二人の側近候補
レジーナが私の側近となって、もうじき3ヶ月になる。
季節1つ分くらい。
この間、レジーナは本当にがんばってくれている。
午前中は大体サマンサ指導の元、侍女の仕事を叩き込まれている。
午後になると塔の方にやって来て、今度は私から助手という名目での教育を受ける。
私の資料整理を手伝わせながら、同時に四則演算や資料の数字の見方等についても教え込む。
この国はとにかく数学が未発達なので、前世の感覚で計算仕事を頼むと、非常にイライラさせられることになるのだ。
例えば、1000MPの魔力があったら、1回に200MP必要な魔法を何回使えるか?
こんな、日本なら子供でもできてしまうような計算が、大人でもできない。
まあ、私は5歳でレジーナは7歳だから、日本でもこの計算は本当はまだできないんだけどね。
レジーナは流石に商人の娘だけあって、小さい頃から計算は父親に教え込まれていたようで、二桁程度までの足し算引き算は問題なくできた。
でも、そこまで。
これはレジーナが勉強不足という訳ではなくて、普通の大人、屋台の商店主程度であれば、これくらい計算ができれば十分なのだそうだ。
初めに掛け算割り算の考え方を教えて、まずは九九を暗記するように言った時には、随分と驚いていた。
こんな計算ができたら、それだけで商家の算術士としてやっていけるそうだ。
思えば、学院の算数の教科書も小学生レベルだった気がするし、お祖父様も割り算の考え方はなかなか理解できなかった。
どうりで王都にいた時に、お父様が私のことを重宝がるわけだ。
幸いなことに、レジーナの父親は商人として学問の大切さをよく理解していたようで、レジーナはうちに来る前から簡単な計算と文字の読み書きは覚えていた。
でも、これすらもこの世界では当たり前ではなくて、平民の中には文字も読めないし全く計算もできない人も、かなりの数いるのだという。
確かに、前世でも地球全体で見ると、そういう地域も決して珍しくはなかった。
そもそも、日本が異常だったのだ。
識字率ほぼ100%で、地域差も経済格差も関係なく、どこにいても同じ教育が受けられるって……。
そんな国の教育水準を、この国に要求してはいけないとは分かっている。
それでも、これから私が本格的に仕事を始めて、自分の部下が会計報告の書類を作るのに指を折りながら計算しているのを見たら……。
うん、まずは学校を作ろう。
とりあえず、レジーナは予定通り側近として育てるとして、これから働いてもらうことになる住民の学力レベルも上げていかないと、町の発展など覚束ない。
そんな事を考えながら、手元の資料に目を通していく。
農作物の成長を促進する魔法に関する資料。
この国では、ユーグ侯爵領でよく使われている魔法らしいんだけどね。
ただ農作物の成長を促進すると言われても、その魔法が農作物自体に作用するのか、土地に作用するのか、今一つどういう魔法かはっきりしない。
うまく使えば、この町の農作物の収穫量を上げることができそうだけど、農業は結果が確認できるまでに時間がかかるからなぁ……。
ちょっとやってみてやっぱり駄目でしたってわけにもいかないから、ある程度の期間で計画的に進める必要がある。
まずは、実験農場でも作るか……。
「う〜ん。
レジーナ、体動かそうか」
私は手元の資料を放り出すと、椅子から立ち上がった。
レジーナには私の練習や実験に付き合わせるかたちで、太極拳や魔法についても教えている。
魔法についてはまだ本格的には教えていないけど、今はとにかく正確な魔力操作を覚えるように言い聞かせてある。
ただ、元々レジーナが覚えていた軽量魔法については、呪文の発音が崩れかけていたので修正してあげた。
レジーナにとって、軽量魔法は父親との思い出の魔法だそうで、それが使えなくなるのは、父親との思い出が消えてしまうようで、とても不安だったみたい。
発音の修正をしてあげた時には、とても喜んでくれていた。
で、太極拳の方は、今のところ魔力操作の訓練に重点を置いて教えている。
武術、護身術については、どうもサマンサが直々に侍女の嗜みとして教え込んでいるらしいので、今のところはそちらにお任せだ。
「レジーナ、もっと肩の力を抜いて。
一生懸命やっちゃダメだよ。
もっとリラックスして」
「でも、早くもっと上手になって、アメリア様のお役に立てるようにならないと……」
この子は本当に真面目だ。
いや、むしろ必死という感じか……。
レジーナが私の側近になった経緯もそうだし、それまでの彼女の置かれていた状況もそうだ。
私が最初に脅しすぎたせいもあるかもだけど、この子は文字通り、命懸けで教えられる全てに取り組んでいるのだと思う。
それは、この世界の言葉を必死に覚えようと足掻いていた頃の自分にも見えて……。
あの当時の私が、お父様やお母様から見て同じように見えていたなら、さぞ心配させてしまったのではと、申し訳なく感じるほどだ。
「いい、レジーナ。
一生懸命にがんばることと、物事をうまく処理することは違うのよ。
気合いや根性でなんとかなるなら、誰も苦労しないわ。
もっと冷静に、意識して視野を広げること。
一生懸命になると視野が狭くなって、そこしか見えなくなっちゃうからね。
まずは無理矢理にでも肩の力を抜いて、もっと部屋全体を眺めるように意識すること。
心は体に影響を受けるから、体がリラックスすれば、心も自然にリラックスできるわ」
そんなふうに2人で太極拳の練習をしていると、いつものお迎えがやってきた。
今日のお迎えは、レオ君とアルトさんだ。
「アメリアお嬢様、今日も精が出ますなあ」
「いえいえ、ただの子供のお遊戯ですよ」
「ご謙遜を。
もう少しアメリア様が大きければ、ぜひ手合わせしたいところですよ」
「ふん、ほんとうにただのお遊戯だろ」
私とアルトさんの軽口に、後ろからレオ君が口を挟む。
レオ君の方を振り返り、軽く溜め息をついて自分の息子を睨むアルトさん。
不貞腐れた様子で、そっぽを向いてしまうレオ君。
レオ君、反抗期かなぁ。
実際、私の側近候補と言いながら、レオ君の態度は非常に悪い。
特に、最近はそれが顕著だ。
多分、レジーナがうちに来てから……。
私に友達を取られた感じがしておもしろくないのか、自分が認めていない私のことを、レジーナが褒めるのが気に入らないのか……。
多分両方だろうなぁ。
おまけに、最近は私に対するレオ君の態度のせいで、レジーナの当たりも冷たいから、余計にイライラしているのだろう。
私がこの町に来てから、もうだいぶ経つよねぇ……。
いい加減に慣れてほしいものだけど、レオ君の態度は日増しに悪化している。
他所様の子供の問題だし、私が押し掛けて来たせいでもあるし、貴重な側近候補だし……。
所詮子供のすることで、こちらに実害もないからと放置してきたけど、いい加減面倒になってきた。
「アルトさん、ちょっとレオ君と試合してみてもいいですか?」