239曲目
覚悟を決めた時には、もう遅い。
失ってから初めて気付く大切な概念。
この世はすべて理不尽で不条理に満ちている。
今まさにそんな考えが頭の中を支配していた。
「ゴメンね……言えなくてさ、ほんとにゴメン」
「違う。いちいち謝るな、バカ」
「うん、そうだね。ゴメン……」
なにを言っても、ケンは俺に謝る。
否定しているのに彼は何度も頭を下げて律儀に謝ってくる。
きっと病気のことを相談できなかったことへの謝罪だろう。
そんなことは決してないのに、一番辛いケンは悪くないのに。
なのに……。
「クソ、クソがよぉ、なんで、なんでケンや稔になんだよ……。なんで俺の身内ばっかり、こんなひどい目に遭わなきゃならねぇんだよ……おかしいじゃねえか、バカヤロー」
話を聞いてたら無意識に口からは張り詰めた声が出た。
決して向けられることはない怒りが体内から込み上げられた。
でも耐える、体が爆発しそうな怒りと悲しみが溢れ出ても出すことは許されない、ただ憤怒のままに振るう暴力じゃ敵意を向ける感情以外はなにも生まれることは無いからだ。
だけど、俺の頭の中はそのことでいっぱいだった。
この世の中には他にいくらでも悪いヤツはいるだろう?
なのにどうして、よりによって稔やケンに苦痛を与えるんだよ?
ああ、一番手っ取り早い人物がいる。
こういう苦しみも痛みを喰らうに相応しいヤツだ。
そうだよな、どうして俺じゃないんだ?
この澱んで薄暗いクソッタレた世の中には、”いいヤツほど早死にする”とか”いいヤツはみんな死んだ”というバカでおかしいキャッチフレーズが頭に浮かび、俺は慌ててそれを振り払うように頭を振った。
仏教とともに道徳まがいなことをソウから聞いたが、優しい人ほど早く死ぬというのはその人物が天から世界を見下ろして守る神様にとって【良し】とされる人生を歩み結果として短い人生だったが、その人は他の人が100年生きたに相当するような人生を送ったからとのことだ。
寿命云々という薄っぺらい理由ではなく、神様の御心に沿う人生を短い間に達成して長生きする人はする人で、まだまだ神様に与えられた使命を果たし終えてないのだという理由らしいが、だったらケンはまだ与えられた使命だかなんちゃらかんちゃらは出来てないでいいじゃねえか。
それなのに、なんで……。
「ねえ、陽ちゃん。今日の大事なコンテストでのライブ、僕の病気とかで心配だからとか無理をさせたくないとかで……出場しないなんて言わないでよね?」
直後、ケンが先回りして釘を刺すように言う。
そういう選択肢も、頭に浮かばないではなかった。
「さっきも言った通り、僕の病気ってのはさ、頭では理解できてるのにだんだん体の自由が利かなくなっていく不治の病なんだ。治療法も無いから決して逃れる術もない。でも、だからといって安静にしてれば治るわけじゃないし、僕の気持ちが安らぐわけじゃない」
ケンが決意に満ちた眼差しで言った瞬間に顔を伏せる。
なにかを考えるように時間が僅かに過ぎてから、笑顔を向ける。
その屈託なき笑顔が今の俺には見てるだけで辛く苦しいものだった。
「3年前はまだ全然大丈夫だった。それにちょっと前まではまだそんなにたいした症状も出てなかったんだけど、最近は少しずつ進行してるみたいでさ。ほら、最近なにもないとこでよく転んだりして、手の震えや咳……気を付けてはいるけど滑舌も良くないでしょ?」
ケンは1言ずつ深く心に刻み込むように言いながら笑みを浮かべるが、やはり俺はその顔をまともに見ていられずに思わず顔を背けてしまう。
親友としてあるまじき行為をしても、ケンは、優しく微笑んでいる。
やめろ、やめてくれよ……。
「医者からも他の患者さんよりも精神力が強いとか、特殊な方だとか言われててさ。今はまだ大丈夫だけど、やっぱりもうすぐ松葉杖か車いすを生活の一環として使わなくちゃならなくなるかも。薬毒患者みたいに震える手も、最近物をよく落としたりするし上手く掴めもしないんだ……」
彼は冗談混じりな感じで話すが、言ってることは深刻さを物語ってる。
それだけ不治の病魔が、確実にケンの体をゆっくり冒しているのだろう。
クソッ! なんでケンがこんなに辛い目に遭わなきゃなんないんだよ!?
「だから、僕に音楽の素晴らしさと大切さを教えてくれた陽ちゃんと、今まで一緒について来てくれたみんなとライブハウスのステージに上がれるのも、今日が最後だと思うんだ。せっかく誘ってもらった……最高で太陽みたいに熱くて、演奏もコミュニケーションを取るのも楽しくて、一番輝いてカッコいいロックバンドなのにさ。もう出来なくなるんだけど、ゴメンね」
だから真剣な眼差しで謝ってくるんじゃねえよ、と謝り上戸なケンに言い返してやりたいところなのだが、涙を浮かべても我慢し流そうとしない俺はもう声が出なかった。もし今思っていることを口から通して声に出したら、必死に押しとどめているすべてのモノが、止めることも叶わずにあふれ出してしまいそうだったから。
「だから、僕のバンドマン人生の最後となる今日だけは悔いが残らないように、精一杯音楽と向き合ってみんなと一緒に演りたいんだ。もしかしたら症状が出始めてる僕がいつもみたいにもたついて足を引っ張っちゃうかもしれないけど、それでも悔いが残らないようにしたい。後悔をしない選択を選びたいんだ」
ケンは、決意を越えた覚悟のこもった瞳で俺を見つめる。
話を静かに聞く俺はその熱い目を真っすぐ見つめ返せない。
涙が目に浮かんで視界がぐにゃりとしてるせいで、訳がわからない。
俺が目元を腕で拭うと、奏音が俺を見つめる。
その目は彼とは正反対の感情が溢れ出ていた。
「陽太さん、お兄ちゃんのお願いを聞いて下さい。お願い、します……」
ケンの隣で、奏音が俺に頭を下げた。
知り合い同士なのに律儀に頭を下げられたって困る。
そんな大事で決して逃れられないこと急に言われたって……。
俺はいったいどうすりゃいいんだよ……。
稔を救った奇跡を、起こせるはずが、ないじゃんかよ……。
クソッ……ちくしょう……。
俺は心の中で自分の無力さを憎み、でも、抗えないでいた。
ケンが自分で決めた選択肢に、覚悟をした最後を無下にできない。
親友としてその願いを全うにしなきゃ、漢として親友としてダメだから。
話はこれで終わりと言われてから覚束ない足取りのまま椅子から立ち上がり、ケンにあまり負担をかけさせまいと肩を貸して出口まで歩みを進め、彼と割り勘で出した金額をレジの人に出しお釣りを貰ってから3人は店を出た。
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