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3.レオン兄弟と人事の女

霊とは人間の心の残りカスだ。

だから人間の形をしている。


―――だが例外もある、と兄は言っていた。






 〈レオン兄弟社〉とは総合人材派遣会社である。

 『あらゆる場所にあらゆる人材を』をスローガンに、求職者と企業とのマッチングを行ったり、独自に契約している各分野の技術者を各所に派遣している。


 〈レオン兄弟社〉は新世界が始まる以前から続く超老舗企業であり、その前身が傭兵団〈レオン一家〉ということで、派遣技術者の中にはプロの殺し屋も含まれるという都市伝説が囁かれている。


「事実、新世界以前は〈レオン兄弟社〉は傭兵団であり、記録によれば警備保障会社でもあった」


 ダニエルはスチールのデスクに足を乗せてふんぞり返っていた。


「そうだったのか」


 フィリップは上の空で返事をする。


「新世界がスタートして色々とあって、今の人材派遣業を始めた訳だ」


「へぇ」


「だからこの会社で一番古い部門が〈傭兵部門マーセナリーズ〉になる」


「そうか」


「で、その次に古いのが俺ら〈特異部門ウィッチーズ〉」


「?」


 フィリップは疑問を覚えて我に返った。


魔女ウィッチーズ?」


「ああ、そうだ」


 ダニエルは鷹揚に頷く。


「この部門を立ち上げたのが〈兄弟社〉での最初の魔女、アレクシス・レオンだからだ。ちなみに当時はまだ共栄暦二桁だ」


「そんなに昔に?」


 フィリップは眉をひそめる。


 共栄暦とは新暦以前に使われていたこの国独自の暦である。

 現在でこそ暦は新暦で統一されているが、それ以前は各国が独自の暦を使っていた。


「だから代々、男だろうと何だろうとこの部門は魔女ウィッチーズと呼ばれている訳だ」


 ダニエルはそう言って、デスクから足を下ろした。


「ダニー……」


 フィリップはおもむろに口を開く。


「なんだ、弟よ?」


 ダニエルはややニヤつきながらフィリップの言葉を促す。


「……この部屋で、本当に仕事をしているのか?」


 フィリップは兄を見据えて問い掛けた。


「もちろんだとも」


 ダニエルは真っ直ぐにこちらを見て答えた。

 さも当然と言わんばかりの兄の顔に、フィリップは口元を引きつらせる。


 〈レオン兄弟社〉本社屋二階―――。

 そこにダニエルのオフィスである〈特異部門〉があった。

 所属している人数のせいか、小ぢんまりとした個室には応接セットとしてのテーブルとソファの他には棚とスチールデスクしかない。


 しかし、それは問題ではない。


 〈特異部門〉に所属しているのは部門長であるダニエルと、昨日バイト契約をしたばかりのフィリップの二人だけなのだ。

 ゆえにオフィスの規模が小さいことは自然なことである。


「だが、なぜオフィスの棚がフィギュアと雑誌に占領されているんだ?」


 フィリップは兄を睨み付ける。


「逆に聞くが、ガラスドアの棚に入れるモノって何だ?」


 ダニエルは目を細める。


「それは書類とか、」


「馬鹿野郎っ!」


 フィリップの言葉を遮って、ダニエルはデスクを殴りつけた。


「このご時世、書類でやり取りする案件がいくつあるんだ? お前は知らねぇだろうけど、ウチは基本的に電子申請の電子決裁だからな?」


「それでも職名の棚を私物化する理由にはならないだろうが!?」


「コレのどこが私物化なんだ?」


「どこもかしこもだが?」


 フィリップは唸るように指摘する。


 〈特異部門〉にある棚にあるのは、ダニエルの愛車内にあるフィギュアと同じシリーズのモノであり、ダニエルが定期購読している雑誌であった。

 加えて、デスクの上にもフィギュアが八体並んでいる。


「オフィスと言うよりは、兄貴の部屋と同じだ」


 フィリップは溜息交じりに言う。


「これでも片付けた方なんだが?」


 対するダニエルはしれっと言い返す。


「片付いてると言えば片付いているが……」


 フィリップは棚に納まるフィギュアを横目に、唸る。


 フィギュアはどれも整然と列を作っており、雑誌もよく見れば刊行順に並べてある。

 仕事には全く関係ないモノではあるが、仕事の邪魔にならないように配置されている―――と言えなくもない。


 こんな所で真面目に仕事をしていけるのだろうか―――?


