2.
学校が嫌いなわけではないけれど、学校に行く事がどうしても苦痛に感じてしまう。
だから、あの日にした決断が間違っていたのではないかと思ってしまうのだ。
私の名前は羽村真由美。けれども、三年生になってからちゃんと呼ばれた事は数えるほどしかなく、だいたいの子は『はむら』とか『あの人』と私を称して遠巻きにされている。
いじめを受けているとも言えるのかもしれないけれど、事は単純な事では無くて、私の決断が一端を担っている事は否めない事実だった。
幼い頃から男の子とも女の子とも隔てなく遊ぶ子だった私は、どちらかと言えば外で駆けずり回るのが好きだった。家が自営業で飲食関係なものだから、休みの日だって家族でお出かけなんて月に一度も有るか無いかだったので、五歳上の姉に面倒をみてもらっていた感じだし、姉の友達にもよく遊んでももらった。
小学校に上がると芸術系が壊滅的な事が分った。国語も算数も体躯も人並み以上に出来るのだけれど、歌うのも奏でるのも工作も誰よりも劣っていた。絵を描く事に関しては人並みくらいには出来たのだけれど、色を付けた途端に訳の解らない物に化けてしまうのだ。
それは中学に入っても変わる事は無く、必然的に運動系の部活に目が行き陸上部に入ったけれど、成績に関しては振るわなかった。どうしても最後の最後で集中力が切れてしまって、頑張っても頑張っても記録が伸びない。
極めつけは高校の入試に影響したことだ。高めを狙った私立は余裕で合格したのに、余裕で行けるはずだった県立の試験では集中力を欠いて、面接含めてズタボロの状況で落ちてしまった。
通い始めた高校は校則が緩いものの、荒れているとかは無くて毎日が楽しかった。
部活でテニス部を選んだのは同じ学校に進学した幼馴染の影響だった。記録記録と追いつめられるのが嫌になったのもあって、少し緩めの部活の雰囲気に惹かれたのだ。
ターニングポイントは二年に上がる始業式の前日だった。
いつもの様に部活に行き、「同じクラスになれると良いね」なんて話をしながらの帰り道に事故に遭ってしまった。皆より二歩ほど前を後ろ向きで歩いていた私に、一時停止を無視して飛び出した自転車が突っ込んできたそうだ。
私は突然の衝撃で意識を失って、目を覚ました時には学校は夏休みに入っていた。
事故で大腿骨と腸骨を骨折していて、腸骨の方は緊急手術を受けた為に腰に傷が残ってしまったのだけれど、それよりも頭部を強く打ったことによる昏睡状態が三カ月も続いていた事に一番驚いた。記憶障害とか麻痺とかが残らなかったのは不幸中の幸いだったけれど、留年は確定してしまったので、復学に躊躇いが生じてしまったのはしかたがない事だと思う。
姉は高卒で就職をしてその年の秋に結婚を控えていた。そんなだから私も大学に行くつもりは無くて、それを知っていた姉は休学してでも高校を卒業する事を勧めてくれた。最終学歴が中卒だと就職するにも不利になるからだ、と言われてしまえば納得するしかない。
懸命にリハビリをして、独りで普通に生活できるようになったのは正月も開けた頃だった。そんなだから、姉の結婚式には車いすで参加した。松葉杖で歩けない事は無かったけれど、写真撮影などで歩き回るのに杖は邪魔だし、従姉が押してくれると言うので甘えたのだ。
昔遊んでくれた姉の友人たちは、そんな私を気遣ってくれて二次会まで連れまわしてくれたのは良い思い出となった。
そんなだから、留年と言う形にはなってしまったし激しい運動はまだまだできないけれど、四月からの学校生活に不安など抱かなかった。
復学した学校生活は、順風満帆とは当然いかない。
クラスの中では年上と言う事で何処か壁を作られていて、敬語で話しかけられたりグループに入れてもらえなかったりと孤立した。部活は休学中に入ってきた子達が居る中に混ざる形になったし、走りまわれないのでマネージャーの仕事をすることになったけれど、仲良かった子達が上級生なのにも拘らず前と変わらない接し方をするので、同級の子達は面白くなかったようだ。
それでも卒業だけはしたいので、今は孤独だろうと頑張らなくてはと気合を入れて臨んだし、それを受けとけてくれる同級生から友達も出来た。
すべてに裏切られたのは修学旅行の後だった。
