セーバの町での生活
塔でお祖父様に会って以来、私は毎日賢者の塔に通っている。
ちなみに、お祖父様のところにではない。
塔にある私の研究室にだ。
別にお祖父様と仲が悪いわけでもないのだが、お互いに研究の邪魔はしないというスタンスで程好い距離感を保っている。
相手の意見が聞きたければ訪ねてくけど、特に用がなければ干渉はしない。
祖父と孫の関係としてはどうなのだろうという気もするけど、お互いに居心地がいいのだから問題はないだろう。
「まったく、まさか賢者様が2人になるとは思いませんでした。
お昼はお嬢様の分もここに用意してありますので、しっかりと召し上がってくださいね。
食べずに残していたら奥様に言いつけますからね」
3階のお祖父様の部屋を簡単に片付けると、若い侍女さんはそう言って帰っていった。
さて、これでここに居るのはお祖父様と私だけ。
つまり、完全に自由だ。
夕方になると大抵サマンサかアルトさんが迎えに来るので、それまではこの塔に籠って研究を続けることになる。
最初のうちは侍女の誰かが付き添っていたりしたんだよ。
でも、私は喉が乾けば勝手に自分でお茶を淹れるし、それ以外は大抵研究をしているか、1階の広間を使って太極拳の練習をしているかだからね。
最近は、お屋敷の侍女さん達も、用が済むと私を残してお屋敷に戻ることが多い。
私は調べかけの資料を広げて、呪文の中に含まれる未だ意味の判明していない単語を、資料の中から探していく。
特に注目しているのが、光の神を表す“Умножение”と、闇の神を表す“разделение”だ。
この単語は、神殿の壁に彫られている様々な創世神話の中で一対の最高神としてよく登場するので、意味の特定は早かった。
ただ、この最高神が実際には何を司っている神様なのかがよく分からない。
実は、光の神の名前は呪文の中に散見している。
しかも、その名が含まれる呪文の多くは光とは関係ないし、呪文の訳の中にも光という言葉は出てこない。
さらに意味不明なのが、明かりを灯すライトの呪文には、光の神の名は含まれていないということ。
ついでに言うと、先日お祖父様が言っていた魔法無効化の光魔法には、光の神の名は含まれておらず、代わりに闇の神の名が含まれているのだ。
もうここまで来ると、“Умножение”、“разделение”が、本当に光や闇を表しているのかも疑わしいわけで……。
「ああ! もうワケわかんない!
……踊ろう」
私は読みかけの資料を放り出すと、1階に降りていく。
そして、始める、いつもの太極拳。
立禅、そして套路。
体の中の熱を感じながら、ゆっくりと体を動かしていく。
魔力の微弱な流れをコントロールしていく……。
そう、魔力だ。
この世界で太極拳を始めた当初、この体の中の熱はいつもの“気”だと思っていた。
それが実は魔力だと気がついたのは、この実験場に備え付けられた魔道具の光の波動を感じた時。
なんだか、前世のお祖父ちゃんと推手をしているような感じがした。
自分の中の“気”と自分の皮膚から伝わる“気”が、せめぎ合ったり融け合ったりする感じ。
この空間を満たしているものが魔力だというのなら、私が感じている熱の正体は魔力だ。
日本にいる時に感じた“気”と、この世界のアメリアの体で感じている“気”が同一のものかは分からない。
でも、少なくとも今太極拳の練習で感じている熱が、魔力であるのは間違いないと思う。
私の中の魔力は相当少ないらしいけど、少なくともその存在を感じ取ることだけはできるらしい。
魔法を使う上で、魔力操作はとても大切らしいからね。
単なる運動不足の解消というだけでなく、太極拳は将来魔法を使う上でも有効な練習手段になると思うのだ。
そんなことを考えつつ、私は日課の運動に精を出した。
夕方になると、いつものお迎えがやってきた。
今日のお迎えは、アルトさんだ。
一緒にレオ君も付いてきている。
レオ君というのは、アルトさんの息子のレオナルド君のことで、今は一緒にお屋敷で暮らしている。
私より一つ年上の男の子だ。
まあ、年上といっても、“頭脳は大人”の私の感覚では、小さな男の子にしか見えないんだけどね。
アルトさんは公爵家に仕える騎士ということになっているので、一応レオ君も私の家に仕えているって扱いにはなるんだけど……。
そこはまだ5歳児ということで、あまり煩いことは言われていない。
ただ、私やお母様には丁寧に接しなさいと言われる程度で、特に何か仕事を与えられている訳でもない。
精々アルトさんが手の空いた時に剣の稽古をつけるくらいで、後は特にすることもないみたい。
一応、将来は私の側近にと考えられているらしいけど、周囲もそれを強制する気はないらしいので、今のところは様子見というとこだね。
私も今のところは自分の魔法の研究で忙しいので、正直あまり構ってあげていないんだけど……。
これからのことを考えると、そろそろ少し積極的にコミュニケーションを取った方がいいのかもしれない。
アルトさん、レオ君といつもの道を帰りながら、そんなことを考えていた。