243曲目
錯乱する頭の良薬は、友の拳。
今、何をするべきか考える。
そして行動するのが人の強さ。
飛び込んできたのが右のグーパンだと言うのを、身に受けて理解した。
左の頬にまるで熱湯でもぶっ掛けられたかのような熱を感じたと思った瞬間、舞台袖で見てる稔と結理が短い悲鳴とともに、俺はなぜか宙を舞っていた。
いや、親友に殴られた俺の中ではすごい飛んだつもりだったのだが、実際にはすぐ後ろによろけてステージ上に倒れたぐらいらしい。
とにかく俺は背中から、ステージに倒れて天井に垂れ下がっているスポットライトを全身に浴びており、まるで燦々と輝く夏の太陽の下で寝そべっているようだ。
「なっ……はっ、えっ?」
素っ頓狂な声しか出せない。
今しがた俺になにが起こったのかわからない。
これ以上ないってぐらいに会場全体から困惑気味にざわついているし、舞台袖から司会と【二時世代音芸部】のメンバーも慌てふためいてたりアッキーもソウもビックリしてなにかケンに言っているが、一番パニックなのは殴られた俺だ。
非暴力主義のケンが俺を拳で殴ったと気づくまで、ずいぶん時間がかかった。
まさか物柔らかで誰に対しても優しいケンが俺に、いや、俺でない誰にだとしても、ケンが拳を握って暴力に徹してくるなんて、俺の常識では計り知れずあり得ないことだ。
「ゴメンね、陽ちゃん。痛かったかな?」
倒れている俺にケンの心配する声が聞こえ、首だけ上げ見上げる。
そこにはスポットライトを背中から受けて影があるケンがいて、俺を殴り飛ばした右手の甲を左手で覆い隠し、演奏に全力投球でやったからか汗が垂れるその顔つきにはやけに大人びた雰囲気が見てとれた。
「いや、そりゃ痛いだろ。殴られたんだぞ。それより急にどうしたんだよケン?」
アッキーが心配そうに声をかけても、ケンは倒れた俺から目を逸らさない。
それで声をかけたアッキーも事態を見守っているソウもただごとではないと気づいたのか、それ以上はなにも言わずに黙って俺たちの様子をうかがっている。
静まり返るライブハウスの中で、ケンが確認するように口にする。
「ゴメン、痛かったでしょ? でもさ、これでわかってくれた? 僕、思いっきり陽ちゃんを殴れるほど元気じゃない? 僕は今、ライブがすっごく楽しいんだよ。さっきから本当の気持ちを押しつぶして演奏しているけどさ、それってバカみたいじゃん。だから、陽ちゃんが心配するようなことはぜんぜん無いんだよ」
「ケン……だけどお前は、お前の体はもう……」
俺はそこまで言って急に黙り込む。
それ以上言うともう、取り返しのつかないような気がした。
だけどそれを察したケンは、病気のことを納得するように言葉に出す。
「うん、そうだね。他の人にはきっと理解し難い、難しい問題だよ。僕の病気は、医療機関には治療法が存在しない病気。思考だけはちゃんとしているのに、日に日に全身の筋肉と中にある筋肉が萎縮して、外の筋肉はいつかは動かなくなり中の筋肉は上手く機能しなくなる不治の病だよ」
「えっ……?」
「なっ!? それはもしや、ALS……筋萎縮性側索硬化症か。いや、それは違う。外だけの筋肉ならそれだが呼吸器官や舌などの筋肉にも影響するのなら、まさか、SBMA……球脊髄性筋萎縮症なの、か……?」
アッキーも俺と同じく素っ頓狂な声しか出せず、ソウには知識があったらしい。
3つの職に就く勉学を積み重ね正確にわかるだけ、驚きも大きかったようだ。
世界中の1か2割も満たない確率で発症するのを、ケンがなったんだから。
アッキーは、騒然たる現状を目の当たりしてよくわからないなりに大変で厄介な病気だと言うことが直感的にわかり、呆然と成り行きを静かに見守っている。
「うん、もうね。この先に続く人生では、僕は、動かなくなるんだよ。滑舌も悪くなるけど、そこだけは頑張ってみるけどさ……でも、僕の体はまだこうして動くんだよ。陽ちゃんに教えてもらった音楽が好きになって大好きになったギターだって弾けるし、さっきから上の空な陽ちゃんのことだって、こうして拳で殴り飛ばせる。親友として、間違いを気づかして上げれるんだよ。僕が陽ちゃんとケンカして、勝ったことある?」
「いや、無かったな……初めてだよ、お前に負けたのはさ」
「そっか。じゃあ、今日が僕の初勝利だね。だったらこんな最高な日は、ちゃんと初出場初優勝を決めないともったいないでしょ。今までの雪辱を晴らすためにもさ。必死に演奏して楽しくライブをしなくちゃ、努力ってのは報われないよ?」
ケンがまた爽やかで、それでいて咲き誇る花のように笑う。
ほんとすごいよコイツは、どうしてこんな風に笑えるんだろう?
