232曲目
下積みをし続け、やってきた夏の本番。
陽太たちの一矢報いる勝負が、幕を開けた。
バンド名を世に売り出すためのきっかけとなり、夏休み最終日の今日コンテスト会場であるライブハウス【LIVE:ALIVE:SOUND696】は、いつものライブ前とは違い異様で特殊な雰囲気を醸し出していた。
路上ライブではちょくちょく演っていたのでそれなりだが、ライブハウスでのライブ出演としてはそんなに人気アーティストが口頭で知ったふうなことを言えるほど場慣れしているわけじゃないものの、いつもより若い連中が多い。
来場する客の年齢層が普段とは少し違っているようだが、そんなの関係ない。
夏休みに入る直前にバンドを組んでド素人同然だった俺たちが今日、この素晴らしいライブステージで爆音を轟かせれる幸運を授けられたことに深く感謝とともに、心の底から湧き上がるワクワク感が暴発しないように留めているのが大変だ。
「わぁ……あはは、な、なんか緊張するね~」
どうやら俺と同じ気持ちを共有していたようだ。
俺は例のバンドロゴが描かれ背中にはギラギラと輝く太陽のイラストに白文字で【太陽】と書かれた黒色のTシャツとジーパンと言うロックでスタンダードスタイルのライブ衣装に身を包んでいるが、それと同様の服装を着こなしているケンは、これから訪れる本番での緊張と爆発しそうな興奮に上気した顔に、困惑気味な雰囲気で引きつった笑顔を浮かべていた。
その手が、緊張か例の症状かは定かではないが、小さく震えている。
震えるケンの手と強張り狼狽する顔を見て、今朝の悪夢を思い出してしまった。
たくさんのお客さんの前でステージに立ち楽器を構え演奏する本番中だってのに、上手で立つケンは体中に力が入らなくなって、ギターを弾けなくなっては風の如く消えてしまうのだ。
今でも思い出すとほんとになんて吐き気を催す悪夢なんだ。
いくら緊張しちまうコンテスト本番前でナーバスになって俺らしくないからって、なんで世界の終わりを告げるような悪夢を見なけりゃならないんだよ。
「どしたどしたぁ? なんだ、お前らこの期に及んで緊張してるのか?」
今朝見た身の毛がよだつほどの悪夢を脳裏で思い出してはうんざりしていると、俺たちとは逆の色合いのTシャツとジーパンに身を包んでは、顔立ちのいいモデル風に歩みを進めて来たアッキーが冷やかすように声をかけてきた。
気に食わない、考え事をしてただけで緊張はしてないぞ。
「おいアッキー、今の言葉は聞き捨てならないな。お前らとはなんだ? ライブ本番前で緊張してるのはケンだけで、俺はただ……」
瞬間、俺はそこで口ごもり言葉を失う。
イヤなことを考えても結果に変わることはないからだ。
「えっ? そうなの?」
悪夢で起きた悲劇な主人公であるケンが呆けた感じで言う。
まったく、ここまで呑気だとある意味で才能だよな……。
「へぇ~? それにしては陽ちゃんも表情が固いぞ~。人間だれしも恐怖するときってのは表情が強張って気持ちも落ちちまうもんだ。そんなときこそ笑え! ほれ、笑えよ! 無駄な力も入れずにいつも通り、普通で最高の演奏を心掛けていればいいんだよ」
おどけて俺の頬をつねっては引っ張る。
本番を前にして緊張してるわけがないと、自分で思っているよりずっと顔つきが強張っていたらしく、あまりつねられては引っ張られた感触がしなかった。
まるでまだ覚めない悪夢に苛まれているみたいで、気味悪かった。
「うっしぇえ、ほーいうアッヒーわじぇんじぇんキンヒョーひてないみたいだむぁ? をい、ほのをれをしゃしをいて、じょうゆうりょおけんだぁ?」
「あん? なんだって? 陽ちゃん、日本語でOK!」
無理言うな、頬を引っ張られてまともに会話できるか。
左手で俺の頬をつねり引っ張って右手で耳元に置いてる。
正論を言っているがコイツ、さっきからわざとやってないか?
