234曲目
ホールとステージ内で張り詰めた緊迫感を感じるときだ。
ライブハウスでは似つかわしくない重々しく鈍い音が聞こえた。
後ろから聞こえた重々しい音へと周りの人が覗き込むように見てる。
裏方も演者も只ならぬ気を感じ顔面蒼白で葬式会場のような雰囲気だ。
不穏な音が聞こえた一瞬、俺はその音が嘘だと信じてしまった。
何度もあるわけがないと、悪夢の続きじゃないと脳裏を駆け巡る。
悪い予感が外れてくれ、頼むから外れてくれと何度も心の中で願う。
「――ッ!? お、お兄ちゃん!!」
事態を把握した奏音の悲鳴のような声がホール内に響く。
それを聴き視た瞬間に、俺は一瞬にして頭が真っ白になる。
「えっ……ケ、ケン?」
恐る恐る背後を振り返ると、床に倒れているケンが見えた。
合宿中にあった雨の日と、最後の練習で視た光景と同じだった。
そこには糸の切れた操り人形みたいに力無くうなだれた彼がいた。
「ちょっと健二!? アンタ大丈夫!?」
慌てたように駆け寄る結理の声を聞いてやっと把握できた。
まるで金縛りにあったかのように静止していた俺も動ける。
「ケン!!」
親友の体調を心配し慌てて駆けつける。
ケンの顔つきは今まで以上に怪訝そうな顔色だ。
「えっ……? ゲホッゲホッ。あ、あれ、あはは、いや~ゴメンゴメン。ちょっと転んじゃってさ~。僕は大丈夫、大丈夫だから……みんな、そんなに心配しなくてもいいよ」
聞くところによれば倒れたというより、ただ単に転んだらしい。
必要以上に咳き込む以外には体に異常もないようでホッとした。
だが、やっぱりここ最近ケンの様子はなんかおかしい……ケンが何事にも呑気で急にスイッチが入ってはそそっかしい感じになるにしても、こんなにしょっちゅう転んだり咳き込んだりするか?
危惧しそうな不安を見受けられたのも夏休みの中旬からであり、手に持ってるのも震えから落としやすかったり喋る単語がよく伝えられなくなったり、食べ物もちゃんと喉に通らず戻したり歩くときに苦痛で歪めた表情になったりとなってもケン自身が大丈夫だと言うのであまり気にならなかったが、引きも切らずおっちょこちょいな性格で説明がつくのか?
倒れた彼を抱きかかえ体を支える重さも羽のように軽いし、今でも手の震えと咳をする親友の痛々しい姿を見ていると思わず心も痛むが、元気の無さそうなケンを元気付けるためにあえて活発に振舞う。
「おい、こんな大事なときまでなにやってるんだ? まだ足の捻挫が治ってないんだし、大切な本番前にさらにケガでもしたらどうすんだ?」
「えへへ、うん。陽ちゃん、ゴメンね……」
そのまま彼の背中に手を回し起こすように倒れた床から立たせる。
衆目を集めて、引っ込み思案なケンは少し恥ずかしそうに笑っていた。
大事に至らなかったような振る舞いを見て周りの緊迫感も僅かに収まる。
「ありがと。ゴメンね、本番前でも足を引っ張っちゃって……」
ケンは悪ぶれるように俺に視線を向けては謝る。
足を引っ張ってるわけでも無いのに、どうしたんだろうか?
いきなり力無くしてその場に倒れた異様な症状を出したケンに妹の奏音はもちろん、アッキーやソウに稔たち【二時世代音芸部】のメンバーも彼のもとに近寄っては「大丈夫?」とか「しっかりしろよ」など気が休まるような言葉をかけている。
アッキーも合宿で肉体的にも精神的にも鍛えられたはずなのに真面目で打たれ弱い彼の体を心配し、背中を軽くバンバンと叩いては肩にポンと置いて心配すんなとなだめるように努める。
「おいケン、まーたすっ転んだのか~? しっかしなにもないところで転ぶとは、さてはコンテスト本番を控えて想像以上に緊張してるな? 安心しろって、陽ちゃんと一緒にお前だって充分うまくなったんだ。ギターがヘタるとか考えずに、全力で演り切ればいいんだよ!」
「あはは、そうかもね~。うん、ありがとね、アッキー」
アッキーの独特な雰囲気を以て困惑気味な場が和らぎ平常に戻る。
どうやら、ケンは床にはなにもないところでいきなり転んだらしい。
障害物などがあって思わず"灯台下暗し"として足がつまづくなら話はわかるが、平らでなにもないところでスタジオと今回も含め2度も転ぶだなんて、もしかしたら俺が想像している以上に体調が悪いんじゃないだろうか?
やっぱり、ケンはなにか俺たちに隠し事をしているのか?
人生を棒に振りそうになった稔と同じく、重大で危惧する秘密が……。
「あぁぁっ…………うぅ…………」
ケンがその場に倒れたときからずっと顔が青ざめている奏音が目に入った。
さっきまでの、コンテスト本番を迎え緊張と焦りで青ざめているというのとはまた違い、まるでこの世の終わりを迎えて絶望の淵に立たされている力無き少女のように見える。
瞬間、俺の鼓動が恐怖と焦燥で速くなり、胸が激しい痛みに襲われる。
どうしてそんなに、コケたケンのことを、青ざめて心配そうに見てるんだ?
ただ転んだにしては心配がアバウトすぎるし、やっぱりなにかおかしいぞ。
『あはは、ダメだ。僕の手じゃ、この体じゃもう、ギターは弾けないんだね……陽ちゃん、ゴメン、本当にゴメンね……ボク、もうギターが弾けないんだ。体のいうことも、喋ることも、ままならなくなってくるんだよ……そんなことないって陽ちゃんのように頑張ってみたんだけど、もうダメみたい……』
突如、俺の脳裏にその妙に現実味のある、悲痛な彼の言葉を思い出す。
背中にイヤな不快感が走り、否定したい未来を想像しゾッとしてしまう。
同時に悪夢が現実に成りえるかもしれないと、考えが脳裏に過ってしまう。
今朝の生々しい悪夢が頭から離れず心を蝕んでいく。
奏音の異様な心配とケンの体調がマッチし、焦燥感を刻む。
妙な胸騒ぎがし、取り返しがつかないことになりそうだ。
PAさんもライブハウス関係者の人たちも時間内にセッティングを完了させようと必死だし、ホール内にある時間を確かめるともうあと何時間か後にはコンテスト本番を迎えて演奏をしなきゃならないってのに、こんなモヤモヤして晴れない気持ちを引きずったままじゃマズい。
手を抜かずに本気で演奏に望めなければ稔たちの気持ちを裏切る行為になるし、夏休みを犠牲にしてまでバンドを組んで合宿を通じて俺たちの積み重ねてきた努力も経験すらも音もなく崩れてしまうのは確定的であるために、それだけは絶対に裂けなければならない。
あのとき、稔を絶望から救ったように、俺が出来ることをしなければ……。
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