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【タイトル、出合い→出会い】 東京でオリンピックが行われて、国民生活は大きく変わった。
競技施設が造られたにもかかわらず、マイナー競技人口の裾野は広がらずにいて、作られた箱物の維持管理費が国民生活に暗い影を落とす。公共料金は軒並み上昇し、税率も上がれば新設税も施行されるに至って、わざわざ外出してまで何かをするなど贅沢だと敬遠され始めた。
もっとも悪いことばかりではない。首都圏を中心に無料Wi-Fi環境が拡充し、5Gの通信環境が全国的に整備されたのだ。
折しもeスポ(対戦型ゲーム環境での賞金制トーナメント)が一般人にも認知されていたこともあって、それまで専用のパソコンで行われていた物が携帯端末でも出来るようになるにつれ、eスポ人口は爆発的に増えた。
eスポの三種の神器と言えば、スマホやタブレットなどの端末と眼鏡型モニタであるアイグラス、そしてコンパクトキーボードかジョイスティックとなる。
これさえあればカフェだろうと電車内だろうと、少し前の自宅環境に匹敵する滑らかさでネットゲームができるのだ。さらに、ながらスマホ撲滅のためアイグラスには透過能力は無いので、事故率が下がったのは皮肉なものである。
もっとも弊害が無い訳ではない。電車の座席に座る者の大半がアイグラスを掛けているおかげで、席を譲る行為自体が全くと言っていいほど行われない。もしかすると、譲りたくないのもあってゲームをした振りをしている者もいるのかもしれない。
自己紹介がまだだった。
俺、藤木雄介は三十前のしがないサラリーマンだ。
大手企業の物流倉庫で、事務やらフォークリフトでの運搬やらプログラム開発やらと、便利屋としてこき使われている。まあ、給料はそこそこ高いし残業も殆んどないので、自分的にはホワイト企業だと思っている。
住まいが田舎なので、始発駅から終点近くまで一時間半を座って通勤できる、同僚から羨ましがられる環境に居る。
そんな環境に居るにもかかわらず、ゲームにそれ程のめり込むことも無いのでアイグラスは持っていない。通勤電車内ではゲームをするが、四年近くやり続けているMMORPGタイトルのニューロンオンライン(ニューロ)なので、細々と言ったところか。
ニューロを始めたのはオリンピック前の事だった。当時の同僚にゲームオタクが居て、何気に考え方なんかが似ていたので仲良くなったわけだが、当然ながらプライベートの話となればゲームが主体となるので勧められるがままに始めたのだ。
ステ振りや素材の融通、ボス攻略やコミュニケーションの取り方などを、懇切丁寧に教示してくれたものだから、コミュ症の俺でも苦も無く楽しめていたのだ。
過去形になってしまったのには訳がある。師匠であるゲームオタク君は自宅ではゲーミングマシンを自作していたのだが、ネット環境が整備されたとたんに外でもネットゲーム三昧とかした。
当然、俺もしつこく誘われたのだが断った。一応分別ある社会人としては、仮想世界に浸り過ぎるのは気持ちの良いものではないし、現実世界を楽しみたかったからだ。それに、同時に始めたにもかかわらず奴はあっという間にレベル差を広げ、足手まとい感がハンパなかった。同じ思いはしたくないのだ。
海外では未だ人気の衰えを見せないニューロではあるが、日本国内でのユーザ数は急降下していて、チャットには外国語ばかりが流れている。それでも辞めずにいるのは育てたキャラに愛着があるし、新しいシナリオが定期的に公開されていて、なによりシステムの安定感が最近時のゲームではあり得ないレベルで高いからだろう。
秋の気配を感じ始めるころ、始めたばかりらしいレベルのユーザーからフレンド申請が来た。日本語で来たので日本人だと思うが、最近の外国人は日本語も操るので一概には言えない。
『フレンド申請ありがとう。日本では人気急落のゲームだけど、君の周りでは人気があるのかな?』
『いえ。周りの子は最近のゲームにハマっているようです。私、アイグラスが苦手なので』
