その四
ガレット伯爵邸の自室で、遅い夕食を終えて戻ってきたルーシエは、いつものように防御結界を調整し、深い吐息を洩らした。
弟妹が出奔して、今夜で五晩めだ。
今のところ屋敷内でルーシエ以外は誰も気づいていない。
ルーシエが認識阻害魔法を使ってごまかしているためであるが、こんな簡易な術で五日も誰ひとり気づかないとは、この屋敷には無能しかいないのか、と苛立たしい気分だ。
―――あいつらの担当は全員クビだな。ま、ちょうどいいか。
ポケットから懐中時計を取りだし、時計盤の蓋に埋めこまれた水晶玉を確認する。
今日は忙しくてろくに確認する時間が取れなかったが、特に濁りはなさそうだ。
椅子に腰を下ろし、水晶にじんわりと魔力をこめていく。するとほのかに白い光が立ちのぼって、小さな鳥の形になった。
「グレーテの様子を見せて。」
小鳥はうなずき、ぽわんと消えた。
水晶におぼろげな妹の姿が映り出す。
どうやらどこかですでに眠っているらしい。寄りかかっているのは、ミーシアの肩のようで、それ以上は見えないけれども、二人とも無事のようだ。
ほんの数十秒ほどして、ぼんやりした映像はしゅんと消え、水晶は透明に輝いている。濁りがないのは、グレーテの感情が穏やかである証拠だった。
ルーシエはとりあえずほっとした。
この魔道具は幼い頃、父ソレイユがルーシエのために作ったものだ。
その頃も父は『公務』の名で忙しかった。だから朝食を一緒に摂る以外めったに会えない息子の無事を、離れていても確認できるようにと、この簡易魔道具を作ったらしい。
対になるのはグレーテが持っているペンダントの水晶玉だ。
そこには、もともとの仕掛けなど何も知らずに、グレーテが自分の魔道具としてたっぷりの魔力を満たしている。魔道具は使用しない時でも、常に魔力をいっぱいにしておかないと壊れて使えなくなる、とルーシエが教えこんだからだ。むろん嘘だが。
グレーテの感情が乱れるとペンダントの魔力は共鳴して、波長を変える。そして悲しみや恐怖といった負の感情に反応して、こちら側の水晶へ魔力を流し、場を繋げる。繋がった魔力はこちらの水晶へ濁りとなって現れる仕組みだった。
更にあちらの魔力と同じ波長の魔力をこちらから流し返せば、魔力量に応じた擬似的な使い魔を作成し、あちらの場へと干渉することができる。具体的には今のように様子を映し出したり、防御結界を張ったり、多量に流せれば剣や魔法をその場へ発生させることもできるようだ。
父ソレイユにとっては、自分の魔力を調整して、息子と同じ波長にする事など容易くできるようだったが、ルーシエには調整など簡単にできるはずもなく、何とか同母の妹であるグレーテの魔力に同調させるのがやっとだった。
だから二年前、グレーテにペンダントを譲り、自分は父の部屋から持ち出した懐中時計をこっそり自分のものとした。
必要だと考えたからであるが、おかげで今こうして、弟妹が思い切った暴挙に出ていても何とか見守ることができている。
―――まったくあのバカどもは! 手間をかけさせてくれるよ、ほんと。
机上の暦を引き寄せて、ルーシエは眉間にまるで老人のような疲れきった皺を刻んだ。
そろそろ弟妹たちを『保護』するべきだろうか?
