4.
最寄りの駅である三塚駅で電車を降り寂れたローターリーをぐるりと回ると、まだまだ元気な商店街があって八割方の店が開いている。
平日の午後一時半をまわっているので、人通りが少ないのもあって助かる。なにしろ地元の商店街で、その中に店まで構える家の娘がこんな時間に、制服姿でスーツ姿の男性と一緒に歩いているのを見られれば噂のひとつも立つと言うものだ。
「この駅は始めて降りたけど、駅前にちゃんと商店街がって良い所だね。俺、終点の天音沢なんだけど、駅前なんて観光客向けの店しかないよ」
「えっと、民家ってありましたっけ? どうやって生活しているんですか?」
「ちょっと戻った所に旅館や店の従業員が暮らす集落があってね、そっから車で駅に出て電車に乗るんだよ。普段は昔ながらの商店で済ませるし、車でちょっと行けばアウトレットもあるから」
「のどかで良い所ですよね。友達が駅前のお土産屋さんでアルバイトしているんですよ。だから何度か行った事があって」
昨年卒業した友達が、在学中から繁忙期にバイトしていた先があって、からかい半分で何度か遊びに行った。その彼女はそっちで彼氏を作って、いまは彼の家でバイトと言う名の花嫁修業をしていた。うちも客商売なので「就職先が無かったら雇ってあげるよ」なんて言ってもらった事もある。
もっとも就職先はすでに決まっていて、駅向こうにある給食センターで学校向けの給食を作るのだ。だから卒業してしまえば電車に乗る事も無くて、告白しなければ会う事も無くなっていたし、玉砕でも引きずる事も無かった。
「ほんと、何も無いのどかな所だよ。両親共に旅館勤めでね、独り暮らしと変わんないくらい気ままで居られるから、そのまま居座ってる感じかな」
「良いですね。私なんか休みの日は家の手伝いで店に出ますし、それが続けられるようにって近場の土日が休みの勤め先を勧められたんですよ。でも、心配をいっぱい掛けたからそれでも良いかなって」
「俺、ほぼ定時退社だし土日祝日は基本休みだから、真由美ちゃんに予定を合わすからね」
「すっごい嬉しいです。更に卒業が待遠しくなりました」
そんな感じで家に戻ると、暖簾が下りた店の扉を潜って雄介さんを招き入れた。父は作業場で蕎麦を打っていて、母は奥の自宅で昼の用意中のようだった。入って来た私を見ると、父が奥に声を掛けている。
「真由美の父です。娘を助けて頂いたそうで、本当にありがとうございます。直ぐに妻も来ますので、どうぞ座って下さい」
「あの、御構い無く。当然の事をしたまでですし大事無くて良かったですが、被害を未然に防げたわけでも無くって、もっと早く気付いていればと」
「そんな事ないですよ。雄介さんが助けてくれたからお尻を触られただけで済んだんですし、犯人だって捕まえてくれたから明日からだって電車に乗れるんですよ」
「えぇと、娘の知り合いだったのですか? でも、歳が。失礼ですけどどう言った切掛けで?」
言い淀んだ雄介さんに、黙ってしまうのは当然だよなって思った所に母がやって来て、お茶を出しながらお礼を述べた。すると、雄介さんは躊躇いも見せずに口を開いた。
「まぁまぁまぁ。この度はありがとうございました」
「いえ、あの。申しおくれましたが、藤木雄介と申します。実はお嬢さんとは少し前から交流がありまして、実際に会ってお話ししたのは今日が初めてなんですが、ゲーム内ではちょくちょく遊んでいたのです。それもあって助けを求める声も伝わりましたし、助ける事に迷いもありませんでした」
「ゲーム内って……」
当然だと思う両親の反応を見て、言葉をかぶせる様に有りのままを告げる。
「あのね。雄介さんが電車でお年寄りに席を譲ったのを見てね、この人って優しい人なんだって見ていて。そんな彼と言葉を交わしてみたくてゲーム始めて、彼の気付かいとか優しさを感じていたの。だから彼の前に立つが朝の日課になってて、声をあげられないくらい怖かったけど、助けを求める事ができて」
「その、お礼を受ける場でこんな事を言うのは憚れるのですが、お嬢さんとの真面目な交際を認めてください」
「私からお願いしたの。だから、認めて」
私の言葉に続いたのが交際を認めてほしいと言う言葉だったのに、両親も私も驚いたけれど、言ってもらえたのだから認めてもらうための言葉を継ぎ足す。
戸惑っていた両親はお互い顔を見合わせると頷き合って、母が神妙な顔で質問を返した。
「知っているかもしれませんが、この子の体には消えない傷があります」
「はい、昼に聞きました。それでも良いかと問われたので、見てもいない物を受け入れるとは言い切れないけど気にしないと答えました」
「正直な方ですね。この子は事故で傷を負って、学校も休学しました。それで友達も少なかったのでしょう、春から特に元気が無かったのです。それが最近、何かに熱中しているようで楽しそうに振舞い始めて、それも貴方のおかげだと思うので、こちらこそ娘をよろしくお願いします」
「はい、ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします」