『それでか。じゃ、分んない事はどんどん聞いてくれていいよ。古参だから大概の事は分る筈だ』
『ぜひぜひ。よろしくお願いします』
どうやら日本人で間違いないようだ。夕方以降にインしているので、学生さんかパートなのかもしれない。それにしても装備が貧弱で、レベリング中なのは分るが効率が悪そうだ。
あまりでしゃばるのも悪いと思って、マイルームに招待してチャットで相談に乗ったりボス戦に付き合ったりしていたが、チャットの端々に身バレしそうな単語が出てきてヒヤヒヤさせる。
『わざとなら聞き流してほしいんだけど、学生だとか就職決まっただとか、路線や地名は書かない方が良いよ。身バレするのは何かと危険だからね』
『確かに。リア友との感覚で書いてました。気を付けます』
『ところで、ゲームは楽しめてる?』
『楽しいですよ。欲しい装備とか有ると、思わず課金してしまうおうかと思うほど』
『分らなくもないが、泥沼化するよ。素材でどうにかなるなら付き合うからさ』
『そんな、悪いですから。それでなくても低レベルのクエに付き合ってもらってるんですから』
『良いって。ちょっと行き詰ってるから、気晴らし兼ねているんだし。早く上がってきてくれたら嬉しいし』
彼女って表現があっているかは判らないけど、言葉使いやキャラの性別が女性なのでそう表現しよう。ネカマと言う線も捨てきれないが、そこに触れないのもマナーだろう。
そうする内に冬の寒さが身に染みるようになってきて、彼女のレベルも順調に上がってきていた。装備もそれなりに充実してきたが、見た目があまりよろしくないのだ。装備のパラメータ重視で選んでいるものだから、服装のチグハグな感じは否めないし、髪色とかとも相性が悪い。
差し出がましいとは思ったが、彼女の防具類をプレゼントする事にした。このゲームはアイテムの譲渡も出来るのだが、素材さえあれば装備の色も変える事ができる。
むろん課金すれば見た目を華やかにする事も可能ではあるが、如何せん揃う確率は天文学的数値だろう。始めた頃は課金してガチャをまわしていたが、こと防具に関しては上下が揃ったためしがないのだ。
彼女の武器は汎用性の高い片手剣。
切り込みも出来れば楯役もこなせるので、攻撃力特化でパラメータを全振りしている。ならば防具で耐久力とスピードをカバーしてやるのがセオリーだろうと、肌の露出を抑えたロングスカート風の甲冑を白に染めて作った。
かなりレア素材が必要なので随分とてこずったが、決心から二週間かけて完成にこぎつけた。これなら褐色肌の彼女には合うだろうし、キャラレベルに見合うステータスの底上げが可能だろう。
もし色が気に食わないなら、欲しい色素材を一緒に探しに行っても良いだろう。それを口実に、クエを一緒にこなすのも悪くないと思える。
いつもの様に電車に揺られてゲームをしていると、前に立つ女子高生が妙に体を動かしているのが視界に入る。記憶をたどれば残暑厳しい頃からよく前に立っていて、じっと俺のしているゲーム画面を見ていた。
視線が気になってふと顔をあげれば、恥ずかしそうに視線を彷徨わせる事はあっても、体を揺すったりは無かったはずだ。
気になって顔をあげると、その子は赤い顔をしてしきりに後ろを気にしている。その内に後ろから伸びてきた男の腕が、その子の腹に触れて抱きしめるような体勢になったところで、ゲーム画面に彼女からチャットが流れた。
『前にいます たすけて』
ハッとして目の前の子を見れば、スマホを片手に涙目でこちらを見ていて、確実に痴漢の被害に遭っていることが知れる。
男はアイグラスを掛けていれば見えないのだからと、随分大胆な行動に出ている様なので、回された手を袖口が写る様に撮って思い切り手首をつかんだ。
「次の駅で降りろ! 警察に突き出してやる!」
大声を出せば周りの視線が集まり、捕まえた手首が逃げようと暴れるのを意地でも離すかと力を込め、立ち上がって女の子と体を入替える。
「何の言いがかりだ! 俺は痴漢なんてしていない!」
「誰も痴漢だなんて言ってやしないだろう。墓穴掘りやがって。いいから続きは警察で聞いてやるし、証拠の写真もあるから逃がさねえぞ!」
