文字を教えて!
その日も、私は相変わらず侍女さんたちにつきまとって会話の練習に励んでいた。
そんな私を視界の隅におきながら、お母様は何やら手紙か書類のようなものを眺めている様子。
侍女のサマンサとの会話が一区切りついたところで、私は甘えた様子でゆっくりとお母様に近づく。
お母様の手の中にある紙を興味深げにじっと見つめ、
「これ、何?」
必殺の魔法の呪文を唱えた。
「ん~? アメリアは文字に興味あるのかな?
これは文字といって、お話を忘れないように紙に書いておくものなのよ」
ええ、勿論知っていますとも。
このアイテムを使えなかったことで、私のゲーム攻略は困難を極めたのだ。
「これ、何て読むの?」
「これはねぇ……」
そんな問答がしばらく続いた後、少し考えたお母様は侍女の一人に言って紙と書くものを用意させた。
そうして始まるお母様の文字講座。
この国の文字はアルファベットと同じ表音文字。
つまり、単語の発音を文字で表したものだ。
文字数は25文字で表記方法はローマ字と同じ。
子音+母音で1つの音を表す。
母音が6個と日本語よりも1音多いが、英語と比べれば全然少ない。
文字数も日本語みたいに何千字もあるわけではないし、発音の仕方も音の作り方もほぼローマ字だから、はっきり言ってしゃべれさえすれば文字の方は楽勝だ!
「じゃあ、これの読み方は……」
「なら、“ありがとう”はこう?」
「”わたしはアメリアです”は、……」
お母様の書いてくれた文字表を指差しながら、思い付いた単語の綴りを確認していく。
一通り疑問に思ったところを確認した私は、宙に指を踊らせながら思い付く単語を綴り、文字の形を指に馴染ませる。
そんな私の様子を楽しそうに見ていたお母様は、また何やら侍女に指示を出した。
「アメリア、これを使いなさい」
手渡されたのは、ペンだ!
見た目は握りの部分を持ちやすい形にして、先端を少し尖らせただけの木の棒だ。
お母様やお父様が使っているようなカッコいい羽ペンではないけど、この世界で初めて使う筆記用具である。
今まではインクやペンは危ないからと決して触らせてくれなかったのだが、もう私も3歳だ。
やっと筆記用具も解禁ということだろうか。
「この先にちょっとだけインクをつけるのよ」
お母様の説明を聞きながら、私はペン先をゆっくりとインク壺に沈める。
そして、目の前に置かれた少し質の悪そうな紙に、インクが滲まないよう慎重にペン先を落とした。
紙はでこぼこしてるし、ペン先の感触もボールペンや鉛筆とは全然違う。
それでも、使い慣れない筆ペンで名前を書くよりは幾らかましな気がする。
お茶会で「ここにご記帳下さい」と習字の細筆を渡されたりして脂汗を流していたことを思えば、つけペンは字がべちゃっとならないだけ余程安心できる。
線が震えないよう注意しながら、私はこの世界に来て初めて文字を、自分の名を綴った。
幼児の握力は弱くて、しっかりと意識してペン先を固定しないとペンの重さで線が歪んでしまうのだが、それでも久しぶりに文字を書くことが何だかうれしくて、私は夢中になってお母様の書いてくれたこの国の文字を書き写していった。
「アメリア、こっちのペンを使いなさい」
ずっと私が文字を練習する姿を見ていたお母様が、おもむろに綺麗な羽ペンを差し出した。
それは、お母様がよく使っている羽ペンだ。
握り部分は私の小さな手にも不思議とよく馴染み、文字通り羽のように軽いそのペンは、何も力を入れずとも自然に美しい線を描き出してくれた。
そのまましばらく私が文字を練習する姿を眺めていたお母様は、ソファーから立ち上がると私に言った。
「そのペン、アメリアにあげるわ。大事に使ってね。
新しい紙が必要ならサマンサに言いなさい。遠慮なく使っていいからね」
いいのかなぁ……。 こんな高級そうなペンもらっちゃって。
でも、高そうなだけあって、書き心地は最初に渡されたものとは比べ物にならない。
何より軽いのがありがたいね。
正直、この体ではペンのちょっとした重さの違いもかなり大きいのだ。
ここは、ありがたく使わせてもらうことにしよう。
そうして、部屋を出て行こうとするお母様に、私は慌てて声をかける。
「お母様、羽ペンありがとうございます。それと、一つお願いがあります」
「アメリアからお願いなんて珍しいわね。
なに?」
「字を習ったから、本が読みたいです」
「わかったわ。アメリアでも読めそうな本を何か見繕っておいてあげる」
そう言うと、今度こそお母様は私を残して部屋を出ていった。
よし、これでメモが取れる!
まずは、文字表を確認しながら覚えている単語を全部書き出す。
文字は大した数ないし、知っている文字と似ているものも多いから、多分単語を書き出しているうちに勝手に覚えられる。
もう、既に半分くらいは覚えちゃったしね。
思えば、この2年間の苦行で私の記憶力は大幅に向上したと思う。
元々幼児だから頭が柔らかいだけって可能性もあるけど。
地球にいた頃からこれだけ真剣に勉強していたら、私の人生も変わっていたかもしれない。
そんな事を考えながら、私は黙々と自分が今までに覚えた単語を紙に書き出していった。