ボス戦二度目です
「よし、じゃあ開けるか。オルァァ! 噂の財宝とやら、一切合切奪いに来てやったぞ!」
――と、威勢よく扉を蹴破ったが、中に飛び込んだ瞬間、納豆とニンニクとトマトとピーマンと期限切れの卵と腐乱死体と糞尿と洗いそびれた中年男の靴下を混ぜたような激臭に襲われた。
「うごぁっ⁉ な、なんだァ、この殺人的な香りは!」
凄まじいとしか形容しようのないあまりの臭さに、体が呼吸することを拒絶する。鼻がイカれるどころか目まで霞み始め、吐き気が込み上げてくる。
「……はあ。あーあ、だからここには来たくなかったのに。ネイぃ、そっちに帰りたいよう」
俺が突然の悪臭に苦しんでいる最中、銀髪が項垂れながらぽつりと呟く。
「お、おい、るな太郎。てめえ、知ってたんなら先に言――うぅ⁉ い、胃液が逆流する」
掴んでいた手を放し、自分の口元を押さえる。すると、体を起こした銀髪が淡々と口を開く。
「言ってどうするのよ。どうせ引き返そうなんて思わなかったでしょ? そんなことより、ちゃんと目開けて、前を見てないと危ないわよ」
「ああん? 危ないって何が……」
と、聞き返そうとしたその時だった。べちょり、という嫌な音がして、剣に何かがまとわりつく感じがした。何とか目を開いて、それを見る。すると、その正体は――
「ウ、ウ、ウ〇コだぁぁぁぁぁー!」
香ばしい臭いを漂わせる、黄土色の物体だった。
「……よかったわね。体に当たらなくて」
「よかねえよ! お、俺の剣に、ワンオフの特注品に、札束と希少な素材を代償に手に入れた超々々高級品に、こんなザケた真似しやがる野郎は、一体どこのどいつだァ!」
剣を振って汚れを飛ばしつつ、部屋の奥に視線を向ける。すると、そこには一体の怪物がいた。広々とした一室、欧州の城に見られる謁見の間を思わせる洋間に、不穏な存在がいた。四枚の翅、六本の脚、赤色の複眼、人の十倍以上の体躯を有する、巨大な蠅の姿があった。
「……おい、あれは何だ?」
蠅を指差して尋ねる。しかし、きっと、答えを聞く必要はなかった。俺の胸には、アレの正体について、確信にも似た予想が生まれていた。
「ベルゼブブよ」
でしょうね。知ってた。
「なぜ海底に蠅の王がいる⁉ 意味が分からんぞ!」
「知らないわよ。そんなことはゲームの開発担当にでも聞きなさい」
どこまでもローテンションなまま、平坦な口調で答える銀髪。
「――あ、ネイからメッセージ!」
と思ったら、急に声を弾ませた。
「……あー、そっか。リアルだともうそんな時間なのね。サル、悪いけど私やっぱり帰るわよ。ネイがそろそろログアウトする頃合いだから、村まで送って行ってあげないと」
しかも、いきなり帰るとか言い出したー!
「は、いや、ちょっと待て。金銀財宝は? 山のような宝は?」
尋ねると、銀髪は背を向けながら答えた。
「ベルゼブブの後ろを見なさい。あそこに積まれてるでしょ。それじゃあね」
……なるほど。よく見ると、確かに宝の山が積まれている。剥き出しの宝石や貴金属が、蝋燭の薄明りに反射して煌いている。うむ、高く売れそうだ。それは良し。だが――
「……サル、なぜ私の肩を掴んでいるのかしら?」
「帰るなんて水臭いこと言うなよ。俺たちは仲間じゃないか。一緒に戦おうぜ」
精一杯のグッドスマイルとサムズアップで語りかける。
「わけわかんないこと言い出してんじゃないわよ! 私はネイの所に戻るっつってんの!」
しかし、効果はなかった。なので、肩を掴んでいる手に力を込めて力づくで引き留める。
「この、サルッ! 離しなさい! 私はもう帰るの! はーなーせー!」
「いーやーだー! お前、最後まで付き合うって言ったろ! あの蠅を倒すの手伝えや!」
全力で引っ張ったり引っ張られたり、綱引きのような状態になる。この女、物理武器使わないくせに、何でこんな無駄に腕力あるんだ。
「あーもう、しーつーこーいっ! 大体、私とアンタは元来敵同士でしょーがっ! どうして急にすり寄って来てんのよ! 二十文字以内で説明しなさいよ!」
「ああ⁉ どうしてだと? お前、バカか? そんなもん見りゃ分かるだろ!」
