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そこは、一面開けた場所だった。そこかしこに点在するマグマ溜りが、明々と地下空洞を照らしている。その明度は、その他の光源を必要としない程に高い。その中で、皆の目を引くものがあった。それは、前方中央に存在する池とも湖とも言える大きさの泉だった。
最前列の連中が、泉の前に立つ。それを契機として、異変が起こった。水面がぶくぶくと泡立ち始め、渦を巻き始める。地下全体が激しく振動し、次々とマグマが噴き上がる。
――そして、そいつは現れた。成人の五倍はあろうかという巨躯、頭に二本の角を生やし、三叉の尻尾は泉を囲える長大さ、全身に黒々としたオーラを纏っている。しかし、最も注目すべきはそのどれでもない。翼だ。背中の左側に、全身を覆えるほどに巨大な黒翼がある。
片翼の三枚羽。圧倒的な威圧感を放つそれが、目の前の存在の正体を確信させた。これまで戦ってきた強敵たちにはない、威厳とでも言うべきものを感じたからだ。
恐らく、世界中で最も有名な悪魔。地獄の魔王、サタンが俺達の眼前に降臨した瞬間だった。
戦闘はすぐに始まった。先手を取ったのはサタンだ。右の掌をこちらに向け、握りしめる。すると、周囲のマグマ溜りから溶岩が打ち上げられ、辺り一面に降り注ぐ。前方で、何十人かが詠唱とともに錫杖を掲げた。すると、何重もの魔法の壁が現れ、それは溶岩の全てを防いだ。だが、サタンの攻撃は終わらない。指先一つで烈風を巻き起こし、一言呟くだけで配下の悪魔を呼び出す。長い尻尾は伸縮自在の武器となり、まさに槍の雨となって此方を強襲する。二本の角が帯電したかと思えば、周囲に黒い落雷を発生させる。
――だが、その尽くが無為に終わる。前線に立つ者たちによる防御フォースやアーツ、または的確な指示によって、難なく防ぎ切ったのだ。そして、その合間に行われる反撃。それ自体は実に単純なものだった。光属性を帯びた中遠距離武器による攻撃や光属性のフォースにアーツ、それをひたすらに打ち込み続けるだけだ。恐らく、サタンの弱点と思われる。となれば、武器にはサタンに対応する《特効》も仕込んでいることだろう。
《特効》は、それに対応する敵に対して絶大な効果を発揮するのだ。
激しい攻防が続く。ここで特筆すべきは、味方が必ず攻撃を命中させていることだ。サタンを護る黒いオーラ、その隙間を縫って攻撃を必中させている。そして、敵からの攻撃は確実に防ぎ続ける。それが何度も繰り返されるうちに、サタンの様子に変化が起きる。黒いオーラが翼へと集約され始めたのだ。次いで、ここに来て初めてサタンの怒号が響く。三枚の羽を大きく広げた次の瞬間、漆黒の熱線が戦場全体に向けて放たれる。回避不能の超範囲攻撃。
恐らくは、サタン最大の攻撃だろう。――しかし、防ぐ。完璧に防ぎきってしまう。そして、それが終わりの呼び水となる。前線を行く者たちが装備を近距離武器へと変更し、次々と突撃する。息つく暇もない怒涛の攻撃、とめどなく溢れる暴威、抵抗を許さぬ戦場の嵐が吹き荒ぶ。
空間に穏やかさが戻った時、そこにいたのは、力を失い、泉の底へと崩れ落ちていく真魔の姿だった。断末魔の醜い足掻きなどなく、ただ静かに消え行く王の姿だった。
――この一連の経緯を、俺は見ていた。ただ、見ているだけだった。馬を降り、最後尾から眺めているだけで、全ては終わったのだ。他にも手持無沙汰の連中はかなりいたので、おそらく、戦闘の実働人数は百人程だっただろう。圧勝と言う以外にない結果だ。俺が呆けていると、すでに前の方では、目当てのアイテムが出ただの出なかっただのと盛り上がり始めている。
「あはは……。ルーナちゃんの言う通り、本当に何もすることなかったね」
