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ファン・ブリン伯爵の日誌  作者: 降灼伊乃
1/3

1-2 知らない家

 掠れた声がする。

 声質から女の子のものであることは分かった。

 そして、どこか懐かしいものであるような。

 途切れ途切れに耳に届く音を強引に継ぎ合わせようとしてもまるで理解できない。

 何か大事な。とても大切な。そんなものだったような。

 だんだんと声が遠のいていく。意識がなくなっていると気づいたのは意識のおちる直前だった。



 ばっ、と勢いよく体を起こす。

 ぜえぜえと肩で息をしながら、身に覚えのない汗を拭う。

 水の入ったバケツを頭から被ったようにぐっしょりと体にへばりつく服に不快感を覚え、脱ぎ捨てようと、裾に手をかけた、その時。

「……ここは、どこだ?」

 口からふっと言葉が漏れた。

目に飛び込んできたのは全く覚えのない部屋だった。

 あまりに質素な構成。十二畳はあろうフローリング仕様の広大な空間にはベッド一つと埃を被って倒れている背表紙の分厚い本を数冊収納した本棚がある程度。あとは入り口となるドアしかない。

 アニメなんかであれば隠し扉の一つや二つあってもおかしくないだろうという、違和感を抱くほどの味気無さ。

「なんか、気味が悪いな」

 生活のなさに身震いをして、実は空き家では? と答えが浮かぶが、いくらなんでもさすがにそんな展開は非現実的なことだと受け止められる程度には頭が起きていた。

 やれやれ、とベッドの縁に手をかけ立ち上がろうとしたとき、高床式なことに気付き縋るように下を覗き込むが、予想通りと何もなかった。

「空き家説が濃厚な気がしてきたな」

 思わず笑みがこぼれ、伸びをする。

 異常なまでに落ち着いている自分に関心しながら(?)もひとまず部屋を出ようとドアに手をかけた。

 ドアに手をかけた。

 だが、いつまで経とうともレバーハンドルが下りることはなかった。

 決して開けられないのではない。少なくとも抵抗は感じないし、むしろ握るだけでハンドルが回りそうですらあった。原因は身体的なものでなく、

「思い、出せない…………」

 ここはどこなのか、楽観的にあれこれとつぶやいていたがそれ以前に大事なことを見落としていた。

 よく考えればいきなり知らない場所で目覚めた、なんて異世界転生ものの小説のような展開が現実に起こるはずがない。

 さらに事態をややこしく感じさせたのはここに至るまでの経緯の記憶だけが飛んでいるわけではない、ということだ。つまり。

 記憶という記憶が軒並み跳んでいる。

 全てというわけではなく虫食い状態なのだが、そんなことは気休めにすらならなかった。

 ベッドの上よりも大量の汗が肌から滲み出し、ぽたぽたと床に小さな水たまりを作った。

 嗚咽すら漏らし、気を抜けば胃ごと吐きそうだった。

 手を口に覆いかぶせ、不規則に加速する呼吸をなんとか落ち着けようとするたびに悪化する症状。悪循環が精神に追い打ちをかけ、疲労が指数関数的に増加していく。

 何もかもがわからない。

 今までがゼロに戻ったという感覚。言い表せられない疲労感が背中に圧し掛かる。何倍にも感じる重力に耐え切れず膝をつき手で体を支える。

 だが、乱れる呼吸や拒絶反応を示す身体とは対照的に精神は不自然なまでに安定していた。それより晩御飯はなんだろう、そのくらいに。

 いうことを聞かない体を安定させるためにドアにもたれ、ふうと溜め息をつく。

 体を落ち着かせた後、その後だ。全身びっしょりの少年はこれからどうしよう、と考えだした。

「どうするもこうするもまずはこのドアを開けなくちゃいけないよな」

 流石に誘拐という非現実路線の思考は先程捨てたが、それでも何者かが自分をここに連れてきたという線は捨てきれなかった。何より現実的である。状況が理解しやすい。

 と、なるとだ。記憶が不完全なのはその連れ込んできた奴等の所為ではないのかという疑問が浮上する。薬か、催眠術か、はたまた暴力によるものか。つまりこれはやはり誘拐なのでは……?

