1.レオン兄弟と駆除作業
「小説家になろう」での初めての連載です。
一瞬だけであっても読んでいただければ幸いです。
新暦六六六年、悪魔帝国が復活する。
そして、この世界は崩壊する。
―――そんな訳、あるか。
フィリップ・レオンは目を瞬かせた。
無造作に伸ばされた黒髪。
不健康そうな青白い肌。
濃い隈の上にある灰色の瞳。
ダークブルーのミリタリージャケットを纏う細い体。
「あ、にき……?」
フィリップは恐る恐る口を開いた。
「出所おめでとう、弟よ」
そう言って彼の目の前に立つ男はにやりと笑う。
「……出所じゃない、退院だ」
フィリップはやや顔をしかめて兄の言葉を訂正した。
「同じだろ?」
兄―――ダニエル・レオンは肩をすくめた。
「ま、とにかく迎えに来てやったんだ。乗れよ」
ダニエルは自身がもたれ掛かる自動車のボンネットを叩いた。
コバルトブルーのワンボックスカーを一瞥して、フィリップは警戒心を強めた。
「どうして今頃来たんだ?」
フィリップは荷物が詰まったボストンバッグを持ち直す。
「今がその時だから、だな」
ダニエルは悪びれることも無く即答した。
「あのなぁ、」
フィリップは一言でも言い返してやろうと意気込む。
「ま、諸々はここで話すことじゃない」
しかしダニエルに言葉を遮られてしまった。
「乗れよ。いつまでも玄関前に駐めてたら邪魔になるだろうが」
「それはそうだが……」
フィリップは兄に反論を試みたが、丁度良い言葉が思い付かなかった。
「行こうぜ、兄弟? 途中でお前が好きそうな店を見つけたんだ。出所祝いに娑婆の飯でも奢ってやる」
「出所じゃない、退院だ。二回も言わせるな」
上機嫌で助手席のドアを開ける兄に、フィリップは顔をしかめて見せる。
しかしダニエルは人を見下した笑みと共に運転席に乗り込んだ。
フィリップは大きな溜息を吐いてから、助手席に乗り込む。
「よし、行くぞ」
ダニエルがカーステレオに接続した音楽プレイヤーを操作してから、エンジンをかけた。
大音量の童謡と共に、ワンボックスカーは総合病院から走り出した。
フィリップはちら、とダッシュボードを見た。
そこには全長五センチほどのフィギュアが、数えてみれば十体あった。
どのフィギュアも人の体に動植物や昆虫などが掛け合わされた姿をしている。
「これは?」
フィリップは運転している兄に問う。
「ん? 〈森の仲間たち〉だ」
「森の?」
フィリップは思わず顔をしかめた。
どこの森に両腕がカマキリのソレになっている少女がいるというのだ―――。
そんな指摘を口に出そうとすれば、ダニエルが語り始めた。
「〈森の仲間たち〉っていうシリーズでな。中央駅の裏口にしか販売機が置いてない超絶レアなカプセルトイだ」
「〈森の仲間たち〉って、普通はウサギとかクマとかじゃないのか?」
フィリップは運転席の兄に目を向ける。
ダニエルは得意げな顔で告げる。
「森は森でもルトガの森じゃない。今は無き〈恩恵の森〉だ」
「………」
フィリップは何も言わないことにした。
兄のオカルト趣味は今に始まった事ではない。
ただ、いい歳になってもこの世に存在しない物事を信じていることについては不安がある。
ひょっとして、精神的な疾患が―――?
「こういうのも、新世界創生直後だったら神への冒涜として制作者は勿論、所有者だって異端審問でゲェッ、とされた訳だ」
フィリップの心配をよそに、ダニエルはにやにやと目を細めながら舌を出す。
「新世界、か」
フィリップは溜息と共に呟いた。
新世界―――。
それは聖ラプルニャ教会によって“人間が人間らしく生きられるようになった世界”を示す。
新世界以前の世界は人間と人外異形の存在とが隣人同士として生きており、魔法や呪術がはびこっているせいで“悪魔に魂を売り渡す人間”が後を絶たなかったそうだ。
しかしながら、現在は新暦六六〇年―――新世界が始まって六〇〇年以上が経過した。
ゆえに悪魔も精霊も幽霊も、現在では空想上の存在に等しい。
「それよりも、」
フィリップは溜息を吐いてからダニエルに問う。
「どういう風の吹き回しなんだ、ダニー?」
フィリップが知る兄は、弟が交通事故に遭っても見舞いに来ることはない。
まして退院した日に車で迎えに来ることもない。
むしろバスを乗り継いで帰宅した弟に対して、ビールとスナック菓子を買ってこいと言うはずだ。
「なんだよ? 出所した弟を兄貴が迎えに来るってのはそんなにおかしいことなのか?」
ダニエルは片眉を跳ね上げる。
「いいや、それはおかしくない」
フィリップはまず、渋い顔で首を振った。
「それと俺は出所したんじゃない、退院だ」
次にフィリップは兄の言葉を訂正しておく。
「あと、俺の見舞いに来なかった兄貴が退院した日に迎えに来るのはおかしい。しかも飯を奢るってことも。何か裏があるなら今の内に言ってくれ」
