009 もはや、戻らぬ路(みち)
ポツンと、サーブ・ロボット以外に話し相手のいない部屋で、カロルシアは独りの食事を済ませる。
簡単な食事を、と希望したのだが、皇宮ではその「簡単」のレベルが一般庶民と異なるというのか。
まあしかし、サンド・ルーヴェ出立前に齧った合成食よりは、遥かに旨くて身体が温まる。
一通り、就寝するまでの生活の流れをこなして、これまた一般庶民にはありえない広さのベッドへと身体を横たえた。
腰を痛めそうでベッドの柔らかさを心配したが、それも取り越し苦労だった。
横になったまま窓の外、星々を散りばめた漆黒の空間を見やる。
此処に来てから「気になる」気がしていた。
(誰かが居るわけでもないのに……)
(誰かが見てる? ――でも視線じゃない……)
その気配を感じ取ろうと眼を閉じる。
けして嫌な感じのものではない。
少し、冷たいような温度差。
何より、知っているような感覚。
(グランスでも………レイゼンでもない……懐かしいと云うのとは違うな……)
いつも自分の傍か、何処かに居たのだろうか。
眼を閉じた意識の底に、湧き上がるものがある。
それは像を結んではいるが、何故か記憶にはっきりと残るようなイメージでもない。
(少年――違うか…少女のようでもあるのに……)
(…誰か男の人が……顔が…見えな…)
しかし全てが既知のものなのだ。
様々な人影が入れ替わり立ち代り、カロルシアの前に現れては消える。
―――どうしよう。
自分が現実に戻れないのではないのかと不安にもなる。
しかし、この不安は現実感を失わずにいる証左ではあるが。
目を開きたいが、金縛りのように動けない。
(どうしたものかな………)
彼らは彼女に話しかけて、自分も応えている。だが、話の内容がさっぱり分からない。
いや、話しているのかさえも分からないのだが、彼らと交流をしているようだ。
まるで夢を観ているときのような、此処は確かに宇宙空間だが、自分はその宇宙空間を生身の肌で感じているような感覚がある。
広くて、気の遠くなりそうな広大な時空の中に、孤独を感じない懐かしさと既視感。
低いが、けして存在感を失わない、ゆらゆらと心地よい音が体内に響き巡る。
―――それにしても、知っていると言うには、あまりにも全てが初めてだというのに。
つと、長い髪の、女性のような影が現れた。
とても重大な会話をしているのか、自分が真剣に聞き入っている。
(――凄く、大事な――)
しかし、相変わらず何も分かり得ない。
やがて彼女が脇へ寄ると、何故か非常にハッキリと見える人物が眼前に出現した。
古風な象牙色の長衣を纏い、背中まで伸びたくすんだ黄色の髪を無造作にまとめ、アイス・グリーンの瞳は視線をやや下に向けた男性である。
多少びっくりもしながら、カロルシアは初めて声にして(つもり)尋ねた。
(………お逢いできました……“霊帝”と……呼ばれておりますが……)
(その名で宜しいでしょうか……太祖…ユーデリウス……)
その自分の口から飛び出た言葉には、仰天した。
―――そんなバカな!
―――ユーデリウス!
