一服差し上げます
驚いたことに、この国というか、この世界には“茶道”があった。
それも、私が日本で習っていたものとほぼ同じ、純然たる日本の文化、茶道が。
勿論、多少の違いはあるけど、基本的なお点前やお客の作法などはほとんど変わらない。
流派の違い程度で済んでしまうほどの差異だ。
日本の茶道も習っている流派によって細かな違いはあった。
お茶をいただく時にはお茶碗を回して正面を避けるというのは同じでも、回す角度は流派それぞれ。
180度回すという流派もあれば、軽く正面を避ける程度でよいという流派もある。
それぞれの流派や習っている先生によっても微妙に所作が違うから、たとえば他所のお茶会でうっかり間違えたことをしても、余程基本から外れたことをしない限りは、“流派の違い”ということで目くじらを立てられるようなことはなかった。
特にこの国の場合には、茶道が倭国から伝わってまだ50年程度ということもあり、十分な指導者がいないせいか、余計に細かなところは適当になっているようだ。
そもそも、なぜ大陸の東の端にある倭国の文化が、西の端に位置するここ魔法王国の貴族の間で広まったのか?
理由は単純で、魔法の役に立つから。
茶道は“ティーセレモニー”とも呼ばれ、この世界では元々は倭国の皇族が大がかりな魔法を使う前に行っていた“儀式”だったらしい。
この儀式を行うことで集中力が高まり、魔力に対する感覚が鋭くなる。
また、普段から茶道の稽古を行うことで、魔力操作がより巧みになる。
これが他国に関心の薄い魔力至上主義のモーシェブニ魔法王国で、ここまで茶道が持て囃されている理由みたい。
実際、倭国の人間は魔力量では我が国に劣るものの、魔力操作の巧みさにおいては世界一と言われている。
そんな訳で、50年程前に倭国の使節団訪問の際に我が国の王族に伝えられた茶道は、今では我が国の貴族の嗜みとして完全に定着しているらしい。
王宮での会議や話し合い、他国の者との会合等が茶室で行われることも少なくないため、貴族や大商人にとっては茶道は必修スキルなのだそうだ。
初めてこの世界の茶道事情を聞いた時には、このご都合主義的ファンタジー設定に驚いたけどね。
でも、“集合的無意識”なんて理論もあったし、案外世界が変わっても人間の考えることなんて似たり寄ったりなのかもしれないと納得した。
大体、ここまで“転生特典”、“異世界チート”に見放されてきているのだ。
多少の“知識チート”くらいは享受させていただかないと、やってられないってものだ。
そんな訳で、早速使わせていただきました。
必殺“女神様に習った”攻撃。
この世界の茶道が元々“儀式”であったこともあって、あっさりと受け入れてもらえました。
Q:何故初めてなのにお点前などできるのか?
A:女神様に教えて頂きました。
これで問題解決だ。
で、目下私の目の前の点前座(お茶を点てる場所)にはお父様が座り、真剣に茶を練ってくれている。
そう、“点てて”ではなくて、“練って”だ。
これ、日本人でも茶道とかやったことのない人は、意外と知らないんだけどね。
お抹茶には“薄茶”と“濃茶”があって、よく観光地なんかで出される薄緑のカプチーノ状のお抹茶は薄茶だ。
濃茶はもっとどろっとしていて、舌触りはお茶というより飲むヨーグルトに近い。
ただ、味の方は飲むヨーグルトのように甘くはなくて、飲み慣れていないと滅茶苦茶苦い。
もうこれでもかって量のお茶をいれて“練る”訳だからね。
多分、お抹茶は苦いみたいに言われるのは、実は薄茶のことではなくて濃茶のことだ。
茶道を全然知らない友達が観光地のお寺で薄茶を初めて飲んだ時、「抹茶って、言うほど苦くないよね。結構甘味があっておいしいかも」とか言っていたけど、多分それ違うと思うよって、心の中で言っておいた。
濃茶もコーヒーみたいなもので、飲み慣れるとおいしく感じるようになるんだけど、正直初心者にはハードルが高い“大人の味”なのだ。
はい、説明終わり。
で、今お父様はいたいけな幼女に、“大人の味”を味わわせようとして下さっている訳ですね。
まあ、ふつうに飲めますけどね。
夜眠れなくなるかもだけど。
それに、さっき出された超甘甘なお菓子には濃茶の方が合うことは合うしね。
最近よく思うのだけど、この国はとにかく大味というか大雑把というか、とにかく沢山あるのが偉いみたいな風潮がある。
魔力だけではないんだよね。
例えば、料理。
とにかく量が多い。
大きなお皿にかなりの量が盛られて出てくる。
しかも、それで一人分。
当然全部なんて食べられないから大半は残すことになるんだけど、それで特に問題はないらしい。
残った料理は後で使用人が食べるらしく、残る分も含めて使用人の賄いの量は考えられているから、決して食材を無駄にしている訳ではないんだって。
とにかく食べきれないほど沢山という感覚が大切で、全部食べられたりすると、料理人としては主を十分に満足させられなかったということになるらしい。
これ、同じようなことを前世の旅で仲良くなった台湾人の子が言ってたなぁ。
そういう文化なんだと言われれば納得するしかない訳だけど。
それでも、“出された料理を残す”という事に、元日本人の本能がとてつもなく抵抗を示す訳ですよ。
文句を言っても仕方がないけどね……。
で、お菓子。
とにかく甘い!
