216曲目
深夜の白神郷を包むのは爽やかな夜風と夏と秋の虫たちの大合唱。
自然の音と空調を肌で感じ耳で聴く中、まぶたに涙を滲ませてうつむく。
許されることはない、そんな覚悟を持っての謝罪をしたまま俺は動かない。
俺の2度目の人生も青春が無いまま終わったな、と自分自身で悟った。
すると地面に向け下げ続けてる頭上から、クスッと笑う声が降ってきた。
思いがけない声を聞いて反射的に顔を上げると、稔が微笑んでいる。
あれ、なにコレ、なにがいったいどうなってんの?
ああ、もしかして最後の審判となる瞬間なのか……。
「熱川君、もういいんだよ。もう私に謝ることはしないで、ねっ?」
覚悟を決めて考えていたのとは的が外れていた。
正直に嬉しい、だけどそれではケジメもへったくれもない。
「でもそれじゃあ、俺の気持ちがさ……」
「ううん。それはぜんぜん違うよ。だって、もう何度も私は熱川君に謝ってもらったよ? それに私は熱川君の弾き語りのお陰で人生を生きる希望をもらったんだし、命の恩人なんだもん。キス……してくれたのはビックリしたけど、2から3メートルと体に触れないの約束だって頑張って守ってもらってるし。だからもう十分だし、それに、私はもうソレは気にしてないから」
俺がその先を言おうとしたのを人差し指で止める。
まるで魔法をかけられたように稔の言葉を清聴してた。
気にしてない、その言葉の意味がトリガーになり驚きを隠せない。
「えっ、嘘だろ? もうアレは気にして、ないのか?」
どんだけ心の懐がデカいんだ稔は、胸と同等のデカさだぞ。
あまりの嬉しさに不謹慎なことを考えるが、致し方ないことだ。
今まで柵となり苦しめられたルールを気にしてない、本当にそれでいいのか?
稔の言葉とはいえさすがに半信半疑の気持ちは抑えられずにいる、情けないぞ。
「うん、もう気にしてないよ~」
稔が俺の顔を覗き込んでから力強くうなずく。
その屈託なき無邪気な笑顔は、本当に、なんの蟠りも無い笑顔だった。
その笑顔を見れただけでも十分なのに、本当に気にしてないのか?
それなら……。
俺の中で浮かぶ自身が確信へと変わり果てようとする。
そのときだった。
「だからあのね、もう熱川君に課せられたあの2から3メートルと体に触れないの約束も、これからは無しにしても大丈夫。平気なんだよ? だって私は、もう男性も熱川君のことも怖くないから」
目と鼻の先で目を見据える稔が、トンと足を踏み出し、俺の間近に立った。
それは2から3メートルでも1メートルも無い距離で、優しく手を取られる。
夏の陽射しに負けない俺の手に、柔らかく包み込む優しい手が添えられる。
「あ、熱川君、なんか目が赤いよ。大丈夫?」
先ほど無意識に流れ出た涙のおかげで俺の目は赤くなってたらしい。
俺はまた反射的に情けない姿を隠そうと腕で拭おうとすると、稔がグッと手に力を込めて制止し、安産型でムチムチなお尻でぱっつんぱっつんになってるホットパンツのポケットからハンカチを取り出し、そのまま俺の目元にソレを優しい手つきで当てて綺麗に拭ってくれる。
「はい、これで大丈夫だね!」
「あ、わ……悪いな」
稔はまた天真爛漫な笑顔とともに歓喜な声をかけてくれる。
そしてホットパンツのもう片方のポケットに突っ込んでたイチゴミルク入りのペットボトルを取り出して、閉まってるキャップを手で緩めて外し口元に付けてイチゴミルクを飲み、味を堪能した後はそのまま片手で持ちながら「美味しいね、コレ」と俺に意見を聞くかのようにまた微笑む。
だけど俺は未だに信じられず、言葉が喉から出かかっては飲み込む。
怖くないから、そう言われた直後から俺は目を見開いたままだ。
鳥肌が嬉しさを越えた歓喜のあまりに立ち、心の中でなにかが弾けた。
それこそわだかまりもひっかかりも無い、一面見渡す自然の景色のようだ。