母は言外に『肉体関係があって傷の事も知っているのでは』とほのめかしたのかもしれないけれど、雄介さんはそれの否定も込めて誠実に答えてくれたのだと思う。だからこそ母は、突然の話にも交際に至る短すぎる経緯も触れず、自分では分っていなかった変化を持ち出して許可してくれたのだろう。
父は黙って彼を見つめていたけれど、その眼差しは穏やで反対する気持ちも無いと思えて嬉しくなった。
「そろそろお暇します。仕込みの最中でしたのに、時間を割いていただき有難うございました」
「いえ。こちらがお誘いしたのですから、気になさらないでください。娘のこと、よろしくお願いします」
翌朝、いつもの電車にいつもの様に乗り込むと、雄介さんは顔をあげて待っていてくれて、ニコッと笑って席を譲ってくれた。
「おはよう。席どうぞ」
「おはようございます。お言葉に甘えさせてもらいます」
携番とかの諸々は昨日の内に交換していて、昨晩メールで『今日みたいなことに合わないように席譲るからね』ってもらっていたから甘えてしまった。
座って見上げれば、周りの人の視線が私たちに集まっているのに気付いた。それでも不快な感じの視線ではないので、昨日の一件を知っている人たちなんだろうなと納得して視線を降ろす。
降車駅の直前で席を代わって、「ありがとう。またね」って言えば「頑張れよ」って励まされた。
ホームに降りればシートに座ってしまった彼は見える訳もなく、人の流れに乗って改札を抜ける。昨日助けてくれた子達には会わなかったけれど、学校に着くとすぐに職員室に行き担任に声を掛ける。
「太田先生、おはようございます」
「おぉ羽村、おはようさん。昨日は災難だったな。大丈夫か?」
「はい、乗り合わせた方に助けて頂いたので」
そんな感じで、職員室内で昨日の事を話した。もりろん、手助けしてくれた三人の事も話をしたけど、雄介さんについては終始「乗り合わせた男性」だとした。変な誤解は避けたかったからだ。
もっとも手助けしてくれた内の二人は同学年なので、昨日の内に痴漢に遭った噂は広まっていたと担任から教えてもらえた。
担任と同時くらいに後ろの扉から教室に入っても、誰一人としてこちらに視線を向けては来なかったけれど、それとて先生が居なくなれば好き勝手なことを言い出すのだろうとため息が出る。
結局、直接的に何か言われる事は無かったけれど、聞こえる様に好き勝手なことを聞かされ、今朝のやり取りも見られていた様で噂に尾ヒレが付いていた。
「頑張れたか?」
夕食の支度中に母から呼ばれて、店に出てみれば雄介さんが来ていた。お客としてなのだろう、メニューを見ているところにお茶を持って行くと、私の顔を窺いながらそんな言葉を掛けてくれた。
「頑張れたと思うよ。好き勝手な噂は聞こえてきたけど、無視しきって授業も受けられたし」
「ん。敬語が出ない程には疲れているのは解った。えっと、鴨南蛮の大盛り」
「はい、お待ちください」
父に注文を伝えて薬味を準備し、他のお客さんが常連さんばかりなので雄介さんの前に薬味を置いて座る。
「ごめんなさい、馴れ馴れしかったですね」
「いや、タメ語の方が嬉しいよ。朝の事もからかわれたんじゃないかって、仕事中に気付いてさ。それで、顔見て話したくて来ちゃった」
「ありがとう。『コスプレしているから』だとか『自作自演じゃ』なんて噂が聞こえてたけど、慣れてるから気にはしていないよ。それより、雄介さんの評価が高くてヤキモキしちゃった」
「評価? 捕まえたこと?」
「それもある。あの啖呵は凄かったってのもあったし、席を譲ってくれる優しさだったりがね」
「朝のは優しさってよりも、俺もまだなのにって嫉妬めいた思いからだよ?」
「それでも、そう見えたんでしょ。私も優しいなって思ったし、こうして来てくれて嬉しいもの」
「そっか。それじゃ温めておくんで、遠慮なく座ってくれ」
奥から声が掛かったので厨房に戻って、雄介さんの分をテーブルに届けて挨拶を済ませて台所へと戻った。ご飯を食べてお風呂に入ったら、気持ちを入替えてゲームをしよう。決してニューロにはリアルは持ち込まない、リアルの話はメールや電話があるし、週末に会ってもいいのだから。
それから冬休みに入るまで、毎朝挨拶を交わして席を譲ってもらい、夜や週末は電話したりと充実した日を送った。私の方が先に休みに入ったので、『ゆっくり車内でゲームができているかな?』なんて思いながら年末の予定を立てて行く。
大晦日は掻き入れどきだけど早めに店を閉めるので、その後一緒に年越しそばを食べて初詣に行こう。街に出れば一晩中開いている店だってあるだろうし、ホテルはさすがに困っちゃうけど、長い時間一緒に居られるなら彼をもっと知りたいし私をいっぱい知ってほしい。
出会った切っ掛けは彼の優しさが垣間見えた些細な事だったけれど、二年半以上も続いていた閉塞的な世界を壊してくれた彼と、明るい未来を一緒に歩んで行ける様に寄り添っていければなって、にやけてしまった頬をさすりながら眠りについた。




