1-3 なくなった記憶
「ボクはゼノン! ゼノン=リファメリーだよ! よろしくね!」
肩までの鮮やかな紫髪を舞わせながら自己紹介したのは、ゲテモノの擬人化さんだ。
何度見直しても放送事故な服装を身に纏い、生き恥晒しているが、その笑顔はまるで補色関係でもあるかのように光を放っている。
不知火は一瞬騙されそうになった脳を叱りつけ、よろしく代わりに質問を投げてみた。
「なんでゼノン……さん、はそんなにへんてこな格好をしてるんだ?」
「えええええっ!? その服そんなに変なの!?」
本気で信じられない、といった目だ。
どこからか鏡を引っ張り出してきて正面から背後まで入念にセルフチェック。次第にゼノンの顔が青ざめてきた。
わなわなと肩を震わせ、唇を噛み締める。あわわわわわ、と書いてある顔を長身のお姉さんの方へ向けて。
「い、いい。いつの間に組んだの!?」
訳の分からないことを言い出した
それでも言われた当人は理解しているようで肩を竦めながら答えた。
「そいつと私が口裏を合わせる時間がなかったのはお前が一番よく知っているはずだが。だからいつも言っているだろう。おまえはおかしい。センスが壊滅的だ。諦めろ」
ゼノンは魂が飛び抜けていったかのように勢いよく崩れた。
やたらと痛そうな鈍い音が重なり響くと反応がなくなった。
なんだこの茶番は、という言葉を呑み込み少年は勝者へ自己紹介をする。
「俺は不知火。下の名前は思い出せない。とりあえず、よろしく」
精一杯の愛想を振りまき、手を伸ばす。
「水無月葵だ。まあ何とでも呼んでくれ」
握手はお気に召さなかったようでスルー。その実、申し訳なさそうに横目で手を見ていたことは誰も気づいていなかった。
「えと、じゃあ水無月、さん。ここはどこなん、ですか?」
長身の女性というのは未成年の、しかも思春期真っただ中、加えて女子と関わりがほとんどなかった不知火にはそのまんま“お姉さん”であり、意図せずとも敬語が飛び出してきた。
よくよく思えば初対面の風美香とゼノン相手にため口を聞いていたのもどうかと思わないでもない。これが正しい在り方だ、と自分を納得させて落ち着く。
「さん付けなんてしなくてもいいんだよ。距離が遠くに感じちゃうし」
飛んできたのは足元から。ゾンビのような呻き交じりの声に一瞬驚き、不知火は反射的に踏みつぶした。
「ぶげっ!?」
文字に起こさず聞くだけならやたらかわいらしい悲鳴の主は足とフローリングでサンドイッチ。
すぐさま足はどけたのだが、先の精神ダメージの蓄積量は追い打ちを有力化するには十分量に達していたようで、なかなか起き上がらない。
すると、不知火の脇から水無月がするりと出てきてゼノンに手を差し伸べた。
んん、とだれるようにしがみつき、それをひょいと持ち上げる。
目はまだ横棒のまま、スピードスケーターよろしく左右にふらつきながら席についたゼノンは片手で着席を促した。
「ん? 席が足りないぞ」
人三に対して残席は二。どう考えても普段この三人しかここにいないからこうなっているわけで、ついてはこの椅子は彼女たちのものであるから本来不知火が遠慮するのが筋なのであるが。
あいにくと不知火は一応客人扱いらしく、ゼノンが席を勧めているのは不知火ただ一人だ。
「私は立っているほうが落ち着くからな。気にせず座れ」
水無月が男前なことを言い、これではどちらが男なのかわからなくなる。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
不知火が席に着くと、コバンザメのように風美香が隣についた。
「じゃあ」
水無月が扉にもたれかかったのを合図に、いつの間にかまともに治ったゼノンが口を開いた。
「さて、ではでは改めましてようこそいらっしゃいだね不知火くん! ここはボクの家だよ!ってでもそんなことどうでもいいんだろうね」