史料などに見知った姿とは、似ても似つかない。
その瞳ぐらいしか面影が無いのに、帝政の礎を築いた伝説的存在のユーデリウス公が此処に居るのだ。
やがて彼はその口を開く。
誰とも限らない語り口で。
『……ユーデリウス……と、私は呼ばれていた者ゆえ……私は人の上に立つものではない……』
半眼でカロルシアとの視線が擦れ違うまま、彼は語った。
『―――私は…何処にでも存在し、何処にでも必要な者の前に出るよう、決められている……ユーデリウスと呼ばれた人間だったが……この世界に居るのは、かつてユーデリウスと呼ばれた者の一部分であり……』
会話は、これで成り立っている。
そして自分も内容の全てを理解している。
――そういや、噂は聞いていた。
彼は歴史の折々に、人知れず顕現し目撃されている。
何をするでもなく「呟く」のだと言う。
もちろん、ただの「呟き」ではないのだが。
(私は今、皇宮に居ますが……)
『承知……アクアパレスは神聖な処であれば…必要とされるものこそが呼ばれ……皇帝の資格在る者が立つ処こそは聖域である…』
半眼の虚ろな瞳は何も映さず、空虚にも感じられるが、無感情で無表情の奥に何かが見てとれた。
言葉には出来ないが、常人を逸したところの感性か。
(―――私は、必要とされたのですか)
『……恐れは無い……恐れを凌駕する者でなくては皇帝に非ず…………ひとたび先のような大戦が起きれば……それを再現するのが…今、呼ばれる者が居るからだ』
彼の口からは、発せられる言葉以上の情報が流れている。
押し問答のようであるが、質問が許される雰囲気でもなかった。カロルシアは自分の中にいる何か、ユーデリウスの言を受けた蠢きを認識する。
――拝命致しました。
自分が云ったか云わないか分からないままハッと気が付くと、カロルシアはベッドに横になっていた状態で目を開いた。
「――――」
時計を見たが、時間は数分と経っていない。
夢か、幻か――
「まさか――――」
それから大して深く考えもせず、改めてベッドの中に潜り込んだのである。
皇宮に来てからのカロルシアの精神的内面は、言葉にできるほどの理解は自身にすら不可能だ。
最大の解決方法は、寝るに限る。
翌日は、前日の疲れも無く、やや爽快に目覚めた。
人工的な太陽光の下で朝食を取り、まるでバカンスのようにゆっくりと何事も安く過ごしていると、昨日出迎えに来た人たちが訪れる。
「おはようございます。昨夜はいかがでしたか?」
「快適です。豪華すぎて緊張―――」
「客人は豪華な部屋にお泊り頂くものですから」
「慣れてないんですよ」
軽く会話を交わし、案内人はカロルシアを促した。
「お時間です。あなた様を待ちかねている方々がおられますので、お荷物はこのままで構いません。ご案内いたします」
「何処へ…って聞いても…」
心の準備とばかりに食い下がってみるが、
「此処は皇宮でございますので」と一蹴されてしまった。
相変わらず厳重に扉の前に立つ警備兵を背に、カロルシアは四人の案内人に四方を囲まれて連れ出される。
高級ホテル仕様の廊下を渡りきり、リニアに乗り込んだ。
音も無く空気を切ってリニアは動き出し、周囲を観光する暇も無く移動する。
皇宮近衛軍の制服が至る所に、少数ながら一般人のような服装の人々が見られた。巨大な建築物である皇宮なので、一般人がどれだけの数でどれだけの許可区域にいるか分からない。
一つの世界が作られている。
上か下か、どれだけ移動したのか、人影の少ない広いホールへとリニアは到着した。
一方の壁面はパネルなのか本物なのか、漆黒の宇宙空間が広がる。
天井は高いが、このホール自体が横の広がりを持っているので、奇妙な圧迫感を感じさせた。足元や壁には申し訳程度の間接照明が仄かに光るものの、ここでリニアを降りて「重要な場所」と思わせるには簡素すぎ、また厳重な警備といったものも表向きは見当たらなかった。
無機質なホールを、カロルシアはまた囲まれて歩を進める。
奥の壁の前まで行くと彼らは、
「私どもがご案内できるのはここまでです。この扉をお入りになり、まっすぐに歩みください。たどり着いたところが“シェーデの間”でございます」
