169曲目
体作りの為に朝から走り込み。
終わってから精神修行の座禅。
肉体的にも精神的にも強化を始める。
早朝走り込み、ノンストップで約5時間ほどし続けた後のことだ。
俺たちは宗倖寺に戻る前に、ソウのお母さんが女将として経営している温泉自炊旅館”宗福の里”に立ち寄って、理由を話してから中に入っては浴場と記載されてる立て看板の部屋に入って、露天風呂の近くに備え付けられているシャワーを使わせてもらった。
髪を洗い身を清めるのも早々に終わらせ、替えに着替えてから旅館を後にした。
走り込みという肉体的強化をし終わった後に待ち受けているのが……。
――ギシッ……ギシッ……。
夏の涼しげで天然物の風が、開けた窓から透き通るように入り込んでくる静かな本堂で蝉の声に混じって、木製の床の鳴る音が俺たち4人へとかすかに近づいてくるのが聞こえる。
誰も身じろぎひとつしやしない、集中そのものだ。
そう、俺たち4人は今、本堂の中で座禅中なのだ。
ソウの提案でバンド強化トレーニングに取り入れることにした。
床に直接座し、足を組んで、しっかりと背筋を伸ばす。
けれども両足はとても上がらなかったので、片足だけだ。
それでも、もう完全に足が痺れて精神的にツラくなってきている。
眼を閉じて思考する瞑想と坐禅(座禅)は別概念であるとのことだ。
なので目は開けるでも閉じるでもなく、半眼で1メートルから1メートル半の間ぐらいの間隔がある先の床を静かに見つめている。
そうすると、意図的じゃなく自然に半眼になるのだ。
――ギシッ……ギシッ……。
静かに座禅をしてる俺たちの背後を、ソウの親父さんである住職が、まるで監獄に入れられた囚人を監視する鬼の看守のように右へ左へとゆっくり熟知されている歩法で進んでいる。
その手にはあの例の持ち手は円柱状で、先端に行くにしたがって扁平状に長くて材質は多くが樫や栗などでできた木の板を持っていて、俺たちになにか雑念やら不始末やらがあれば、すぐに喝を入れようと待ちかまえている。
座禅をする前にソウの親父さんから座禅の本当の意味などを教えられたのだが、なんでもアレは"警策"といい住職である打つ側は「警策を与える」と言い修行者や今の俺たちの打たれる側は「警策をいただく」という言い方をするらしいとか。
他には例のアレで打つという行為は坐禅修行が円滑に進むようにという「文殊菩薩による励まし」という意味を持つとかなんとか言われたが、正直言って感謝するモノとか励まされているようには俺には思えない。
雑念など俺には無いので叩かれることはないが、アレはすごく痛そうだ。
あんなもんで肩を瞬発力を用いて叩いてくるとか、一種の恐怖である。
その恐怖にすら、座禅中は気をとられてはいけない、叩かれるからな。
座禅中は一切の感情も出さずに、心を落ち着かせ無になる。
心からすべての雑念を追い払って集中しなければいけない。
それこそ雑念を捨て『無になる』という気持ちすら邪魔だ。
今日の座禅をするに当たって『数息観』という瞑想法も教えられた。
『調心』という部類であり、心の中で、ゆっくりと一から十まで数を数える。
十まで数え行ったら、再び一までゆっくりと戻る。
このような工夫によって悟りを目指すとのことだが、いきなり無になれとか悟りを開けと言ってもできないだろうから、自分の心に雑念が湧かないよう、一から十へと行き十から一までの数を数えることに集中しろというのである。
それでも座禅中に数を数えるだけでも難しそうに思えるモノだが……。
ま、これも一種の特訓なので無下にはしない。
雑念をすべて払いただただ数に一点集中する。
それ以外はなにも考えずに座禅をし続けるだけだ。
それこそ大好きな音楽やロックのことも夢を叶えるバンドのことも、ソロとバンド同時に練り上げてるオリジナル曲のあのフレーズをやはり変えようとか歌詞をもう少し変えてみようとか。夏休み最終日に待ちかまえてるバンドコンテストは大丈夫だろうかとか、稔は今なにしているかなぁとかあんなに大きな胸だと蒸れて大変じゃないのかなぁとか……。
そうだ、そういうことを考えてはいけない。
考えてはいけないということすら考えてはいけない。
そういう雑念的な思考や過程に結論を考えていると……。
その瞬間、右へ左へ動いていた足音の気配が消える。
――ペシッ。
「うげっ……」
静かに這い寄ってきた恐怖が俺の肩をゆっくり叩いた。
考察を捨ててたら真後ろに、いつのまにか人の気配がしている。
だと言うのに、ただただ無言で立っては警策を俺の肩に置く。
雑念を知らず知らずのうちに抱いていた俺が心を折らし屈服するまで、そうしてジッといつまでも真後ろに立っているつもりなのだ。
だから俺は仕方なく、体をわずかに傾げて前に倒す。
すると突然フッと肩に乗っていた警策の感触が消えて――
――ベシッ! ベシッ!