「をーい、しゃっしゃとへを離へへを!」
アッキーの手を振り払い拘束された口元を解放する。
「今日は待ちに待ったコンテスト本番だってのに、お前は全然いつも通りなのなって言ってんだよ。ライブ会場に溢れんばかりの人でにぎわうんだから、興奮はしても緊張はしないのか?」
俺の疑問を聞いてアッキーは鼻で笑う。
いつも通りの接し方でこちらも拭き出し、キョトンとする。
さすがは自分のことを棚に上げる天才だ、心持ちの規模が違うぞ。
「なに笑ってんだよ陽ちゃん? まあいい。オレは人から見られることには慣れてるし、ベースをプレイしながらならそんなことは日常茶飯事で、男女問わずに視線を集めちまうからな。なにしろ、人に見られてスター性を高めるために生まれてきたようなナイスガイだからさ」
当然のように自分のことをイケてるとアッキーは自慢する。
ここまで来るとなにかしらの説得力があり、思わず納得する。
「なるほど。実に熱くてファッ〇ン極まりない意思だな」
頼もしい。
こんな緊迫する状況下で物堅いことを言えるとはすごいな。
ソウの友達で実の兄貴じゃなきゃ問答無用で殴ってるところだが。
「だから、そう気張らず自由でさ。熱くて楽しい演奏をしようぜ!」
サムズアップしにこやかに笑う最高のベーシストがそこにいた。
そう言うアッキーの言葉は、まるでロゴの羽同様のようだった。
俺の体はもう束縛から解放されているような、そんな気がした。
ライブ衣装をよくするための鏡と休憩する用のテーブルに椅子、そして会場内を控え室にあるテレビで映し出された光景を椅子を引っ張り出して見ていると、ソウがアッキーの傍まで近寄り彼なりの心を落ち着かせるコツを説いてくる。
「ケンに陽ちゃん、緊張するのはわかるがそれではよくないぞ。こんなときのために、地獄のバンド強化合宿では精神修養として座禅を学んだだろう? 心頭滅却すれば火もまた涼し。無想無念を体得し無我の境地へと辿り着く。雑念を消し心に湧く欲すらも断ち切る。本番では間違えず、うまく演奏してやろうと言う気持ちすらも消してしまうのだ」
ソウが1人冷静に言い、俺たちはその問いを静かに聞く。
住職と旦那と園長を目指す彼の顔つきは真剣そのものだ。
「1度や2度の失敗で気持ちが焦るのも無理はない。だが、絶対に観客を沸かせる演奏をしようと言う気持ちすらも欲だからだ。言っただろう? 人間に必ず持つ欲を捨てるためには、己を捨てる。己を捨てれば、天は自ずと成功に導き求めていた結果を与えるだろう」
アッキーと同様にソウもいつも通り静観して澄ました顔をしているな。
だがそう落ち着きさを装って見えて、意外に緊張してるようでもある。
今しがた本番前ともあって焦りと緊張が顔に出てた俺やケンに言ったようなことも、案外心の中で緊張してる自分に言い聞かせているのかもしれないように見えると、幽霊みたいだったコイツも成長しているんだなとしみじみ思う。
俺たち以外にも演者の控え室にいる人はいるが、それらも俺やケンと同じように部屋の中で歩きソワソワしたり、落ち着かせるために煙草に火を付けて吸ったりしている者もいて緊張がさらに上乗せされたような気もする。
こっちにはケンみたいに体が弱いヤツもいるというのに、さも平然と部屋の中で煙草を吸うヤツに意見を言いに行こうとすると、すぐさま俺の考えと行動を察知したアッキーとソウに取り押さえられてしまう。
「ゲホッ……仕方、ないよ。アレも落ち着かせるための手段なんだし。それに控え室でじっとしてると余計緊張しちゃうな。ねえみんな、ライブ会場に行ってみようよ」
咳き込みそわそわしながらケンが言った。
「おう、そうだな! ケンの言う通り、会場に行ってみようぜ!」
「やれやれ、アッキーは本当にこういうお祭りごとのイベントが好きだな」
意見に同調した3人が颯爽と楽屋を出て行く。
あれ……って、リーダーの俺が置いて行かれてる!?
おいなんだ、この異世界転生のラノベ主人公みたいな展開はよ。
俺はそんなキャラじゃねえし、置いてかれたのも気に食わんぞ。
「えちょ、おい待てお前ら! 俺を差し置いて先に行くんじゃねえ!」
俺もそう怒鳴り気味に楽屋の扉を開け、廊下を駆け出していく。
ご愛読まことにありがとうございます!