 フィリップは昨日の決断を後悔し始めていた。

 昨日は会社のエントランスホールで履歴書を書き、契約書にサインしたのだ。

 ゆえに兄の職場がどんなものなのかは知りようが無かった。


 フィリップは溜息を吐いた。


 スチールのデスクは会社ならではのモノかもしれないが、ダニエルの迷彩柄のパーカーにスウェットという出で立ちのせいで“兄の私室”という感覚から逃れられない。


 しかしマトモな就労経験がないフィリップには、普通の会社がどんな場所であるのかはフィクションの世界を通してしか知らない。


「失礼しまぁす」


 ふいに若い女の声と共にオフィスのドアがノックされた。

 フィリップがドアと兄の顔を見比べると、ダニエルは渋い顔をしていた。


「ダニーいる?」


 部屋の主の返事を待たずに、ドアが開けられた。

 そうして顔を出したのは、声の通りに若い女であった。


 下手をすれば高校生にも見えるあどけない顔立ち。

 長い睫毛に縁取られたラベンダー色の瞳。

 ストレートのライトブラウンの髪は長く、真っ直ぐに切りそろえられた毛先は膝まで届いている。


 ブラウスにタイトスカート、そしてパステルカラーのカーディガンという出で立ちは会社員のようである。

 事実、女は首から社員証を入れているだろうパスケースを下げていた。


「何の用だ、デミルコル?」


 ダニエルが警戒心をむき出しに問うた。


「時間だから来たのよ」


 デミルコルと呼ばれた女はにこやかに応えると、長い髪をふわりとさばきながら応接用のソファに座った。


「依頼主はアリス・スチュアートだが?」


 ダニエルは女を睨み付ける。

 その顔に、フィリップは内心で嘆息した。


 いつも人の顔を見ては嘲笑うようににやにやしているのがダニエルである。

 そんな兄に警戒心を抱かせる女に、フィリップは好奇心を芽生えさせた。


「わたし、フルネームはイザベル・アリス・スチュアート・デミルコルなのよね」


 女―――イザベル・デミルコルはダニエルに向かってにっこりと微笑んだ。

 無邪気で可憐な笑みを前に、ダニエルは大きな舌打ちをした。


「クソババァめ……!」


「やぁね! ベルって呼んでって言ってるじゃないの!」


 ダニエルの悪態を聞いても、イザベルは無邪気で可憐な笑みを崩さない。


「あっ、初めまして! 人事のベル・デミルコルです!」


 よろしくね、とイザベルはフィリップに挨拶する。


「フィリップ・レオンです……」


 フィリップは唐突な挨拶に緊張しながらも、会釈する。


「ダニーの弟なんだってね? でも大分タイプが違う感じ」


「まぁ、よく言われます」


「何か困ったこととか手続きで分からないことがあったらわたしに言ってね? これ、内線の番号だから」


 イザベルはポケットからメモ帳を取り出すと、さらさらと何かを記してからフィリップに差し出した。


「はぁ……」


 フィリップはパステルカラーのメモを受け取り、目を通した。

 そこには『ベルに一番近い内線電話』という一文と共に番号が記されてあった。


「で、人事部門の人間がどうして一般人気取りで依頼を?」


 ダニエルがやや苛立ったように口を開いた。


「えと、名前の件はゴメンナサイ。部門の他の人にはちょっと知られたくなかったから……」


 イザベルは目を伏せ、肩を落とす。


「でも依頼内容は本当のことなの。だって、ダニーのことは信頼しているし」


 イザベルが上目遣いでダニエルを見る。

 ダニエルは不服そうに目を細める。


「………」


 フィリップは黙って事の成り行きを見守ることにした。

 しかし沈黙の時間は長くは続かなかった。


「どっちにしろ、引き受けちまったモノはしゃーないな」


 ダニエルは深々と溜息を吐いた。


「ありがとーっ!ほんと大好きっ!」


 するとイザベルは跳ねるように立ち上がり、ダニエルの方へと駆け出す。


「寄って来るんじゃねぇ、ババァ!」


 ダニエルは慌てたように立ち上がり、イザベルに向かって車輪付きの椅子を押し出した。


「ババァのくせに若作りすんな! 気色悪ぃ!」


「そんなこと言わないでよぉ! 童顔なの好きなんじゃないのぉ?」


 イザベルは自らに向かってくる椅子を受け流し、さらにダニエルに向かって走る。

 しかしダニエルも走り出していた。


「童顔は認められるかっ! 女は生理が始まったらババァだろうがっ!」


「ひどぉーい!」


 ダニエルとイザベルはオフィス内をぐるぐると走り回る。

 逃げるダニエルと追いかけるイザベルを眺め、フィリップは再び後悔の念を抱いた。


 もっとよく考えてから書類にサインするべきだった―――。






 地下駐車場にあるコバルトブルーのワンボックスカーに、三人の男女が乗り込んだ。


 運転席にダニエル。

 助手席にイザベル。

 そして、後部座席にフィリップ。


「えっ、かわいー! ちょうちょだー!」