滅茶苦茶甘い!
もうそのまま砂糖を舐めた方がまだマシって思えるくらいに甘いのだ。
これも覚えがある。
アメリカだ……。
最近は健康志向もあってだいぶマシになってきているらしいけど、あの国のお菓子はとにかく甘かった。
まだ砂糖が高価だった頃のなごりで、とにかく砂糖をたくさん使っているのが高級みたいな風潮があるらしい。
多ければ多いほど良いって発想は、まさにこの国の価値観だと思う。
そういえば、全然関係ないけど、アメリカと仲の悪いはずのアラブ圏のお菓子も超甘甘だったっけ。
あそこは宗教上の理由でお酒が飲めないから、大の男が仕事帰りに立ち食いのスタンドでケーキを食べるという異様な光景が広がっていた……。
あれはちょっと怖かった。
どうでもいいんだけどね。
まあ、結局何が言いたいかというと、さっき食べたお菓子が甘すぎて口の中が大変なことになっているから、早くお茶出してということだ。
そうこうしているうちにお抹茶も出され、一通りのお点前が終わったところで、お父様は足を崩して私の方に向き直った。
「大変だったら足を楽にしなさい。
ちょっと大事なお話があるからね……」
「大丈夫です」
そう応えた私は、その場で居住まいを正す。
お父様はその場で言うか言うまいか少し悩んだ後、堰を切ったように話し出した。
「アメリアには王都を離れて、先生、お祖父ちゃんの住む公爵領の方に行ってもらいたいんだ。
実は最近、貴族どもが五月蝿くてね。
もうアメリアも4歳だ。
普通なら、そろそろ同派閥の貴族の子供の中から将来の側近候補となる学友を選んだり、正式ではないが派閥の貴族のパーティーやお茶会に参加したりと、少しずつ外に出て社交に慣れていくようになる。
貴族の正式な社交は7歳からだから、今は無理に社交をする義務はないのだが、近頃何かにつけてアメリアに自分の子供を紹介したいだの、自宅のパーティーに招待したいだの言ってくる貴族が増えた。
……奴らの魂胆は分かっている。
アメリアの品定めと、嫌がらせだ。
アメリアも知っている通り、我が家は事情が事情だからね。
特にアメリアの魔力が少ないことは王都の貴族の間には知れ渡っているから、奴等にとっては格好の獲物というわけさ。
今はそういった連中は全て無視しているが、不甲斐ない事にいつまでアメリアを守ってあげられるか分からない。
このまま王都に住み続けていれば、やがて断り切れずに引っ張り出されてしまうだろう。だから、」
「わかりました」
辛そうに言葉を重ねるお父様に、私は全く気にしていないという素振りで答える。
正直なところ、この展開は想定の範囲内だ。
私としては全く問題ない。
むしろ、望んだ展開というか……。
実際、私の魔法研究は行き詰まっているし、これ以上の進展はこの王都邸では望めないだろう。
公爵領ならあの魔法大全の著者である大賢者のお祖父様も居るし、王都に居るよりも自由に研究が進められるかもしれない。
まぁ、今でもかなり自由にやらせてはもらっているけどね。
だから、落ち込んでいるお父様には悪いけど、私にとっては渡りに船だ。
何も問題はない。
「領都に行けばお祖父様にも会えますし、お父様のお手伝いもなくなりますから魔法の研究も進みます。
魔法の研究の方はお父様の分まで私ががんばりますから、お父様は王都でお仕事を頑張ってください」
そう言って慰めてあげると、お父様は苦笑して言った。
「領都、とは言っても、実際には我が家の領都邸と先生の住む塔、あとは小さな町があるだけだが……。
まぁ、領都にはアリッサも一緒に行くことになっているし、侍女長のサマンサと家令のダニエルも付けるから、特に不自由はないはずだ」
「お母様だけでなくサマンサやダニエルもって、お父様は大丈夫なのですか?」
思わず聞いてしまった私に、お父様は「心配ない」と笑っていたけど……。
サマンサとダニエルは、今は我が家の侍女長、家令として働いてくれている使用人だけど、元々は王太子だったお父様の教育係兼将来の側近として、前国王陛下から直々に付けられた人材だ。
はっきり言って、そこらの貴族などより余程優秀で、今でもただの侍女、家令以上の仕事をお父様に振られているのを私は知っている。
今でも公私共にお父様の側近なのだ。
そして何より、あの家族愛溢れるお父様が、私だけでなくお母様まで手離して一人単身赴任って……。
それだけ私のことを大切に思ってくれているってことだろう。
そして、それだけの事をしなければならない程、今の私の置かれた状況は危ういということだ。
お父様にお礼を言うと、私は早急に移動の準備を始めることにした。




