王都の騒動 〜商業ギルド長視点〜
(王都商業ギルド長視点)
まったく、あのお嬢様は、またとんでもない物を……。
テーブルの上に置かれた羅針盤を眺めて、溜息をつく。
昨日の午後にお嬢様が持ち込んだ特大のファイアボール。
これ一つでこの国の、下手をすればこの世界の商業地図が、丸ごと描き変わってしまうだろう。
今までも、船による海上輸送は行われていた。
大量の荷物を陸路よりも速く輸送することのできる海上輸送は非常に魅力的だ。
だが、それには大きなリスクがつきまとう。
船が無事に着けば良いが、もし遭難でもしてしまえば被害額は莫大だ。
大量の積荷だけでなく、船や船員達まで失うことになる。
だから、海上輸送は商人たちの間では一種のギャンブルと捉えられていた。
それが、もし陸上輸送並みの安全が確保できるとしたら?
今まで海上輸送に手を出さなかった多くの商人が、こぞって船を利用し始めるだろう。
それによって幾つかの港湾都市は繁栄し、同時に内陸の幾つかの交易都市は衰退していくことになる。
この国で言えば、ザパド、クボーストだな。
ザパドはまだこの国全体への流通の中継地として生き残れる可能性もあるが、クボーストは駄目だ。
セーバと、港湾都市バンダルガが船で結ばれてしまえば、クボーストは逆に連邦から最も遠い街になる。
レボル商会の本店移転の話を聞いた時には、随分と思い切ったことをと思ったが、今の状況を見据えての話なら、むしろ迅速で賢明な判断と取れなくもない。
それもこれも、本当にあのお嬢様が言う通りに、セーバの町が港湾都市に発展できればの話だが……。
「ギルド長、大変です!
すごい数の商人達が、昨日の陛下の晩餐会で出されたお酒について、問い合わせに来ています。
その他にも、複数の貴族からの直接の問い合わせもあって……。
職員だけでは対応できません!」
「ん? 何のことだ?
晩餐会の……酒?!」
私は羅針盤の隣の、昨日のままに置かれている3本の酒瓶を見る。
確か、この酒を陛下の晩餐会で出すから、それまで飲むなとか……。
「おい、グラスを持って来い!
……あと、水差しもだ!」
訳が分からないといった顔をしながら、報告に来た職員がグラスと水の入った水差しを持ってくる。
私はお嬢様が置いていった酒瓶の1本を手に取り、その場で封を切る。
栓を開けた瞬間、部屋に立ち込める甘く芳醇な香り。
私は少量をグラスに注ぎ、その琥珀色の液体に目を眇める。
透明で、エールのような濁りが見られない。
本当に大麦か?
鑑定魔法の結果では、“濃い大麦の酒”と出た。
だが、色は逆に透明だ。
まったく“濃い”ようには思えない。
酒精が強いとは言っていたが……。
少し口に含んだ瞬間、今までに味わったことのない独特の甘さと共に、舌の先に痺れを感じる。
毒か!?
いや、鑑定魔法を事前にかけている以上、毒であることはあり得ない。
それだけ、酒精が強いということか?
今度は、お嬢様が言っていた通りに、水で薄めて飲んでみる。
…………美味い。
なんだ、この酒は?
ワインともエールとも全然違う。
かろうじて近いのが倭国の清酒だが、あれは確かコメという作物が原料だったはずだ。
大麦でこんな酒が作れるのか?
こんな酒を売り出せば、皆が欲しがるに決まっている……!
だから、あのお嬢様は、昨日のうちに慌てて王都を発ったのか。
この事態を読んでいたとは、どこまで計算しているのやら……。
羅針盤に加えてこんな酒まで出されたら、本部も間違いなくギルド支部をセーバに置きたがるだろう。
エールと違って長期保存もできるらしいから、それこそ世界中で売れるぞ。
…………!!
「おい! 魔鳥の準備をしろ!
荷物も運べるやつだ、急げ!
宛先は商業ギルド本部、大至急だ!」
私は職員に指示を出すと、大急ぎで商業ギルド本部宛に、今回の経緯と羅針盤やウィスキーについての説明を書いた報告書を書き上げる。
間に合えばいいが……。
魔鳥便による荷と手紙の発送を終え、私は漸く一息つく。
窓口ではまだ職員がウィスキーの問い合わせに追われているが、商業ギルドにも公爵家が扱っている酒だという以外の情報はないと対応は指示してある。
恐らく、ウィスキーは早ければあと数日のうちに、国外に持ち出せなくなる。
あのお嬢様がどの程度の量のウィスキーを売るつもりなのかは不明だが、恐らく国内の貴族や平民の富裕層が欲しがる量を出すのが精一杯だろう。
どうせ、売った先から買い占められるに決まっている。
もちろん、商人の中にはウィスキーを連邦に持ち込んで、より高い値段で売ることを考える者もいるだろうが、恐らくザパド侯爵がそれを許さない。
完全に輸出を禁止する権利はザパド侯爵にはないが、クボーストを通る荷に通行税をかけることはできる。
ウィスキー1瓶に金貨数枚の通行税をかけられれば、そうおいそれとは国外には持ち出せなくなるだろう。
今ならまだ問題無いとは思うが、のんびりしていては、ザパド、クボーストを経由する魔鳥便にも通行税をかけられることになる。
それでギルド本部への報告が遅れるようなことになれば、それこそ大失態だ。
ともあれ、今できることはした。
後は、今後のセーバの動向に注意を払いつつ、様子見といったところか……。
私はテーブルに置かれたままの飲みかけのウィスキーを一息に喉に流し込むと、貴族から届いたウィスキーに関する問い合わせの手紙に返事を書き始めた。