しかしその前に、彼らのいる場所がどれくらい遠いのかを知っておかなければならない。
フリットと話をする必要があるが―――明後日までは時間が取れない、とルーシエは更に顔をしかめた。
まあどこにいるかは解らないけれども、さきほど見たグレーテの寝顔は無邪気なものだった。ただちに危険な場所にいるとは思えない。物理的危険はフリットが対処できるだろうし、明後日まで状況はさほど変わらないだろう。
ルーシエはそう結論づけ、次の段取りに向けて思考を移した。
そしておもむろにペンを取り、手紙をしたため始めた。
フリットたちの旅は、本人たちからすれば至極順調だった。
五日はたっぷりかかる道程のはずだったが、二日目を終え、翌日の夕方にはコツォンへ到着できそうな場所までやってきている。
野営地の焚き火のそばで火の番をしていたイズペリは、愛用の剣の手入れをしながら、なりゆきで保護するはめになった三人の子どもたちのことをぼんやりと考えていた。
そこへユベールがやってきた。彼は弟に飲み物の入ったカップを渡し、隣に腰を下ろす。
「火の番、ご苦労様。」
イズペリは振り向き、苦笑気味にゆるゆると首を振った。
「ほんとうに火の番だけだからな。大した事はないよ。」
ユベールは弟の視線の先を見遣って、同じように苦笑いを浮かべた。そこには野営地を囲むように立つ、三体の熊型ゴーレムがいた。
熊ゴーレムたちは体長三メートルほどで、見た目は凶悪な魔獣で知られるワイルドベアと似ている。体毛はなく土を固めたような質感の体だが、意外と丈夫で、生きものみたいにしなやかに動いた。
むろんゴーレムを出したのはグレーテだ。
彼女が可愛らしい声で「魔獣や盗賊が出てきたら、みんなぶん殴っちゃえ!」と命じたので、昨夜の見張り番は、殴る蹴るされて呻いている魔獣にとどめを刺すだけで終わった。かつてないほど楽な役目だ。
「確かに、あの子たちの魔法には驚愕させられます。」
昼間もそんな調子で、驚きの連続だった。
一日目ペンスの城門を出てまもなくのことだ。
フリットが馬車の歩みが遅い、と言い出し、いきなり馬たちに走力増幅魔法をかけた。
通常の二倍で走り出す馬たちに、馭者はもちろん荷馬車に併走している馬の騎乗者たちも大混乱に陥った。なぜこんな事になっているのかわからないので、とにかく誰も彼も落ちないようにするのに必死だった。
馭者の隣にいたユベールは、後ろの出入り口からなんとか馬車内に転がりこんだ。
もしかしたら未知の凶悪な魔獣の仕業かもしれない、と思いつき、子どもたちの無事を確認するためだ。
すると暢気な声が聞こえた。
「フリット。荷物が揺れているけれど‥。壊れたりしないかしら?」
「そうだな‥。よし、馬車にも空気の防御壁をかけとこう。」
聞こえたと同時にフリットが外へ跳び下りたのが見えた。
「危ない、何を‥!」
ユベールは転びそうになりながら叫んだ。
すると唐突に、ガタンゴトンと激しく音を立てて揺れていた馬車が静かになり、揺れなくなった。だが停止したわけではなく、走り続けているようだ。
何が起きているのか呆然としていると、ひょいとフリットが戻ってきて、ユベールと目が合った。
「あ、ユベールさん。大丈夫ですか?」
ミーシアとグレーテがその声に振り返り、ユベールを見た。そして不安そうに顔を見合わせる。驚いたことに彼女たちは腰を下ろしているものの、床板からは浮いていた。
その後、まったく悪気のないフリットから何をしたのか説明を受け、ユベールは溜息をついたけれど、馬の騎乗者たちにもエアシールドをかけたというのを聞いて、とりあえずそのままで進んだ。
そして本来ならば一日目の野営地にするはずの場所で昼休憩を取り、疲労している馬たちをミーシアが体力回復魔法で回復させていた。
休憩を二回取り、日暮れ前にはいつも二日めの野営地として目指す場所にもう着いていた。