突然、周りの子が避ける様になって一週間ほどして、幼馴染の綾乃ちゃんに呼び出された。
「ねえ、真由美ちゃん。あなたが男テニの木原君と付き合っている噂があるんだけど」
「え? 嘘でしょ? そもそも好みじゃないし、話した事も無いよ」
「修学旅行で木原君に告った子がいたらしいけど、『羽村さんと付き合ってるから』って断ったそうよ。それが、三年生の中でも噂になってて」
「なんでそんな事を言ったんだろ。いや私、あんな子とは付き合うつもりないよ」
木原君は女の子に人気がある。まあまあ整った顔をしているが、私に言わせれば顔の良さを鼻に掛けたチャラい男なのだけれど、同い年や年下には素敵に見えるようだ。そんな彼が吐いた嘘で、私に向けられていた無関心さは簒奪者への憎悪と変わったのだろう。
それから数日して、私の立場は更に悪いものとなった。その理由は、綾乃ちゃんに再度呼び出されて知る事となる。呼び出された場所には綾乃ちゃんの他に、これまた幼馴染の丹原君がいた。
「真由美ちゃん。このバカのこと殴っていいから!」
「どう言う事? てか丹原君、こうして話すのも久し振りだね」
「羽村さん、ごめん。実は噂の真相が知りたくって木原を呼び出して話を聞いたんだ。そしたら野郎、『告ってきた子が好みじゃなかったから、断る口実に名前を使った』って言うじゃないか。好きな気持ちでもあるのかって聞いたら、その、『年上のババァに興味なんて有る訳ない』なんて言いやがるから、カッとなって殴り飛ばしちゃって」
「でね。真由美ちゃんを寝取られた三年の彼氏が、木原君を殴ったうえに破局したって噂が立っちゃって。だから遠慮なくブッ飛ばしていいから」
そこで丹原君を殴ったら、それこと痴話げんかの末なんて言われかねないし、余計なお世話だったけれど悪気があったわけでも無い。幼馴染への侮辱を聞き流せなかったのだから、私が起こるのも筋違いだろう。
「やり方が悪かったのは事実だけど、私のために怒ってくれてありがとうね。私は大丈夫だから気にしないで」
「でも」
「いいの。私は卒業証書をもらう為に留年までして残ったんだから、何を言われたって気にしないんだから」
「それでもなにか償いをさせてほしいんだ」
「だったら、お勧めのゲームってないかな。電車の中や始業前に出来そうな、そこで友達が作れるようなのが良いかな」
そうして、いくつかのゲームを教えてもらって水に流した。
ただ、勧められたゲームをしたかと言えば続かなかった。スマホは対応していたのでアイグラスも買ったのだけれど、どうしても酔ってしまってダメだったのだ。
三年生になると悪い噂は更に広がってしまった。別に何をしたわけでも無いのだけれど、逆にそれが彼女達には澄ましている風に見えたのかもしれない。
『あの人、誰とでも寝るそうよ。それで、木原君と上級生が喧嘩したんですって』
『腰に傷があるでしょ。痴話げんかの末に刺されてできた傷らしいよ』
『実は先生とデキてて、それがバレて停学してたって聞いたよ』
『あの人に逆らうと怖いお兄さんに連れて行かれて、風俗に売られちゃうんだって』
友達の知り合いがとか、出所不明の噂を信じる方がどうかしていると思うけど、歳の違う異分子な私を生贄にする事で丸く収まっているのかもしれない。いい迷惑なのは事実なのだけど。
部活は夏の大会で引退となる。それはマネージャーの私も一緒で、二学期からは朝練も無いのでゆっくり家を出る事になった。
電車は前より混んでいるけれど、ゲームをしない私には早く学校についてもする事が無いので我慢する。それに悪いことばかりでは無かった。
ある日いつものドアから電車に乗り込み、いつもの様に少し入った所で吊革につかまっていると、後ろからお爺さんが乗り込んできた。この時間に座っている人はアイグラスを付けている人がほとんどで、どこまで乗るのか解らないけど可哀想にと思った。
すると、端に座っていたサラリーマン風の人がすっと立って席を譲った。
「席どうぞ」
「いえ、宍戸までなので。お気遣いだけで」
「俺は終点までなので、降りられたらまた座りますからどうぞ」
そんなやり取りを大人だなって感じて、それでも顔を見れば姉と同じくらいか少し上の様で、そんな彼に興味が湧いた。なにせ、学校に居るのは自尊心ばかり高くて行動はガキっぽい子ばかりだし、電車内だって我関せずの自己中が多い。だからこの興味は自然な流れだったと思う。
