230曲目
視界がぐにゃりってなる現象、本当にあるんですね……。
その友達は今でも手術を受けているので、本当に心配ですね……。
なぁ、ケン? この小説……お前は読んでくれているか?
どこまでも曲がりくねって絶望の螺旋を生み出していく。
そう、不意に最高潮にゴキゲンな音が次々に形を取れずに崩れ出す。
コンテストとして最高峰で最大限に実力を発揮できるライブハウス内の光景も、ホール内でノリノリで沸いている観客たちの歓声も、審査員席から口笛を吹いたり褒めたりや滾らせてくれる演出をしてくれるPAの音響も、稔たちや笹上さんたちの声も一斉に雑音へと早変わりした。
おい待て、おかしいぞ、なんだこれは!?
みんななんでこんな状況で嬉しがってんだ!?
世界が、一体なにがどうなってやがるんだ!?
「ゲホッ、陽ちゃん……陽ちゃん、痛いよぉ……」
混乱状態の俺の耳へと、親友の弱弱しい声が聞こえた。
脳裏にあの消えそうなケンの姿を想像し、危惧してしまう。
背筋がゾッとし、鼓動が恐怖で速くなり、冷や汗をかいてしまう。
「ケン!?」
世界の異様に気づき焦った俺は咄嗟に上手にいるケンへと視線を向ける。
心配するように振り返ると、ケンが今にも泣きそうな顔で俺の方を見ていた。
今にもその場に崩れ落ちそうな足を踏ん張らせ必死にギターを弾こうとしているのだが、ケンの手は骨も皮も無いようにペラペラの紙みたいになっていて、まったくストリングでスリリングなフレーズも弾けていない。
恐ろしい光景を目にした俺は目を凝らし細めながらよく視ると、ケンの手だけじゃなく足に体の全身まで、いつの間にか骨も無いペラペラの紙のようになってしまってるのだ。
そんな風で吹き飛びそうな体でギターなんて弾けるはずがない。
それでもケンは必死にペラペラの手で重いギターを弾こうとして、だけどまったく指板に乗らないので音を出すことができず、ついには悔しくて涙をこぼし泣いているのだ。
痛々しい、今にも存在が消えそうな親友の姿を見て、思わずうろたえる。
「ケン! どうしたんだケン! しっかりしろ、本番中だぞ!?」
俺が怒鳴るように言うと、ケンはこちらを泣き縋るように見上げる。
まるで野良で拾ったソラみたく、必死で生きようと願うのに、死ぬように……。
「あはは、ダメだ。僕の手じゃ、この体じゃもう、ギターは弾けないんだね……陽ちゃん、ゴメン、本当にゴメンね……ボク、もうギターが弾けないんだ。体のいうことも、喋ることも、ままならなくなってくるんだよ……そんなことないって陽ちゃんのように頑張ってみたんだけど、もうダメみたい……」
そう言って泣きながら、ケンはまだギターの弦を弾こうとしている。
努力が報われること無いソレを見るだけで胸が苦しくなるような光景だった。
謝るなよ、そんな苦しくなるまで頑張らなくてもいいんだ、と言いたくなる。
止めろ、頼む止めてくれ……俺の親友を遠くへ連れ出さないでくれ。
ライブスペースに照らされるスポットライトから僅かに作られた暗闇が、まるでペラペラになったケンを深い絶望へと連れて行くように見えてしまい、思わずそう願い手を伸ばそうとする。
しかし、その自分の手すら闇にいざなう手に見え反射的に引っ込ませる。
(もういい、ケン! もう演奏を止めろ! このままじゃお前が……)
そう言いたいのだけど、どういうわけか声が出ない。
出てくるのはかすれた声のみで、言葉を出す能力を失った。
段々と自分の体すらも金縛りにあったように、動かなくなる。
そんなわけのわからない状況下でも、絶望は音もなく這い寄る。
上手にいるケンの体は、ますますペラペラになっていってしまう。
もうギターだって持てないしその場に留まってもいられやしない。
「陽ちゃん……陽ちゃん……ゴメンね、ゴメンねぇ……」
そのとき、ライブハウスから聞こえる様々な音が静かに止んでいた。
耳に聞こえるのはただ、段々と消えていくケンの霞んだ声のみだ。
そして声だけじゃなく、体もぐにゃりと変化し闇の渦に飲まれ行く。
俺はただ、その恐ろしい体験を黙って見ているだけしかできなかった。
ケン、もういい! そこまでやる必要はないんだ!
ライブを注視してすぐ病院に連れてってやるからな!
俺が、稔みたいにきっと助けてやるから……だから!!
言葉ではもう伝わらないから、心の中で叫ぶように願う。
けれど、視界はゆっくりと反転し、暗黒の世界に飲まれた。
体も心も闇に苛まれ、言葉を出すことも願うことも止めた。
最後には、努力を続けた俺の傍にはもう、なにも無く存在し得ない。
大好きな稔はもちろん、姉御肌で接する結理や健二みたいに気弱で素直な奏音も、珍しく俺たちの演奏で熱く滾り喜んでいた柳園寺も南桐に笹上さんも、そしてリズムとビートを刻み背中を押してくれるアッキーもソウも……そして、昔から同じ肩を並べ一緒に音楽の道を歩いてくれた健二すらも離れていき、最後には誰もいなくなった。
バンドで最強かつ最高潮なカーテンコールをできることは、もはや無い。
昔みたく個々の力のみで上り詰めようとする、哀れな俺だけがいる世界。
まったく、いい演奏で幕を閉じれないだなんて、人生で一番の後悔だぜ。
一瞬だけそう思うと視界は、ゆっくりと閉ざされていく。
心にはもう熱い魂すら存在せず、暗い虚無の彼方へと消え行く。
努力なんて、最後には全部奪われるだけで、無意味なんだと悟った。
ああ、俺は今日と言う日を決して忘れられないだろう。
それは、無名の俺たちが消え去る最初で最後の瞬間だから……。
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………………。
ご愛読まことにありがとうございます!