途中グレーウルフやゴブリンが襲ってきたが、エアシールドに跳ね返され、結果として速度を緩めず闘う事もなく逃げ切った。
驚いたのは馬を襲おうとした魔獣たちも、跳ね返されていたことだ。
フリットに馬にまで魔法をかけたのか、と訊ねたら、隊商全体に範囲防御魔法をかけたから、と何でもないことのように答が返ってきたものだ。
そして明日の午後にはコツォンへ到着という場所に来ている。
「イズペリ‥。あの子たちの魔法って、ほんとうに『ちょっとした生活魔法』なんですか?」
それはひと晩めの野営地に到着した時に、ミーシアが口にした言葉だ。
予定と違う道程になったため、水の補充ができなかったと聞いたミーシアは、夕食前に「わたしはこの程度しか役に立てないから」と三つの水樽をあっという間にきれいな水で満たした。それで疲れた顔もせず、料理班の手伝いをしていた。休憩のたびに馬に回復魔法をかけていたのに、全然元気そうだ。
「いや。んなわけねーだろ。」
「はあ‥。ですよね。」
「シールド魔法は中級以上、知られているのはせいぜい、少しの間自分の前に見えない盾を出す程度だ。‥高速で動いている複数の相手に、範囲魔法としてかけるなんて聞いた事もない。しかも長時間で、仲間認定術とかの事前準備もない。呆れてものも言えねえ‥。リフレッシュは初級からあるが、これだけの頭数に一日に何度もかけた後で、料理の手伝いとか言って水や火や土魔法まで自在に使えるなんて、魔法適性やら魔力限界やらいろんな常識がおかしい。」
「魔法適性‥。一般庶民には魔法なんて雲の上ですが、耳にしたことくらいはありますよ。一人の人間が使用できる魔法属性は一つかせいぜい二つ、でしたっけ。」
「そう聞いてる。実際に高位の水魔法の遣い手とやらに会ったことがあるが、他の魔法は使えなかったし、そもそも樽に水を詰めるなんて細かい技はできないだろうよ。樽三つ分の水を出せたとして、あたりをびしょ濡れにする様子しか思い浮かばねえ‥。」
「へえ‥そういうものですか。」
「そうだよ。魔法使いがみんな、あんな細かい制御ができるんなら、もっと楽に狩りができたって例はやまほどあるんだ。‥‥で極めつけはあのゴーレム。術者が爆睡してるのに戦闘できるとか、もう訳解らんな。何か系統が違うんだと思う。」
「‥‥何者ですかね?」
「あいつらか?」
「ていうかむしろ‥行方不明だという父親ですよ。他国の王族とかじゃないですよね? そんな面倒ごとにかかわりたくないんですがね‥。」
あ、なるほど、とイズペリはうなずいた。
「そうか‥。その線はあるな! 父親の名を開かすと父親が危険だとか、言ってたしなぁ‥。あと父親を見つけられなかったら売りとばされるとか‥。」
「何です、その情報! 聞いていませんよ、まったく!」
「そりゃまあ? 誰にも言ってねーし。」
イズペリは肩を竦めた。
ユベールは口もとを皮肉っぽく歪めて、弟を見た。
「おまえはほんとに‥。お人好しというか考えなしというか‥呆れてしまいますね。」
「目論見通り、無事にこの街道を下れたんだから文句ないだろ? コツォンに一番乗りして、三つ首の竜の尻尾始め素材は取り放題じゃないか。あんたには得しかないはずだ。」
「まあ‥わたしはね。おまえはどうするんです? ほんとうにあの子たちの父親を捜してあげるつもりですか。」
「約束したからな。」
ミーシアの泣き顔を思い出して、イズペリは顔をしかめた。あんな―――絶望したような不安に満ちた顔には、これ以上させたくない。
「生きていないとしても、とりあえずどうなったかくらいは突きとめてやりたいし、あいつらが安全な場所に落ち着けるまでは守ってやりたい。」
「はああ‥。あの子たちはおまえより強いと思いますよ?」
「うっさい。それでも無防備な子どもだろうが!」
