1-4 拷問なお勉強
ボクたちとしてはしばらくここにいてくれてもいいんだよ、という優しさに甘えることにしてから二日。一時的な居場所を確保したはいいものの、所詮はその場凌ぎ。過ぎた時間は一向に戻らない記憶とにらめっこした時間と同じなのだ。さっぱり消えた記憶がほいほい戻るとは思っていなかったが、考えていたからといって実際体験した負担が軽減するわけではない。着実に精神的な疲労として不知火の体を蝕みつつあった。
見ず知らずの不知火に優しく接してくれている三人。さり気なく話しかけてくれたり、食事を与えてくれたり。感謝してもしきれない温かさは、申し訳なさを生みつつあった。
『本日は全国的に曇り空が広がるでしょう。そして明日の天気は……』
だからこんなことをしていたら何とも言えない気持ちになる。
この家の住人であるゼノン、水無月、風美香の三人と初対面した場所。キッチンとリビングが一体した空間。パーティをした時とは異なり、ドアの対面の壁にプロジェクターの投影スクリーンのようなものが掛けられていて、どういう原理かそこに映像が映し出されて、これまたどういう原理か音まで出ている。
「本当にこれはどういう仕組みなんだ?」
「黙ってニュースを見なさい! これはお勉強会なんだよ!」
何回か聞いたがこの調子で、答えてくれる様子なんて微塵もない。そもそもが不知火のためなのであまり強く聞くこともできず、仕方なく諦める。
ゼノン曰く、ある程度の情報を与えたら何かがきっかけで思い出すんじゃない? 、らしいので始まったこのニュースの鑑賞会。かれこれ二時間ぶっ通しで見続けているが、これといったことも起きず、悪いが飽きてきたところだ。
実際不知火の隣に座っている風美香は頭を仰け反って爆睡。水無月はドアにもたれかけて下を向く、よくあるクールな忍者系のキャラが話を聞くときにとる姿勢だが、どう見ても寝ていた。
お勉強会と強く言ったゼノンも強かったのは口だけで、イルカみたいに目を交互に閉じて寝ながら起きていた。
「ニュースって日に起きることなんて限られているんだから、見たものの再放送が放送されてるんだろ? もう今日は大丈夫なんじゃないか?」
爆睡をかましている二人をどうにかしてあげる意味もあって不知火はついに中断を提案した。
最早目はスクリーンに向いているが、耳は音を拒絶しているし、脳は情報を受け付けていない。拷問のように同じ内容をリピートしていたら短時間でもこうなるのは新たな発見だった、と前向きなことを考える。
だが半分寝ている少女の口から飛び出してきたのはとんでもない言葉だった。
「なにいってるの! 新しいニュースをいち早く手に入れるには我慢と辛抱が大事なんだよ! はい! あと三時間!」
この拷問はまだ倍以上残っているらしい。
自分の為にしてくれている手前断るわけもいかない。まして我慢と辛抱って一緒なんじゃ、なんて口にした日には眠気からのストレスで彼女は暴走する。既に半ば暴走しているが。
椅子に縛り付けられた気分だ。囚人の気持ちがよくわかる。
(あと十分が三十回。あと十分が三十回。よし、十分ならすぐ過ぎるし大丈夫だ)
細かく時間を切って心を楽にする作戦だ。画面左上の数字に一喜一憂する時間が始まった。
が、それもいい意味で長くは続かなかった。
『速報です。犯罪者集団<Scryde>がまたしてもビルを爆破しました。被害は確認中ですが、現時点で人間0名に対して妖精15名の死亡が確認されている模様です。犯行場所付近は現在も<Scryde>が占拠しており、目につく妖精を手あたり次第射殺している模様です』
「……惨いな」
犯罪者集団<Scryde>。人類の解放を掲げ、妖精の身体的アドバンテージから生まれた支配への恐怖心の撲滅を理由に、妖精の殺害を正当化して正義の味方を演じる男女6人組だ。
少数精鋭を貫いているのも頷けるほどのエリート集団で、人間を圧倒する身体能力を持ち中には不思議な能力を行使するという妖精相手に、一歩も引かないどころか妖精を纏めて相手して圧勝したことさえある人間たち。
はじめは妖精との関係に波風を立てる彼らに行動に反対の声が多くあったが、それもすぐになくなった。人間でも妖精に対抗できる、という事実は要らない勇気を生み出したようで、最近では妖精を対象にした暴動は指数関数的に増加してきた。今では規模に大小はあれ、日に100件はざらという始末だ。
もちろんこんなニュース嬉しいわけもなく、特に狙われている側のゼノンは目が覚めたようで顔を顰めている。
「こんなことをしたって何にもならないのにね」
溜め息交じりにそう呟くゼノンからは哀れみや同情といったものは感じられない。何か別の感情が渦巻いているようだった。
「仕方ないだろ。人間からしたらある日突然生態系の頂点から突き落とされたってことなんだ。サバンナに放り込まれた気分だ、って一番最初の番組に出てた専門家も言ってただろ? 人間はすぐ調子に乗るからな。周りに合わせて、一緒なら怖くないって。抵抗しないと気が気じゃないんだろうな」
今まで一方的に支配してきた。それが一瞬で変わった。常識が変わったのだ。安心して生きていられた毎日が安全と言い切れない生活に。実際気の張りつめすぎで精神疾患を患ったり、健康を害したりした被害件数は100や1000ではないという。一説では人間の4割は重症、3割は予備軍という話もある。
「ボクだってこんなことをしたいわけじゃないんだよ」
呟いた一言にゼノンは慌てて口を噤んだが、幸いと不知火に気付かれた節はない。胸を撫で下ろして一息ついた。
「不知火くんはさ、どう思う? 不知火くんも人間だしさ、少しは妖精が怖いって気持ちを体が覚えているんじゃない? <Scryde>みたいに過激な手を使わなくてもさ、妖精と物理的な距離をとって安心できる生活を取り戻したいっていう人は少なくないでしょ。できれば正直な意見が聞きたいな」
妖精を目の前に妖精をどう思うか、なんて答えの方向性を誘導した問いのようだが、今は背後に不知火の記憶の問題がある。人間の一般論で考えると、考えるまでもなく“妖精は嫌い”一択だ。しかしここで嫌いと突き放すことは協力関係に傷をつける可能性より、好きと嘘を付いて感情を封じ込めて記憶に悪影響を与える方がマイナスなのではないか。と考えての一言。よく考えればゼノン自身も返答を決めつけているが、寝起きなので仕方がない。
真面目な表情に、意図せず出た不安気な声。不知火も一度冷静に考える。が、答えは考えるまでもなく自分の奥底から湧き上がってきた。
「妖精を嫌いにはなれない。理由は、なんていうか、言えないんだが嫌いになれないんだ」
数秒とせず不知火が出した結論に目を丸くするもすぐに笑みを溢した。
「きっと昔妖精の人と仲良くしてたんだね。それとも」
ゼノンはつい数分前の自分の言葉とは裏腹にスクリーンへの投影を消して立ち上がる。
スクリーンもどこへか消え、お茶を淹れるために立ち上がった。
「不知火くんが妖精だったりしてね」