8曲目
固いアスファルトをスニーカーが鳴らせる乾いた音を僅かに響かせる。
ああ、クソ、あんなのは音楽でもバンドでもない。
ただ楽器とメンバーが居るあるだけのまがい物なんだ。
ラブホテルから全速力で抜け出してから、ノンストップでどこをどう走ったのかわからないももひたすら地面を蹴り走り続け、やがて見覚えのある路地が視界に見えて来たことに気づかされた。
あそこからかなりの距離があったのだろう。いくら睡眠勉学とギターとボイトレを自主練しその中に体力作りをしているとは言っても、スタミナを考えないで無茶苦茶に真っすぐ走ったせいで、肺そのものが敗れたみたいに息が乱れ苦しくなる。
やべぇ、心臓がばっくんばっくん言っててすっげぇ痛い。
汗だくの顔からは汗が地面に滴り落ち、ガクガクと震える足元がよろけて、その度にブロック塀に手を突いたり石段の壁に手を突いたりして倒れないように支える。
そんな中帰路途中らしいサラリーマンやフリーター、遊び疲れて帰って来た子供やおっさんが、皆が皆怪訝な視線を出して汗だくで疲れ切った俺を振り返る。
うざったい視線を向けて来ることに気づいた俺は睨み返すと、危ないヤツだとでも思ったらしく、それぞれが蜘蛛の子を散らすように足早に立ち去って行った。
「ちっ! あー、クソっ……」
ヤバい、とてつもなく虚無感に駆り立たれる。
だってそうだろ。たかが信じていた先輩に着いて行ったらバンドのイロハだなんて餌に食いついて蓋を開けたら騙されて、イライラを発散させるために善良なサラリーマンや公務員に対してくだを巻くような真似をしている自分が情けない。
一気に疲れが襲い掛かってきた俺はその場にへたり込んだ。
かなりの距離がある道をひたすら走って走って疲れ切っているはずなのに、まだ俺の中に灯る炎は燃え尽きない、いやそれどころか疲れと焼身し切った体にますますギラギラと燃え続ける何物かが、火照った体の奥深くで暴れ回っているのを感じ取れた。
もっと歌え、もっとギターを弾け、もっとお前のオリジナルを作れ。
もっと走れ、もっと吼えろ、更なる向こうへと俺に命令してるみたいだ。
確かにこの感覚は嫌いじゃないが、今の俺にとっては邪魔にしかならない。
こんなどす黒い感覚のまま作詞作曲をしたとしても、それは音楽じゃない。
どうしようもなく辛く、苦しく、痛むばかりの心でなにをしろというんだ?
「ふざけんな……っ」
得体の知れない衝動に悪態を吐き、睨みつけ、俺は乱れた呼吸を整える。
蠢く激怒と憎悪が入り混じり暴れまわるなにかに、俺は地面を拳で叩く。
鈍い音が俺の耳に届き、殴った握り拳には段々と痛覚を覚えはじめ痛む。
呼吸が落ち着くにつれ、少しずつ熱して滾る気持ちも落ち着いていった。
落ち着くと俺の体に敗北感と、虚無感と、嫌悪感が苛まられ混じり合った。
「なぁ、なにやってんだよ、俺……俺よォっ!」
俺以外誰も居なくなった坂道に小さく声を荒げて自身に問いかける。
ひどくみじめだ。
それでいてものすごくカッコ悪い。
いったいなにをやっているんだよ俺は?
なんであんなことを衝動的にやっちまったんだ?
