豊穣魔法と学術交流
独白を終えた目の前の老人は、ひどく弱々しく見えた。
ユーグ領の農業について尋ねるレジーナに、嬉しそうに答えていた庭師の老人は、高齢ながらまっすぐに背筋の伸びた歳を感じさせない堂々とした姿だったのに……。
目の前の老人とは、まるで別人だ。
それはまるで、過去を語ることで、語った過去の時間分だけ一気に歳を取ってしまったようで……。
お祖父ちゃん、せっかく孫に会えたのに、このまま反省して往生したりしないよねぇ?
私が思わず心配してしまっていると、今まで黙ってマルドゥクさんの話を聞いていたレジーナが口を開いた。
「それでは、マルドゥクさん……いえ、お祖父様。
改めて、責任を取って下さい!」
なんか、うちのレジーナが老人に鞭打つようなことを言い出したんですけど!?
「知らぬこととはいえ、今まで母と、私を放ったらかしにしていたのです。
その責任を取って下さい」
んッ? この雰囲気は……。
「そ、それは勿論、ワシにできることなら何でもするつもりだが……」
レジーナに気圧されて無意識に答えるマルドゥクさんに、レジーナが畳み掛ける。
「では、私と一緒にセーバの街に来て、セーバリア学園で働いて下さい」
「なっ!? ちょっと待て! いや、待ってもらいたい、レジーナ嬢」
レジーナの言葉に反応したのは、マルドゥクさんではなく、ユーグ侯爵だった。
「マルドゥク先生はもう歳だ。
今から知らない土地に行くのは酷だろう。
セーバはここよりもずっと寒いというではないか。
年寄りにはキツかろう。
むしろ、レジーナ嬢がこの地に先生と一緒に住んではどうか?
セーバの街とユーグ領との交流は今後活発になるだろう。
セーバの街のことに詳しいレジーナ嬢がいてくれれば、我が領としても助かるし、先生も孫と一緒に暮らせるし、今の研究を途中で放り出さずに済む。
先生がセーバに行ってしまったら先生の研究が途中になり、困る者がたくさんでてしまうのだよ」
これは、あれだな。
旧知の仲らしいマルドゥクさんに、孫と一緒に暮らさせてあげたいという気持ちと、会ってみて思いの外使えることが判明したマルドゥクさんの孫を、この機会に何とか取り込みたいという領主としての計略と。
きっと、いいタイミングで、こんなに落ち込んでいるお祖父ちゃんを孫として放っとけないよね?って感じで、レジーナを説得しようとか企んでいたんじゃないかなぁ?
レジーナが望むなら私も反対はできないし、その提案自体はレジーナにとっても悪いものではない。
でも、残念。
相手が悪かったね。
仕掛けるなら、レジーナが口を開く前にするべきだった。
初めにレジーナの方から仕掛けた以上、もう話の主導権はレジーナのものだ。
今からでは、セーバで祖父と一緒に暮らしたいという孫から、祖父を引き離そうという絵しか浮かんでこない。
ミイラ取りがミイラになっちゃったね。
そして、レジーナとユーグ侯爵の攻防は続く。
「お祖父様の研究ですか?
それは一体どのようなものでしょう?
セーバではできない研究ですか?」
レジーナの質問に、話の展開についていけなさそうなマルドゥクさんが、素直に答えてくれた。
それは、豊穣魔法による被害についての研究で、豊穣魔法が一般的なユーグ領では、以前から度々問題になっていることなんだって。
曰く、術者が長い間担当してきた土地を離れて別の作物を育てている他所の土地に行くと、豊穣魔法がうまく使えなくなる。
同じように豊穣魔法を使っても、逆にそれで作物を枯らしてしまう被害を出してしまうケースも出ている。
これにより、本来であれば色々な土地を回って後進の指導に当たってもらいたいような術者が、その土地を離れられない問題が起きているらしい。
あぁ〜、それは、多分あれだね。
私がその原因に思い至っていると、同じようにその原因に気付いたらしいレジーナが、少しだけ縋るような目で私の方を見つめる。
「アメリア様、よろしいでしょうか?」
「うん、いいよ。
せっかくだし、私が話を引き継ごうか。
もうマルドゥクさんの言質は取ってあるし、レジーナのお願いなら、マルドゥクさんは断らないでしょう。
後は、領主同士の交渉ってことになるし、突破口はレジーナが作ってくれたしね」
私は、改めてユーグ侯爵に向き直る。
「では、ユーグ侯爵。
マルドゥクさんがレジーナと一緒にセーバの街で暮らすのを反対される理由は、その豊穣魔法による被害が解決できないから、ということでよろしいですか?」
「そうですなぁ……。
マルドゥク先生ほどの優秀な人材には、理由に関係なく、ずっと我が領にいていただきたいというのが正直なところです。
ですが、マルドゥク先生には、父の代から我が領のために様々な犠牲を強いてきました。
レジーナ嬢のことも含めてです。
だから、こちらとしても、更に無茶な要求をして先生をユーグ領に引き留めようとは思いません。
