27曲目
過去編その8
そう、俺は小学生のとき、路上ライブで偶然出会った稔と知り合い病室で彼女のためだけに弾き語りをし、衝動に駆られ勢いのままキスをしてしまったんだ。
稔との出会いから、俺の生き方に大きな変化を与えてくれたのも事実だ。
それから話を聞くと、ケンと稔は親戚同士の仲であり怒鳴り散らした女の子は稔の友人である榎本結理というらしく、稔と結理とケンは親戚で幼馴染みで友人同士だということを教えられた。
それに医者や看護師からも言われたが、俺が弾き語りをしていた『DREAM SKY』は廊下に聞こえていたようだが、他の患者にもその歌詞を聴いたときに元気づいたり励まされたりして笑顔を咲かせていたんだよとも言われ、軽い注意だけ受けたのみでお咎めなしだった。
稔は俺の一曲入魂による弾き語りのお陰で、もう一度人生を歩み出そうと決意しリハビリからはじめて、虚弱体質も日に日によくなり生まれたときから病院生活だったのに見事に退院でき、今ではちゃんと自分の家である喫茶店兼楽器スタジオである『エテジラソーレ』で両親とともに生活できることとなった。
俺はかなり異質な出会いで、自分が稔と幼馴染みだという事実を知った。
小学生だった稔と結理とケン、そして俺はそこからよく遊ぶようにもなったし、俺が手掛けたオリジナルを稔の両親が経営する喫茶店でホットケーキとミルクを頼んでよく三人にも聴かせたり歌詞の手直しを四人でよくしていた。
それから俺は喫茶店『エテジラソーレ』でも稔の両親のご厚意によりよくお客さんの前で演奏させてもらったり、路上ライブをするときは三人が知り合いに報告を入れて集めたり道行く人々に声を掛けてくれたりして、演奏していたのは俺一人だったけど歌うときも一人だった俺がいつのまにか四人に増えたりもして灰色だった世界に虹が掛かったんだ。
けれど、それも少しまた異質なことが継続されていた。
あの突発的なキス以来、稔は俺と口をきいてはくれなかった。
喫茶店にいるとき、路上ライブしてるとき、いつも俺からかなり離れていた。
喋るときも、喫茶店で話をしたいときも大体は結理とケンに伝言で伝えた。
俺が言いたいことをケンや結理に伝え、どちらかがソレを稔に伝えるといった、一種の異質伝言ゲームみたいな会話が成立されていた……今思うとおかしいが。
まぁ、いきなりキスされたら誰だってビックリはするだろう。
だから主犯である俺も、稔と話せないと受け入れるのは苦渋の選択だった。
それだけなら仕方がないことなのだが、稔はあの一件以来から虚弱体質も回復し普通の体質になったのはいいことだが少しばかり男性恐怖症になってしまったらしく、男子や男性が近づくとひどく体を強張って緊張し怯えてしまうようになってしまった。
これには俺も背中に罪悪感が這い上がるのを感じざるをえなかった。
突発的でしてしまったことを謝りたくても、近づけないし話すらできない。
そこでどうしたらいいのかとケンと結理を呼んで相談してみたところ、ケンはお手上げ状態だったが結理が2から3メートルは近づけず体も触れないという厳しい条件で、稔を俺のとこに連れてきてくれたのだった。
久しぶりに手の届く距離で会えた稔に、俺は心の底から詫びて頭を下げた。
すると稔は、俺と元通り友達でいてくれると向日葵の笑顔で言ってくれたのだ。
そういうことがあったから稔の運命を捻じ曲げたはいいものの、良かれと思ってやっちまった行為でおかしな関係から友達関係まで修復できたんだが、しかし2から3メートルは近づけず体も触れないって厳しい約束はなんとなく残ってしまったのだった。
小学高学年の頃、俺はいつも通り路上ライブと喫茶店生弾き語りをしてた。
そんなとき料理の週刊雑誌で『エテジラソーレ』が載っていたのを拝見した音楽プロデューサーと言う人が立ち寄り、いつも通り稔が手伝いとしてお客さんの接客をしてたときにその人が弾き語りをしている俺の方をジッと見てた。
俺は気にせず、隣に座っていたケンと一緒に手掛けたオリジナルを、喫茶店で悠悠自適にコーヒーやケーキを食べて飲んでひと時を満喫しているお客さんたちに歌を届けていたが、二人で手掛けたオリジナルは意外にウケがよく喫茶店業繁盛にも貢献できていた。
一時間ぐらいしてから歌うのを止め、俺がギターを閉まっているときだった。
「君、プロのシンガーソングライターになる気はないかね?」
非常に魅惑的で勝機となる一筋の希望。
俺は耳を疑ったし、現実味のないダジャレとも思えた。
ギターケースに相棒をしまって振り向くと、そこにはスーツ服の男がいた。
顔には見覚えがあり、喫茶店に入店してから俺の顔をジッと見てたヤツだ。
そこからのスーツの男が言う言葉は今考えると色々と引っかかった。
君の歌には熱意と決意があるとか、人々を感動させる力があるとか。
俺の曲を数曲しか聴いていない癖に、べらべらと言ってきたのは変だろうが、当時小学高学年だった俺はその言葉を鵜呑みにしものすごく嬉しがり、描き続けていた夢の第一歩を思いっきり踏めると心の底から信じた。
名刺を渡されたが、漢字が読めなかったし今の俺もよくは覚えていない。
稔の両親も稔に結理にケンも、そのことを大いに祝杯してくれていた。
俺も嬉しかった。
泣くほど嬉しくて鼻水もよだれも出たほどに、嬉しかった。
親父やお袋にも伝えたら、面と向かって褒めなかったが、背中を押してくれた。
――けれど、それが俺にとっての心の楔になってしまったんだ。
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