「触ったらぶっ殺すぞ、ババァ?」


 ダッシュボードのフィギュアに目を輝かせるイザベルに対し、ダニエルは殺意さえ滲ませていた。


「分かった。見てるだけにする」


 しかしイザベルは素直にダニエルの言うことを聞いている。

 まだ若いというのに“ババァ”と呼ばれても表情を変えないイザベルに、フィリップはいよいよ確信した。


 このひと、アレだ―――。


「全く。依頼主の身辺調査もするべきだな」


 ダニエルはぼやきながら音楽プレイヤーを操作し、エンジンをかける。


「この歌なつかしーな」


 大音量で童謡を聞かされても、イザベルは動じていない。

 むしろハミングまでする始末だ。


「うるせぇぞ」


「はぁーい」


 ダニエルが凄めば、イザベルはハミングを止めた。


「ダニー、この人と何かあったのか?」


 フィリップは兄に向かって問う。


「それが何もないのよ、弟くん!」


 イザベルが答えた。


「ダニーのこと好きでいっぱいアタックしてるのに、なぁーんにも起きないの! なにかアドバイスある?」


 イザベルは真っ直ぐにフィリップを見詰め、小首を傾げる。


「えーと……」


 フィリップはちら、とダニエルを見た。


「一回死んで、ふたなり美少女として生まれ変わってからアタックして来い」


 ダニエルは真顔で吐き捨てた。


「わたしまだ死にたくなーいっ!」


 しかしイザベルは怒ったように頬を膨らませるだけだった。






 車を走らせること約一時間―――。

 コバルトブルーのワンボックスカーはオフィス街を抜け、閑静な住宅地に来ていた。


「この辺は来たくねぇんだよなぁ」


 運転しながらダニエルがぼやいた。


「どうして? この辺って結構人気高いんだよ?」


 助手席のイザベルがきょとんと首を傾げる。


「確かに中心街へのアクセスは良いし、ショッピングモールもがっつりリニューアルされたが、それでも土地の経歴が良くねぇんだよ」


 ダニエルは眉間に皺を寄せる。


「土地の経歴って?」


 イザベルが問うが、ダニエルは渋い顔をしたままで何も言わない。


「その、」


 フィリップは兄に代わって口を開いた。

 すると座席越しにイザベルが振り向く。


「今日はどんな依頼なんですか?」


 フィリップはここぞとばかりに気になっていたことを尋ねた。

 するとダニエルがハンッ!と鼻で笑った。


「えっと、わたしが依頼していいことかは分からないんだけど、ウチの近所のことだし、駄目元でダニーにメールしてみたの」


「一般客向けの依頼フォームに、偽名を使ってな」


 イザベルが苦笑して説明を始めると、ダニエルはわざとらしく合の手を入れる。


「…それで、ウチの近所の公園に、出るのよ」


 イザベルはやや口元を強張らせて言う。


「出る?」


 フィリップはイザベルの言葉尻を繰り返す。


「見たって人もそうなんだけれど、中には襲われたって人もいるらしいし、目が合ったら呪われるなんて噂もあるのよね」


「目を合わすだけで呪えるんなら、強力だな」


 ふいにダニエルが口を開いた。


「強い念を残して死んだか、はたまた雑多な怨念が合体したか……どちらにせよ、俺一人じゃ倒せないだろうな」


 そう言いながら、ルームミラーに映るダニエルの顔がにやりと笑う。


「そこ、右に入って」


「おう」


 イザベルの指示を受け、ダニエルはぐるりとハンドルを回転させた。






 到着したその場所は、公園と呼ぶには殺風景な場所だった。

 背の低い生垣に囲まれた正方形の土地には、隅の方に二人掛けのベンチが置いてあるだけである。


「昔はブランコと滑り台があったんだけど、老朽化とかそういうので全部撤去されちゃったんだよね」


 イザベルがしんみりと語る。


「このサイズ感、たまんねーんじゃねーか?」


 ダニエルはにやにやと笑いながらフィリップを見る。


「………」


 フィリップは憮然とした顔で公園を眺める。


 空地と言っても差し支えない公園には、立ち寄る者はいないらしい。

 新しい住宅が並ぶ地区であるせいか、散歩する老人はいない。

 加えて、学校帰りの子供の姿も見えない。

 犬の散歩をする者さえ、見かけない。


「平日だと、こんなに寂しい感じなのね」


 ぽつり、とイザベルが漏らした。


「というか、無意識に避けられているんだろうよ」


 ぼそ、とダニエルが呟く。


「それで、何をするんだ?」


 フィリップは兄に目を向ける。

 また昨日のように妙な呪文を唱えて、霊を出現させるのだろうか、とかすかな不安が胸に過ぎった。


「とりあえず、だいたい分かった」


「えっ?」「は?」


 ダニエルの答えに、イザベルとフィリップは同時に声を上げる。


「ここは昔、闘戯場とうぎじょうだったはずだ」


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