試合
私からの提案に少し考えたアルトさんは、あっさりと試合の許可を出した。
「ええ、構いませんよ」
「なっ!?」
何でもないことのように許可を出すアルトさんに、驚くレオ君。
「この馬鹿に格の違いというものを教えてやって下さい。
どうせ何の役にも立っていませんから、腕の2、3本折ってしまっても構いませんよ」
「いや、さすがに怪我させるのは……。
一応、魔法無効化の魔道具もありますから、大事にはならないかと」
「わかりました。
ですが、本当に当家としては、この試合で愚息がどうなろうと、その事にとやかく言うつもりはありませんので」
これは、アルトさん、相当レオ君のこと怒っている?
まぁ、あの態度も、実際主家に対する騎士の態度じゃないしね。
レジーナの件じゃないけど、処罰されても不思議じゃない案件だ。
私が切り捨てると言うのなら、それもやむを得ないということなんだろうね。
アルトさんと話し合った結果、魔法無効化の魔道具は一応使用するも、出力は最小限に抑える。
武器は使わず基本は徒手空拳で闘い、魔法は相手に怪我をさせない程度に抑えるということに決まった。
そんなことできるのかって?
できるんですよ、これが。
この世界の魔法は、自分の魔力に術者が呪文で指示を出すことで現象を引き起こす訳だけど、魔力は基本術者の指示通りに動いてくれる。
だから、呪文で作り出した炎は、術者の望まないものは燃やさないのだ。
つまり、相手に魔法をぶつけても、実際に相手を燃やす意志を籠めなければ大丈夫ということ。
そうは言っても、うっかり燃やそうと考えてしまえば実際に燃やしちゃうわけで、危険なことに変わりはないんだけどね。
レオ君は知らないけど、アルトさんは私が実はきっちり魔法も使えることを知っているから、その辺はあまり心配していないらしい。
魔法でも格闘技でも、私がレオ君に負けることなど万に一つもないと考えている様子。
私が信用されているのか、息子に信用がないのか、レオ君も不憫な子である。
「おれは魔法は使わない。
魔力の少ない奴を魔法で一方的にいたぶるようなことはしないからな。
殴ったりもしないから安心しろ」
そんなレオ君の言葉で試合は始まった。
お優しいことで。
殴らず魔法も使わず、どうやって相手を倒すつもりなんだろう?
どうせ、組伏せて降参させればいいとか、考えているんだろうなぁ。
この町には私以外には貴族の子もいないし、武術や攻撃魔法の使える平民の子がいるとも思えない。
自分が引きこもりの年下の女の子に負けるなんて、考えてもいないのだろう。
まして、魔力の低い貴族失格の子供になんてねぇ……。
こちらを睨みながら、棒立ちになっている無防備な体に、私は上半身をぶらさない摺り足の歩法で、一気に距離を詰める。
動くための予備動作の見られないこの歩法は、相手に自他の距離感を錯覚させる。
突然、目の前に現れた私に、レオ君が慌てて後ろに下がろうとするが、もう遅い。
レオ君の胸の辺りに向かって、私は太極拳の双按を打ち込む。
私の両掌からじわりじわりと伝わっていく力は、次の瞬間、レオ君を背後の壁に背中から叩きつける。
うわぁ、後頭部とか打たなかったかなぁ。
そんな心配が頭を過るが、多分大丈夫だろう。
壁からの衝撃も、魔法で打ち消されているはずだ。
改めて、壁の前で両手をついて咳き込んでいるレオ君を見る。
本当は思いっきり驚きの感情を表現したいのに、思うように声が出せなくてパニックになっている感じだ。
何か言おうとしているけど、言葉にならないらしい。
しばらくそのまま様子を見ていると、ようやく咳の治まったレオ君が、こちらをすごい目で睨みながら立ち上がる。
「なんだよ! 今の!!」
「え~と、太極拳の双按って技かな」
素直に教えてあげた私を、更に睨んでくるレオ君。
「なんで無効化の魔法が効かないんだよ!