フィリップが疑念を口に出せば、ダニエルは軽やかに口笛を吹いてから答えた。
「俺の仕事を手伝え、フィリー」
コバルトブルーのワンボックスカーは、市街地にある建物の前に駐車した。
没個性的な印象の、直方体のアパートである。
「一昨日、相方が退職してな」
ダニエルはワンボックスカーから降りながら言う。
「お前、体力はあるだろ?」
「病み上がりだが?」
ダニエルの問いに、フィリップは即座に言い返した。
「入院中は寝てばっかりだったから、体を動かしたくてウズウズしてるんじゃないか?」
「いや。リハビリが結構きつかったが?」
「ま、ヒマしてんだから手伝え。バイト代も出すし」
「いくらだ?」
「それは事務方の出方次第だな」
ダニエルが肩をすくめると、フィリップは口をへの字に曲げる。
「……仕事内容は?」
フィリップは兄の出方を窺おうと、質問する。
「ちょっとした駆除作業だな」
ダニエルはにやりと笑って、足を進める。
フィリップは溜息を吐いてから、兄の後を追う。
病み上がりとはいえ、元から体力には自信がある。
入院中のリハビリは厳しかったが、体を動かすことは苦にならない。
用事も予定もないため、暇である。
フィリップには兄の提案を断る理由が無かった。
少なからず嫌な予感はするが、暇が潰せる上に多少なりとも金がもらえるのだ。
ここは承諾しても良いだろう―――。
フィリップはダニエルの真意を探るのを諦め、その細い背中に向かって溜息を吐きながらアパートへと入った。
ダニエルがアパートの管理人室に顔を出すと、管理人と思しき老人はダニエルに鍵を手渡した。
「よろしくお願いします」
「承知しました」
事前に打ち合わせをしていたらしく、挨拶をしただけでダニエルは管理人室を後にした。
兄と共にエレベーターに乗り込んでから、フィリップは口を開く。
「一体、何の駆除なんだ?」
「それはサプライズだ」
フィリップの問いに、ダニエルはにやりと笑って見せる。
「〈兄弟社〉で駆除の仕事はしていなかったんじゃないのか?」
フィリップは続けて問うが、エレベーターのドアが開いた。
「してたさ」
ダニエルは軽い調子で答え、エレベーターから下りる。
「ただマイナー部門だからな、俺の部門は」
「そうなのか?」
フィリップは兄の役職を思い出そうとした。
だが思い出したのは、兄の役職はおろか、仕事内容について尋ねた記憶がないことだった。
「一応、社内では二番目に古い部門ではある」
ダニエルは言う。
「それでも時代は新世界だからな。大っぴらには出来ない部門でもある」
「じゃあ、今日の駆除作業は……」
フィリップは顔をしかめる。
大っぴらに出来ない部門による駆除作業のバイト―――。
あまり気分の良いものではない。
「おっと、ここか」
ふいにダニエルが足を止めた。
ダニエルは鍵に付けられたプレートの番号と表札を見比べると、ごく自然な動作で開錠した。
「ダニー?」
「ちーっす」
戸惑うフィリップを置いて、ダニエルは友人宅に入るようにアパートの一室に足を踏み入れた。
「ダニー、もう少し説明してくれ」
フィリップはやや語気を荒げた。
「説明するよりも見た方が早い」
ダニエルは回れ右をして、フィリップに向き合った。
「フィリー、今の気分は?」
ダニエルは首を傾げる。
「は?」
フィリップは眉を寄せる。
「ま、その顔色だったら大丈夫だな」
「だからどういうことなんだ?」
「見てな」
説明を求めて食い下がろうとするフィリップに対し、ダニエルは小さく首を振った。
とりあえず黙ってろ―――。
そんな声なき言葉を感じ取り、フィリップは口をつぐむ。
しかしダニエルを見ているだけで状況が理解出来るとは思えず、室内に目を向ける。
この一室に、住人はいないようだった。
風呂とトイレとキッチンが完備されたワンルームには、フィリップの目には駆除するべきモノがあるようには見えなかった。
やや湿度が高いような気がするが、それを除けば小綺麗な一室である。
「セレ、セレ、セレ」
ふいに、ダニエルが口ずさんだ。
「ダニー?」
見れば、兄は真面目な顔をして呪文めいた言葉を唱えている。
フィリップは急に緊張を覚えた。
ダニエルが真面目な顔をする場面は限られている。
定期購読している雑誌を読んでいる時。
カプセルトイの販売機のハンドルを回す時。
この二つの場面以外に、ダニエルが真面目な顔をすることはないはずだ。
「ガニ、リキ、ヨエ、キヨウエ」
ダニエルは両手を広げ、呪文を唱えている。
「ケンヌシャ、ガニ、ケン、キヨウエ」
ダニエルは虚空を仰ぎ、呪文を唱えている。
「シムシャ、シオ、ヨエ、キヨウエ」
ダニエルは同じ呪文を二回唱え、手を二回叩いた。
「っ!」
フィリップは息を呑んだ。
「うっ……ううう………ああああああ………」