「そうだな。戦ってた連中からしたらサボっているように見えただろうし、悪いことしたな」
申し訳なく笑うネイに調子を合わせる。が、正直、俺は大して気にしてない。
「へえ。アンタでも、そんな殊勝なこと思うのね。意外」
なんか感心してる。今更、嘘だよバーカ、なんて間違っても言えないな。
「さ、とりあえず、俺達も前に行くか。アイテム回収の時間だ」
二人を連れて泉の前まで歩く。辺りに視線を走らせるものの、案の定というか、予想通りというか、レア物は何もなかった。ルーナとネイも同様らしかったが、まあ、今回は何も文句は言えまい。続々と帰り始める他のパーティを見ると、残念な結果のヤツの方が多そうだ。
「しかし、本当にもう終わったのか。せっかくこんな所まで来たのに、拍子抜けだな」
水面を見つめながら、愚痴っぽいことを呟く。何となく帰るのが惜しくなり、地面に寝転がる。考え事でもと思ったのだが、そこで何故か思い浮かんだのが例の都市伝説についてだった。秘密の扉、なんていかにも胡散臭い話だが、時間をつぶすには丁度良かったのかもしれない。
「二番目の星が砕けた場所、か……」
知らず、口に出してしまう。そこがどこなのか、まるで見当もつかない。隕石が落ちた形跡のあるフィールドでも回れば見つかるのだろうか。……見つかるわけないか。
「――ねえ、ハル君。ねえってば」
ボーっとしてたせいか、ネイの呼び声に遅れて気付く。
「なに、その二番目の星が砕けた場所って?」
独り言を聞かれていたらしい。その隣では、ルーナが怪訝な顔をしている。
「え、ああ。暇つぶしに考え事をしてたんだ。別に大したことじゃないんだけど……」
聞いた限りの話をざっくりと説明する。
「なにそれ、都市伝説?」
ルーナが俺と同じことを言い出す。といっても、誰でも同じことを思うだろうが。しかし、ネイは違っていた。何やら、真面目に考え始めている。
「……うーん、難しい。なんだろう?」
なんでしょうね。俺にはさっぱりわかりません。
「ネイ、こんなの真面目に考える必要ないわよ。ただの悪戯なんだから」
「うん、そうかもしれないけど、もしかしたら、ちゃんと答えがあるかもしれないよ? クイズとかなぞなぞって、誰かに解いてもらうために作るものなんだし!」
三人の中で一人、ノリノリなおネイさん。しばし頭を唸らせていたかと思うと、なぜか突然、アイテムバッグと言う名の四次元ポケットから大量の本を取り出す。
「なんぞ、これ? どれも、やたら分厚い上に古臭さマックスなぼろっちい本みたいだけど」
「全部、ルーナちゃんがくれたお土産だよ。色んな本があるから、きっとヒントになるよ」
俺達に向かって、お日さまの如きまばゆい笑顔を発動する。はい、ルーナ陥落。
「もう、ネイは本当にしょうがないわねえ。しょうがないから、私も手伝うわね」
おかんか、お前は。ていうか、海底神殿で盗んできたのは一冊だけじゃなったのかよ。
二人が真面目に考え始め、暇になる。なので、積み上げられた本のうち、適当な一冊を手に取る。見ると、それはネイが読んでいたエネミーの解説書だった。ぱらぱらとページを捲ってみると、絵と写真付きで、元ネタや習性、対策方法などが一体ずつ細かく説明されていた。
まともに読めば、一冊読み終わるまでに丸一日か二日はかかるだろう。ざっと流し読みをしていたのだが、あるページで手が止まる。絵も写真もなく、わずかな情報だけが記されたページだ。
「……なあ、明けの明星って金星のことだっけ?」
「なによ、いきなり。そうだけど、それがどうしたのよ?」
答えるより先に、顔を上げた二人の方へとページを開いたままの本を向ける。
「へえ、明けの明星ってルシファーの異名なんだ。知らなかったわ」
「明けの明星……。明星、星……? うーん……」