「バカですねえ、イズペリ。おまえがそもそも子どもみたいに瞞されやすいのに、何の役に立つんです? ‥コツォンまで送ったんですから約束は果たしたでしょう。わたしたちが町を離れる時に、一緒にペンスへ戻りなさい。母さんが会いたがっていましたよ?」
溜息混じりの兄の言葉に、イズペリはうっ、と詰まった。
「ただの孤児ならば保護しようもありますが‥。あの子たちは目立ちすぎます。一般庶民の関わっていい相手じゃないですよ。己の分をわきまえることです、イズペリ。」
それからユベールは再びゴーレムに目を遣り、もう休みます、と立ち去っていった。
翌日、カロド商会一行は、まだ日が高いうちにコツォンへと到着した。
ユベールは町で一番大きい建物の裏手に、馬と馬車を駐めさせた。
この建物はハンター組合と商会組合、職人組合など各種組合の出張所が合同で入っている町役場のような場所だ。もちろん入口から入って正面、真ん中にでんと受付カウンターを構えているのは、辺境統括役場である。
カロド商会の一行は、全員が一様にどこか放心したような表情を浮かべて降り立ったが、すぐに気を取り直して、宿の手配だの馬の世話だの荷物の運び入れだのにそれぞれ取りかかっていく。
その顔には、今回の道程が楽だったのかしんどかったのかよく解らないが、とりあえず忘れようという共通した認識を漂わせていた。
対照的に晴れやかな顔で馬車から降りたのはフリットだ。
さすがに疲れた顔の妹たち―――空気が読めるので主に気疲れした苦労人ミーシアと、揺れがシールドで緩和されていたとはいえ車酔いしたグレーテ―――の手を引っぱって、いそいそと建物の中に入っていく。そしてきょろきょろと見渡して、ハンター組合の看板を見つけると、まっすぐにそちらへ向かった。
「あの、こんにちは。ちょっと訊きたい事があるんですけど、いいですか?」
「えっと‥何かしら。ここはハンター組合だけど?」
受付にいたのは十五、六の若い女の子だった。
怪訝な表情を浮かべ、何の用かと言わんばかりに三人の子どもをじろじろと見た。
その無遠慮な視線に女の子たちはちょっとたじろいだけれど、フリットは全然気後れする様子もなく、質問を続ける。
「あのね。三つ首の竜を退治したという人について訊きたいんだ。お姉さん、どんな人か知ってる?」
「え‥? ええ、まあね。よく知ってるわよ。」
「知ってるんだね! 良かった、教えて!」
「あら。ふふ。何が訊きたいのかしら?」
三人の子どもたちにいっせいにきらきらした瞳を向けられて、退屈していた受付嬢の機嫌は急上昇した。
こんな辺境のハンター組合だ。朝夕は少し忙しかったりするけれど、日中はほぼヒマである。
どこから来た子たちか知らないが、自分の話を聞きたいというのなら話してやるのは吝かではない。それも三つ首の竜を退治したセシル・ガレットについてというなら、いくらでも話してやろうじゃないの、と彼女は微笑んだ。
彼女―――グエンダは面食いであり、セシル・ガレットには以前からちょっと目をつけていたので情報はたっぷりある。
「まず名前はわかる?」
「名前? セシル・ガレットよ。」
「‥‥ガレット!」
三人は顔を見合わせた。
「父さまの名前に似ているわ‥。偽名かしら? ソレイユだとすぐに『勇者』とバレてしまうものね。」
「うん、父さまよ、きっと!」
ひそひそと周囲に聞こえないよう、顔をつき合わせて話す。
妹たちの言葉にうん、とうなずいたフリットは、再びグエンダの方へ向き直った。
「じゃあ、見た目はどんな感じ? 髪の色とか目の色とか。」
「髪は金髪できれいな青い瞳をしているわ‥笑った顔が何ともいえず素敵なの! 声も優しいし、他のハンターみたいにガラが悪くなくて、とっても品がいいわ。」
「おお!」
三人の声がきれいにハモった。
「間違いないんじゃない? きっと父さまよ!」
