女神降臨、あるいは女王様? 〜ライアン王太子視点〜
(ライアン王太子視点)
それは、突然に現れた。
勝利に沸き立つ我々の前に……。
いや、実際には、だいぶ前からその足音は聞こえていたのかもしれない。
ある者は戦勝ムードに流され、ある者は無意識にその存在に気付くことを拒否して……。
だが、ここまで来れば、その存在を無視することなどできはしない。
「ドラゴン……」
先程のお祭りムードから一転。
静まり返った野営地に、誰が発したとも知れない呟きが響く。
続いて野営地に広がるのは、絶望……。
(あれには、勝てない……)
誰もが、それを悟っていた。
巨木とも言える大森林の木々を、薙ぎ払うように近づいてくるのは、地竜。
正真正銘の竜種だ。
その討伐難度はサラマンダーと同じAランク。
だが、その質はだいぶ異なる。
サラマンダーがAランクに指定されている理由。
それは、その討伐手段が限られているところが大きい。
攻撃手段として最もポピュラーな火魔法が一切効かないこと。
また、巨体でありながら素早く、体表も硬く、おまけに炎に包まれている。
よって、遠距離、近距離の両方において、有効な攻撃手段が殆ど無い。
故に、事前の準備も無く突然に遭遇した場合、取れる手段が全く無いといった事態に陥りやすい。
それ故のAランク。
勿論、サラの功績を否定する気はない。
だが、サラのサラマンダー討伐においては、事前情報の有無や相手との相性の良さも大きかったはずだ。
それに対して、目の前の地竜は……。
動きも遅く、特別な魔力特性も無い。
確かに体表は硬い岩のような鱗で覆われているため、剣も魔法も効きにくい。
だが、サラマンダーのように火魔法を無効化するとか、全く接近できないとか、そのような事は無い。
ただの大きな蜥蜴だ。
そんな魔物が、サラマンダーと同じAランク。
理由は単純で、とにかく大きいのだ!
平民の家程度なら、尻尾のひと振りで粉砕してしまえるほどの大きさ。
実際、一本一本が巨木とも言えるほどに大きな大森林の木々が、次々にへし折られていくのが見える。
純粋な質量……。
それが、地竜がAランクに指定される所以。
我々が必死に守り抜いた城壁など、かの竜の前では何の守りにもならない……。
城壁の上に立ち、ゆっくりと近づいてくる巨体を眺める。
(無理だ……)
皆、気持ちは同じなのだろう。
戦意喪失した様子が手に取るように分かる。
ボロボロになりながら一夜を戦い抜き、やっと掴んだと思った勝利を無慈悲に取り上げられたのだ。
今からあれに立ち向かう気力は、我々には無い……。
「あれは、無理ですね」
気が付けば、私の隣にはレジーナ嬢が立っていた。
「さすがに、ちょっと学生の訓練の分を超えるでしょう」
ゆっくりとこちらに近づいてくる地竜を見ながら、そう言った彼女は……。
右手の人差し指を立て、その指先を前に伸ばした。
彼女の口から囁かれる言葉に惹かれるように指先に集まった光は、小さな光の渦を作り出し……。
ピュンッ!
そこから飛び出した光は、一瞬にして地竜の額に向けて光の線を描き出し……。
ドドオオオオオンンン!!!