気付けば、ダニエルの前で女がうずくまっていた。
蛍光色のメッシュを入れた茶髪。
黒いキャミソール・ワンピース。
耳にはシルバーのピアスが複数。
二の腕には光輪をいただいた髑髏のタトゥ。
兄弟の目の前で、二十代と思しき女が肩を震わせて泣いていた。
「ばかやろおおおおお……あんな女のどこがいいんだよおおおおお……」
女は大粒の涙を落としながら、床を叩いている。
「だ、ダニー?」
フィリップは女を凝視しながら口を開く。
「こ、この人は一体、だれなんだ……?」
「知らん」
動揺を隠しきれないフィリップに、ダニエルはきっぱりと言い放った。
「ま、コレを今から駆除する訳だ」
「は?」
さらなるダニエルの発言に、フィリップは声を上擦らせた。
先程まで存在しなかった女―――。
ダニエルが呪文を唱えた瞬間に姿を見せた女―――。
フィリップの脳裏にある可能性が浮かんだ。
「幽霊駆除ってやつだな」
その可能性を裏付けるかのように、ダニエルが言った。
「はぁあっ!?」
フィリップは思わず声を上げた。
「えっ?」
フィリップの声に、突如として出現した女が反応した。
「え? なに? なんなの?」
メッシュの女はおろおろと二人を見比べる。
フィリップも女と同じ思いでダニエルを見る。
「とにもかくにも、アレだ」
ダニエルは、フィリップに向かってにやりと笑って見せた。
「幽霊を駆除するのが、俺の仕事って訳だ」
フィリップは呆然と兄と女を見比べた。
にやにやと笑っている不健康そうな男。
涙で顔中を濡らしている忽然と姿を現した女。
どちらも生きた人間にしか見えない。
しかしダニエルに言わせてみれば、女は幽霊であり、駆除する対象である。
「ちょっと待ってくれ」
フィリップはこめかみを押さえた。
「待たない」
ダニエルは即座に言い返した。
「俺が霊体を物体にしておけるのは十分が限度だ。とっとと駆除しないとな」
「駆除って、」
「お前は喋んな」
女が口を開いた途端、ダニエルは足を振り上げた。
「ぎゃっ!」
ダニエルは無造作な動きで女を蹴り飛ばした。
女はなす術もなく、もんどり打つようにして床に倒れ込む。
「いいか?十分は意外と短いぞ?」
そう言って、ダニエルは自身のベルトを外し始めた。
「何をする気だ…?」
フィリップは顔をしかめる。
「新世界じゃあ、牽引ロープやデカめの刃物を持ち歩いていると警察があらぬ疑いをかけて来るんだよ」
ダニエルは淡々と説明しながら、頭を押さえて呻いている女に跨る。
「ベルトだったら、怪しまれないだろ?」
ダニエルはひょい、と女の首にベルトを引っ掛けると、そのまま一気にベルトを引き締めた。
「うぎぃっ!」
女が呻く。
「悪いな。だが先に手を出したのはお前だから、自業自得だぞ?」
ダニエルはにやにやと笑いながら女に語り掛ける。
「だ、ダニー……」
フィリップは兄の名を口に出すが、そこに言葉を続けられなかった。
何もかもが唐突に始まり、フィリップの理解を待たずに次の展開へと進んでいくのだ。
幽霊駆除―――?
普通は神父だか牧師だかが、聖書を読みながら水や塩を撒くんじゃなかったのか―――?
フィリップは困惑しながらも、首を絞められている女から目が離せなかった。
「ご……お、す……」
女は充血した目でフィリップを睨み付けた。
口を開閉させながら何かを言おうとしているが、ベルトが首に食い込んでいては満足に話せない。
「あ……だ……たす、…………」
女が眉をひそめた。
顔を真っ赤に染めながら、どこか懇願するような目でフィリップを見ている。
「だ、ダニー、彼女が何か言いたそうにしている」
フィリップはやっとの思いで言葉を紡ぎ出した。
「知るかよ」
だがダニエルは一気に女の首を締め上げ、とどめを刺した。
女は最後に苦悶の声を上げ、そのまま“絶命”した。
「駆除は終わりましたが、一週間ほど様子を見てください。八日以内に何かあれば無料で追加の作業をしておきます」
「はい、ありがとうございます」
ダニエルが管理人と話をしている間、フィリップは吐き気を堪えていた。
たった今、目の前で女が殺されているのだ。
しかもその下手人は血の繋がった兄である。
たとえ性格が悪くとも、幼い頃から親しんでいる人間なのだ。
しかしダニエルが罪に問われることはないだろう。
女は絶命すると、跡形も無く消えてしまったのだ。
それはあたかも、女が幻の存在であったかのようだ。
「さ、行こうぜ、弟よ」
ダニエルはいつものように、他人をあざ笑うような笑みを浮かべている。
「ダニー、さっきのはどういうことなんだ?」
フィリップは声を抑えて問う。
しかしダニエルは声を上げて笑う。
「お前、まだユーレイが怖いのかよ?」
「なっ」
フィリップが思わず絶句していると、ダニエルはゲラゲラと笑って言い放った。
「だっせ!」