授業開始
『ハッ、あのような貧弱な魔法では野兎も狩れんぞ』
『薪に火を着けるくらいならできるのではないか?』
『あれでは我が家の侍女以下ですわ。お風呂の水も張れませんもの』
ここは魔法の訓練場。
まずはどの程度の魔法が使えるのかを確認するために、聴講生たちに得意魔法を使ってもらっている。
聴講生の中には、庶民と呼ばれる極僅かの魔力しか持たない者もおり、向学心はあっても、今までの生活の中で碌に魔法など使ってこなかった者も多い。
そんな彼らの魔法は、正に生活魔法レベルのお粗末なもので、貴族の生徒たちの揶揄も致し方ないとも言える。
まぁ、嘲笑っていられるのも、今の内だけどね…
「今学期の皆さんへの課題は、正確な魔力操作です」
実技教師の一人が、少し離れた台の上にコップと手桶を置く。
「魔力量が500MP以下の生徒はコップに、魔力量がそれ以上の者は手桶の方に、離れた場所から水魔法で水を注いでもらいます。
周囲に水を溢すことなく、容器の縁ぎりぎりまで水を注いで下さい」
実技教師の出した課題に、騒然となる訓練場。
「はぁ〜? それのどこが攻撃魔法の訓練なんだ?」
「大体、そんなことに何の意味が…」
「手桶に水を汲むなんて、それこそ侍女の仕事ではございませんの?」
やれ必要無い、やれ無意味だと文句を言う本科生たちに対して、純粋に課題を検討する聴講生たち。
「これは、余程緻密な魔力操作をしないと…」
「まずは容器までの正確な距離と必要な水の量を確認して、その感覚を覚えないと…」
「確かに難しい課題だが、何度も微調整を繰り返せば、何とかなるんじゃないか?」
前向きに対応策を考えているところ悪いけど…
「あぁ、容器までの距離と容器の大きさはランダムに指定しますので、その場で見て対応できるよう練習して下さい」
教師からそんな補足説明が入り…
「「「「はぁ〜!??」」」」
これには、聴講生組も唖然とすることになる。
給仕であったり、職人であったり、冒険者であったり…
職業や魔法の規模はバラバラでも、仕事の中で日常的に魔法を使い続けてきた者ほど、その難易度が実感できるみたい。
その辺は、得意魔法を気分で的にぶつけているだけの、貴族の生徒たちとは違う。
もっとも、これは貴族の生徒たちが無能って訳でもなくて、たんに実務経験の差なんだけどね。
貴族であれば学院卒業後、平民であれば見習い時、その仕事に必要な魔力操作を繰り返し練習することで、みな仕事に必要な魔力操作を覚えていくってのが一般的で…
だから、まだ特定の仕事に就いておらず、一般的な攻撃魔法の使い方を訓練しているだけの貴族の生徒が、この課題の難易度も必要性も理解できないのは当然なんだよね。
まぁ、難易度の方は実際にやって見れば分かるとして、必要性が分からないとモチベーションも上がらないか…
「レジーナ、お願い」
「はい、アメリア様」
私の指示で、離れた台の上に置かれた複数の形の違うコップと手桶に、魔法で次々に水を注いでいくレジーナ。
縁すれすれまで水で満たされた容器に対して、周囲には一滴の水もこぼれてはいない。
その難易度が実感できる多くの聴講生と一部の貴族の生徒が驚愕する中、レジーナの更なる示威行為は続く。
「では、緻密な魔力操作による水魔法で何ができるのか、見てもらいましょう」
ピュンッッ
次にレジーナが魔法を放ったのは、訓練用の的。
何気ない動作で放たれた、よく分からない魔法。
一瞬、何かが光ったように見えたものの、何をしたのかは分からない。
それでも、教師たちに促されるまま、少し離れた場所に立つ的を確認した生徒たちは…
「穴が… 開いている?」
「確かに、錐で開けたような穴が…」
「……元々あった穴じゃないか?」
「偶々、的の中心に? 何のために?」
「………なぁ、、穴の周り、濡れてないか?」
「「「「「………(あれが、水魔法!?)」」」」」
一斉に静まり返る生徒たち。
そこに、聴講生も本科生も関係無い。
皆が、目の前で起こったことを処理しようと必死なようで…
ある冒険者の聴講生は思う。
(少量の水を目に見えない速さで叩きつけた? あんな水魔法が使えたら… 魔力の少ない俺でも、上級冒険者になれるぞ!)
ある職人の聴講生は思う。
(あの緻密な魔力操作がセーバの職人の秘密か! あれができれば、俺も…)
そして、ある酒場の女給の聴講生は思う。
(あのレジーナって子、あたしと大して魔力違わないよねぇ? それって、あたしにも同じことができるってこと?)
目の前の現実に驚愕しつつも、自分もあれができればと密かに興奮する聴講生たちに対して、貴族の本科生たちはというと…
(さっきの魔法、まさか!?)
(いや、多分違う魔法だと思う… だが、さっきの魔法と合わせて考えると、あの噂は本当かも…)
(実際にあの平民の魔法を見たお兄様が、絶対に、何があっても、レジーナ孃とは敵対するなって…)
(((やっぱり、あの竜殺しの噂は…真実!?)))
昨年度までのレジーナの一般的な評価は、頭でっかちで小利口な平民の娘。
確かに学問はできるようだが、魔力量は底辺で、戦闘力はゼロ。
そのくせ、人の隙をついたような立ち回りは上手く、それで闘技大会では恐れ多くも王太子殿下から勝利をかすめとるような真似をしていた。
アメリア学院長や一部の上級貴族の覚えが良いから手は出せないが、一人では何もできない下賤な平民に過ぎない…
そんなレジーナの評価は、私達が魔法王国を離れている間に一変したらしい。
まぁ、当然だけど…
王太子殿下と多くの上級貴族を救った、竜殺しの英雄。
指導者としても優秀で、通過儀礼から戻った息子、娘たちは、精神的にも魔法技能的にも、見違えるように成長していた。
元々、一部の上級貴族は、王宮での魔術講習に助手として参加しているレジーナとは、少なからぬ接点を持っていた。
特に、王妃様を筆頭とする一部の女性貴族は、アメリア公爵だけでなく、レジーナのことも憎からず思っている様子だった。
学院に通う貴族の生徒たちが知らないだけで、貴族社会におけるレジーナの影響力は、下手な貴族よりも余程大きかったと言えるんだけど…
それが、ここ数ヵ月の間に、完全に表に出たらしい…
既に目に見える実績を得たレジーナを褒めることに、王妃様も女性貴族の方たちも、何の躊躇いもない。
王妃様に、王宮の訓練に参加している女性陣を中心とした一部の貴族、通過儀礼に参加した上級貴族の卒業生たちとその家族。
竜殺しという実績を得た上で、これだけの後ろ盾を持つ娘を、平民だからと侮れる者はいない。
そんな訳で、今年度のレジーナは、一応学生の立場でありながら、必要に応じて学院教師の助手も務めるという特殊な立場になった。
実際、単位認定試験にも全て合格し、実技面でも文句のない実力を示したレジーナに、今更学院が何を教えるの?って感じだしね…
ただでさえ、今年は聴講生も入って何かと忙しい。
レジーナに教師として動いてもらえるのは、すごく助かるからね。
まずは、まだ半信半疑で噂の域を出ないレジーナの実力を、皆に見せつけるところから始めましょうか。