「ちがうちがうちがう!」

 首をぶんぶんと振り、循環しだした可能性をかき消す。

「そうじゃなくてとりあえずここから出る方法だ」

 ドアの外の、つまり家の構造。そこに人はいるのか。大事なのはそこだ。

 う~ん、とぶつぶつ呟く。

 あれやこれやと思案するうちに体の自由がある程度回復したので更なる安定性を求めてベッドへ向かおうと立ち上がった。

 その時。

 ふいにドアに押され、流れるように体が転がる。

 軽く喘ぐものの今更その程度で痛覚が働くわけもなく。しかし衝撃は過呼吸を都合よく整えてくれたようで。

 逆さまなまま開いた目先には灰色の棒が二本突っ立っていた。

「ちょ、ちょっと! 大丈夫!?」

 聞こえてきたのは女声。

(と、いうことは……)

 目線を下げていくと案の定女の子が立っていた。

 鮮やかな紫の髪、かわいらしい顔立ち。おどおどと焦っている表情もかわいい。心配して手を差し伸べてくれている。かわいい。とにかくかわいい。

(地味な服さえなければなあ)

 心の中でぼやきながら少女の手を掴む。年齢的には変わらないだろうとはいえ見た目高校生の女の子に引き起こされるとはなんとも情けない話だ。

 まだ笑っている膝をばれないように誤魔化しながら立ち上がると改めて服のひどさが目立って見えた。

 灰色だか茶色だか、迷彩柄のようで何か違うような。地味目な色を最悪に組み合わせた感じだ。でも何故か似合っている。不思議だ。

「よかったよ。起きれたんだね。ごめんね、ドアで殴っちゃって」

「いや、それはあんなとこにいた俺が悪いよ。それより、君はだれ? 口調的に俺を助けてくれたってこと?」

「あ、そうだったね。自己紹介からだね。ちょうどいいや、みんな揃ってるし。ついてきてよ」

 少女は自然に少年の手を取り引いた。

 ドアの外は想像を超えた長さの一本廊下に数ヶ所の枝道が伸びている木製の造りだった。最早廊下の先は見えない。いくら何でもこんなにだだっ広く縦に長い家に需要はなさそうなのでトリックアートか鏡かその辺りを利用しているのだろうが、目がおかしくなりそうだ。

 結局ついたのは部屋を出て右に曲がり五つ目の部屋。

がちゃりと扉を開けると少女は大きな声で元気よく、

「起きたんだよ~!」

二人の女の子がこちらを勢いよく振り返った。

勿論、少年が起きたということに驚いたわけではない。ただただうるさすぎて驚いたのだ。

「うるさい!」

 茶髪のお姉ちゃんが激怒した。

 それもそのはずだ。ティーポットを落としてお茶をぶちまけたのだ。怒らないほうがおかしい。

もう一人の小動物みたいな娘が陰ながらせっせと片づけをしていた。普段からこういうことに慣れているのだろう。職人の如き速さだ。

「お前はもう少し落着きというものをだな!」

 落着きのおの字もない様相で茶髪の少女が突っかかる。

 長くなりそうなので適当に部屋を見渡した。

 やたらと歩いた気がしたが、中はそこまで広いわけではなく十二畳ほど。うち八畳はリビング、といっても机と椅子がある程度で小物がちらほらといった風。残りのスペース、入り口から左手側にはたいそうなシステムキッチン。そこで作ったであろう様々な料理が机に並んでいる。すべての料理から立ち上る湯気から手際の良さを感じる。