四十も過ぎたであろうでっぷりとしたオッサンを思いっきり睨みつけると、観念したのか押し黙って抵抗もしなくなった。
駅に近付き電車が減速すると、彼女と同じ学校の生徒なのか近くに居た学生服の男子が二人と女子が一人「手伝います」と言って手を貸してくれ、男をホームに引きずり下ろすと人が空くのを待って駅員を捕まえて訴えた。
「痴漢です。警察を呼んでください」
痴漢を駅員に引き渡すと、遅刻させるのも悪いので手伝ってくれた学生には礼を言って学校に行ってもらう。駅員には一言断ってあるので、駅員に脇を固められた痴漢の後ろ姿を見送りながら、落ち着けるべく彼女と一緒にベンチに座る。
「怖かったろう。よく声をあげたな、偉かったよ」
「【ユースケ】さんが居てくれたから。助けてくれると信じられたから」
「【音夢】さんなんだよね。俺の名前は藤木雄介って言うんだけど、いつから知っていたの?」
「初めからって言ったら変ですね。名前は羽村真由美です。あの、雄介さんが電車でゲームしてるのを見て、ちょうど新しいゲームを始めたいなって思っていた時だったから。それで、画面で見たユーザーIDからフレンド申請させてもらったんです。まさかこんな事になるなんて思ってもいませんでしたが……」
「そっか。うん、画面を見られているなってのは気付いていたんだけど、てっきり『古臭いゲームを飽きもせず』なんて思われているのかと思ってたよ」
「そんな。最近のゲームって胸のおっきな女の子キャラばかりで、気持ち悪いなって思ってたのに、ニューロは普通な感じがしたからコレならって」
「そっか。っと、パトカーが来たみたいだね。勤め先に電話入れるから、羽村さんも学校に連絡入れておきなね。終わったら一緒に駅員室に行こうか」
会社に連絡を入れると、「捕まったの間違えじゃないよな」と三度も念押しされて有休にしてもらえた。急ぎの仕事も無いから明日頑張れば取り返せるだろう、と信頼されている様なので一安心する。半休の制度が無いのが少々痛い。
羽村さんの方が早くに電話を終えていたので、一言謝って駅員室へと向かう。
痴漢は既にパトカーに乗せられて連れて行かれた後で、残っていた警官に連れられて駅前の交番に移動し、そこで別々に話を聞かれることになった。
まあ目撃者なものだから、一通り説明して写真を見せればデータを抜かれておしまい。「随分大胆だねぇ」てのはお巡りさんの言葉だったけれど、それは俺も思うところで周りの無関心に背筋が寒くなる。網棚の荷物が消えていても気付かないんじゃないかなんて考えて、そもそも網棚に荷物をあげる人間自体を見ないなって変な納得の仕方をした。
帰っても良いと言われたけれど、顔見知りだから待たせてほしいとお願いしてお茶を出してもらったりした。もっとも、彼女は被害者だからそこそこ時間が掛かった訳だが。
やっと解放されたものの、今から学校に行ったら昼時間にかかりそうだとの事で、彼女は学校を休むことになった。
「親御さんには連絡したの?」
「一応入れましたが、自営なんで無理しないでって伝えておきました。その、お礼を言いたいそうなので、お時間ってあります?」
「有休にしてもらったから、暇って言えば暇だけど。当たり前の事をしただけだから、お礼なんていいよ。お仕事の邪魔はしたくないしさ」
「仕込みで二時から昼休憩なんです。うち蕎麦屋やっていて。日を改めた方が良ければそうしますが」
「はぁ。分った、その時間にお邪魔させてもらうよ」
一言お礼を言われて済むなら、今日中に終わらせてしまった方が良いだろう。それより、飲食店なら昼は済ませて行った方が良いだろうと思うし、迷うくらいなら連れて行ってもらった方が楽だろう。
「えっと、昼には少し早いけどファミレスでも行く? さすがに二時過ぎまでは腹がもたない。それとも、羽村さんは先に帰っておく?」
「う、嬉しいです。ご一緒させてください」
降りた事のない駅だったが、見回せばローターリー沿いにファミレスやファーストフード店が並んでいる。時間を潰すにはドリンクバーが無難かと思い、真っ直ぐファミレスに向かう。