「そ、それでその人はどこにいるんですか?」
「うーんとね‥。ここから北西にある山の中に住んでいると聞いたわ。」
「ああ‥。この町じゃないんだ‥。」
グエンダは三人のがっかりした顔を見て、ふふっと微笑んだ。
「がっかりしなくても明日か明後日には会えるわよ。だいたい三日にいっぺんくらいはここへ来るんですもの。会いたいんでしょ?」
「ほんとですか!」
テンションが上がった三人の子どもたちの様子に、優越感をくすぐられ、上機嫌でグエンダはうなずいた。
「あなたたち、商隊の子どもでしょ? 滞在中にはたぶん会えると思うわ。セシルが来たら教えてあげましょうか?」
「ありがとうございます!」
何度もお礼を言って、三人は元気にハンター組合を後にした。
そしてイズペリやユベールたちと合流するため、商会組合の看板を探しながら、笑顔で意気揚々と歩き始める。
「父さまと最後にお目にかかったのは‥えっと冬至祭の時だから‥。もうすぐ八ヶ月になるのだわ。」
「会えるのが楽しみ! 早く会いたい‥!」
「うん!」
そこでミーシアがはたと立ち止まった。
「でも‥家出してきたと言ったら、叱られてしまうかしら?」
あ、とグレーテが心配そうに眉を曇らせる。
「叱るもんか! 理由を話せばきっと、イズペリさんみたいによく逃げてきたって言ってくれるよ!」
フリットの言葉に二人はそうよね、と明るい表情を浮かべた。
辺境の寂れた出張所にまったく似合わない、貴族然とした幼い子どもたち。
当然ながら非常に目立っている。
だが周囲の視線より、明日には父に会えるかもしれないという期待で胸がいっぱいだったので、当人たちはまったく気づいていなかった。
三人の話を聞いたイズペリは、セシル・ガレットが母親と二人暮らしの十三の少年だという情報を口にできなかった。
これほど喜んでいるのに水をさすのは気が退けるし、明日か明後日にはどうせわかる話だ。
また一方で、いくらなんでも十三の少年がほんとうに一人で三つ首の竜を狩ったのかという疑問もある。
彼らの父親が姿を隠しているならば、山の中の一軒家である少年の家に潜伏していて、手助けをした可能性だってあるのではないだろうか。
何しろあの子たちの父親だ。三つ首の竜を一刀両断しても不思議はないだろう。
「とにかく‥。俺も一緒に行くから、おまえらだけでうろうろするなよ? 今日だって目立ちまくってて危ないったらもう‥。」
四人で一緒の部屋で、イズペリは狭いベッドを調えながらそう言い聞かせた。
ベッドは二つしかない。追加で頼んだ枕と毛布を、二人分ずつ並べている。昨日まで二晩馬車の中で寝ていたから、子どもたちは狭くてもベッドで寝るのが嬉しいようだ。
「いいか、フリット。おまえの妹たちは可愛いすぎる。特に人攫い連中から見たら、ドラゴンのお宝みたいにきらきら輝いて見えるんだ。よく覚えておけよ?」
うん、とフリットは素直にうなずく。
「グレーテもだ。なんでもぶっ飛ばせば解決じゃない。余計面倒な事に捲きこまれる場合もある。解るよな?」
「はい‥ごめんなさい。」
ついさきほど、声をかけてきた怪しげな男をぶっ飛ばして伸したら、実は役場の職員で、子どもだけで歩いていたから保護しようとしただけだった、という事件を起こしたグレーテは神妙な顔で頭を下げる。
「解ればいいんだ。‥ほら、疲れただろ? もう休め。」
いっせいにお休みなさい、という声がして、しばらくすると子どもたちは早くも寝息を立て始めた。
やれやれと溜息をついたイズペリは、自分も眠る事にする。
目を瞑ると、昼間くだんの役場職員に、グレーテの父親に間違えられた事実を思い出し、胸がしくしくと痛んだ。
―――う‥。俺はまだ二十になったばかりなんだぞ‥。どうせおっさん顔だよ‥。
嫁ももらっていないのに子持ちに見えるとかないだろう、と悲しくなる。