ルーナは軽く驚き、ネイは考え込む。ネイは考え事の最中に話しかけても無駄なタイプか。
「そういや、ルシファーの居場所はどこにあるんだ? まだ、聞いてなかったよな?」
「知らないわ」
「は?」
もう何度目か分からない、予想を裏切る返答をされる。そろそろ慣れてきたぞ。
「知らないって言ったのよ。というか、ルシファーは存在自体が疑われてるじゃない」
「『じゃない』って言われても知らん。なんだ、その口ぶりだと、まだ見つかってないのか?」
「そういうこと。たまに話題を聞くけど、サタンとルシファーは同一存在だから、片方しか実装されてないんじゃないかっていう説が有力らしいわよ」
どこで有力視されている説か、恐らくは廃人連中の間でだろう。ルーナが廃人だからな。
「ふうん、なるほ――ど、って待て。存在しないんなら、解説書に名前が載ってるのは変だろ」
「……ああ、言われてみればそうね。じゃあ、やっぱり見つかってないだけか、若しくは、本に載せる時に七大悪魔が一体だけ欠けてると見栄えが悪いから載せたんじゃないの?」
あまり興味がなさそうに言うと、持っている本の方に視線を戻そうとする。
「二人とも、これ見て!」
すると突然、ネイが俺たちに本を突き付けてきた。戸惑いながら、それを目にする。
「なんだ? 宇宙の惑星について? なんでこのゲームはこんなものまであるんだ」
「ゲームの中で宇宙科学の勉強をしたい人のためかしらね。私はしないけど」
そんなことは俺もせん。二人揃って、訝しみながら表紙を眺める。そこには、太陽系の惑星の構図が描かれている。水金地火木土天海、お馴染みの惑星たちが……
「「――あ!」」
ピンときた。意味不明ななぞなぞの答えに、たった今思い至った。
「惑星の並び、序列の二番目は金星、で、ルシファーの異名も金星」
「そして、ルシファーとサタンが同一の存在ということは……」
ルーナと顔を見合わせ、ともに泉に目を向ける。
「ここか」「ここになるわけね」
確信を抱いて言い放つ。ネイに視線を戻すと、笑顔でうんうんと頷いている。
「しかも、明けの明星はゲームタイトル【Eosphorus】の和訳、もう間違いないよ!」
三人で勝利の笑顔を突き合わせる。謎が解けたせいか、心がスッキリした。
「しかし、まあ、なんだな。気づけば大して難しくもなかったな。余裕、余裕ー」
「見栄はるな、サル。一人だったら、どうせいつまでも分からず仕舞いだったくせに!」
「すいません、仰る通りです」
「素直に謝るのかよ! 調子狂うな、おい!」
お前も若干キャラ崩れてるけどな。ま、そんなことより、一つやることができた。
「――さて、じゃあ折角だし、試すか!」
「うん! 試そう、試そう!」
ネイが嬉しそうにはしゃぐ。これで何もなかったら可哀想だな。後でアメでもあげよう。
二人と共に、泉の前に立つ。サタンが崩れ落ちたそこは、今は静かに揺蕩っている。水温を確かめると、少し熱めの風呂といった感じだ。この程度なら入っても大丈夫だろう。
「一応、泉の中で入力しようと思うんだけど、お前らも飛び込むか?」
二人がすかさず頷く。ついて来る気満々だ。
「じゃ、3,2,1、せーのっ!」
一斉に湖の中に飛び込む。水深はそれなりにあるようで、思っていたよりも体が沈む。目を開くと、底は見えなかったが、二人が近くにいることは確認できた。早速、コードの入力を開始する。「231920・61518・251521」 覚えた通りの数字を入力し、決定。
……何も起こらない。「ま、だよね」 そう思い、二人と顔を見合わせた時だった。薄暗い泉の底に突如、眩い光が生まれる。のみならず、光の方へと強い力で吸い込まれ始める。慌てて浮上を試みるが、体が浮き上がらない。
やがて、光に包み込まれ、視界が真っ白になった。