次の日から彼の前に立つようになった。彼は毎日ゲームをしていたけどアイグラスを使わないゲームで、ロールプレイングなのだろうモンスターを倒してアイテムを拾っている。それだけなのに、動きが滑らかで無駄のない戦闘に目が吸い寄せられた。
食い入るように画面を見ていれば、たまに顔をあげられて目を泳がせてしまったりしてしまうが、特に嫌な顔をされる事は無かった。だからか同じゲームをやって、ゲーム内だけでも良いから知り合いになりたかった。
そっと画面を写して姉に送ってなんのゲームか調べてもらったら、翌日には返事が来た。旦那さんが一時期ハマっていたらしくて、簡単な説明分まで添付されていた。
学校から帰るとすぐにダウンロードして始めると、キャラネームで躓いてしまった。同じ名前のキャラが存在できないように成っているようで、入れる端からダメ出しを食らう。名前をもじった【ねむ】をカナにしたりローマ字にしたりしたけどダメで、片端から漢字変換して【音夢】でやっと受け付けてもらった。
容姿はそんなに変えずに髪型は自分と同じにして、褐色の肌に蜂蜜色の髪にした。武器の選択は彼と被らないようにしたかったし、独りで少しは進められるようにと、初心者向けの片手剣を選んだ。
チュートリアルを進めて操作に慣れて、彼とフレンド登録する方法を探すとIDが必要な事が分った。そしてラッキーな事に、写した写メにそれが写り込んでいたからすかさず申請してみたら、その日の内に承認してくれてメッセージまで入れてくれた。
『フレンド申請ありがとう。日本では人気急落のゲームだけど、君の周りでは人気があるのかな?』
『いえ。周りの子は最近のゲームにハマっているようです。私、アイグラスが苦手なので』
『それでか。じゃ、分んない事はどんどん聞いてくれていいよ。古参だから大概の事は分る筈だ』
『ぜひぜひ。よろしくお願いします』
そんな簡単なやり取りだったが、彼と会話をする事ができてとっても幸せな気分になれた。こんな感情、いつ振りだろう?
朝電車に乗れば彼の前に立ち、こっそり画面を見ながら動きを覚える。彼は両手剣なので攻撃主体だけど、ヒットアンドウェイを綺麗に決めて敵をなぎ倒していく。真似ができるほど上手くは無いけど、参考にさせてもらってレベル上げに勤しんだ。
ゲーム内チャットの事で注意されたこともある。
こういったゲームは初めてで本人を毎日見ている者だから、リアルの知り合いみたいな感覚でいて、私を知ってもらいたいのもあって身バレするような際どい会話をしてしまっていたようだ。それでも、こちらを変に詮索する事も無くこうして注意もしてくれることから、あの時に席を譲ったのは彼本来の優しさなんだと思えた。
いつかは彼に正体を打ち明けた。できれば親しい間柄になりたいと思うけれど、そのタイミングと方法が分らないでいて、相談する相手もいない。
母はこんな関係を理解できないだろうし、姉夫婦では危険な関係だと糾弾されそうで言えない。幼馴染は進学や就職で会うタイミングが見つからないでいて、ネットで検索すれば『SNSによる犯罪(売春やら拉致監禁やら)』ばかりが目に付く。
そう言うのを見てしまうと、私のしている行為がストーカーみたいな犯罪に思えてきてさらに言い出しにくくなる。
そうしてゲーム内での交流を深めつつ、気が付けばコートでも羽織りたいほどの季節になっていて、彼の前にこうして立てる時間の折り返しを過ぎてしまっている事に気付く。
それでも言いだせなくて、決して電車内ではゲームを立ち上げない様にしていると、彼のプレーが変わっている事に気付いた。しきりに同じモンスターを狩り続けているので、レアアイテムを狙っている事は分るのだけれど、レベルが違い過ぎて一撃なものだから、誰かに頼まれたのかもしれないと考えた。
私が頼んだものではないのだから、私と同じくらいのレベルの他の人とも交流があって、もしかすると女の人でその人も好意を寄せているのかもしれないと考え至った。ならば早くしないと取られてしまうかもしれない。
それでも相手は、私みたいな学生では無くて、体に傷なんか無くて、スタイルも良くって、綺麗な人かもしれないと思うと勇気が出ない。