畏まって、彼らは頭を下げた。
「…用が済んだら…」
「ここでお待ち申し上げます」
一人が手をかざすと、平面の壁が重々しくゆっくりと割れる。
壁の中には、ホールよりも暗い空間が果てしなくありそうだった。
しかしこの奥に何があるか、疑問は持ってはならないのだ。
カロルシアは自然に納得していた。
「………ありがとう」
一言残して、カロルシアは足を踏み入れた。
ガコオォォン…
不気味な音を立てて、背後の空間とは断絶される。
オレンジや青の誘導灯が仄かに点いた。
その歩みと共に両脇の暗闇がおぼろげに光を帯びて形を成した。
「そういうことか…」
入ってすぐに聞こえた音の正体に納得した。
広く横幅を取った通路の両脇と足元には、色とりどりの光が散りばめられた芸術とも云うべき水の流れがある。
まるでそれは闇に咲き渡る花畑さながらであったが、誰が見て名づけたか、皇宮がアクアパレスと呼ばれるゆえんだ。
ささやかなせせらぎの音と光に導かれ、更に凝った造りにカロルシアは驚いた。
滑らかな水面を見せながら流れる造形美の途中途中に、いくつもの立体投影像が静かに佇んでいるのである。
「これは……」
それらの着衣が通常身につけるものでないものを見て取り、通り過ぎる中に見覚えのある立像で彼らが誰であるかを認識した。
「歴代皇帝の像が…出迎え……」
そのような仕掛けとは言え、錯覚を覚える。
緩やかに、気付かぬほどの昇り傾斜を歩み、ゆっくりとそして奥に行くほど時代を遡り遠くなっていた。
(…第四代エクセン皇帝の次は第三代――まさか最終的にユーデリウス公が――)
型どおりの予想は間違いないようである。だが帝政に欠かせない人物が一人、今歩いてきた中に記憶がない。直感的に、
(ルイーザは――)
(ルイーザは正しくない扱いをされている)ふと立ち止まって、ぐるりと見渡した。
片膝をついて屈み、手のひらに水をすくい上げると、何の主張も無く、透明な液体は彼女の手をすり抜けて、元の流れに収まろうとする。
(ルイーザは帝政の流れに無い、と言うのか……何故だ)
滴り落ちる水音が通路内に響いた。
自分が、この気づいた点に何故こだわっているのかも判らない。
目の前には“見知った”ユーデリウス公の像が伏し目がちに立つ。
引かれるように彼女は濡れた手を掲げて、唇を開いた。
「――………彼女は…あなたの流れに欠けたものを補ったのではないのですか…」
正直、無意味な言動をしたと思う。が、そうしてしまう空気がここにはあった。
応えの無いユーデリウスに、そうですね、と微笑んで軌道を修正すべくゆっくりと体の向きを戻した。
その視界に、さっきまで無かったはずの人影。
(!)
黒く長い髪を結い上げて、金色の瞳に神秘的な装いの女。
――カロルシアは彼女を知っている。
「………レディ・ルイーザ…」
自然と、その名前でつぶやく。
他の立像と同様に、カロルシアとは視線など合うはずもないが、凛とした表情のまま左手を上げて、彼女に道を指し示すような仕草を見せた。それから、ゆっくりと微かに溶け込んでいったのである。
そして彼女が掻き消えた壁は、幻想的な通路の終着であり、展開の見えない扉であった。
しかし、恐れは無い。
恐れる必要も無い。
左右に壁が割れた。
その音以外に何も聞こえない静寂の中、その謹厳なる声が彼女を出迎えた。
「―――ようこそカロルシア――皇宮シェーデの間へ」
黒光りの床に、壁と言う壁がスクリーンパネルでスリット状に外界の光景を映し出していて、まるで宇宙に生身のまま放り出されたような感覚に陥る。
広いのか狭いのかも判断できないような、星々の光以外は黒の闇に包まれている中を、カロルシアはようやく人間であろう影を認識した。
半円形のテーブルに、ローブ姿の十数人が着いている。
彼らの一人が尋ねた。
「我々が誰かは心得ていよう?」
知らぬ事を口にするのは二重の意味で恥というのが常であるが、この場合、カロルシアは「不知」すら口に憚る全くの異世界において、なんの臆面もなく言ってのけたのである。
「召致、恐れ入ります」
唇に笑みを載せて、言葉は継げられた。
「ギャラクシアンの方々――」