一際大きな地響きを立てて、巨大な竜がその場にひれ伏した。
四肢からは完全に力が抜け、頭を地面に横たえ、まるで主に恭順を示すかのように身動き一つしない。
そして、この地竜が再び動き出すことは、二度とない……。
既に東の空から漏れ始めていた太陽は彼女の背を照らし、私に絶望を与えた悪竜の前に佇むその姿は、さながら神話に登場する女神のようで……。
私は暫し、その美しい光景に心を奪われていた。
………………
その後、地竜襲来のショックから立ち直った我々は、交代で休憩を取りながら、倒した魔物の後始末を進めていった。
昨日、この野営地を訪れた時には、ワイルドボアの解体に顔を蒼くしていた学生たち。
今、そのような者はどこにもいない。
「このウルフ、毛皮の状態がいいですわね」
「本当に。これなら部屋の敷物に丁度いいかもしれません」
「あら、それなら複数の毛皮を使ってパッチワークにした方がお洒落じゃないかしら」
ナイフを片手に微笑いながらウルフの皮を剥ぐ女生徒たち。
実に平和な光景だ。
最後に現れた地竜の登場で、まだ多少は残っていた魔物も、全て森に逃げて行ってしまった。
まだ警戒はしているが、今のところ周囲に魔物が近づく様子は無い。
それでも、これほど大量の魔物の死体を放置しては、いつ新たな魔物を引き寄せるか分からない。
また、疫病などの発生の恐れもある。
そういう訳で、売却できそうな魔物素材の回収、食糧になりそうな肉の解体、残った死体の処理等を、手分けして行っている。
ちなみに、魔物素材売却の利益は、今回の戦闘で消費した魔力回復薬の補填に使われるそうだが、欲しい素材があれば、自分たちで持ち帰っても構わないと言われている。
「あちらの死体の処理は大体終わったぞ」
「ふぅ、やっとか……。
我ながら、よくあれだけ倒したものだな」
「別にお前一人で倒したわけでもなかろう?」
「まぁ、そうなんだが……。
いや、本当によく生き残れたと思ってな……」
「確かにな……。
まぁ、ともあれ、我々は生き残った!
ここの処理も今日中には片付きそうだし、明日には大森林ともおさらばだ。
セーバの街に戻ったら、美味いものでも喰って、祝杯をあげよう!」
「あそこの飯は、王都以上だったからな!
帰るのが今から楽しみだ!」
そんな会話が、あちこちから聞こえてくる。
この通過儀礼は確かに想定外のものだったが、これからの王国を支える貴族としての、確固たる自信を持たせてくれたと思う。
そんな学生たちの心地よい達成感は、その夜のミーティングで粉々に打ち砕かれることになる。
………………
学生全員を集めた夜のミーティング。
なんだか言いにくそうにしている教師陣と、涼しい顔のレジーナ嬢。
「えぇと、学生のみなさん。今日はお疲れ様でした。
今回は初っ端から想定外のトラブルに見舞われましたが、それも皆さんの頑張りで乗り越えることができました。
魔物の処理等も何とか終わりましたので、明日からは気分も新たに、本格的な訓練に入りたいと思います。
では、明日以降の具体的な予定ですが、」
「えっ、ちょっ、ちょっと待って下さい!
明日以降の訓練ってなんですか!
明日には帰るんですよね!?」
学生の一人が思わず問い詰めた。
説明途中に口を挟むのは礼儀に反するが、誰もが思ったことだ。
私だって、説明を求めたい!
正に一触即発といった空気に、さっきまで前に立って話していた教師が気圧される。
代わりに説明を引き継いだのはレジーナ嬢。
「いえ、元々ここでの訓練日数は、ひと月ほどの予定です。明日帰る予定はありません」
「「「「「………………」」」」」
皆が愕然とする中、レジーナ嬢の説明は続く。
明日以降の訓練メニューについて……。
この訓練の予定については、要はこういう事らしい。
通常、通過儀礼のために取られている期間はひと月半程度。
ただ、その期間の大半は、現地までの移動時間に使われることになる。
ユーグ領にせよボストク領にせよ、王都との往復は馬車移動で、往復でひと月程度は絶対に必要になる。
故に、実際に現地に居られる日数は、それほど多くはない。
例年であれば、魔物討伐等の野外活動に2,3日、領都での研修に2,3日。
残りの日数は、全て移動に使われることになる。
つまり、実際のところは、王都から見知らぬ土地への慣れない移動自体が、訓練の大半を占めているのだ。
それに対して、今回のセーバでの通過儀礼は……。
本来なら移動に使われるはずの時間が、そのまま大森林でのブートキャンプに充てられることになったと……。
(事前にその予定が知らされていなかったのは、わざとか!?)
野外訓練は2,3日など、誰も言っていない。
そう言われれば、文句のつけようもない。
折角持ってきた食糧は、非常食だから食べるなと言われた……。
そして、大量に準備されていた魔力回復薬……。
元々、1ヶ月の長期滞在を想定してのものだったのだ!?
誰からも文句は出ない。
地竜を瞬殺できる少女に、逆らおうとする者などいない。
今この場に、レジーナ嬢に楯突く者などいるはずがないのだ……。