いったいケンは今、不治の病に侵されてるのにどんな気持ちでいるんだ?
今日まで、どんな気持ちで笑ってきたんだろう?
俺はなんだか誇らしい、コイツは俺にとって最高の親友なんだ。
不治の病で体が蝕まれているのに、本当にカッコいいヤツだよ。
「ねえ、陽ちゃん。みんなも、よく考えてみてよ」
この中で誰よりも輝いているケンが、優しく諭すように俺たちに語りかける。
まるでその言葉そのものが唄で、アコギにマッチする楽曲だと思えてしまう。
「たしかに僕の病気は治らない。普通の病気とは勝手が違うし、いつかは誰よりも早く死んじゃう難病だよ。体が動かなくなって、松葉杖から車いす、そしてベットでの就寝生活になるんだ。でも他の誰だって、病気を患ってる僕と立場は変わらないじゃない? 人間も動物も生物も誰だってみんな、寿命を迎えたり唐突に起こる事故によって、いつかは死ぬんだから。そして僕たちの知らない世界の果てでまた違う形に成り変わるんじゃないかな」
その言葉に住職の修行を体得したソウも、俺たちも納得する。
人間はいつか必ず死に、仏の道へと歩んで行き輪廻転生を繰り返す。
大一番となる大舞台の上で仏教染みたことを言われるとは、難儀だな。
「例えどんなに健康な人だって、100年後にはきっと生きられないしさ。どんなにお金持ちの人でも、多額の資金を寄付して医療機関にある機械で生き永らえても絶対に死ぬんだよ。それは変わらない運命なんだ。陽ちゃんだって、このライブをした帰りにトラックとかに轢かれて交通事故に遭うかもしれない。もしかしたら、そのまま陽ちゃんの大好きな異世界転生とかも起きるかもね……」
教師のように叱り優しく諭すケンはそんな冗談混じりなことを言う。
もし今の俺が異世界転生したら即刻魔物に蹂躙されて死ぬだろうな……。
俺も心の中でそんなことを考え苦笑すると、ケンはまた真剣な眼差しで見る。
「そう、誰だって、突然いなくなる可能性はあるんだよ。日本、それこそ世界中に存在する誰だって、不治の病に侵された僕と同じなんだよ。そうじゃない?」
「でも、それは……」
違うだろ、そう言いたかったが俺は口ごもる。
たしかに、ケンの言う通りだったからだ。
健康だけしか取り柄が無く残りは努力で補うことしかできない俺だって、予測不可能な事件に巻き込まれるかもしれないし、これから先の人生で事故に遭うかもしれない。
それこそ今日や明日にだって死ぬ可能性もあるのだ、0じゃない。
少ない確率で罹った不治の病に苦しむ自分だけが特別なんかじゃないと、だから自分を憐れんでだり悲しんだりするなと、君は君らしく接して自分の思うように生きてくれと、ケンは拳を出しながらもそう言っているようだった。
強すぎる、ほとばしるほどに強い。
今までの気さくで大人しいケンとは一味も二味も違う。
こいつには体の感覚どころか、命さえ失ってもいい覚悟がある。
そして不治の病に対する恐怖や激痛に耐える精神力が具現化してる。
そこに居るのはいつも泣きべそかいてたケンじゃない……。
間違ったことを考える俺を諭させるほど成長したケンが、そこにいた。
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