「いや、なかなかとんでもないことを口走っていたような気がするが」
言いながら顔をしかめる。
「お前、高校生くらいだよな。その年でこんな立派な一軒家なんてどうしたんだ?」
ゼノンは一瞬面食らったように驚いて、すぐになんでもないかのように笑う。
「あはは。ボク、妖精だよ?」
妖精。御伽噺に出てくる羽の生えた小さな人間を思い浮かべるのが一般的だが、その認識はつい二十年ほど前に塗り替えられた。妖精=宇宙人というのが常識として新たに広まったのだ。
2056年、眩い閃光と爆音とともに地上に降り立ったのは自称宇宙人“サルバルディ=アッシュフォン”と名乗る、一見中年のナイスガイ。誰もがイカれたおっさんの戯言だと聞き流し、奇異の視線を送っていたが、サルバルディはそこで人外の身体能力を見せつけ、日本語で、こう言った。地球はいただく、と。
漫画のような急展開に混乱が起こり、まるで街中に殺人鬼が潜んでいるかのように人々はどこへ向かっているのかもわからず走り、惑った。
それから二十年ほどして。今ではある程度の友好関係を築きながら人間と妖精は共存している。不安がないわけではない。人懐っこいから大丈夫、といわれて肉食動物に触れられるか? 暴発の危険を孕ませた爆弾を抱えている気分だ。気の休まる暇など一瞬たりともない。
と、不知火はここまでは知識として、知っている。実際にあったのはこれが初めてだ。
「妖精って案外友好的なんだな。俺を人間ってわかってたんだろ?」
「人間も妖精も関係ないよ。何にも変わらないんだよ、ボクたちは」
ゼノンは少し寂しそうな笑顔を浮かべ、すぐに席を立った。
「さあ、じゃあ不知火くんのお祝いパーティを始めようか!」
台所に準備してあった悪い意味でカラフルな料理が卓上に整列していく。
よくある見た目は悪いがすごくおいしい展開を信じて目先の案件を避けるように、
「いったい何がおめでたいんだ?」
ゼノンは、料理を断るのが申し訳なるほどの純粋な笑顔で答えた。
「とにかくおめでたいんだよ!」
おいしそうな匂いは一切しない、見た目は不気味、味は普通、そんな感想に困る料理を平らげた後のおいしかった? という純粋な笑顔攻撃に、罪悪感を抱きながらも頷きまくってしばらく。お茶とクッキー片手に軽く雑談を交わした。記憶は依然思い出せないが、社交性は人並みにあったので一安心だ。
「不知火くんってさ、下の名前思い出せないんだよね?」
話題はゼノンから出た。紅茶カップを両手で覆うように持ち、カップを傾けて飲みながら話すので、上目遣いがちらちらと拝める。慌てて逸らしそうになる目を不審がられないように神経を使うあたり、女性関係は慣れていなかったんだな、と嬉しくもない自分の側面を取り戻しつつ答える。
「ああ、まったく。苗字を覚えているのが不思議なくらいだ。なんなら自分の過去だって家族構成すらわからない」
それを聞いて水無月と風美香が顔を歪ませる。そのまま水無月が口を開いた。
「その割には取り乱した様子もないな。怪しんでいるわけではないが、おかしいと思うのだが」
「どうやらこれが俺の性格らしいな。部屋で起きたときは少し戸惑ったけどそれ以上はない。言ってしまえば特に必要なものではないだろ? そう感じるんだ」
不知火はクッキーに手を伸ばし口に放り込んだ。
紅茶を啜りながら一息つく。
記憶がない。確かに現状困るわけではないがあるに越したことはない。本音を言えば取り戻したい。どうやって?
不可能に近い命題に向き合い、唸っているとゼノンが声を上げた。
「きみは記憶が曖昧。個人情報すらままならない。だから聞きたいんだけど、これからどうしたい?」
ゼノンからの質問、それは新たな問題を思い出させた。
「ボクたちはきみが倒れていたところをここへ運んできた。目が覚めたら一応いろいろ聞いてから送り届けようと思ってたんだけど」
それすなわち
「俺の帰る場所って、どこだ?」