もとは無個性で努力をしてもまったく結果を残せないがなり系シンガーソングライターと盲目で病弱だったのに俺のした行為によって男性恐怖症になった初恋の女の子という、悪影響を再発させないように定められた特殊的なルールで縛られた関係だったのに、今ではもうただの男の子と女の子の関係になっていた。
雲を掴むように手を伸ばしても決して掴めることはなかった幻想。
なのに今はもう違う、掴みたかった手が俺の手にしっかり結ばれてる。
そしてほんの数十センチしか離れていないところに、稔の笑顔があった。
稔の体温が、感覚が、俺にちゃんと伝わる。
それだけでなんか、嬉しくてたまらなかった。
また泣きそうで嗚咽が漏れそうになってくるが必死に耐える。
「ほらね? 全然怖くないもん。だからもう大丈夫なんだよ」
「えっ……あ、そう、なのか? ソレ、いつからだったんだ?」
「んー、わかんない。最初はやっぱり怖いというよりちょっと近寄りがたいってのはあったよ。でも平気だなって思ったのはずいぶん前から大丈夫だった気がするけど、なんだか言い出せなくて……私も熱川君に悪いことをしちゃったね。それに、もしいざ熱川君の元に近づこうとチャレンジして、反射的に私が逃げちゃったりしたら、熱川君って見るからに傷ついちゃうでしょ? それはイヤだなーって思っちゃって。だからね、今までずっと言えずにズルズル来ちゃったんだ」
稔が赤裸々に近づいたり触れるのが大丈夫になったことを告げる。
あんなことを突発的にしてもこんなに優しい気持ちで許してくれる。
そう考えさせられると、必死に耐えている想いが爆発しそうで辛い。
俺は稔の顔を見ていられずに咄嗟に顔を伏せてしまい体も震えてしまう。
それを見た稔は、慌てることなく目を細めて静かに言葉に出す。
「ゴメンね、今までずっと大丈夫だって言い出せなくて、熱川君にはイヤな思いさせちゃったよね……辛かったよね。私がちゃんと熱川君に言ってれば、こんなイヤな気持ちにさせることはなかったのにね」
稔は謝罪の言葉を口にし俺の苦行を拭う。
もう止めてくれ、イヤな思いをした稔が謝ることじゃない。
悪かったのは俺だったんだし、激しく咎めるのが普通じゃないか。
なのに、なぜ……。
「いや、それは別に、いいんだけどよ……」
俺はなんとか口に出して言うが、声色は見るからに震えてる。
必死に平常心として取り繕ってもボロいトタン屋根みたく脆い。
「ううん……イヤな気持ちにさせて、ほんとにゴメンね」
稔は俺の手を握ったままペコリと頭を下げた。
この微妙な空気が気まずかったのだろう、まるで雨の日に傘も置かれずにダンボール箱ごと道端に捨てられた弱弱しい子犬みたいな目で、今にも脆くなった心が崩れ落ちそうな俺をうかがう。
何度目になるかわからないがそれがあんまり可愛くて、素晴らしいほどに愛らしい仕草過ぎて、思わず吸い込まれるように魅入られてしまった俺はちょっとわけがわからなくなってしまった。
今はもう泣きそうになる弱い感情も、嗚咽の行動も見事に吹き飛んでしまった。
狂い咲き、乱れに乱れてしまうブレーキランプと平常心の常識だ。
あるのはただ、欲求による衝動に駆られて奮い立たされる感情だけだ。
夜空に一点の光となる月と寄り添う星々の光。
渦を巻くように浮かび蠢く雲と真っ暗な世界。
幻想的でおとぎ話みたいな雰囲気の中、俺の咆哮が轟く。
「稔!」
「ふぇえっ!? な、なに……あ……」
2つの存在が溶け込むように、確かめ合うように重なる。
漆黒の帳に響く咆哮による声と驚愕の声が混じり合い、1つになった。
ご愛読まことにありがとうございます!
※注意※
申し訳ないですがこれからリアルが忙しくなってしまいます。
投稿は切れない様にまだ頑張りますが、投稿時間が変更します。
これからは午後6時から午後9時以降になってしまいます。
完結は絶対に成し遂げますので、これからもよろしくお願いします!