あの時の俺がやってしまったことはとにかくムチャクチャだ。
俺の自論より、田所先輩の言い分の方が理に適っている。
それは俺が今まで一人で作詞作曲をし、路上ライブをやっていた。
たった一人で何でも背負い込んで突っ走ったから、理解ができなかった。
けれど、さっきあんなとこに連れ込まれて言われた事実が酷く突き刺さる。
自分と他のバンドメンバーたちと共にバンドを組んでライブ活動をし売れて有名になって、多額のギャラも可愛いとか美しい女も自分の欲しいモノ何でも手に入って、湧き上がる欲望に従い手に入ったそれらを享受する。
それらは動物として、一人の人間として、決して間違っちゃいない。
田所先輩は、別に俺を偽って偽善の仮面を被り言葉裏腹に言ってたんじゃない。
ああ、本当に自分の先輩として親切にバンドを始める俺を誘ってくれたんだろうさ、今となっては余計なお世話だと思えてぶち壊しにしちまったがな。
そうさ、田所先輩は女共と盛りながらも"既成概念"をぶち壊せだの"柵で拘束した鎖"を引き剥がせみたいなことを言っていたけど、きっとその理由はそんなにたいしたことじゃない。
音楽とかロックとかも関係が無い。
ただ女を抱くだけのことじゃないかよ。
人生に一度きりの"はじめて"だからって、キラキラと輝くきれいな思い出で気持ちの良い初体験を……なんて田所先輩みたいな軽い人ならともかく俺みたいな根っからの音楽バカにはガラじゃない。
けど、それでもあの時の場面では絶対に許せなくて、譲れない思いもあって受け入れられないモノが、あそこにはちゃんと存在たんだ。
「そうだ、俺は間違っちゃいない。絶対に違うんだ。あんな、どこにでも転がってて簡単に拾い上げられるようなありきたりで心を動かされずにつまらないものが欲しいわけじゃないんだ」
息が切れそうになるのを必死に堪えている俺は、固いアスファルトの上にある自分の足を軽く上げ、一気に踏みつける。
人間は全能なんかじゃない。一度に持てるモノの量が決められている。
両腕に持てるモノは少しだし、たくさんのモノは持てやしない。
例えそれらを一度に持てたとしても、絶対にどこかで崩れちまう。
だからなにかが欲しければ、他のなにかを諦めるしか方法がない。
自分がそれらを欲しがっても、持てるモノの量が限られているから。
「あークソがぁっ! イライラばっかりさせんなよ俺の人生よォ!」
自分でも訳のわからない罵倒を口にし、近くの地面に転がっていた空き缶が目に入りそれに向かって、力任せに右足で蹴りつけた。
虫の鳴く声だけが響く静かな夜空に、甲高い無機質な音が響き渡る。
長距離をノンストップに走ったせいかよくわからない衝動がグルグル脳裏に回ってカッカしているせいか、さっきから体が熱気に包まれ血が滾り火照ってどうしようもない。
いや、もしかしたら、別に好きでも無いし興味も無かったのに艶めかしい裸の女共なんかをあんな間近に見たせいがあるのかもしれない。
俺の脳裏にまた田所先輩と女共の交わる光景が広がる。
ムカつく、ムカつく、腹が立って忌々しく思える光景で反吐が出る。
「稔……」
裸の女と田所先輩から、稔と自分を連想してしまうところがとてつもなく情けなく、涙が零れそうになるほど不純でイヤだ。
だが今このモヤモヤした感情の俺は、無性に稔の声が聴きたかった。
ジーンズのケツポケに入ったスマホを取り出して、だがそこで躊躇してしまう。
"ロック界の太陽"になるって自負している癖に、なんだか今の自分がすごく澱み翳んで真っ黒に汚れていて、純白で優しい稔と話しちゃいけないような気がしたからだ。
「くそ……っ!」
俺は自分自身の愚かさに虚しくなって、思わず何もない場所を殴る。
けれど殴った先にはなにもなく、ただ、虚しさを増加させるに過ぎなかった。
手を伸ばしても全てを飲み込まれそうになる闇にも見え、気持ち悪くなる。
それでも、俺のモヤモヤする気持ちが晴れることなく、辛さだけが木霊する。
ご愛読まことにありがとうございます。
限りある時間の中、読んで下さってるあなた様。
私の小説に対して、文章とストーリー評価して下さり、まことにありがとうございます!
これからもよろしくお願い致します。