せめてお兄さんと呼ばれたかった傷心のイズペリであった。
グエンダからカロド商会経由で連絡があったのは、翌日の昼過ぎだった。
さっそくハンター組合の受付に行くと、目当てのセシル・ガレットは裏手にある商会の買い取りカウンターヘ行っている、とグエンダは言った。
「大丈夫、用事が済んだらここへ戻って来ることになっているから。そこの椅子に座って待っていればいいの。」
彼らのおかげで今日はいっぱい話ができた、とご機嫌なグエンダを横目に、イズペリは少々複雑な気分で、カウンター横のベンチに三人を腰かけさせる。
三人は父親に違いないと確信しきっているようだ。満面の笑顔が眩しすぎる。
どう慰めようか、とぐだぐだ悩んでいると、グエンダが不意に立ち上がった。
カウンターの中から出てきて、裏手から来る人影に走り寄ったかと思うと、いそいそと腕を取り、こちらへと案内してくる。
金色の流れるような髪。澄んだアイスブルーの瞳。まだ幼さの残る甘い顔立ち。
村人と同じような軽装に革の籠手だけを身につけ、背中に弓、腰にショートソードを提げた、素朴でさわやかな美少年がそこにいた。
「えっと‥。俺に会いたいと言うのはその子たち?」
気を取り直したイズペリが、ああ、とうなずいた。
「三つ首の竜を討伐した英雄に会ってみたいと言うんだ。いい加減飽き飽きしているだろうが、ちょっとこの子たちに話をしてやってくれないかな‥? お礼に昼飯を奢るよ。俺の名はイズベリ・レリージュ。一応ランク持ちだ。」
「ランク持ち? え‥。すごい。」
ランク持ちと聞いて、セシルはイズペリへ少しはにかんだような微笑を向けた。
「俺こそよろしくお願いします。‥‥えっと、この子たちはご兄弟のお子さんか何かですか?」
「いや‥。付き添いみたいな感じかな?」
「ああ、お仕事の。すみません、お父さんにしては若すぎるしお兄さんとすると年が離れてるし、って思って‥。そういうことですか。」
少年はさわやかに説明した。
いい子だ、とイズペリは確信した。そうだ自分では父親には若すぎるはずだ、とそっと拳を握る。
「あ、お昼ならあたしが案内するわ。美味しいお店知ってるの。」
グエンダが嬉しげに声を弾ませた。
「は‥? いや、あの‥。あんたも来るのか?」
「あら? それはそうでしょ。遠慮しなくていいわよ、ちょうど昼休みだし!」
「いや、あのね‥。ちょっと込み入った話があるから‥。」
「任しといて、こう見えて口は固いの。問題ないわ。」
「ええ‥」
断り切れないイズペリをよそに、フリットたちは食い入るようにセシルを見つめていた。
「‥‥父さま?」
「兄さまくらいに見えるけれど‥‥そっくりだわ。」
「‥若返りの魔法かな?」
視線に気づいたセシルは振り返り、にこっと微笑んだ。
「えっと‥。初めまして。俺はセシル・ガレット。よければ名前を教えてくれる?」
グエンダとイズペリの攻防は、グエンダ優勢でいまだ続いている。
そんな二人は放っておこうといわんばかりに、セシルは目線を合わせるように少し背をかがめ、真ん中のグレーテに訊ねた。
グレーテはその顔をじいっと見つめていたが、やがてぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「え! なに? どうしたの?」
慌てるセシルに抱きつくと、グレーテはわんわん大声で泣き続ける。
「目‥目の色が違う‥。父さまじゃない‥。ええーん。」
「ば、泣くな、グレーテ! 泣くなってば!」
フリットが引き剥がそうとするが、グレーテはしがみついたまま泣いている。
「と‥父さまって‥。俺、十三だけど‥。」
「すみません‥。あの‥わたしたち、父さまを捜していて‥。あなたがあんまりよく似ているので‥。それに名前も似ているし‥だから‥若返りの魔法とかあるかもって‥うう。ち、違いますよね、ごめんなさい‥ふえーん。」
