」


 ダニエルが右手を頭上高く上げると、男が動く。

 包帯のようなものを巻いた両腕を持ち上げ、拳を顔の前まで上げたファイティング・ポーズをとる。


 同時に、フィリップもファイティング・ポーズをとる。

 軽く握った両手を胸の高さに持ち上げるだけという、力の抜けた自然体の構えである。


「―――始めッ!!」


 ダニエルの右手が振り下ろされた。


 二人はほぼ同時に足を踏み出す。

 しかし二人がぶつかり合うことはない。

 互いが互いの間合いギリギリのところで前進を止めたからである。


 相手の男は大柄だ。

 やや皮膚の色が黒ずんでいるように見えるが、今のフィリップに相手の詳細は分からない。


 フィリップは近眼だった。

 普段は眼鏡を掛けているが、試合や練習の時は裸眼で挑む。


 相手の目鼻立ちが見えなくても戦える―――。


 それがフィリップの持論だったが、指導者たちやチームメイトはそれを認めようしなかった。


 ファイリップは静かに相手が自分の間合いに入って来るのを待つ。


 フィリップにとって、自分から仕掛けるのは簡単なことではない。

 下手をすればパンチが空振りすることもある。

 ゆえに相手の動きを誘う必要があった。


「っ」


 間合いの探り合いにじれて、相手がフックを繰り出す。

 しかしそれはフィリップの動きを誘おうとしてのこと。

 拳が空を切るだけで、フィリップには当たらない。


「―――来いよ」


 ぼそ、とフィリップが呟く。

 すると相手が一歩踏み込んだ。

 風を切る音を立てて相手が拳を繰り出す。

 合わせて、フィリップも拳を突き出した。


 衝撃が走る。


 フィリップは胸に拳を受け、息を止めた。

 一方で自身の拳は何処にも当たっていない。

 しかし、フィリップは嗤う。


「ぅおら!!」


 相手がしっかりと自分の間合いに入ったのだ。

 フィリップはすかさず相手の首を両手でホールドし、鳩尾めがけて膝を振り上げる。


「がっ!」


 苦悶の声が聞こえ、膝に暖かな液体が降った。


「ああっ!!」


 フィリップは二度、三度、と相手に膝蹴りを食らわせる。

 しかし相手もただでは引かない。

 振り上げたフィリップの足をホールドし、そのまま体重を預けて来る。


 フィリップは転倒した。

 地面にしたたかに背を打ち付け、苦鳴を漏らす。

 しかし後頭部の強打は回避した。

 それでも相手が自分の上に乗り上げようとする。


「くっ」


 フィリップはすぐさま両足を相手の胴体に回し込み、その頭を殴りながら体を捻る。


 二人がごろり、と反転する。

 フィリップは相手に馬乗りになると、そのまま両拳を以って相手を殴りつける。


 密着している以上は、フィリップにも間合いが把握出来る。

 そして今やっていることは闘戯ではない。


「死に晒せッ!」


 亡霊の駆除なのだ。

 ゆえにカウントも取られなければ、反則もない。


 ただただ、相手を殺してしまえばいい。


 相手がフィリップの襟を掴んだ。

 しかしフィリップは冷静に体を前へとずらし、膝を使って相手の脇を開きながらその片腕を抱え込む。


 かすかに腐臭と、鉄臭が漂った。

 だがフィリップは気にせず力を込めた。


「なっ!」


 相手が声を出した。

 しかしフィリップはそのまま半回転し、倒れ込んだ。


「ぐうっ!!」


 腕十字を極めれば、相手の口から苦悶の声が漏れる。

 フィリップは体を反らし、相手の腕をへし折った。


「ぎゃっ!」


 確かな手ごたえと共に男の悲鳴が聞こえ、フィリップはほくそ笑む。


 もっとだ―――。






 ダニエルは踵を返し、ベンチに座った。

 その隣では、イザベルが呆然と“取っ組み合い”を見ている。


「楽しそうだろ?」


 ダニエルが口を開けば、イザベルがびくりと肩を震わせる。


「た、楽しそうって……」


 イザベルは声を震わせていた。

 しかしダニエルは気にせず続ける。


「だから来るなって言ったんだ」


 ダニエルの言葉に、イザベルはうう……と唸る。


「だって、依頼したのわたしだし、ダニーがどんなふうに幽霊を退治するか見たかったし」


「退治だと? 笑わせんな、ババァ」


 ダニエルは鼻を鳴らす。


「俺がやってるのはあくまで駆除だ。霊を実体化させてぶっ殺す―――〈マル秘部門シークレッツ〉と似たようなもんだろうが」


「でも……」


 イザベルは言い澱みながら、公園の中央に目を向ける。


「でも、ね……」


 公園の中央では、青年が男の首を捻っていた。

 男の首が九十度以上回転すると同時に、その体が消失した。


「こう、もっと何かないの?」


 イザベルはちら、とダニエルに目を向ける。


「逆に何を期待してるんだ?」


 ダニエルは弟を見ながら言い返した。


「映画にでもあるようなアレか? 霊との対話的な」


「そう。だってアレは結局何だったの?」


 イザベルはこめかみを押さえ、先ほどの光景を思い出す。


 ダニエルが手を打つと、フィリップの前に大柄な男が出現した。

 薄手のズボンを穿き、両腕にはバンデージのようなものを巻いていたが、その肌はどす黒く変色していた。

 加えて男の両目は白く濁り、後頭部は大きく抉れていた。


「知るかよ」


 ダニエルは吐き捨てる。


「俺たちはカウンセリングしてる訳じゃねぇんだ。害獣を駆除するのに、猟師が動物といちいち話をするか? しねぇだろうが」


「そう言われるとそうかもだけど……」


 イザベルはうーん、と唸りながら首を傾げ、そのままダニエルにもたれ掛かった。


「……このまま、二人でどこか行かない?」


 イザベルがダニエルに囁く。


「一人で家に帰れ、クソババァ」


 ダニエルはイザベルを突き放し、ベンチから立ち上がった。






 フィリップはぼんやりと空を眺めていた。

 漆黒の空には星ひとつ見えない。


フィリー・・・・、眼鏡」


 ふいに兄の声と共に、黒縁の眼鏡が差し出された。


「どうも」


 フィリップは眼鏡を受け取り、装着する。


「で、どうだった?」


 ダニエルが問うてきた。


「思っていたより、手ごたえが無かった」


 フィリップは小さく溜息を吐く。


 相手の腕をへし折った時こそ、生きた人間と同じ手ごたえを感じた。

 しかし首をへし折った時は違った。

 折った手ごたえを覚える瞬間、相手の体が消滅したのだ。


 これには肩透かしを食らった気分である。

 せめて骨の折れる音でも聞こえれば上々だったのだが、骨が折れると同時に実態が消えてしまえば聞こえるモノも聞こえない。


「どうだ? これからやっていけそうか?」


 ダニエルがやや声を小さくした。


「………分からない」


 フィリップはぼそぼそと答えた。


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