「いっつっ……!?」
衝撃が凄まじい。
よくテレビとかで見てる分には、あんなもんは音だけで対して痛くないんだろうと勝手な想像で思っていたが、今それは大きな間違いだと思い知らされた。
痛い、それもとてつもなく痛い、まさに激痛を通り越している。
ちょっと雑念を持ったからってそんなに強く叩かなくてもいいじゃないかと、住職であるソウの親父さんを問い詰めたい気持ちだ。
それもなんとなれば、警策で殴り返してしまいたいぐらい。
だが俺は必死に耐える、激痛に耐えて激怒を鎮める。
言われた通り手を合わせて頭を下げて、お礼までするのだ。
雑念を抱いた愚かな俺に警策で叩いてくれて本当にありがとう。
修練ということでも殴られて礼を言う。
キリストでは右の頬を殴られたら左の頬も差し出せとか、「非暴力、不服従」でお馴染みのマハトマ・ガンジーでもそうだが、宗教やら非暴力政治指導者という軍隊や輩というのはみな真性のマゾなんだと俺は悟った。
「うううっ……」
横の俺が警策で重々しく叩かれたもんだから、ケンが怯えて震えている。
その姿がまるで肉食動物に負われている小動物の行動にも見えてしまう。
おいケン、そんなに怖がって動揺しているとお前も殴られちまうぞ?
精神修養とは言えこれは肉体的な苦痛よりもツラいぞ。
そう考えているとき、また新たな犠牲者が出てしまうのだ。
「ふあ……」
そのとき、かすかに俺の隣で座禅してるアッキーのあくびが聞こえた。
バカだ、あんな痛々しいことを喰らいたいだなんて愚の骨頂と言える。
ギシッと1度木製の床が鳴り、足音の気配がすぐに止まった。
――ペシッ。
「うぐっ、やっちまった……」
ほら見ろ、言わんこっちゃない。
俺が叩かれてから今度はアッキーの番だった。
アッキーが恐怖に対して息を飲む気配が届いてくる。
――ベシッ! ベシッ!
「ひえっ……?」
小気味よくそれでいて重々しくもあり甲高い音が本堂に響き、一瞬だけ隣のケンがまた怯えた弱弱しい声を飲み込んだ。
フと、これがソルズロックとバンドのなんの役に立つのだろうという疑問が俺の脳裏にかすめたが、それすらも雑念であり邪念そのものだ。
さっきもそうだが音楽やロックやバンドがどうとか、目標を掲げているバンドコンテストがどうとか、いつになったら稔は片思いを寄せる俺に惚れて付き合ってくれるとか、そういうことが全部邪念に満ち溢れているわけだ。
いや待て、そもそも稔のことは雑念でも邪念でもないんじゃなかろうか?
稔は可愛いしスタイルもいいし、なにより女神であり天使だからな。
そういや稔、今年はどんな水着を着るんだろうか? 見てみたい。
あんなに豊満で触ったら指も手も埋まりそうな、規格外に大きな胸の偉大さを保てる水着があるのかどうかが不安なのだが、それでも俺はこの目にしっかり焼き付けて……いや、危ない危ない、鼻血が出てしまう。
しっかしここに来てから、稔に会ってないし電話もしてないな。
今ごろ稔はこの夏休みをどう満喫しているんだろうか?
ああ今すぐ会いたい声が聞きたい今すぐ……。
――ペシッ。
――希望が舞い降りることなく、また絶望が這い寄った。
俺の肩になにやら違和感。
気づくと、背後に住職が俺の肩に警策を置いて立ってる気配がした。
おいぃっ、なにいきなりいつの間に背後へといるわけ?
だが、俺は気を取り直す。
平静かつ自然を装って俺は住職さんに振り返った。
「まず弁論を聞いてください。言っておきますが、今の俺には雑念だなんて邪悪な心は無かったですよ? 今は大好きで堪らない稔のことを真っ先に考えてたんだ」
「うわ~? ちょっと陽ちゃん、なに言いわけしてんのさ?」
「ほっほっほ、若いの。教えてやろう、それが雑念なのだ」
小さく笑ってソウの親父さんが正論を答える。
だが、親父に可愛い稔のなにがわかるかってんだ。
「それは違いますよ住職さん! 音楽のことやロックにバンドのことは百歩ゆずって雑念と思えるけど、稔のことを考えるのはアリだ! だから俺はその痛いヤツで叩かれない! ノーカンだノーカンっ! そう。なぜなら、稔は俺の宇宙であり、美貌の天使だからだ!」
それは俺の中でうごめき血が滾って出された熱い魂の叫び。
これはもしや悟りを開いたといっても過言じゃないのだろうか。
やったぞ、俺はついに精神修養での悟りを開けたんだ!
「あーあ、とうとう頭までイカレちゃったか。可哀そうに」
「うむ、それは仕方ないさ。なにせ暑いからな、壊れるのも無理はない」
「陽ちゃん、座禅中にそう真剣にいうとこっちまで恥ずかしいよぉ……」
「はっ? ちょ、なんでだよお前ら?」
――ペシッ。
再度、俺の肩に警策は軽く上げては置かれる。
ところがどっこい……夢でも幻想でもなく、まさしく現実の絶望そのものだ。
俺が見上げている住職の顔は今だにニッコリといい笑顔のまま俺を見下ろす。
「ほほぉ、今時の若いもんにしてはなかなか威勢がよいし面白い子だな。そうかそうか……では、こちらとしてもひとつキツイのをくれて、邪念から目を覚まさせてやろうのぉ」
「えっ……」
俺の肩に置かれていた警策はゆっくりと上へ持ち上げられ、そして――
――ベシィィィィィィィィィィィィィィィッッッ!!
本堂の空間を振り抜ける風切る音がした瞬間、凄まじい衝撃を身に喰らう。
「あ"いっでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええええええっっっ!?」
稔に"会いたい"のと痛みによる"あ痛い"が入り混じった叫びが本堂に木霊する。
こんな風にして走り込みや座禅を通して、俺たちは自分の体と心を鍛えていく。
ご愛読まことにありがとうございます!