お前、なんかズルしただろ!」
うわ~、負けた現実を受け入れられなくて、原因を周りのせいにしたか……。
多少気に入らなくても、女の子に手をあげるなんて、みたいな紳士な態度だったけど……。
まあ、所詮子供だしね。
そんなことを考えていると、アルトさんからフォローが入った。
「あれは相手の表面に打撃を与える技ではなく、体の内側に力を伝えて内臓を攻撃する技だ。
力はゆっくりと浸透していくから、魔法無効化の魔道具は働かない。
私も似たような技を知っているから間違いない。
ズルでも何でもない。
実力だ」
父親にそう言われて、怒りを抑えるように床を見つめていたレオ君。
「もう手加減はなしだ!」
私の方を睨むと、そう叫んで、こちらに突進をしかけてきた。
やれやれだ。
片足を引き、半身になってレオ君の体を捌きながら、私の横を通り過ぎる背中を軽く押してあげる。
そのまま前につんのめって転ぶレオ君。
素早く立ち上がると、今度は突進することはせず、私に近づいてくる。
拳を振りかざして全力で殴りかかってくる前に、私はさっさと距離を詰め、スピードの乗る前の腕に軽く触れる。
そのまま私に向かって突き出された拳は、私の横へ。
大きく体勢を崩した状態で、見当違いの方向に突き出される。
崩れた体勢は私の添えられた掌によって更に加速され、勢いよく回転しながら私の足元に転がった。
床にぶつけたダメージはないようだけど、少し足元がふらついている。
勢いよく回転させられて、目でも回したかな。
なんとか立ち上がったレオ君。
もう涙目である。
なんか、小さい子を苛めているみたいで、罪悪感がよぎる。
実際は、私よりも年上の男の子だから、私は悪くないんだけどね。
でも、小さな男の子が涙目でこちらを睨み付けてくるの、ちょっとかわいいかも……。
いかん、いかん!
そんな事を考えていると、私から少し距離を取った位置で、何やら集中し始めるレオ君。
もしかして、魔法を使おうとしている?
そして、紡がれる、魔法の呪文。
やがて、レオ君の頭上に浮かび上がる、自分の身体ほどの大きさの大きな炎。
目は、相変わらずこちらを睨み付けたまま。
これは、手加減する気ないね。
燃やす気満々って感じだ。
慌てて止めに入ろうとするアルトさんを片手で制して、私も素早く呪文を呟いた。
何なんだ、あいつは!
いつも大人みたいな顔をして、偉そうで!
塔で賢者様みたいに本ばっか読んでて……。
おれよりも年下だし、魔力も低くて王都では苛められるから、おれがやさしくしてやろうって思ってたのに……。
レジーナにもひどいこと言ってたくせに!
レジーナも大人になったらおれが守ってやろうって思ってたのに……。
勝手にレジーナと仲良くなって!
おれのこと無視して!
もういい!
死ね!!
その感情のままに、目の前の女の子に向かって炎が自分の手を離れていく。
「あっ!」
子供なら誰でもある短絡的な思考。
『バカ、死ね!』
誰でも小さな子供の頃は、一度や二度は感情のままに使ったことのある言葉だろう。
誰も、本気で相手に死んで欲しいと思っているわけではない。
ただの勢いだ。
でも、そんな一時的な感情に素直に反応してしまうのが、魔力というもので……。
まあ、想定の範囲内だけどね。
相手は子供なんだから、試合で興奮すれば、感情を抑えきれなくなることもあるだろう。
子供の言うことを一々真に受けていたら、子供相手の仕事などできないのだよ。
炎が解き放たれる瞬間。
『しまった! やっちまった!』という顔をするレオ君。
私は自分の正面、迫り来る炎の前に円を描く。
瞬間、私の正面には薄く金色に煌めく鏡のような膜ができ、炎はその鏡に吸い込まれるように消えていった。
静寂につつまれる実験場には、呆然と立ちすくむレオ君と、やりきった感のある私の姿があった。
「で、まだやる?」
問いかける私に、ちょっと前の様子が嘘のように、憑き物の取れたような顔をしたレオ君が、首を横に振る。
「いや、もういい。
負けました」
潔く負けを認めたレオ君は、私の方に近づいてくると、今度はもじもじした様子で、謝罪なんだか言い訳なんだか分からないことを一生懸命しゃべり始めた。
色々言っていたけど、要は『私のことを舐めていて申し訳無い。これからは真面目に仕えるから、よろしく頼む』ということ。
途中話を聞くのが少し面倒になってきたところでアルトさんが強引に話をまとめ、レオ君はこれからは態度を改め真面目に私に仕えるということで話は丸く収まった。
そう言えば、前世で家庭教師をしていた時に、反抗的でなかなか言うことを聞いてくれない男の子に、軽い威嚇のつもりで手首捻ってやったら、それから妙に素直に懐いてくれた子がいたなぁ。
男の子って、そういうものか……。
そんなことを思い出しつつアルトさんと並んで、後ろにレジーナとレオ君を従えて、私はお屋敷に帰っていったのだった。