「おい、ミーシア! おまえまで泣くなよ!」
「だってぇ‥。」
お店へと走り出すグエンダを追って入口の方へ行きかけたイズペリが、ミーシアの泣き声に気づいて、困ったような顔をしながら全速力で戻ってくる。
フリットは妹たちを宥めながら、自分も泣きそうな顔をしている。
呆気に取られていたセシルが、不意に「あ!」と叫んだ。
そして自分にしがみついているグレーテをいきなり抱き上げ、顔をのぞきこんだ。
「グレーテ‥!」
それからミーシアとフリットを振り向く。
「ミーシア‥じゃあ、君はフリット?」
「え! どうして名前を‥? やっぱり若返り‥?」
セシルはフリットの頭をくしゃくしゃと撫でながら、グレーテに首を振った。
「違うよ。‥そうか、父さんを探しにきたんだ。王都から三人だけで来たの?」
呆然としたまま三人はうなずいた。
「勇気があるね、偉いな! よし、じゃ、行こうか。」
「‥どこに?」
おずおずと訊ねたフリットに、セシルは満面の笑みで答えた。
「君たちが探している人のところへ。君たちのことをすごく心配してたよ。」
三人は顔を見合わせ、目を瞬かせた。
「父上が‥いるの? 生きているんだね? ほんとに?」
フリットの押し殺したような真剣な声に、セシルは真面目な顔でうなずきながら、フリットの頭をもう一度撫でた。
「酷い怪我だったけど‥今はかなり良くなったんだ。うちにいるから行こう。」
フリットの顔がほっとしたように歪んだ。涙がにじんでいる。
そこへ息を切らせたイズペリが到着した。
「おい! なんで泣いている‥おっと!」
ミーシアが思い切りイズペリに突進して抱きついた。今度はこらえもせず、号泣している。
戸惑っているイズペリにフリットが言った。
「イズペリさん! 父さんが見つかったんだよ! この人の家にいるんだって!」
「え? ほんとうなのか‥?」
「えーと‥。ほんとうです。その‥会ったことがなかったんですぐに気づかなかったんですけど、この子たちは‥えっと‥そう、親戚なんですよ!」
「親戚?」
「そう! だって彼らの姓もガレットでしょ? 俺と同じ。」
あ、とフリットが叫んだ。
「うん! そうか、親戚‥。だからセシルさんは父さんによく似ているんだね! 」
「‥似ているのか? て言うかおまえらの姓ってガレット?」
大きくうなずいたフリットを見て、その向こうにいるセシルと彼に抱っこされているグレーテの顔を見比べ、イズペリは納得したように、確かに似てる、とつぶやいた。
「じゃあ、行きますか。えっと‥‥」
セシルはミーシアを腕に抱き上げたイズペリを見て、苦笑いを浮かべた。
「そうですよね‥。あなたもついてきますよね‥。」
「当然だ。」
「はあ‥しょうがないか。母さんに怒られそうだけど‥。この子たちを歩かせられないしなあ‥。」
セシルはぶつぶつ呟きながら、フリットの手を引いて建物から外へ出ていく。
イズペリはミーシアをしっかり抱えて後からついていった。
出たところでグエンダに会った。
「グエンダさん。助かりました。」
セシルの言葉にグエンダは少し頬を赤らめながら、え、と首を傾げる。
「この子たち、うちを訪ねてきた親族の子どもたちだったんですよ。会えてほんとに良かった、グエンダさんのおかげです。ありがとう。」
「そ、そんな‥わたしは、仕事をしただけだから。お礼なんて‥。」
もっと言って、という表情でグエンダはセシルをぽーっと見上げる。
「ごめんなさい、急いで家に連れて行かなきゃいけないので、今日のところはこれで。お昼は今度俺が奢らせてもらいますね。」
「ほんと! うん、そういう事情じゃ仕方ないわ‥遠いものね。気をつけて帰ってね。」
「はい。どうもお世話になりました。」
グエンダはちょっぴり名残惜しそうに、だが嬉しげに手を振って戻っていった。
