セーバの街の調査 〜ヤタカ視点〜
私の名はヤタカ。
おひいさまの侍女をしている。
場所は公爵邸。
おひいさまは、先程街の道具屋で買ってきた羅針盤と幾つかの道具類に夢中だ。
テーブルの上には、先程まで羅針盤と呼ばれていた物の部品が散乱している。
「ヤタカ、わたくしは決めました。
しばらくこの街に滞在します。
このような技術、一研究者としても、為政者としても看過できないわ!
このような素晴らしい技術を放置しては、倭国はあっという間に他国から置いてけぼりを食ってしまうでしょう。
これは技術立国たる倭国の根幹に関わる問題です」
もっともらしい事を宣うおひいさまの言に、私は国におられるやんごとなきお方の姿を思い浮かべ、酷い頭痛を覚える。
そして、どうせ無理だと諦めながら、ささやかな抵抗を試みる。
「これ以上ご帰国が遅れては、皆(あの方)が心配なさいますよ。
羅針盤を購入して帰り、国で研究するのでは駄目なのですか?」
私の言に、この人は何も分かっていないといった顔で溜息をつくおひいさま。
溜息をつきたいのは、こちらの方だ。
「いい? ヤタカ。
これは羅針盤だけの問題ではないの。
この街の技術は凄いわ!
何が凄いって、何十個もの精巧な部品を組み合わせて、1つの道具を作り出すって発想がまず凄いのよ!
普通なら、こんな小さな道具くらい、成形の魔法で1度に作ろうとするわよ。
でも、それだとこのスムーズな動きは出せないし、ここの弾力性も足りなくなる。
ここも金属の種類を変えることで使いやすくなってるわ」
確かに、普通の道具なら多くても3つ、4つの部品を組み合わせるのが精々で、こんなに多くの部品を複雑に組み合わせて作ったりはしない。
そんなことをしなくとも、魔法で1度に成形してしまった方が余程簡単だ。
1度に魔力が通らないような大きな物を作るならともかく、片手で持てるような小さな道具を作るのに、わざわざ作業工程を分ける必要性がない。
でも、おひいさまの話だと、一見技術の無駄遣いともとれるこの構造は、とても革新的なものらしい。
「異なる魔道具や道具を組み合わせて、全体として別の働きをさせるという発想は倭国にもあるわ。
“カラクリ”が正にそれね。
でも、こんな風に板一枚、留め具一つまで細かくして組み上げるという発想は倭国にもなかったわ。
それに、この変わった釘……ネジというのも凄いわ。
これを使うだけでも、船の強度はかなり上がると思う。
でも、こんな細かな溝を正確に刻める魔術師なんて、多分私でもできない。
いや、勿論何度もやり直して練習すれば……そうか!
だから、違う道具でも使われているネジの大きさは統一されているんだ。
いくら複雑な構造でも、同じ成形を何度も繰り返せば当然精度は安定する。
一人の職人が全ての部品を一人で成形して組み上げるんじゃなくて、各部品ごとに専門の職人に作らせて、それを一つに組み上げるという方法をとれば……。
それなら、職人が育つのも……。
材料のロスも抑えられて……。
でも、それだと職人の技術に偏りが……」
ああなってしまっては、おひいさまは当分帰ってこない。
今までの様子から見て、この屋敷の人間がおひいさまに危害を加える心配はまずないだろう。
私はおひいさまを一緒に連れて行くのは諦めて、他の者たちの報告を聞くために公爵邸を後にした。
向かったのは、船の乗組員達に充てがわれた宿の、船長の部屋。
そこには既に、船長他10人程の船員が集まっていた。
「では、報告を聞きましょう」
ここに集まった者達は、船員であると同時に、おひいさまの護衛部隊の主要メンバーでもある。
彼らには、この街や公爵家について、事前に調査をさせていた。
公爵である領主自らが港までわざわざ出迎えに来たことや、商業ギルド長だけでなく、ただの送迎船の責任者であるおひいさままでが公爵邸に招かれたことを考えると……。
こちらの正体に気付いている可能性は非常に高い。
ただ、我々の船が商業ギルドの一行を送り届けることになったのは全くの偶然で、しかも急な話だった。
だから、事前にこちらのことを知っていて、準備を整えていたとは考えられない。
恐らく、あの商業ギルド長と同じ理由で、あの船とおひいさまの名前から、こちらの正体に辿り着いたのだろう。
商業ギルドの特許リストを管理するギルド職員ならまだしも、まさか、ただの他国の貴族の娘が、一瞬でそれに気付くとは思わなかった。
いや、この街にある数々の奇妙な魔道具の発案者であれば、それも十分あり得る、か……。
ともあれ、こちらに対して何か危害を加えようとする素振りは見られない。