正直に言うと、レジーナ嬢をユーグ領にという私の計画は、先程レジーナ嬢本人にあっさりと潰されてしまいましたから。
ですから、我が領としては、今現在我が領が抱える豊穣魔法についての問題さえ解決できれば、マルドゥク先生がセーバの街に移り住むことを認めましょう。
孫娘と一緒に住めるとなれば、先生も本気になって下さるでしょうからな」
最後の言葉は、マルドゥクさんに向けて。
ユーグ侯爵は、子供の頃にはマルドゥクさんに家庭教師をしてもらっていたこともあるそうで、身分に関係なく、恩師のために何かをしてやりたいという気持ちもあるのだろうと思う。
領主として、ただで貴重な人材を手放すわけにもいかないけど、周囲を納得させる功績さえ見せれば、その褒美というかたちで、マルドゥクさんの願いを叶えてあげることはできると。
「わかりました。
では、マルドゥクさんのセーバの街への移住は、豊穣魔法の問題点が解決したら、ということで間違いありませんね」
「はい、それで結構です」
ユーグ侯爵は大きく頷き、話を聞いていたマルドゥクさんは、つい先程とは違い、決意を込めた顔をしている。
でも、ごめん。
その決意は無駄になっちゃうから。
「えぇと、私は今から、豊穣魔法についての独り言を言います。あの魔法は……」
この世界における一般的な豊穣魔法に対する認識は、“土地を癒やし、豊かにする魔法”というもの。
でも、具体的に“土地を癒やす”とか、“豊かな土地”って何?っていわれると、それに答えられる者はいない。
ただ、作物がよく育つ土地っていう、漠然とした認識だ。
実のところ、豊穣魔法って、魔力によって術者が望む無機養分を地中に作り出す魔法なんだよね。
小麦畑に豊穣魔法を使って、豊かな土地になれって望むと、小麦の生育に適した無機養分が地中に現れることになる。
因みに、この“豊かな土地になれ”っていう指示を、より具体的に“これこれの無機物をこのくらいの割合で作れ”って変えると、使用する魔力はかなり抑えられる。
指示やイメージの曖昧な部分は魔力によって補われるから、逆に指示やイメージが正確であれば、同じ現象を起こすのにもずっと少ない魔力で済むのだ。
で、今回の問題だけど、恐らく理由はこうだ。
長年同じ作物を作る同じ土地に豊穣魔法を使い続けると、術者の無意識のイメージが、その土地の特定の作物用に最適化されてしまう。
小麦畑に長年豊穣魔法を使い続けてきた術者にとっての“豊かな土地”とは、小麦を作るのに適した肥料配分の土地になるのだ。
そして、無機物についての知識を持たない術者は、そのことに気が付かない。
だから、別の作物を作っている他所の土地に行っても、同じ感覚で小麦に最適化した肥料をばらまいてしまうことになる。
それが、その土地の作物にとっても有効な肥料なら問題はない。
でも、作物ごとに必要な肥料って違うから、場合によっては、その作物にとっては毒になるような肥料をばらまいてしまうことになる。
これが、ユーグ領で起きている問題の答えだ。
手っ取り早い解決策としては、豊穣魔法を使う術者に、その土地で育てている作物を具体的にイメージさせながら魔法を使わせればいい。
それで、この問題は解決だ。
私の長い独り言に、愕然とするユーグ侯爵とマルドゥクさん。
「今のは私の勝手な独り言で単なる子供の妄想話ですから、それを偶々聞いたマルドゥクさんがそこからアイディアを得て、新たな学説を発表したとしても、私の関知するところではありません。
ですから、必要であれば、これをマルドゥクさんの研究として発表してもらっても、うちとしては全然構いませんよ」
私の提案に、困惑を隠せない様子のマルドゥクさん。
実際、多分これ発表するだけで、“農学博士”とか取れちゃいそうだからね。
セーバの街では、ふつうに教えていることだけど。
「それから、ユーグ侯爵。
私としても、レジーナのためにそちらの貴重な人材を譲ってもらうことには、些か抵抗があります。
ですから、学術交流というかたちで、マルドゥク先生の代わりに、うちの豊穣魔法に詳しい者をお貸しします。
彼らには、ユーグ領の農業を学ばせてもらえればと考えていますけど、先程の豊穣魔法についての独り言については、よく勉強させていますから、代わりにこちらがお手伝いできることも多いかと思いますよ」
続く私の提案に目の色を変えたユーグ侯爵は、その場でマルドゥクさんの移住と、学術交流の話を快諾してくれた。
後日、私の理論の検証にと向かった農業ギルドの実験農場で、私とレジーナが当然のように豊穣魔法を使うのにまた愕然とされたけど、それはまた別のお話だ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
実は、今日で投稿開始半年!
毎日更新は無理ですけど、何とか週2ペースは維持しつつここまできました。
物語はまだまだ続きますので、今後ともよろしくお願いいたします。
m(_ _)m