「すごい‥。イズペリさん、完全に負けてるね‥。」
「フリット。何か言ったか?」
ううん、と慌ててフリットは首を振る。そちらをじろりと睨みながら、イズペリはセシルに訊ねた。
「それで‥おまえんちってどのへんなんだ?」
セシルはすたすたと人気のない方へ歩いてゆきながら、北西方向に見える山々を指さした。
「あの一番とがっている山の、中腹辺り。抉れたような平らな場所が見えるでしょ? 二十年くらい前の『厄災』の痕なんだって。あそこの、昔の村跡に住んでるんだ。」
「へえ‥『厄災』か。俺も話にしか聞いた事がないけど、山があんなふうに抉れちまうのか‥って、ちょっと待て。あそこまで上るなら、こんな軽装じゃだめだろ? 支度しないと‥。」
セシルは振り向いて、再び苦笑いを浮かべた。
「普通はそうだね‥。でも準備したって、フリットはともかく女の子たちは無理だよ。道らしい道なんかないんだ。」
「へ?」
そしてイズペリを手招きする。
「だから‥イズペリさん。これから俺が使う術は内緒にしてよね。母さんに怒られるからさ。」
「術?」
「うん。転移!」
セシルが叫んだ瞬間、世界がぐるりと一回転した。
気がつくと丸太を組み合わせて作られた家の前庭に、全員が立っていた。
ぽかんとしている三人プラスひとりは、呆然と辺りを見回した。
「ちょっと待っててね。呼んでくるから。」
セシルがグレーテを地面に下ろし、ドアを開け、家の中へと入る。
「転移魔法って‥父さまみたいね! すごい!」
そこへドアが勢いよく開いて、誰かが飛びだしてきた。
「グレーテか?! ミーシア、フリット!」
「‥父さまっ!」
「父上!」
現れたのはセシルを成長させたような、金髪碧眼の美形の男だ。
三人の子どもたちは走って飛びついていた。
「ほんとにおまえたちだけで王都から来たのか‥。よくここが見つけられたな。」
「フリットの野生の勘なの、父さま! すごいのよ!」
「野生の勘?」
「あとね、あのイズペリさんが助けてくれたの。」
ミーシアの言葉に、ソレイユは顔を上げ、立ち竦んだままのイズペリへと目を向けた。
そしてゆっくり近づいてくると、右手を差しだした。
「ありがとう。心から感謝する。えっと‥」
「イズペリ・レリージュだ。」
「ソレイユ・ガレット、この子たちの父親だ。ほんとにありがとう。それで‥」
彼は頭を下げると、言いにくそうに言葉を続けた。
「すまない。ランカーに相応しい報酬はここでは払えない‥。あとで必ず支払うので、少し待ってくれないだろうか?」
イズペリはソレイユをぼうっと見ていたが、その言葉に我に返り、慌てて首を振った。
「いや、それは問題ないんだ。この子たちはたまたまペンスで同宿だったんで‥気になって勝手についてきただけだ。ここへも隊商の護衛で来たんだし‥むしろこの子たちにはお世話になったくらいだから。」
「え‥世話をかけた、のでは?」
「いや。彼らの魔法のおかげで隊商は安全に来られたし、予定より早く着いて他の商会を出し抜けたって大喜びだ。隊商の責任者は俺の兄貴だから、ほんとにお礼を言うのはこちらなんだよ。」
へへ、と得意そうに笑うフリットの頭を撫で、ソレイユも微笑んだ。
「ソレイユ。そんなところじゃなくて、中に入っていただいたら?」
声の方を振り向くと、立っていたのは珍しい色の髪を持つ女性だった。
日の光を受けると虹色に輝く、銀に近い白金の髪。瞳はきれいなアイスブルーで、意志の強そうな引き締まった口もとをしている。
彼女はイズペリににこっと微笑みかけると、軽く会釈した。
「セシルの母です。よろしく。大したおもてなしはできませんけど、どうぞ。」
それから子どもたちへも微笑んだ。
「あなたたちもいらっしゃいな。お腹が空いたでしょ? 急いでお昼の支度をするから、中で待っててね。」
彼女は名前をルチアと名乗った。