260曲目
何よりも大事なものはまさに灯台下暗し。
失ってから、手放してからじゃもう遅い。
夜の帳に包まれ、凛とした静けさは、星のない重たげな空全体に広がる。
買い物も無事に終了し都市部からロードレーサーで帰宅した後のことだ。
まず家に帰って玄関口の扉を開けると丁度、仕事に出る親父と鉢合わせした。
「おう、お帰り。買ってきてくれたか?」
掠れた声でそう言いながらこちらに千円札を2枚手渡してくる。
返事は返さず頷くだけにし、缶コーヒーと雑誌の入った袋を手渡す。
玄関口で物々交換を済ませ、親子同士での会話も僅かばかりしかせずにアコースティックギターの入ったギターケースも玄関口の壁に立てかけてから横を通り過ぎる前に親父の方へと振り向いた。
「親父。ちょっくら出かけて来る」
言葉少なに交わし返答を聞くまでも無くそのまま外へ向かう。
玄関先の靴棚の上に置いてあるタオルを手に取り、頭に巻く。
「こんな夜遅くにまたどっか行くのか?」
背中越しからまるで呼び止める気持ちが全面的に出た声がした。
天空から降りた蜘蛛の糸へと縋るような感じの声色で、弱弱しい。
そのような言葉を掛けてくる理由も、息子の俺にはわかる。
些細なケンカ喧嘩が退きどころを間違ってそのままケンカ別れ、お袋が家にある全財産の半分と身支度をして双子の兄である暁幸とともにこの家から去ってしまったんだし、なによりお互いが気まずくて寄りを戻せれないという不甲斐ない関係で終わっているんだ。
どうせ俺も自分の傍から離れるんじゃないかとか考えてるのだろう。
俺はお袋とケンカ別れし自堕落なヤツになった親父がキライだ。
だが、自分の居場所を離れることも出来ないのも曲がらない事実。
「まあな。心配すんな、ちゃんと戻ってくるからよ」
「そ……そうか。んじゃ俺、夜勤行って来るからな」
俺の親父は一言で例えろと言われるなら「不器用」と言える。
お袋と暁幸がまだこの家にいて4人家族のときは天狗になったかのように『俺がこの家で1番偉いんだ』って威張ってるのは日常茶飯事だったし、2人が去ってからは性格を変えようと考えていたらしいが息子の気を引こうと俺が興味の無いプラモデルをプレゼントしてきたり、息子の興味を知ろうとしてジャンルのまったく違う歌手のコンサートとかライブに行こうと誘ってきたりしたりもしたが全てが的を外してるわけだ。
募ってくるのは感謝の心じゃなく、どす黒い憎悪が育つだけだった。
貴重な時間の中で話しかけてくる度に『ウザい』と思う他なかった。
なぜ息子の俺が親に対してそう思ったのか? そんなの理由は簡単だ。
そういう気遣いをなぜあのとき、お袋にしてやらなかったんだ、と。
結果的にいつしかその接し方に腹が立って拳と拳の殴り合いに勃発となり、約5か6年間ほどは怒声込みのバッドコミュニケーションか今のような言葉少なで投げやりな対応をするようになった。
だが、俺も顔にも言葉にも出さないが、親としての尊敬の念だけはある。
ここまで不器用ながらも辛い仕事で得た金で養ってくれたんだ。
コイツの性格と不器用すぎる考えには賛同できないが、親は親だからな。
「おう、暗いから気を付けて。仕事に行って来いよ、バカ親父」
振り向くことなくそのまま家の外に出てリズムよく夜道を走り出す。
すでに生活の日課となった走り込みをした瞬間、耳を劈く音が弾けた。
「う……うっせえぞドラ息子ぉ! お前も気を付けて行って来いよ!」
真夜中にアンプにテレキャスターに刺さったシールドをぶっ刺して音量MAXでコードを掻き鳴らした俺も大概人のことを言えないが、秋を知らせるような空気に陽も落ちた宵闇を見るに今の大声は近所迷惑になりかねないが、背中から掛け水のように聞こえた親父の声に俺は軽く振る手で応えると同時に車のエンジン音が後方から聞こえた気がした。
白神郷の周辺を遠回りなどをし走り込んでから1時間が経過。
ゴール地点と決めていた目的地の目の前に着いた俺は周りを見渡す。
コンテスト以来となる、ミッション系学校こと俺の母校『鐘撞学園』だ。
夜の学校というのは不気味だと言うが、そんな風には思わなかった。
灯りが一切付けられていない夜の学園に、こんな肝試しをしてやろうと目論んでいる悪ガキのように忍び込むのは、思えば人生初めてのことだ。
「あれっ? 学園ってこんなとこだったっけ」
今日は日曜日、俗に言う祝日という日だ。
親友や知り合い、親にも悪いが俺自身が決めた道筋を貫き通す。
陽が上る明日、月曜日に、俺は職員室で牧野先生に退学届を提出する。
授業がつまらないしイヤで、サボったりエスケープしたのも何度もある。
それでよく結理が先生にチクって生活指導室に何度もお邪魔したっけな。
だが、そういう柵や束縛からも解放されてもう次は来なくてよくなると思うと、急に喪失感と虚無感に駆られると同時に不思議と来たくなってしまったのだ。
今の自分が脆く感傷的になっているのが痛いほどにわかる。
だが、そういう感情も神経的痛みの経験も大切にしようと思った。
普通の人間という箍を外したバンドマンと同時にシンガーソングライターたる者として、0から1にする作業を得意としなきゃならない類の人間にとっては、イマジネーションからのクリエイティブな過程を積んでいこうと思ったら当然だろう。
……なんてのは走り込みをするついでってのも付け加えた只の都合のいい口実で、本当は単純的に学園へともう1度だけ訪れたいだけだったのかもしれないが。
「さて、ここまで来たのはいいが、肝心の中に入れるのか?」
なんか夜の学園に1人だと肝試し感覚に思い急に楽しくなってきた。
校舎の中を探検してやりたいが、そう簡単に入れるものかどうか。
校舎の中へと入れそうなところを求めて辺りを見回している中で、俺はその人影を見つけた。どんな宵闇に包まれた暗がりでも、1度地面に這いつくばり絶望した俺の人生へと彩りと第2の音楽人生を背中から押してくれたそのシルエットは、俺には1発で見分けられる。
「えっ? な、なんで稔がここにいるんだ?」
どんなにバカでも見間違えるわけがない。
太陽よりも暖かい志をくれた彼女を忘れるはずがない。
ひまわり畑にいる少女のような、満面の笑みを顔に出す君を……。
そのとき、宵闇の世界に月明かりが照らされた。
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