「大体起きるなら先に行っておけ! 料理が足りないだろう!」

「そんなのわかるわけないじゃない!」

 怒りが空回りしているのか話が変な方向に飛んでいる。理不尽というやつだ。

 とはいえまだまだ鎮火は先になりそうだ。

 どうしたものかと悩んでいると目の前にティーポットを片付けて終わった少女が立っていた。

「おはようございます。もう大丈夫なんですか?」

「ああ。おかげさまでな」

 小柄でおどおどしているキャラ、という偏見の目で見ていたがどうやらそうではないらしい。

 はきはきとした口調、コミュ力の高そう仕草。他人慣れしてそうな笑顔が物語っている。

「すみません、お名前を伺ってもいいですか?」

「ああ、不知火」

 下の名前。個人情報はあらかた思い出せるのになぜだろう。下の名前が出てこない。はっきり言ってそこまで重要なことではないし、個人的に重要ではないと考えるタイプだがいわれてみれば少し気になる気もする。

「悪い。下は思い出せない」

「じゃあ不知火さんで。私は霜月風美香ふみかです。よろしければ風美香と呼んでいただけると嬉しいです」

 にこっ。

 浮かび上がる笑顔が眩しい。

 不知火はモテるんだろうな、などとどうでもいいことを考えながら喧嘩を繰り広げている二人を見やる。

「大体お前のその服はなんだ! 鏡を見たのか!? ゲテモノを擬人化したような恰好をして!」

「な、ななな……でもミナだってそのかっ……かわいい…………」

 返す言葉もなく言い淀む。少しすっきりする内容だった。

 不知火を連れてきた少女は悔しそうに俯いて、心なしか少し涙を溜めている様にも見える。

 確かに茶髪の娘はモデル体型+おしゃれとファッション雑誌に載っていてもなんらおかしくない完璧さを備えていた。

 三者三葉ではあるが揃って美女。男:女=1:3という理想的なハーレム状態を喜ばないではないが、それよりこんな広い家におそらく未成年であろう少女が三人でなにをしているのか。そちらが気になって仕方がなかった。顔の成り立ちから家族でないことは想像に難くない。それにこの娘たち以外に家に人の気配がないのも気になる。

 あり得るのは、訳ありで三人だけで住んでいる、ということか。それよりは養子としてこの三人を引き取った親が旅行に行っているパターンだが、それはないとすぐに分かった。

 机に椅子が三つしかなかったからだ。

 元からここには三人しかいないのだろう。そしてここで生活してきたのだろう。

(大変だったんだろうな。なんて、こんなこと考えるだけでも失礼だな。記憶喪失が何言ってるんだってなるし)

 思考に潜っている間に議論はまた進んだようで、今は風美香が絡まれていた。

「あれれ~? フミは普段あんなに大人しいのにいったいどうしちゃったのかな~? 久しぶりに男の子にあって色気づいちゃった? そうだよね~フミもオトシゴロだもんね~。カッコイイ男の子がいたら頑張っちゃうんだよね~」

「まるで別人だったな。何かに取り付かれたのかと割と本気で心配したぞ」

「ち、違いますよ~!」

 どうやら不知火の直感は当たっていたらしく、風美香はおもちゃにされていた。

「あの積極性は一番初めにかわいらしく自己紹介することで相手の中にいい印象を残して忘れにくくする。ついでに後から名乗る私たちを霞める効果を狙っているんじゃないか、とどうだろうか」

「考えもしませんでしたよ!」

「ボク的にはそろそろそうやって色気づいてくれたほうが嬉しいんだけどね」

「やめてください!」

 うるうると本当に小動物みたいだ。

 どうやらいい加減長引く喧嘩を止めようと仲裁に入ったところを袋叩きにされているらしい。不知火と風美香の会話は筒抜けだったらしく、普段とは違う頑張った彼女が引き金となったらしい。

「やめてやれよ」

 何気なく、本当に無意識に出た言葉だった。

 それがそろそろ弾切れとなったピストルのマガジンを装填させることになり、風美香いじりは第二ラウンドへ突入することになるのだった。


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