時間も早いし平日でもあるのに、店内は結構な繁盛っぷりだった。幼稚園前の子を連れた奥さん連中だろう、何組もが奥のボックス席を占拠している。
レジを挟んだ反対側は二人掛けのテーブル席だったので、迷わずそちらに行って通路側の椅子に座る。窓に面しているので、こちらに座ると外から丸見えになる。スーツ男と制服姿の女子高生なら目を引くはずで、好奇の目に彼女をさらすのは好ましくないと考えた。
注文を終えると変な沈黙が流れる。気楽に誘ったものの、歳の差もあるし女子高生と話なんかした事も無いので、どうしていいのやら考えつかない。
「あの。素直に付いて来てしまいましたが、彼女さんとかに怒られませんか」
「へ? あ、いや、彼女なんて居たこと無いから。それなら、羽村さんだって彼氏とかに誤解されたら大変だよね。俺、隣に移ろうか」
「いえ、私も彼氏とか居ないので大丈夫です。その。私、いっこダブってるので、親しい友達とかもいなくって」
「海外留学でもしていたとか?」
「実は交通事故で入院してて、リハビリなんかであっと言う間に一年たっちゃって。学校も辞めちゃおうかとも思ったんですが、進学する気もないし、最終学歴が中卒じゃ先行って大変かなって。それでもうまく行っていたと思ってたんですが、三年なんで部活を引退したら途端に独りになる事が多くて」
「そっか。大変だったね。だと、ちょうど十歳違いになるのかな。うわ、歳感じるわ」
十歳違いか、十分にオッサンだよな。俺がさっきの痴漢をオッサンだって感じた以上にオッサンだって見られているんだろうな。なんかショックだわ。
そんな俺の気も知らずに、羽村さんは追い打ちを掛けてくる。
「もっと若いと思ってましたけど、そうなんですね。ニューロは古参って言ってましたけど、どれくらいなんですか?」
「事前登録だったから、暮れで丸四年かな。最初は同僚とやってたけど、一年過ぎたあたりからはソロで活動中。たまに誘われてパーティーを組むくらいかな。だから、羽村さんと回る様になって楽しいよ。そうだ、装備を作ったから受け取ってもらえると嬉しいんだけど」
スマホを出すと彼女もつられてアプリを立ち上げ、ログインすれば最近拠点にしている町で、すぐに【音夢】さんが近づいてくる。別に近づかなくてもアイテム譲渡は出来るが、せっかくなら着ている所を早く見たいので、あえてその事には触れないでおく。
システムを開いて相手を選択し、作っておいた防具を譲渡する。彼女は受け取った防具のパラメータを見て驚いた顔をし、装備を変えた途端に顔を赤らめた。
「あの。ありがとうございます。その、ウエディングドレスの様でビックリしました」
「う、うん。思った通りの感じだな。でもそっか、ウエディングドレスと言われるとそうかもしれない。嫌なら使わなくてもいいし、色を変える事も出来るから」
「いえ、嬉しいです。このままが良いです。あの……」
「ん?」
「お試しでも良いんで、お付き合いしてもらえないですか?」
「え? いや、俺オッサンだし。見てくれもこんなだし。出世の見込みもないし」
「腰に手術の痕が残っているんですけど、傷のある女は嫌ですか?」
「見た訳じゃないから絶対とは言えないけど、気にはしないよ。えっと、本当に俺なんかで良いの? 後悔しない?」
「それこそ分りませんけど、初めて見掛けた時からずっと気になっていたんです。だから、捨てられても文句は言いません」
「んっと、ありがとう? や、よろしくお願いします」
これは必然の出会いだったのかは分からないけれど、そんなこんなで彼女ができてしまったのです。夢なら覚めないでほしいと思ったけど、この後にご両親と会う事を考えると、挨拶がうまく行く未来が全く見えない。
救って頂いてありがとうに、歳の差はありますがお付き合いさせてくださいで返すのか?
それなのに時間は無情にも過ぎていて、促されて席を立って店を出る。さすがにお会計は全部持たせてもらったけど、もじもじする彼女の隣りで見る車窓はなんか普段と違って見えた。
現実世界を大事にしたいと決めたのは自分なんだから、守るべき存在を得た以上は精一杯頑張ろう。今日みたいな目に合わせない様、ちゃんと守ってあげようと心に決めた。