叫びながら左右の足元を指差す。
「う、うあああ、し、死ぬ」
「リ、リゼちゃ、お、俺はもう……」
激臭に耐えきれなかったんだろう。イナコーと昌明が今にも力尽きそうな様子で倒れ伏している。俺と一緒に部屋に飛び込んだ時からこの状態だ。
「肝心のこいつらがこの有様じゃあ、お前と協力するしかねえだろうが!」
「知らないわよ! 私はこんな所、もう一秒だっていたくないの! か・え・るッ!」
くそ、まるで聞く耳を持たない。まあ、気持ちは分かるが。俺も、宝さえ手に入れたら早く脱出したい。なのに、宝を護る敵は七大悪魔のベルゼブブで、しかも、初見で情報皆無、一人だと勝てるか否かさえ不明。
となればもう、るな太郎、いや、ルーナと組む以外の道はない。
「……ふう。なあ、ルーナよ。聞いてくれ。俺とお前の間には色々あったが、それも今となっては済んだことだ。それに俺、本当はお前のこと、そんなに嫌いじゃあないぜ?」
「キモい! アンデッドより遥かにキモい! あと、私はアンタのこと大嫌いなの!」
は、ふざけんなよ。人が史上最高のキメ顔を見せてやってるというのに、キモいとはなんだ。大体、俺だって本当はお前の事なんて大嫌いだよ! ……と、いかんいかん。
「まあ、そう言うなよ。折角ここまで一緒に来たんだ。帰る時も一緒だっていいだろ?」
「だったら、アンタが私と一緒に今すぐ脱出するっていう選択をしなさいよ!」
「馬鹿! お前、あの財宝を前にして引き返す気か?」
「財宝なんて興味ないわよ。私はネイに言われたから仕方な――ヒィィィィィッ!」
何だ、話の途中でいきなり扉の後ろまですっ飛んで行ったぞ。と、思ったその時だ。非常に嫌な音が耳に届く。俺の長剣が汚された時と同じ音だ。それも、今度は何度も。音がした方に、目を向けてみる。するとそこには、見るも無残な状態となった親友二人の姿があった。
「ぎゃあああああ! イナコーと昌明がクソまみれにぃぃぃぃ!」
全身をクソに包まれ、呻き声を上げることさえ許されない状態になった二人。やばいやばいやばい、シャレにならん。こいつらこのままじゃ、クソの海で窒息することになるぞ。
「おい、ルーナ! お前、本当に帰るつもりか! こんな目に遭わされた二人の仇討ちもせずに! そんなんで、そんなんでネイちゃんに顔向けできると思ってんのか⁉」
拳を強く握りしめ、心の底から情感を込めて叫ぶ、という迫真の演技を披露。
「……ネイに、顔向け?」
ピタリ、と動きを止め、俺の言葉を反芻する銀髪。
「俺達との協力を望んでいたネイちゃんが今のお前を見たら、さぞ悲しむだろうな」
知らんけど。しかし、今回のは効果があったらしく、神妙な面持ちで考え込む。
「…………分かったわよ。手伝うわよ。手伝えばいいんでしょ、もう!」
意外とちょろインなルーナであった。ただ、今はそれがとてもラッキー。
「よおし。それで、ルーナ? ベルゼブブの簡単な攻略法は?」
俺のそばまで戻ってきたルーナに、早速、肝心要の質問をする。
「知らないわ」
は? こいつ、今なんつった?
「この前来たときはすぐに撤退したし、二度と来ることはないと思ってたから」
「なんだそりゃ! じゃあ、何の情報もないのか? それでアレと戦うのか? この場所で?」
冗談じゃない。様子見しながらチンタラ戦ってたりしたら、俺の鼻がひん曲がる。
「失礼なこと言わないで。知ってることもあるわよ。いい? さっき、アンタ達が受けたベルゼブブの攻撃、アレを受けると、武器や防具の耐久値が徐々に減っていくの」
「……へ?」
武器や防具の耐久値? そろり、確認。右手の長剣を見て、俺は愕然とさせられた。
「と、溶けてるぅぅぅぅぅ⁉」
ルーナの言う通り、耐久値が徐々に減り始めていた。ついでに、クソまみれになってる二人の防具も溶け始めていた。不味い。今、俺の武器はこれ一本しかないのに。
「ち、最早一刻の猶予も無いってか。おい、ルーナ。速攻で決めに行くぞ、いいな?」
「言われなくてもそのつもりよ。ったく、足引っ張るんじゃないわよ!」
――こうして、ここに来るまでは考えもしなかった、宿敵との共闘が始まった。