こちらの正体に気付いても、それをあからさまに公言するような配慮に欠ける娘でもないようですし……。
今は様子見で良いでしょう。
もっとも、このままおひいさまがこの街に滞在し続けることになれば、そうも言ってはいられませんが……。
私は、一旦おひいさまの事を頭の隅に避けて、部下達の話に耳を傾けます。
「はい、結論から言えば、基本的にはこの街は非常に安全と言えるでしょう。
お嬢、おひいさまに危害を加えそうな者は存在しません。
怪しい動きをする者も見当たりませんし、裏組織のようなものもないようです。
これは、まぁ、この街ができたばかりというのが大きいんでしょうが、遊郭すらありませんから、キョウの都より余程健全です。
もっとも、この街の至るところに存在する魔道具は、おひいさまにとっては大変な猛毒でしょうが……」
「それについては、もう手遅れです。
おひいさまは既にこの街に居座る気満々ですよ。
ああなっては、おひいさまがこの街の技術に一通り納得されるまで、待つより仕方がありません。
実際、たとえ単なるおひいさまの言い訳であったにせよ、この街の錬金技術や魔道具が、我が国にとっても見逃せないものであることは確かです。
倭国でのみ生産可能とされる神鉄(鋼鉄)が、こうも街に溢れているのです。
しっかりと調べる必要はあるでしょう」
私はそこで一旦言葉を切ると、改めて船長、いえ、護衛隊長に向き直ります。
「では、“基本的”でない部分についてはどうですか?
おひいさまへの危険は一切ないと言い切れますか?」
“基本的には”この街は安全と言う物言いに対して、私は確認を取ります。
「……ヤタカ様もお聞き及びかと思いますが、この街にあるセーバリア学園。
その学校施設の一部と公爵邸については、情報不足のため確実なことは申し上げられません」
申し訳なさそうに護衛隊長は言っていますが、これはただ事ではありません。
「それは、つまり、うちの影が侵入できなかったということですか?
王宮ではないのですよ?
公爵家とはいえ、ただの地方領主が管理する建物に、倭国の影が手も足も出せないと?」
「不甲斐ないことですが、その通りです」
ある意味、私にとってはこの事実こそが、この街に来て一番の驚きです。
ビャバール商業連邦が、世界中に張り巡らせた“商業ギルド”という広範囲の情報網を武器に情報戦を戦うのに対して、我が国は“影”と呼ばれる密偵達の個々の情報収集能力によって、この情報戦を戦い抜いてきました。
そして、今回同行している影は、我が国でも一流の者たちです。
そのような者達が全く近づけないなど、普通は考えられません……?!
「おひいさまの警護はどうなっているのです!?
公爵邸に潜れないのであれば、今、おひいさまは一人ということですか!?」
その事に思い至り慌てる私の言葉を、護衛隊長が即座に否定します。
「いえ、今もおひいさまには、うちの影が付いています。
正直、あまり意味はありませんが……」
安心させておいて落とす、このやり口!
護衛隊長は私に恨みでもあるのでしょうか?
「どういう事ですか?」
私の質問に、護衛隊長はまた悔しそうに答えます。
「今現在、公爵邸のおひいさまやヤタカ様がお泊りの客室、お二人が立ち回られる場所については、公爵邸の密偵と思われる者の気配は全く感じられません。
通常の警備はされているようですが、うちの影も問題なく近づけます。
ただし、それ以外の場所に一歩でも立ち入ろうものなら、どこからともなく警備の者が現れたり、魔力による威嚇を感じたりします。
結局のところ、こちらの影の動きを完全に把握した上で、客人であるおひいさまの護衛として、侵入を見逃されているということでしょう。
もし、相手にその気があれば、こちらの護衛も含めて、いつでもおひいさまの命を奪うことができるということです」
その事実に、一瞬頭が真っ白になりそうになりましたが、何とか冷静さを保ちます。
結局のところ、私達がこの街にやって来た時点で、既に状況は決定していたということです。
そして、今に至るまで、相手はこちらに全く危害を加えてこないのですから、元々こちらをどうこうする気はないと考えて良いのでしょう。
おひいさまの身分には気付いているようですから、その気があるなら、とっくに軟禁くらいしているはずです。
それをしない以上、当面こちらの安全は保証されていると考えて問題ないでしょう。
「わかりました。
先程も言った通り、おひいさまはしばらくこの街に留まるようですから、皆もそのつもりで動いて下さい」
私は今後の動きについての打ち合わせを済ますと、今も大蛇の口の中で呑気に趣味に没頭してるであろうおひいさまの元に、慌てて帰るのでした。




